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December 28, 2021

国語の発問づくりは3段階ある。

国語の発問づくりを石原千秋の「大学受験のための小説講義」(ちくま新書)を重ねてみると、新たな発見があった。

「大学受験の小説講義」は、何度も読み返しすのだが、全然身に付いていないことが分かって愕然とした。

テキストを読めばすぐに答えられる問いもあれば、どうやっても答えようもない問いがある

という流れを受けて、次のような記述がある(P176から177)。

◆すぐれた小説の読者は、「なかなか答えられない問い」をテキストに巧妙に仕掛けていくものだ。もちろん、「なかなか答えられない問い」は「まったく答えられない問い」ではない。考えようによっては答えることの出来る問いなのである。そして、それに答えることによってテクストはより深く読みこまれる。そういうレベルにある問いだ。

・・・この「小説の読者」は「教師」に置き換えられる。
教師の役割を次のように考えた。

「①テキストを読めばすぐに答えられる問い」を布石にしながら
「②なかなか答えられない問い」をメインに持ってくる。
そして、子どもたちから列挙される「③まったく答えられない問い」は、適当にスルーして授業の進行をリードする。
教師の発問に答えさせることによって、テクストはより深く読みこまれる。

 石原氏は、次のように言う。
「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る読者がすぐれた読者だ」

・・・子どもたちが「すぐれた読者」になることが望ましいが、まずは、教師が先だ。

 次のように置き換えられる。

★「ほどよい<なぜか?>という問いかけが出来る教師がすぐれた教師だ」★

 ただし、教師は「すぐれた読者」で終わるわけにはいかない。
 石原氏は次のように言う。

ただし、研究者は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、一般の読者と同じレベルの読み込みしかできないからだ。研究者にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた問いだと言えるだろうか。

・・・高段者の先生の授業で驚くには、その発問の見事さである。
 ということは、「研究者」は「教師」に置き換えられる。
 念のためトレースして提示する。

★ただし、教師は少し事情が違っている。「ほどよい問い」に満足していたのでは、子どもと同じレベルの読み込みしかできないからだ。教師にとっては、「まったく答えようのない問い」に出来るだけ近づいた「なかなか答えられない問い」が、最も優れた発問だと言えるだろうか。

・・・先に示した教師の役割が次のように変更できる。

①「テキストを読めばすぐに答えられる問い」でホップ
②「なかなか答えられない問い」でステップ
③「まったく答えようのない問い」に近づいてジャンプ

・・・「まったく答えようのない問い」に近づいた問いについて、石原氏は次のように言う。

それはほとんど「誤読」に近いが、「誤読」に少しでも触れる冒険を経験しないような読みは、研究者にとっては読みの名に値しない。研究者はたとえてみればテストパイロットのようなもので、テクストの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。

・・・この「研究者」を「教師」に置き換えるつもりでチャレンジしていきたい。

★テクストの可能性を限界まで引き出し、子どもの読みの可能性を限界まで引き出すのが仕事の1つだから。

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「風」に無自覚な教師が使う毒語

教師に限らず、親にとってもドキッとするのが川上康則氏の論稿(「実践障害児教育」R1.7月号)

教室に不穏な風を吹かせる毒語

(1)質問攻めの問い詰め

・何回言われたらわかるの?・どうしてそういうことするの?

・ねえ、何やってるの?・誰に向かってそんな口のきき方をするんだ?

 

(2)裏を読ませる言い方

・やる気がないんだったら、もうやらなくていいから(本当は「やりなさい」)

・勝手にすれば(本当は「勝手なことは許さない」)

・あなたの好きにすれば(本当は「言う事を聞きなさい」)

 

(3)脅しで動かそうとする

・早くやらないと、〇〇させないよ。・じゃあ、〇〇できなくなるけどいいね。

 

(4)虎の威を借りる言い方

・お母さんに言おうか。・お父さん呼ぶよ ・校長先生に叱ってもらおうか。

 

(5)下学年の子と比較する

・そんなこと1年生でもやりません。・そんな子は一年生からやり直してください。

 

(6)見捨てる

・じゃあ、もういいです。・さよなら、バイバーイ

 

川上氏はこう書いている。

◆自分自身が吹かせる「風」に無自覚な教師は、言葉の重みに気づけない。発する言葉の端々に「毒づいた言葉」を使いながら、子どもたちを知らず知らず苦しめていることがある。

 

教師のストレス発散(指導力不足へのいらだち)にしか思えない、子供への侮辱の言葉。

これも「アンガーマネジメント」と思って自重しないといけない。

子どもを傷つける「毒語」が止まらない教師は、侮辱や叱責によって子どもを抑え込んだ経験が「誤学習」になっていると自覚すべきだ。

※いけないと思いつつ、つい口にすることもある。そんな時は自分を責めず、指導がうまくいかなかった自分を許すことも大事だ。

 

川上先生の別の論稿のコピーがあるので、こちらも引用(「教育技術小1・2」2020・9月号)

(1)アタッチメント(愛着形成)のつまずきとして、心理的・身体的距離感の不適切さは二つに大別される。

①誰に対しても無警戒で馴れ馴れしく、過剰に身体接触を求めるタイプ

②誰に対しても警戒心を示し、他者との関わりを拒否するタイプ

 

(2)愛着形成のつまづきに由来して生じやすい行動や反応は三つに大別される。

①愛情欲求行動

・注目行動・アピール行動

・愛情試し行動

・愛情欲求エスカレート現象

 

