どの学級にもいる発達障害の子への対応
発達障害の子についてADHDとかアスペルがーとか分けると、先生方は、その病名にこだわってしまう。
「あの子はADHDだから・・・」とADHDの特質にいくら配慮しても、本人に、その症例が見られないなら意味はない。
「あの子はアスペルがーの診断は下りていないから」と言っても、 実際にそのような症状があるなら、支援するしかない。
そもそも、医者にかかっていなければ診断名などあるはずもない。
レッテルに目を奪われて、目の前の本人の実際の様子を見ないのは愚かなことだ。
発達障害の専門的な知識を得ることでレッテル張りだけ得意になっては本末転倒だ。
「目の前の子の、今の様子」から対応策を練ること。
それは、授業でいうところの「瞬発力」である。
瞬時の対応ができるようになるために、多くの事例や多くの対応策をインプットしておく。
目の前の子の奇怪な行動に冷静に対応するために、多くの事例や多くの対応策をインプットしておく。
インプットがあるからアウトプットができる。
しっかり学んで、しっかり対応していきたい。
例えば
「教科書の○ページ、△番の×をやりなさい」と言われて、メモリーが足りず「え、先生どこやるの?」と口にする子。
このような子の存在は、これまで何回も聞いてきた。
大事なことは、
◆「その子たちは、やろうとしている」
「やる気があるから尋ねている。だから叱ってはいけない」
という視点だ。
この子たちはやる気のある子たちなのだから、そこは認めていかねばならない。
A:やることをきちんと聞いていないのだから、叱る
B:やろうとして聞いているんだから、やる気をほめる
毎日、小言のシャワーになるか、褒めことばのシャワーになるかは、教師の意識次第である。
ということは、やる気のない教室になるか、やる気のある教室になるかも、教師の意識次第ということだ。
「あれができない、これができない」と子どもの出来の悪さだけを愚痴る先生がいる。
しかし、できない子を教えるのが我々の仕事だ。
最初からできる子ばかりだったら、仕事にならない。
「できない、できない」と愚痴っているだけでは、子どもはできるようにはならない。
自分の対応法を変える気がなければ、子どもはできるようにはならない。
子どものやる気になるための、支援の一歩は「励ましの言葉かけ」である。
励ましの言葉がすんなりと出るようにするは、教師の意識の大改造が必要になるかもしれない。
「教師の意識改革なしに、子どもの学習成績は向上しない」という観点で、教師の力量向上策を考え直したい。
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