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November 29, 2021

「パラグラフ」と「段落」は違う!

パラグラフと段落は別だとの指摘がある。

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次に掲げるのは、本節冒頭の文章です。

パラグラフはふつう「段落」と訳されますが、段落とは似て非なるものです。
すなわち、日本で段落といえば、通常は「長い文章を、短く適当な長さにまとめた区切り」といった意味に理解されていますが、パラグラフは、そのような形式的なものではないのです。
パラグラフは、「1つのトピックを取り扱う、議論の最も小さなまとまり」と定義できます。トピックとは、そのパラグラフで取り扱う話題・論題のことであり、このようなトピックがさまざまに組み合わされることで、議論が作られ
ていくわけです。


太字の部分がトピックセンテンスで、そのパラグラフでの主張が述べられています。続くサブセンテンスでは、トピックセンテンスの主張が具体的に説明されています。
このような構造を持ったパラグラフを作るように心がければ、だれでもわかりやすい文章を作ることができるのです。

https://www.kansaiu.ac.jp/ctl/labo/%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%9B%B8%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%EF%BC%88%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%AF%87%EF%BC%89%E3%80%90%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88%E3%80%91.pdf

「関西大学教育推進部監修 レポートの書き方ガイド基礎編」

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以下の解説も、非常に分かりやすい。


◆2.2.パラグラフの作り方
トピックセンテンスとサブセンテンス
パラグラフは、トピックセンテンスとサブセンテンスという2つの部分から構成されます。パラグラフを作るときは、まずトピックセンテンス を述べ、 それに続けてサブセンテンスを述べていきます。
トピックセンテンスとは、そのパラグラフで主張されるトピックを端的に説明した文章のことです。これに対して、サブセンテンスは、トピックセンテンスの主張を支える部分で、さまざまな役割を
持つセンテンスが組み合わされます。サブセンテンスの役割は、主に次のようなものです。

①トピックセンテンスの主張を、さらに詳しく説明する。
②トピックセンテンスの主張の根拠を示す。
③トピックセンテンスの主張の具体例を挙げる。

・・・・パラグラフ構造を意識した文章出なければ、トピックセンテンスを抽出するのは難しい。
とりわけ教科書教材で、教科書批判は避けたいとことろなので、「リライト」という視点で、よりよい改善を試みることを強調したい。

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November 26, 2021

「テイラノサウルス」シリーズに教えられた!

人に会うことと、

本を読むことを成長の糧にして

 学校の図書館で人気のある絵本の一つが宮西達也さんの『テイラノサウルスシリーズ』です。

主人公の恐竜は、弱い者との出会いによって、自分の持つ力の意味と、本当の強さに気付きます。

例えば『わたしはあなたをあいしています』では、ただの獲物だと思っていた三匹の小さなホマロケファレが彼のえさ探しに出かけて別の恐竜に襲われます。テイラノサウルスは息を引き取る三匹を前にして「ことばが つうじなくても こころが つうじあうことのほうが、どんなに ステキで たいせつだってこと、おまえたちに おしえて もらったよ…ありがとう」と涙を流します。

小さな頃に読んだ絵本の深い意味は大人になってからでないと理解できないかもしれませんが、作者の宮西さんは、あるインタビューの中で、このシリーズを通して「見かけはどんなに恐いものでも、やさしさ、思いやりによって変われるということを伝えていきたい」と語っています。

私は、この宮西さんの言葉を「人は、心の通じ合う相手との出会いによっていくらでも変われるのだ」と理解しました。

同時に、「人は出会う書物によっていくらでも変われるのだ」と実感しています。

ですから、これまでも多くの人にこの宮西氏のシリーズを紹介してきました。

私たちは今まで出会ったたくさんの人や友達に支えられて大きく成長します。

これまでの出会いを大切にするとともに、今後の新たな出会いを通してさらに飛躍していきたいものです。

※、「読書離れ」が問題になっていますが、様々なジャンルの書籍と出会うことで知性を蓄え、感性を磨き、人としての幅を広げていきたいものです。

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November 22, 2021

その表現に当事者意識はあるか!