②自己防衛

・否認(不適切な行動を認めない)

・他責(自分は悪くないと言い張る)

・被害的他責(〇〇のせいでこうなったと言う)

・解離(追い詰めると記憶が消滅する)

 

③自己評価の低さ

・自己否定(どうせできない・やっても無駄)

・自己高揚(他者を注意したり、自分の持ち物をあげようとしたりして「優位性」を保とうとする。理不尽な命令・言い分が通らないときの暴力など)

 

・・・次頁に「つまづきに対するダメなアプローチと望ましいアプローチ」もまとめてあるが、全文引用になるので、やめておきます。

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算数文章題を構造で読み解く

次の2つの文章題を見たとき、迷ってしまった。

【A】
良子はみかんを3個もっています。
邦子が良子にみかんを5個あげました。
良子は今何個のみかんをもっているでしょう。

【B】
良子はみかんを8個もっています。
良子は邦子にみかんを5個あげました。
良子は今何個のみかんをもっているでしょう。

2つを同時に並べられると、間違い探しのようで「どこが違うの?」と困ってしまう。
どちらも、「開始量」「変化量」「結果量」の3文構造になっている。
あるいは「割りあて文」「関係文」「質問文」の3文構造になっている。

よく読めば、2文目が異なっていて、良子さんのみかんが5個増えたAと、5個減ったBの違いが分かる。
大人が「よく読めば」なのだから、分からない子がいても仕方ないのかもしれない。


どちらも良子と邦子の2人が登場するが、誤読しやすいのはAだ。

良子はみかんを3個もっています。邦子が良子にみかんを5個あげました。

開始量は、良子が主体。
変化量は、邦子が主体。

主体を良子に揃えるなら、2文目は

良子はみかんを3個もっています。良子は邦子からみかんを5個もらいました。

になる。増加がイメージしやすいので3+5の立式もできる。

Bの場合は、主語が一貫しているので

良子はみかんを8個もっていて、邦子にみかんを5個あげました。

と減少がイメージしやすいので、8-5の立式もできる。


参考 『子どもは数をどのように理解しているのか』吉田甫(新曜社)


算数の文章問題の基本的な構造は
「開始量」
「変化量」
「結果量」
で示すことができる。
未知数の位置はどこにあるかによって立式は異なるが、「はじめーなかーおわり」といった感じだ。

こうした算数の意味とは違って、文章問題には、次の3つの要素がある。


「割りあて文」
「関係文」
「質問文」

 

中途半端に2文になっている次のような問題は、3部構造に置き換えると良い。

◆良子はみかんを3個もっています。
邦子が良子にみかんを5個あげたら、良子はみかんは何個になるでしょう。

◆良子はみかんを8個もっていて、邦子に5個あげました。
良子は今何個のみかんをもっているでしょう。

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December 27, 2021

「思いやり」を育むのは、教師の「相手意識」

 これまで多くのセミナーで学んだ授業の配慮は

「学力の低い子もきちんと参加できるか」
「全員が参加しているか」
「一番後ろのにもちゃんと声が届いているか」
などである。

 指導案その他の提案文書の配慮は、

「初めて読む人(門外漢)にも伝わるか」
「中学生が読んでも伝わるか」
などである。
 
 自分は答えを知っているし、授業のゴールも分かっている。
 自分は知っているから、相手も分かっているつもりで授業を創ってしまう。
 「他人の脳は、自分とは違う」と教わったこともあるが、自分の既得情報や既得体験を捨て去って考えることは難しい。
 それでも
◆授業を受ける子どもの身になって考える。
◆文書の読み手の身になって考える。
というように「相手の立場で物を見る」を遂行できる教師でありたいと思う。

 「相手意識」は要するに「思いやり」である。
 高段者の先生方の授業エピソードは、いつも「思いやり」にあふれている。

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December 26, 2021

授業の評価は「子供の振り返り」で可能なのか?

ある研究授業の終末の場面で、お約束の「振り返り」があった。

プリントに今日の授業の振り返りを記入する。まあ授業の感想を書かせたといってもよい。

振り返りのヒントとして、本時のプリントには、次のようにヒントが書いてある。

◆できるようになったこと、わかったこと、

◆楽しい面白いと思ったこと、うれしかったこと、

◆次がんばりたいこと、むずかかったこと、

◆そのほか気づいたこと

・・・しかし、子どものプリントを見ると、次のような一言感想ばかりだった。

 

◆○○ができるようにがんばった。

◆いい○○ができてうれしかった。

◆今度も、もっといい○○を作ってみたい

 

・・・さて、授業者は、この振り返りで「良し」とするのだろうか。

授業への取り組みが活発なら、振り返りが一言感想でもかまわないのだろうか。 

そもそも振り返りプリントとはいったい何の意味があるのか。

 

春日井市の研究推進に堀田先生が関わっていた頃、教務主任だった自分も何度かお話を聞いたし、資料も読み込んだ。

その推進校の研究成果が2015年に教育同人社から書籍としてまとめられた。

その中に指摘がある。

◆感想やわかったことを書かせるだけでなく、めあて、課題に対しての振り返りとなるように問いかける。

◆「振り返り」として、何が書けたり言えたりすればよいのかを、教師がしっかりと捉えておく。

例えば高学年の実際の授業では、授業の終末に、教師がまとめとして振り返る際のキーワードを伝えます。すると子どもがノートに学んだことを自分の言葉で速やかに書き始めます。教師はその様子を把握し、まとめが終わった頃に全体のまとめにつながる数人を意図的に指名し、その発言について、指名した理由や必要なキーワードなどを伝えながら学級全体にの学びについて確認していきます。

