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November 01, 2021

読書は脳の想像力を高める

『脳を創る読書』酒井邦嘉(実業之日本社)には、次のように書いてある。

◆想像力が身についていない人は、メールなど文字だけの情報の場合、読んでも相手の意図を察することができないので、日常的に多くの失敗を経験していることだろう。しかも、その原因が自分自身にあると自覚していないため、何度も同じ失敗を繰り返してしまう。p125


「脳はなぜ行間を読むことができるのか」の項には、次のようにある。

◆人間はいつも外界を受容しながらモデルを作り、それを外界の情報で確認しながら次の展開を予想して先読みを続けている。だから、出来事だけが書かれていて主人公の心情については書かれていない場面でも、「主人公はきっとこう思っているのに違いない」というモデルを脳の中に作り、「きっと話はこう展開していくだろう」・・などと予測しながら読んでいるわけだ。こうして文章に表現されていない部分のモデルが脳の中に作られているからこそ、行間を読むことができる。p98

・・・この主張の例示として登場するのが有名な「サリーとアン」のテストの話だ。

◆「アンがボールを箱の中に移し替えたのだが、このことをサリーは知らないはずだ」ということを想像力で補わない限り、実際にボールの入っている箱のほうを答えてしまうだろう。我々は頭の中に、それぞれの登場人物(この場合はサリーとアン)に対して別々のモデルを作り、想像力で行間を埋めながら先の展開を推理しているのだ。
 しかし、一部の子どもたちは、登場人物のモデルをうまく作ることができずに、このテストデ間違える傾向にあるという。p100

・・・「想像力」の重要性が、あちこちに書いてある。

◆文章や漫画から登場人物の心を汲み取るためには、脳の想像力で使って人に対するモデルが作られなくてはならない。
日常生活で相手の心がわかるには、目や表情やわずかな仕草などを読み取り、言葉からの断片的な情報を結びつけて真意を読み取る必要がある。だから、相手の嘘や、その中に隠された真意も見通せるわけだ。人間の想像力は実に奥深い。p102

◆小さいときにあまり本を読まずに、想像力が欠如したまま大人になってしまうのは恐ろしいことだ。文字通りの意味がとれるならまだいいが、自分の思い込みだけで読むようになったら、その間違いを決して自分では修正できなくなってしまう。だいだい自分勝手なことをそのまま書いただけでは、相手が時間をかけて読んでくれるはずがない。相手の立場から自分の文章を読んだらどう受け取るだろうか、という想像力が身について初めて、自分の真意を相手に伝えることができ、相手の心を動かすような文章が書けるようになるのだろう。p122/123

・・・「想像力が言語コミュニケーションを円滑にする」という見出しの項には次のようにある。

◆映像は情報が多い分、想像力の余地を与えない。想像力で補うべき情報は欠落したままなので、知識の応用も利かない。
そのときはわかったつもりになるのだが、想像力で補うことが必要とされないものにばかり接していると、結局、想像力が身につかないことになる。紙の本では、どうしても足らない情報を想像力で補うことによって、その人に合った、自然で個性的な技が磨かれたのだ。p125

・・・クリエイテイブの「創造力」を調べる途中で、「想像力」にぶつかってしまった。
たしかに、正しい読解には、正しい想像が必要だ。
足りない情報は「想像力で補う」しかないのだ。

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