かつて、ある学年通信を見て、ひっかりを感じた。


◆16日に、大なわ大会が行われます。

の部分が気になり、赤ペンを入れた。

◆16日に、大なわ大会を行います。

「大会が行われます」には、他人事のような響きがある。
卒業式や運動会のような学校行事なら「行われます」でよい。
しかし、大なわ大会ぐらいのイベントなら、堂々と学年で責任をもって「行います」とすべきだ。

同じように、他人事のような響きを感じたのが次の箇所だ。

◆練習を通し、クラスの団結が高まっていくとよいですね。

クラスの団結は、自然発生的には高まらない。
教師が願うだけでは何も変わらない。
だから、ここも赤ペンを入れた。

◆練習を通し、クラスの団結を高められるとよいですね。

いや、これでも無責任だ。
「~できるとよいですね」では、明らかに当事者意識に欠けている。
次のように宣言した方がよい。

◆練習を通して、クラスの団結を高めていきます。
◆練習を通して、クラスの団結を高めていければと思っています。

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November 16, 2021

算数の文章問題でつまずかないために(2) ~立式のロジックに合わせる~

(1)

はじめに、子どもが24人あそんでいました。
そこへ、友だちが来ました。
みんなで35人になりました。
友だちは何人来ましたか?
   (「わくわく算数」啓林館 2年上P66)

 

「はじめーなかーおわり」の構造で考えたとき、問うている数は「中」だ。


①はじめに、 24人 いた。
②とちゅうで、何人か 来た(増えた)。
③全部で、  35人 になった。


②で何人来たのかを解くための【前提】は、【足し算で求めるか、引き算で求めるか】が判断できることだ。


24+何人=35

となる場合、35-24の引き算であると理解できるのは、さすがに国語ではなく算数の判断力だろうか。

 

(2)
48円の鉛筆と58円の消しゴムがあります。
消しゴムを買います。
100円出すと、おつりは何円ですか?
          (2年下p116)

単純化すると、たとえば次のようになる。

①58円の消しゴムを買う。
②100円出す。
③「おつりは何円か?

しかし、文章の流れに逆らって、立式のロジックに合わせるなら、「はじめ」は持っているお金の方がいい。

①はじめ、  100円 もっている。
②とちゅうで、 58円 使う。
③最後に、    何円 残るか?  

こうすると、

100-58=何円

という式の流れと同じになる。 

問題文を立式のロジックに合わせて、リライトする。

こちらは算数ではなく読解力の範疇だろうか。     

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算数の文章問題でつまずかないために(1) ~構造を読む~

(1)

赤いリボンと青いリボンがあります。
赤いリボンは青いリボンより10㎝みじかいそうです。
赤いリボンの長さは30㎝です。
青いリボンは何㎝ですか?
「わくわく算数2下(啓林館)P60

イラストで「だいち君」が「どちらが長いのかな」と問うている。

どちらが長いかはちゃんと書いてある。

しかし、それでも読み取れない子が、どのクラスにもいる。

そして、10㎝を足すのか引くのか、よく分からなくなる子がどのクラスにもいる。

前半「赤いリボンは~」と2つ続くが、最後に求めるのは「青いリボン」の長さ。

「赤は青より10㎝短い」を「青は赤より10㎝長い」に変換しないと、青を求める式をつくれない。

手順を追った読みとりが肝心だと思う。

 

(0)前提  赤いリボンと青いリボンがある。
(1)条件① 赤いリボンは青いリボンより10㎝短い。
(2)条件② 赤いリボンの長さは30㎝。
(3)条件①②から、青いリボンは何㎝か?