 

・・・個々に振り返りをさせてプリントを回収するだけの授業では、子供同士の相互作用がない。

そういうことを書けば良いのだというモデルが示されないと、振り返りの質が上がらない。

にもかかわらず、「各自、書いて終了。後で先生が見ておきまーす」というケースが多い。

 

そもそも、教師に「どんな振り返りを書かせたいのか」の明確なイメージがなければ、評価のしようがない。

それは指導と評価が一体化していないという課題につながっている。根が深い問題だ。

 

ところで、かつての研究授業では、授業者の反省は子どものノートや振り返りプリントを踏まえて語ることが多かった。

協議会の場では子どものノートや振り返りプリントを回したものだ。

それは、本時の授業の評価は「授業者の思い」ではなく、「子どもの事実」によってなされるべきものだからだ。

今回の研究協議会も振り返りプリントの提示がなかった。

振り返りプリントにどんな書き込みがあったら本時のねらいが達成されたと判断するか、そのような観点で授業が組み立てられていないので、回覧したところで意味はないのだが、「子供の事実」で授業を評価するという意識を失ってはいけないと思う。

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算数の文章題のつまずきを整理する

計算はできるのに文章題で式が立てらない要因について、次のような指摘がある。

子どもたちが苦手とする文章題のタイプ

◆「Aは5個持っています。AはBより3個少ないです。Bはいくつ?」という問題は、「少ない」と書かれていることから「5ー3」と立式してしまう誤答が目立つという。この場合、文章の意味、数量の対象が理解できていないと捉えられがちだが、子供は問題文に引っ張られると指摘している。

このように、文章題の難しさは、文章の意味理解(読解)ができないということよりも、問題構造が捉えられず、数学的な意味が捉えられない(演算的知識)ために、誤った式を立ててしまうことが原因であり、統合過程のつまずきであることがわかる。

月刊「実践みんなの特別支援教育」12月号P32

 

「算数・数学が苦手な子どもの指導のヒント』の連載で、著者は伊藤一美氏。

連載2回目の今月号は「繰り上がり、繰り下がりの計算と加算、減算の文章題」。

 

◆算数の文章題の問題解決過程は「理解過程」と「解決過程」とに分けられる。

「理解過程」は、一文ずつの意味内容を理解するための言語知識や文理解のための意味的な知識を使う「変換過程」と、そこで理解した意味内容をスキーマを働かせまとめ上げる「統合過程」に分けられる。

「解決過程」は、理解した内容を反映した式に構成するために、どのように立式するかの方略に関する知識を使用する「プラン化過程」と、立式を演算するために四則計算の手続き的知識を適用する「実行過程」から構成される。

 

・・・整理すると次のようになる。

 

文章題の問題解決過程

1、理解過程

①変換過程・・・意味内容の理解

②統合過程・・・意味内容の統合

2、解決過程

①ブラン化過程・・・立式

②実行過程・・・演算

 

「算数文章題のつまずきは、統合過程にあることが知られている」という指摘は、1の②がつまずきやすいという意味だ。

 

◆文章題の難しさは、「文章題の意味構造」と「未知数の位置」が関係している◆

 

という指摘もなるほどと思った。

足し算引き算の文章題の意味構造は「変化」「合併」「比較」の3種類だと書いてある。

①数量が増減するのが、変化タイプ

②全体と部分の関係性を問うのが、合併タイプ

③数量を比較するのが、比較タイプ

 

また、未知数の位置は、変化タイプの場合、次の3種類あると書いてある。

①最初の数量(初期量)が分からない場合。

②変化分(増減した数量)が分からない場合。

③結果が分からない場合。

 

足し算も引き算も、「初期量」が未知数の場合が最も難易度が高いと書いてある。

「はじめにいくら持っていたでしょうか」という形で四角やxを用いて立式するパタンの問題だ。

変化タイプは「初めー中ー終わり」の構造だから、上述の①②③の位置に未知数がくることは、よく分かる。

「比較タイプ」の未知数の位置は、①A ②B ③両者の差 の3種類になる(はず)。

「合併タイプ」の未知数の位置は、①全体 ②部分A ③部分B の3種類になる(はず)。

 

◆文章読解ができることと演算の理解だけでは解くことはできない。そのため、数量関係を捉えることの重要性を低学年のたし算、ひき算の文章題から指導指導しておくこともカギとなる。◆

 

・・・文章題の内容が複雑になる前に、そして四則計算の使い方が複雑になる前に、数量関係を整理したり、図示したりできるスキルを身につけておく必要があるのだと理解した。

