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October 21, 2021

主体的・対話的で深い学び ~他者対話と自己内対話~

手元にあるコピー『総合教育技術』2018年6月号道徳の特集の中で、國學院大學の田村茂紀氏が次のように書いている。

 

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「他者と語り合うことで自己内対話を促進する」

 

 道徳的な学びはスタートフリーでゴールフリー。スタートもゴールもみんな違います。同じ学習テーマで話し合っても、スタートする段階が高い子も低い子もいることが前提です。

 一緒ではないのに、なぜクラスみんなで話し合うのでしょうか。例えば、「思いやり」が必要な経験をして「思いやり」についていろいろなことを考えますが、その道徳的な経験や認識は個人のものです。そこで、道徳の授業では教材を通して共通の追体験をして、それについての個々のものの見方、感じ方、考え方を披瀝し合うことによって、自己内対話を促進させるわけです。他者との対話をすることで今まであたりまえだと思っていたことがあたりまえでなかったことに気づく。授業のはじめに思っていたことが最後の方では変わってきた、友達の意見を聞いているうちに自分の道徳的な捉え方に自信を深めたということが起こってきます。それが道徳化の「協同し合う学びの時間」です。十人十色の学びが1時間の中で展開され、個々の道徳的な成長につながります。 P18 

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・・・・このような記事を「道徳」として受け止めてしまうと、もったいない。

この箇所は、「主体的・対話的で深い学び」についての汎用的な意味を持っている。

できるだけ原文を生かしながら私なりに加筆修正して示すと、次のようになる。

 

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今求められている「今日的な学び」はスタートもゴールもみんな違います。

同じ学習テーマで話し合っても、スタートする段階が高い子も低い子もいることが前提です。例えば、あるテーマでいろいろなことを考える場合、その経験や認識には個人差がありますが、それでかまいません。個々のスタートラインから出発することが「主体的な学び」です。

授業の中では

①教材を通して共通体験をさせて、

②それについての個々のものの見方、感じ方、考え方を披瀝し合うことによって、

③自己内対話を促進させます。

 

つまり、他者との対話をすることで、結果として自分自身との対話を深めます。

 

①今まで自分にとって当たり前だったことが他者にとっては当たり前でなかったことに気づく。

②授業のはじめに思っていたことが最後の方で変わってくる。

③友達の意見を聞いているうちに自分の捉え方に自信を深める。

 

ということが起こってきます(いわば化学反応です)。

「対話的な学び・協働的な学び」を通して、十人十色の学びが1時間の中で展開され、個々の「深い学び」につながります。

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田沼氏の元々の論稿が参考になっているが、本当は、自分の選んだ言葉でスッキリ主張してみたい。
 

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