 

30㎝の赤いリボンは、青いリボンより10㎝短い。

30=青ー10

 

になるのだが、「短い」という言葉にひきずられて
「30㎝より10㎝短い」つまり「30-10」というミスをしないかどうか。

青は赤より10㎝長いのだから、青=30+10=40

数学的思考であるが、読解力でもある。

 

(2)

あめを3こずつ6人にくばると2こ残りました。
はじめに、あめは何こありましたか?
      (「わくわく算数」2年下 P117)


不親切な問題文だ。

はじめーなかーおわりの構造で考えると

①はじめに、あめが何個かありました。
②あめを3こずつ6人にくばりました。
③最後に、あめは2こ残りました。

となって、ようやく「はじめに、あめは何こありましたか?」 という設問になる。

 

②だけ先に3×6=18と計算して 

はじめー18=2

はじめ=18+2=20

算数の文章問題も構造で把握させたい*

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November 08, 2021

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然・・なぜ、日本人は論理的な文章を書けないのか


東洋経済オンライン2019年1月11日配信記事。
https://toyokeizai.net/articles/-/259129

執筆は、上智大学の奈須正裕氏。
奈須氏の講演を聴いたことはあるが、総合的な学習や教育課程の話が中心で、これほど作文教育を歴史的に語ってくれるとは思わなかった。

特に「読書感想文と学校行事の作文は『教育のガラパゴス』」とは痛快だ
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◆アメリカの作文指導はというと、説明文を書く「エッセー・ライティング」を中心に、物語や日記の形式で創作的な文章を書く「クリエーティブ・ライティング」をバランスよく行うのが一般的である。
 ところが、日本の作文指導では、エッセー・ライティングもクリエーティブ・ライティングもほとんど行われず、ただただ読書感想文と学校行事の作文なのである。俳句や短歌や詩を書く機会は結構あり、これがクリエーティブ・ライティングに当たるとも言えるが、物語を書く機会はあまりない。さらに不可思議なことに、読解では説明文も物語文も、小学校からきちんと指導されている。
つまり、日本の国語教育は、読解と作文が十分に呼応しておらず、読解での学びが作文にしっかりと生かされる構造になっていない。何とももったいないことである。
(中略)
 読書感想文と行事の作文は、日本でのみ熱心に取り組まれてきた、いわば教育のガラパゴスである
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 「エッセー」が説明文という時点で、もうアメリカと日本の感覚の違いが分かる。

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◆高度成長期に入り、生活が豊かになっていくにつれ、個々人の生活現実を赤裸々に綴ることで自らの境遇や社会の矛盾に気づく「生活綴り方」は、その時代的使命を終える。これに代わって1960年代以降に定着したのが、読書感想文と学校行事の作文である。
 指定された課題図書の登場人物に思いを寄せ、読書体験によって子どもが自己変革を遂げることを期待する読書感想文と、学校行事という共通体験を通しての人間的成長を一人ひとりが個性的に描写する行事の作文は、基盤となる経験自体は全員に共通のものである。と同時に、そこに何を感じ、どう表現するかは、個々の子どもに委ねられている。
 「一億総中流」社会と呼ばれた時代の風潮を背景に、共通の経験を基盤としつつ、そこにおけるその子ならではの独自な心情や表現を大切にしようとする当時の作文教育にとって、読書感想文と学校行事の作文は格好の題材だったのである。そして、これが今日まで半世紀にわたり、脈々と受け継がれてきた。
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・・・作文教育の歴史を説いた衝撃度としては、斎藤美奈子氏「文章読本さん江」(筑摩文庫)に近いものだった。
 この「文章読本さん江」は、明治以降のいくつかの文章読本を批判した後、日本の綴り方教育・作文教育の歴史を示し、学校で課す作文課題も批判している。

①谷崎潤一郎「文章読本」(谷崎読本)
②三島由紀夫「文章読本」(三島読本)
③清水幾太郎「論文の書き方」(清水読本)
④本多勝一「日本語の作文技術」(本多読本)
⑤丸谷才一「文章読本」(丸谷読本)
⑥井上ひさし「自家製 文章読本」(井上読本)


「読書感想文」や「行事作文」では、生きる力にならない。それは「主張」や「対立」を伴わないからだ。
「僕はこの本を読んで〇〇と思いました」では、「あなたがそう思うのは分かった」というそれだけのことだ。
「今日〇〇がありました。楽しかったです」では、「それで何?」とか「それはよかったね」と突っ込みたくなるだけのことだ。

国語を専門とする一部の先生は「論理的思考」や「論証」に力を入れているが、多くの先生は「ガラパゴス」のままだ。
意見文を書かせるのだ。
異論を唱えさせるのだ。
感想文・行事作文で満足しがちな今の状況を何とかしなくてはいけない。