それは、低学年の説明文のうちに文章構造をつかんでおく必要がある国語の場合とよく似ている。

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December 22, 2021

授業が子供を傷つける

『教育トークライン』(東京教育技術研究所)2016年1月号 小児発達学博士である和久田学氏の「結局は授業が基本」という論稿より引用。

何も加える言葉はありません。

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授業が子どもを傷つける

 とにかく授業が下手だった。

 授業者である担任は、子供をじっと見ていなかった。その上、活動がなく、教師の言葉が多すぎる。その学年の子供が理解できる内容でも量でもなかった。もしかしたら一人か二人、必死で教師の言葉を理解する子供がいたかもしれない。だが、教室にいる大部分の子供は、まるで教師を哀れむような表情していた。そして、時々、教室の隅で遊んでいる友達を見る。自分たちの担任がクラスをコントロールできてない事実を認識して悲しい気持ちになっている。その証拠に賢そうな顔をした女の子が、私の参観中、保健室に行きたいと申し出てきた。腹が痛いと言ったが、そうではないだろう。意味の分からない話を続ける教師、 授業中なのに遊んでいる友達が共存する空間の居心地の悪さに、耐えられなくなったのに違いない。

 授業のまずさが子供を傷つけ、問題行動に追いやる事実を、 私はこれほどはっきりとは目の当たりにしたことはなかった。

 先日、その話を杉山登志郎先生に話したところ、「それをエディケーショナル・アビューズ(教育虐待)と言うんだよ」と教えてくださった。なるほど、授業が子供を痛めつけ、問題行動に追いやっているのだ。確かに虐待だ。それもプロがやっている。私は心底、落胆した。(中略)

 全ての子供は良い子になりたいし、勉強ができるようになりたい。授業に参加し、みんなと一緒に活動したい。

 だとすると、基本は授業だ。良い授業、理にかなった指導は子供を救う。だからこそ、プロとして、プライドを持って、 すべての子供のニーズに合わせた授業を展開してもらいたい。

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「本時のわくわく」という発想 ~つまらない授業かどうか自問せよ~


愛知教育大学附属名古屋小学校 令和3年度 冬のオンデマンド公開授業が行われ、データが送られてきた。
指導案の本時の目標のあとに、「本時のわくわく」という項目がある。

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みんなわくわく授業デザイン
附属名古屋小学校では、現在、「みんなわくわく授業デザイン」をテーマに、授業実践に取り組んでいます。
実践において大切にしていることは、
 子どもたち・教員をはじめ、学びに関わる全ての人が、好奇心や喜びを実感できる「わくわくする授業」「ついやってみたくなる授業」であること。
このような授業実践を行うことで、子どもたち一人一人の、主体的・対話的で深い学びの実現を目指します。

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書いてある目標の内容は置いておくとして、「本時のわくわく」を設定する発想がすごく良いと思う。
誰の提案なのかは定かではないが、ぜひ取り入れたい。

かつて「わくわく感」=「WOWファクター」として、まとめたことがあるので、復習。


(1)「WOW Factor」

2019年10月のエネルギーシンポジウム。東京大学の飯本先生の特別講座の中に「企画実施の各々の立場でWOW Factor 導入の工夫を」とあった。
WOW つまり感動や驚きの要素を持ち込め、というのは、

理科は感動だ
◆面白くなければ授業じゃない

に通じるもので、とりわけエネルギーシンポの授業や小森先生の授業にはモノがあって、仕掛けがあって、感動があるので、まさにWOW factor導入そのものだと思った。
授業の中に、いくつWOWが入るかは、「どれだけ巻き込み感をつくれたか」の表れである。
知的な逆転現象の授業も「WOW」だ。

「ワクワク感」と「WOW Factor」は、まずまず近いと理解できる。


(2)「楽しい」

向山先生は、学級経営で最も大切なことをたった1つあげるとしたら「楽しいことをすること」だと話されたというメモ書きがある。


「私の精神としては95パーセントと5パーセントです。
 管理することが5パーセントで、楽しいことが95パーセントだと思います。」

◆何かをやっていて、うれしいとドーパミンが出る。
◆快感を生み出す行動が次第にクセになり、繰り返していくうちにその行動が上達していく。

楽しいことを続けていればどんどん上達する。これを「強化学習」と言う。

「ワクワク感」と「WOW Factor」と「楽しい」は、これもまずまず近いと理解できる。


(3)「知的好奇心」

『知的好奇心』(波多野誼余夫・稲垣佳世子著 中公新書1973初版)。
 自由な探索の過程で自分の能力に合わせて挑戦することが興味を維持し学習効果を高める。
 その一例として「磁石」の学習場面が挙げられている(P104~107)。
 
============
 たとえば、磁石を使って、どういう物がすいつき、どういう物がすいつかないかを子どもに知らせる場面を考えてみよう。このとき、どういう性質の物が磁石につきやすいかがよくわからないうちに砂鉄や石(磁鉄鉱)を出して、「さあ、おもしろいですよ。これもすいつきますよ」といった導き方はあまり好ましくない。子どもにとっては、そのおもしろさがわかりにくい。彼のそのときに持つ「知識」に挑戦する対象として砂鉄が示されたのではないからだ。
 このようなときには、まず最初のうちは、子どもに自由に磁石をいじらせる。彼は自分のまわりの物に対して手あたり次第磁石をつけてためしてみようとするだろう。多くの場合、磁石にすいつくか否かに関して典型的な事物が試されるだろう。そうしているうち、木製の物はすいつかない、つくのは金っ気のあるもの、ピカピカ光る物らしい、という予想が形づくられるだろう。
 しばらくいろいろためしていて興味がやや低下したとみられるところで、彼らの予想に「挑戦する」事物を与えてみるのである。
たとえば、メッキされたアルミニウム製の物と、メッキされた鉄製の物を準備したり、磁鉄鉱や砂鉄を用意したりする。あるいは、棒磁石、大小のU字型磁石、電磁石などを用意するのである。
 みかけはピカピカに光っていても、磁石につく物もあれば、つかない物もある。石や砂など磁石につくものか、と思っていたらすいついた。これらは、子どもを驚かせ、さらに探究することを動機づけるだろう。また磁石を近づければ、近づけるほどそれからはなれようとすることがある。スイッチを押すと磁石のようになるが、スイッチをはなすとそうでなくなる物がある・・・。これらはさらに事物のいろいろな側面を綿密に探索することを動機づけるかもしれない。」
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(1)自由試行させる(飽きるまでの体験させる)。
(2)予想させ、自我関与させる。
(3)固定概念を崩すような難しい課題に挑戦させる。
などのポイントが読み取れる。
 当然ながら、向山学級が思い浮かぶ。

 

(4)「熱中する」

畿央大学大学院の島恒夫教授は、中教審道徳専門部会の委員を務め、学習指導要領解説の作成協力者もされている方だ。
その島氏は「子どもにとっても教師にとっても楽しい道徳科とは?」について、講演会の中で次のように指摘していた。

◆子どもにとって、「納得」と「発見」のある授業。
◆子どもの頭がフル回転する授業
◆子ども1人1人の思いが自由に出て、認め合いのある授業
◆45分・50分があっという間に感じる授業
◆授業が終わってからも、教室のあちらこちらで、まだ話が続いたり、余韻に浸っている授業。
◆「先生、またしようよ」という声の出る授業。

チクセント・ミハイの「ゾーン」のようなイメージだろうか。
「熱中体験」も、「ワクワク」の1つである。

 
(5)「好き」

◆モチベーションを上げる鍵を握っているのが、感情脳にある1.5センチの扁桃核というところなんです。
この扁桃核をコントロールすることが重要で、ここが好き、嬉しいという快の感情を抱くと、脳幹からプラスのホルモンが分泌される。
反対に、嫌いとじゃ辛いとか不快な感情になれば、マイナスのホルモンが分泌されてしまう。それは嘘でもいいんです。
絶対にうまくいく、絶対によくなるって嘘でも思い込むと、肯定的な感情が生まれるんです。

「致知」2019年4月号  P25「天運を呼ぶ行き方」西田文郎の言葉より


(6)「笑顔」になる

◆笑顔を作ると「セレトニン、ドーパミン、エンドルフィンという3つの脳内物質が出ます。
これらの物質が出ると、ストレスホルモンが下がり、副交感神経が優位になります。つまり、笑顔には緊張を緩和して、ストレスを解消する作用があるのです。

「笑顔効果 ~笑顔を作ると10秒でハッピーになれる~」https://hiromi.fun/?p=2672


(7)「ワクワク」と「ドキドキ」

緊張して「ドキドキ」というと、失敗を恐れる気持ちが感じられて、ややマイナス。
一方、期待が膨らむ状態の「ワクワク」は、これから起こる出来事に対するプラスのイメージ。
「あー、緊張して、ドキドキするなー」と言いたいときに
「あー、興奮して、ワクワクするなー」とリフレーミングできるメンタルを育てたい。

ちなみに、東京オリンピックのメダリストのインタビューで「勝負を楽しみました」というような言い回しをよく耳にした。
ドキドキをワクワクに変換して、よい緊張感で試合に挑み、成果を出したのだと考えられる。
(適度な緊張感がないと、アドレナリンが出ないから、よいパフォーマンスは出ない)。


・・・(1)から(7)が同義語だとは言わないが、いずれも「つまらない授業」の対極にある語群だ。
本時の「わくわく」を意図的に授業に取り込むというのは、とても意義があると思う。

ところで、「知的な子ども」と「やんちゃな子ども」が時に一致する。
そして、その指標は「子どもがつまらないと感じるかどうか」。
熱中できる授業を仕組んだ時に真っ先に反応するのは「やんちゃな子ども」だ。