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November 04, 2021

「学習とはシンプルな繰り返し」 ~算数も国語も同じはず~ 

手元に『教育トークライン』(東京教育技術研究所)2016.7月号、向山先生の巻頭論文のコピーがある。

「向山洋一の授業実践と授業理論」185
学習とは、シンプルな繰り返しである。



池谷裕二氏の『最新脳科学が教える 高校生の勉強法』を踏まえての主張だ。
ここでは、「向山型算数」と「問題解決学習」を比較して、繰り返しの原則を踏まえた「向山型算数」の良さを述べている。


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算数の問題解決学習は、なぜ駄目なのか。「学習は繰り返し」であるという古来言われてきた経験則と、最新の脳科学の知見を全く無視し、それとは正反対の授業をしているからである。
算数の問題解決学習は、日本中に「算数嫌いの子」をつくり、「算数が分からない子」を大量生産し、軽度発達障害のある子を何万人、何十万人とスポイルしてきた。

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・・・算数についての主張であるが、どの教科にも通じる汎用的な主張でもある。

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国語の〇〇学習は、なぜ駄目なのか。
「学習は繰り返し」であるという古来言われてきた経験則と、最新の脳科学の知見を全く無視し、それとは正反対の授業をしているからである。
国語の〇〇学習は、日本中に「国語嫌いの子」をつくり、「国語が分からない子」を大量生産し、軽度発達障害のある子を何万人、何十万人とスポイルしてきた。
======================

と批判されるような国語の指導法はなかっただろうか?
自分の国語の授業は大丈夫だっただろうか?


再度、向山氏の文章を引用する。

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向山型算数は「繰り返し」のシステムである。同じような流れ、同じような展開によって、授業が進む。
シンプルである。分かりやすい。算数って簡単だということになる。
算数の授業で「説明」は、シンプルなほどいい。
シンプルな繰り返しで「解き方」を「自然に身に付ける」のがいい。
反対に、長い説明、くどい解説は、多くの子どもを落ちこぼれにしてしまう。
教師の長い説明は、ほとんど悪いのだ。同じ話でも「説明」と「語り」は、全く違う。語りで子供をひきつけられる教師はすばらしい。
教養が豊か、体験がいっぱいある教師にしかできない指導なのである。知性がシンプルさをもたらすのである。

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・・・あえて「国語」に置き換えてみるまでもない。
国語の授業だって、「シンプルな繰り返しで、分かりやすくて、国語って簡単だ」となるべきなのだ。

シンプルな繰り返しで「解き方」を「自然に身に付ける」のがいい。

国語においても(他教科においても)、心しておくべき指摘だと思う。

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「PISA型読解力は何を示唆するか」

「PISA型読解力は何を示唆するか」は、「現代教育科学」2006年9月号の特集テーマ。
 最初のPISAショックが起きて、文科省の「読解力向上に関する指導資料」が出たことを受けた特集であった。
 15年もずっと同じ議論をグルグルしているのかと思えてしまうが、少し復習。

(1)2005年12月文部科学省より出された「読解力向上プログラム。
 「はじめに」で次のように書いてある。

◆なお、PISA調査の「読解力」とは、「Reading Literacy」の訳であるが、わが国の国語教育等で従来用いられてきた「読解」ないしは「読解力」という語の意味するところとは大きく異なるので、本プログラムでは単に「読解力」とはせずに、あえてPISA型「読解力」と表記することとした。

①数学的リテラシー ②科学的リテラシー ③読解力リテラシー

であるべきところを、「読解力」としてしまった。
 本来「Reading Literacy」と書くべきところを「PISA型読解力」と表記したと言いながら、冊子のタイトルは「読解力向上プログラム」。
ここに初動のミスがあると思う。
 今もマスコミは「PISA型読解力」と書かずに、「読解力」と表記して騒ぐ。
 問うているのは「Reading Literacy」なのに。「PISA型」という注釈をつけても、いつしか「読解力」に置き換わってしまう。

◆リテラシーとは、特定分野の事象や情報を正しく理解・分析・整理した上で、自分の言葉で表現したり、判断したりする能力を指す
(「総合教育技術」2020年2月号の教育ジャーナルより)