「そんな授業は、つまらない。誰も熱中しない」の裏返しで授業を創るから、盛り上がる。
できない子にも優しい、知的で楽しい授業になる。

「自分がどう思うか」ではなく「子どもがどう思うか」が大事なのだから、自己満足で済ませてはいけない。

無論、これは「子ども」だけの問題ではない。

「そんな対応では、相手に通じない」

「保護者はどう思うか」「職員はどう思うか」「世間はどう思うか」を常に謙虚に振り返る「メタ認知能力」がないと自己満足になってしまう。

 「弱者」という言葉は語弊があるかもしれないが、常に弱者の立場で物事を見て決断していきたい。

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日々の授業で、言葉にこだわる。

3年理科の研究授業を参観したときの考察。
単元は「音を出して調べよう」
本時のめあては


「音が大きいとき小さいときとで、物のふるえ方は、ちがうのだろうか」


このめあてに正対すると、「はい(ちがう)」か「いいえ(ちがわない)」かを考えることになる。

結果から言うと、予想も実験結果も「音が大きいとすごくふるえ、音がちいさいと少しだけふるえる」と子どもは答え、教師もそれを望んでいた。

ということは、そもそも、本時のめあては次のようにあるべきだったのだ。


「音が大きいとき小さいときとで、物のふるえ方は、どう ちがうのだろうか」


どの教科の授業でも、「問いに正対する」ことが軽視されないように注意したい。

さて、今回、もう一つ気になったのが「因果関係」だ。


「音が大きいと → 物のふるえ方が大きい」


という実験結果なのだが、理屈で言えば


「物のふるえ方が大きいと、→ 音が大きい」

である。

トライアングルで実験して


「音が大きいと → 物のふるえ方が大きい」


が裏付けられた。

しかし、楽器1つでは、仮説の域を出ないから、他の楽器でも試してみる。


すると、どの楽器でも、


「音が大きいと → 物のふるえ方が大きい」


が成り立つから、逆に


「物のふるえ方が大きいと、音が大きくなる」


が結論(仮説)づけられる。


「音が大きいと → 物のふるえ方が大きい」


は、因果が逆なのではないかと気になってしまった。

理科の授業としては、「現象が先にあって法則が後付けされる」から、それで良いのかもしれない。

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December 21, 2021

クラウド上の付箋機能は使い勝手が良い!

JEES 全国初等教育研究会が発行するフリーマガジン「wutan」20213学期号に、GIGAスクール構想に対する様々な提言がある。

主体的、対話的な学びに適した「付箋機能」についての解説は、とても分かりやすかった。

 

低学年は「画面を見る」

中学年は「入力する」

高学年は「見たり入力したりする」

 

という段階的な活用があり、その延長線上に「関係を考え、まとめる」という高度な活用があると説明している。

 

◆ジャムボードは 、クラウド 上で付箋を動かしたり 線や矢印を書き込んだりできます。先生が出した課題のキーワードが書かれた付箋をそれぞれの関係を伝えられるように位置を変えたり書き込んだりしてまとめていくのです。付箋に書かれたそれぞれのキーワードについて質問するのは、一問一答になるので覚えていれば答えられます。けれど、それらの関係を表すとなると、とても難しい。子供達はもう持てる知識を総動員して考えることになり一人ひとりが自分なりの考えを導き出します。

 このような、習得した知識を活用して考える課題を、日本の子どもは苦手としています。社会に出れば絶対に必要な力ですし、できるようにならねばなりません。とはいえとても高度な活動ですから、今までのようなノートに書くやり方では多くの子どもが何をどう書けばいいか分からず途方にくれるでしょう。それをクラウド上で作業すれば、友達の考えをいつでも見て参考にできます。みんなに見られますから参考にはしますが、丸写しはしません。自分なりに工夫して違いを出そうとします。クラウドで共有できるからこそ、このような課題も、みんなができるようになっていくのです。P5

 

・・・クラウド上の付箋機能は、授業中、子供たちの頭上に浮かんでいる吹き出しを覗いてみるようなもので、挙手してない子も発表したがらない子の思いも瞬時に知ることができるのだから、授業の展開も大きく変わる。

 

 先日のサークルのオンライン例会。ある中学校では、生徒が教師の提示した課題に沿って付箋に書き込みをして、その画面を見せながら周りの子に説明していた。

主体的で、対話的で、深い学びを具現化していることがよく分かった。

付箋機能は、

①手軽に自分の意見を表出できる。

②手軽に他人の意見を確認できる。

③手軽に相互交流できる。

といった利点がある。

かつて、討論の前には、ノートにそのまま発言できる意見文を書かせたことがあるが、それをみんなに公開すると、他の子はその意見文に引っ張られてしまう。

しかし、付箋機能でキーワード、キーセンテンス程度を交流させれば、他人の意見に引っ張られることはなく、どの子もキーワードを使いながら、自分の言葉でうまく繋いでいける。

同じキーワードでも、組み合わせる際に、個々の判断が伴い、オリジナルな意見になる(しかも大きく外れない)。

 

「キーワード・キーセンテンスをPCに入力し、それをつなげて発表する」というスタイルはデジタルとアナログの融合で、すごく効率が良い。

 

ところで、本校での過日の研究授業反省会でもジャムボードの付箋機能を使ったが、文末に自分の名前を入れた。

一方、例会で見せてもらった授業では、氏名は入れなかった。

 

「誰が書いたかではなく、何が書いてあるかが大事にされている」のは、とても重要だと思う。

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December 19, 2021

未完成が人を謙虚にさせ、学び続ける原動力になる

本日、たまたま見ていたEテレの日曜美術館アートシーンで、「奥村土牛」を特集していた。

「芸術に完成はあり得ない」という言葉の紹介があって、聞き入ってしまった。

ネットで「奥村土牛」を検索すると、色々ヒットした。

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生前、自分で描いた作品で一番好きな絵は一枚もなかったという土牛。

現状に満足することはなく、最期までいい絵を描こうと努力しつづけた。

芸術に完成がないように、人間にも完成形はない。

不完全だからこそ、有限なる可能性を秘めているのではないか。

未完成が人を謙虚にさせ、学びつづける原動力になる。

謙虚に学びつづける姿に、人は魅了されるのだ。

https://www.compass-point.jp/kakugen/6088/

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・・・という解説に、なるほど!と思った。

「死ぬまで勉強」「生涯修行」は、昔から言われてきたことだが、とりわけ向山洋一先生が主張された「絶えざる追究過程」「法則化」というワードが、若い自分の心に刺さり、「謙虚の上にも謙虚に学ぶ」教師であろうと努めてきた。

時に慢心することもあったが、セミナーで出会う多くの先生方の謙虚な態度に己の傲慢さを振り返ることができた。

退職してもなお学び続ける自分でありたいと思う。

 

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December 17, 2021

GIGAスクール以前に育てたい学習の基礎基本

JEES 全国初等教育研究会が発行するフリーマガジン「wutan」2021年3学期号に、GIGAスクール構想に対する様々な提言がある。
読む側の意識によって飛び込んでくる情報が切り取られる。
今回は「GIGA以前の学習規律」という情報が気になった。かつて堀田龍也先生が繰り返し指摘されていた事項だ。

長々と引用するのも気が引けるが、大事なことなので、しっかり残しておきたい。

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新保元康氏の指摘
◆GIGA スクールで成功している学校は、1人1台端末が入る前から授業の ICT 化をしっかり進めているので、戸惑うことなく使えていますし、授業にも馴染んでいます。P3

◆ 最先端に飛びつきたい気持ちはよくわかります。「一人一台端末で個別最適な学まなびを行おう!」と張り切って研究するとか。無理をして背伸びした研究は苦しいし、成果も出づらく、研究が終わった途端、元に戻る恐れがあります。P5

高橋純氏の指摘
◆例えば「先生が大事な話をしている時は手を止めて聞く」といった学習規律を徹底できているか。学級のみんなと切磋琢磨し学び合う集団になっているか。学級経営がうまくいっているか。こうした土台が作れていないと、先生が指示や説明をしているのに、子どもは端末で好きな動画を見たりゲームをしたりしているといった事態が起きてしまいます。
 一方で、学級経営がうまくいき、学びに向かう集団になっている学級は、端末を使って大人顔負けの調べ学習やプレゼンができます。やはり大事なのは、授業力や指導技術や学級経営で、これは GIGA スクールでも不変なのです。(中略)
 まずは学習規律や学習態度、学びに向かう集団づくり、あるいは学習の基礎基本といった学ぶための土台がしっかりとできているか、今一度確認することが先決です。P3

◆ICT 活用の経験値が少ない学校ほど、せっかく一人一台端末になったのだからと、張り切って調べてまとめる学習やプレゼントいった「先進的」な活用に挑もうとしがちです。 ICT を使わなくても、調べてまとめる学習やプレゼンは相当難しい学習活動です。 経験を積んでいないと、何をどうすればいいのか分からなくなります。その状態で1人1台端末を使うため、子どもは学習方法が分からず、ついつい関係のない動画を見たり、お絵かきをして遊んだり、学習として成立しなくなる恐れがあります。 (中略)いきなり最先端に挑戦するのではなくて実態に応じた価値を心がけましょう・P4,5

佐藤和紀氏の指摘
◆先生方に指導やアドバイスをする際には、 ICT 活用のことよりも最初は学習や生活上のルール、学級経営について助言します。「まずはロッカーをきれいに整理整頓しよう」「先生の話を聞く姿勢を全員に徹底しよう」などの話です。 「ICT 活用の助言をもらいたいのに・・」と怪訝な顔をされることもありますが、ここができていない状態で ICT を使おうとしてもうまくいきません。子どもへの細かい配慮ができるかどうかといった基本的なことが実はとても大切だからです。
 例えば、先生が机間巡視をせず黒板の前に張り付いているような学級で、一人一台端末を使うとどうなるでしょうか。先生が見に来ないと分かっているので、子どもは端末でゲームをしたり動画を見たり、好き勝手に遊ぶかもしれません。
 新学習指導要領が求める「主体的・対話的で深い学び」ができているかどうかもチェックして助言します。先生が説明している時間が長すぎるとか、子ども同士で対話してないとか。よく見かけるのが子ども達の発表や発言を受けて、先生がわかりやすくまとめて板書している光景です。「先生がまとめるのではなくて、子どもにまとめさせましょう。そういう力がこれからは求められています」と、助言します。P8.9

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子どもたちは教師の「圧」によって態度を変える!

JEES 全国初等教育研究会が発行するフリーマガジン「wutan」2021年2学期号に、川上康則先生の連載「子どもたちを輝かせる秘訣」がある。

この中で、教師がどんな空気感で子供進むかということが書かれている。

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 「学校には圧が強い教師と弱い教師がいる」と看破した俵原正仁氏(2019)によれば、圧が強いタイプは、良く言えば「エネルギーに満ちている」、悪く言えば「厳しい、一緒にいると疲れる」という基本的特性があり、圧が弱いタイプは、良く言えば「優しい、子どもに寄り添う」、悪く言えば「元気がない、優柔不断、何をしても叱られない」と感じさせる要素をもっているとされます。

 圧が強い教師のもとでは子供達は精神的に追い込まれ、大人の顔色を忖度しながら行動するようになり、やがて主体性を失っていきます。多賀一郎氏(2016)によれば、前年度に強圧的にクラスを支配する「教師君臨型」の学級経営を行うと、次年度の子ども達は必ずと言ってよいほど荒れる・崩れるといった状況に陥るといいます。中略

 一方、圧が弱い教師のもとでは、教師に対してどこまで許されるかという「試し行動」が増えます。クラスの秩序を保つ「規律」を揺るがすような行動に教師が振り回されると、今度は規律を守るをする子どもたちの方が「自分達は蔑ろにされている」と感じます。中略

 いずれにしても教師自身が自分の圧の強さを自覚し、調整を繰り返しながら、教室内の空気感をポジティブに保つ努力を続けなければなりません。

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・・・教師のタイプを父性・母性で分類した場合とよく似ていると思う。

 強い圧にも弱い圧にも長所短所があるので、自分がどちらのタイプかを自覚し、短所が出ないように自助努力するしかない。

「子どもたちは常に教師の『圧』を呼んで態度を変える」という川上氏の指摘は重要だ

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December 14, 2021

「情報活用能力」の課題の前にやるべきこと!