 PISA調査の「Reading Literacy」は、従来の日本の読解力とは大きく異なる。
 この「Reading Literacy」に沿った具体的な対応が、学力テストB問題であり、2020年の大学入試記述問題であった。

(2)センター試験に代わって2020年度から行われる大学入学共通テスト(国語)

 

大学入試問題も、これまで行われてきた全国学力調査問題と傾向が酷似していた。
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「大学入試が求めるもの」
①複数の種類の実用文を読ませる  
②複数の文章を組み合わせて考えさせる
③大量の情報を処理させる
④最大200字程度の文章を20分程度の短時間で書かせる
⑤多くの条件を踏まえた文章を書かせる
⑥誰かの立場で文章を書かせる

 難波博孝氏(広島大学大学院教授)
東京書籍発行「教室の窓 Vol.55」
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 この点について難波氏は次のように指摘していた。

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実はこの方向性は、文科省がずっと追い求めてきたことであった。
小学校・中学校関係者の方ならすぐわかるだろうが、今まで10年以上行われてきた全国学力・学習状況調査のB問題と共通テストのここまで傾向はそっくりだからである。
文科省は10年かけて、共通テストの基盤をつくってきたといえる。
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2018年11月、朝日新聞に掲載されたコメントも、同様の趣旨だ。

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文部科学省はこれまでも高校までに教える内容を決める学習指導要領で「思考力、判断力、表現力」を身につけるよう学校に求めてきた。
だが、高校では大学入試に向けた勉強に重点が置かれがちだ。
そこで大学入試も、より学習指導要領の内容に合わせるよう大きく変えることにした。
                            
朝日新聞 進学特集「20年度入試から共通テスト」2018/11/5朝刊
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 授業を変えるためにゴールを決めた。
 入試を変えるというウルトラCを決行したのだ。
 さて、同様の指摘は「全国的な学力調査に関する専門家会議」の委員である田中博之氏も述べている。

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(2017年の大学入試試行調査は)全国学力・学習状況調査の問題と、とてもよく似ています。これは偶然ではなく、意図的に合わせているのです。つまり、記述力が全国学力・学習状況調査から大学入試まで一貫して問われる必須の学力になる、という画期的な出来事が起きようとしています。だからこそ、小中学校では一層B問題的な学力観を重視すべきなのです。  
「総合教育技術」2019.11月号 P43
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・・・「記述力が全国学力・学習状況調査から大学入試まで一貫して問われる必須の学力になる、という画期的な出来事が起きようとしています」であったはずなのだ。
 大学入試にまでつながる「PISA型読解力」が、土壇場になって混乱してしまったが、我々の意識を延期するわけにはいかない。
学力テストを、無理矢理やらされているテストと捉えているようでは、PISA型読解力が身につくわけがない。
 学力テストで問われているような内容を授業の中で行わない限り、PISA型読解力向上は望めないし、国際的な場で日本の生徒は活躍できない。

(3)2019年の文科省のPISA読解力の見解

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 読解力についていえば、前回までは、「読解力」の定義は、書かれたテキスト(本や新聞など出所や校正・校閲がしっかりした書きもの)の中から「情報を探し出す」「字句の意味を理解する」「統合し、推論を創出する」「内容と形式について熟考する。」等でありました。つまり「従来型」の範囲内での「読解力」を問うものだったといえるでしょう。
 今回からは、オンライン上の様々なデジタルテキスト(ブログ、投稿文、宣伝サイト、メール文)など、文責が誰にあるのか、出所が定かであるのか、校正・校閲がしっかりなされているのかなどが一見明確ではない文書について、「質と信ぴょう性を評価したり」「矛盾を見つけ対処したりする」ことも求めており、問題自体もその7割がPC使用型調査のために開発された新規ものとなっています。つまり、前回までの「読解力」の調査からは大きく変化しているということです。
 OECDの責任者であるシュライヒャー局長も、現代社会においてデジタルの世界で求められる読解力に焦点を当てたこと、「フェイクニュース」が広がる世界での読解力がより重要な能力になっていることを明確に言及しており、今回のPISA調査は、これまでの「読解力」の範囲に加え「情報活用能力」をも求めていることは明らかだと思います。

初中教育ニュ-ス(初等中等教育局メ-ルマガジン)第373号(令和元年12月24日臨時号)
【矢野 文部科学省大臣官房審議官(初中教育担当) 特別寄稿】PISA調査2018とGIGAスクール構想
https://www.mext.go.jp/magazine/backnumber/1422844_00003.htm
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 この審議官の言葉が一次資料なら、求められる読解力は
1 「情報を探し出す」
2 「字句の意味を理解する」
3 「統合し、推論を創出する」
4 「内容と形式について熟考する」
5 「質と信ぴょう性を評価する」
6 「矛盾を見つけ対処する」

となる。これを、

◆これまでの「読解力」に「情報活用能力」を加えたもの
◆新たな読解力(読解力と情報活用能力のハイブリッド型)◆

と呼んでいる。これがまさに新学習指導要領の先の課題ということになるだろうか。

デジタルニュースの信ぴょう性を検討するには、今後ますます「Reading Literacy」だ。
ハイブリッドなどと呼ばずとも、元々の「Reading Literacy」の「リテラシー」が一層重視されてきたのだとも理解できる。

そもそも「Reading Literacy」をオーソドックスにしなかった初動のミスではないかという思いが増している。

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November 03, 2021

「学習の振り返り」は、一言感想とは違う。

過日、主事訪問があり、参観後の講評の場で、「振り返り」についての指摘があった。
単なる「反省」や「一言感想」を書かせるだけでは「振り返り」としては質が低いという内容だ。
本時で学んだこと(分かったこと・できたこと)は何か、
次時の課題は何か、本時の何が良かったのか、何が悪かったのか・・・
1時間の授業の振り返りが「難しかった」「楽しかった」「よくがんばった」では、次の授業につながらないという指摘は、これまで何度も聞いてきたが、「振り返り」の質向上の意識は、なかなか浸透しない。


これは先のダイアリーの「学び合い・話し合い」と同じロジックだ。

指導者が「話し合い」で何をさせようとしているのか、その要求水準が明確でないと、単なる意思表示になってしまう。
指導者が「振り返り」で何を書かせようとしているのか、その要求水準が明確でないと、単なる一言感想になってしまう。



授業最後に書かせる「振り返り」の質が低いからと書き直しをさせていたら、授業はいつまでたっても終わらない。
そもそも、授業の質が低ければ、高い質の「振り返り」を望めるわけがない。

いや、そもそも普段やらないのに、研究授業のときだけ「振り返り」をやろうとするから無理があるのだ。

日常的な表現力の指導も必要だ。
子どもが書く「振り返り」の質は、教師の力量に規定される。

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「話し合い」の意味と意義 ~協働学習というからには~

手元にある「学び合い」に関する資料で、元中教審委員の嶋野道弘氏がインタビューに答えている。古い資料だけど意義は薄れていない。
「学び合い」という言葉を聞いただけで拒絶する先生もいると思うが、「協働学習」と同義である。

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◆「協同(共同、協働)学習」のように、学び合いと似た意味で使われる言葉は多くありますが、「考えの違う者が集まり、考えを出し合いながら深める」という点は共通です。
 学び合いは「自己との対話を重ねつつ、他者と相互にかかわりながら、自分の考えや集団の考えを発展させて、共に実践に参加していくこと」と整理できるでしょう。

◆まず「自分の考えを持ち自分を見つめる」ことから始まります。それが「自己との対話」の意味です。
他者とかかわる事によって、自分の考えを吟味し、友だちの考えを取り入れることで、一人では解決できない問題への新たな見方が生まれます。

◆学び合いとは、自己の考えをもち、他者と共に考えを発展させていくものであることを、本当の意味で理解し、思考力・判断力・表現力等を育む上で学び合いの必要性を切実に感じている先生は、意外と少ないのかもしれません。本質を理解しないまま、形だけを踏襲してグループ活動などを取り入れても、中身が伴わず学び合いが形骸化してしまうでしょう。

2011年VIEW21(小学版)vol2 ~特集 思考が深まる「学び合い」~
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・・・個々の考えもないままにグループ活動させれば、賢い子の独壇場になり、相互交流は起きない。
賢い子の言い分を共有するだけでは「話し合い」とは言えないし、「学び合い」とも言わない。


「這いまわる経験主義」と揶揄されたように、いくら見た目が活発でも、深まりのない話し合いなら意味がない。

嶋野氏が指摘するように、形を踏襲しただけのグループ活動は中身が伴わないのだが、「今日の話し合いは盛り上がったね」と勘違いする教師も多い。
残念ながら、前任校にいた学び合い推奨の教師は、子どもをここまで高めたいという思いがなかったから、ワイワイやっていればそれで満足していた。
話し合いのレベルは、教師の力量に規定されるのだとつくづく思う。

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November 01, 2021

読書は脳の想像力を高める

『脳を創る読書』酒井邦嘉(実業之日本社)には、次のように書いてある。

◆想像力が身についていない人は、メールなど文字だけの情報の場合、読んでも相手の意図を察することができないので、日常的に多くの失敗を経験していることだろう。しかも、その原因が自分自身にあると自覚していないため、何度も同じ失敗を繰り返してしまう。p125


「脳はなぜ行間を読むことができるのか」の項には、次のようにある。

◆人間はいつも外界を受容しながらモデルを作り、それを外界の情報で確認しながら次の展開を予想して先読みを続けている。だから、出来事だけが書かれていて主人公の心情については書かれていない場面でも、「主人公はきっとこう思っているのに違いない」というモデルを脳の中に作り、「きっと話はこう展開していくだろう」・・などと予測しながら読んでいるわけだ。こうして文章に表現されていない部分のモデルが脳の中に作られているからこそ、行間を読むことができる。p98

・・・この主張の例示として登場するのが有名な「サリーとアン」のテストの話だ。

◆「アンがボールを箱の中に移し替えたのだが、このことをサリーは知らないはずだ」ということを想像力で補わない限り、実際にボールの入っている箱のほうを答えてしまうだろう。我々は頭の中に、それぞれの登場人物(この場合はサリーとアン)に対して別々のモデルを作り、想像力で行間を埋めながら先の展開を推理しているのだ。
 しかし、一部の子どもたちは、登場人物のモデルをうまく作ることができずに、このテストデ間違える傾向にあるという。p100

・・・「想像力」の重要性が、あちこちに書いてある。

◆文章や漫画から登場人物の心を汲み取るためには、脳の想像力で使って人に対するモデルが作られなくてはならない。
日常生活で相手の心がわかるには、目や表情やわずかな仕草などを読み取り、言葉からの断片的な情報を結びつけて真意を読み取る必要がある。だから、相手の嘘や、その中に隠された真意も見通せるわけだ。人間の想像力は実に奥深い。p102

◆小さいときにあまり本を読まずに、想像力が欠如したまま大人になってしまうのは恐ろしいことだ。文字通りの意味がとれるならまだいいが、自分の思い込みだけで読むようになったら、その間違いを決して自分では修正できなくなってしまう。だいだい自分勝手なことをそのまま書いただけでは、相手が時間をかけて読んでくれるはずがない。相手の立場から自分の文章を読んだらどう受け取るだろうか、という想像力が身について初めて、自分の真意を相手に伝えることができ、相手の心を動かすような文章が書けるようになるのだろう。p122/123

・・・「想像力が言語コミュニケーションを円滑にする」という見出しの項には次のようにある。

◆映像は情報が多い分、想像力の余地を与えない。想像力で補うべき情報は欠落したままなので、知識の応用も利かない。
そのときはわかったつもりになるのだが、想像力で補うことが必要とされないものにばかり接していると、結局、想像力が身につかないことになる。紙の本では、どうしても足らない情報を想像力で補うことによって、その人に合った、自然で個性的な技が磨かれたのだ。p125

・・・クリエイテイブの「創造力」を調べる途中で、「想像力」にぶつかってしまった。
たしかに、正しい読解には、正しい想像が必要だ。
足りない情報は「想像力で補う」しかないのだ。

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