一つ前の学習指導要領の目玉が「知識基盤社会」に対応する総合的な学習の見直しだった。
平成22年に文科省が「今求められる総合的な学習の時間の展開」という冊子を配布した。https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sougou/1326947.htm

この冊子のサブタイトルは課題となるキーワード満載である。

「総合的な学習の時間を核とした問題発見・解決能力、論理的思考力、コミニケーション能力と向上に関する指導資料」

資料冒頭(まえがき)には次の記載がある。


◆総合的な学習の時間は、変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなどを狙いとすることから、思考力、判断力、表現力等が求められる知識基盤社会の時代においてますます重要な役割を果たすものです。
・・・改めて読んでみると、タブレット端末を使った情報活用の授業が求めているものと重なっていることが分かる。

◆近年のPISAや全国学力・学習状況調査の「活用」に関する問題(B問題)などのように、総合的な学力に関する評価手法が確立されてくるに至り、改めて今、現実社会で求められる「課題発見・解決能力」「論理的思考力」「コミュニケーション能力」などが、学校においても強く求められていると言える。p7


総合的な学習の時間の改定の趣旨を実現するためには、問題解決的な活動が発展的に繰り返される探求的な学習をすること、他者と協同して課題を解決する協同的な学習とすることが重要である。加えて体験活動を重視するとともに、思考力・判断力・表現力等をはぐくむ言語活動の充実を図ることが欠かせない。17ページ


また、探求的な学習は「問題解決型な活動が発展的に繰り返されている一連の学習活動」であるとして、次の4つの要素を示している。情報活用の4つの活動内容そのものだ。

①課題の設定
②情報の収集
③整理分析
④まとめ表現

一方、学研の「わたしたちとじょうほう 情報活用スキル編」では、以下の11項目のスキルが示されている。

これらは、まさしく上の4項目の具体化とも言える。


①写真や動画を撮影するスキル
②キーボードで入力するスキル
③クラウドを使うスキル
④情報を集めるスキル
⑤情報を読み取るスキル
⑥情報を整理するスキル
⑦表やグラフで表すスキル
⑧プレゼンのスキル
⑨いろいろな方法で伝えるスキル
⑩SNSを使うスキル
11プログラミングのスキル


・・・タブレット端末が配付されていきなり「情報活用能力」が問題になったわけではない。
以前から提言のあった「探求的な学習」が目指してきたものと「情報活用」の学習のベクトルは変わらない。
タブレットがあろうがなかろうが、探求的な学習の推進は求められてきていたのだ。
今更、戸惑っている場合ではない。
もう一度「探求的な学習」の具現化について、全職員で共通理解を図りたい(「言語活動の充実」も)。

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情報活用能力育成の前提は「言語活動の充実」

12月12日(日)にオンラインで開催された日本教育技術学会。
D分科会での椿原正和先生のコメントが印象的でした。
ICTの環境整備ができたから、「各教科等での深い学び」が身につくわけではない。
ICTの環境整備を土台として「各教科での深い学び」を支えるために、「情報活用能力」「(新)学び方」があるという構造を示されました。
ICT活用が授業の目的になってはいけないという警鐘です。
ところで、ICTが話題になるまでは、「各教科での深い学び」を支えるのは、「言語活動の充実」で、成20年、1つ前の学習指導要領の目玉でした。
◆ 各教科等においては,国語科で培った能力を基本に,それぞれの教科等の目標を実現する手立てとして,知的活動(論理や思考)やコミュニケーション,感性・情緒の基盤といった言語の役割を踏まえて,言語活動を充実させる必要がある。
◆言語を通した学習活動を充実することにより「思考力・判断力・表現力等」の育成が効果的に図られることから,いずれの各教科等においても,記録,要約,説明,論述などの言語活動を発達の段階に応じて行うことが重要だとしている。
 小中の「言語活動の充実」の冊子はなかなかの提言をしているので、もう一度見直してみようと思っています。

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容量オーバーの算数の授業

ある学級の「割合」の第一時間目の授業。
本時で伝えたいことが盛りだくさんであったため、子どもたちは思考停止しているように見えた。

◆割合とは、くらべる量がもとにする量の何倍にあたるか。
◆割合=くらべる量÷もとにする量
◆定員を1としたとき、希望者は1.5

教師が教科書通りに板書する。子どもは板書を写す。

しかし、頭の中を通過していないのだ。

 

授業の流れは、【元にする量の何倍が比べる量か】と「かけ算」で進めている。
しかし、かけざんで授業を進めておいて、最後に割合の公式を割り算の形で教えるのは負荷が大きい。

子どもの「???」が溢れているのに、教科書通りだからと進めても、子どもはこぼれるばかりだ。


そもそも「割合」なのだから、「定員のわりに希望者が多い」と言えばいいのに、「定員に比べて希望者が多い」と書いてある。
だから、「割合」という言葉の意味が、子どもの腑に落ちない。


1時間で新しい情報をどれだけインプットするかを計画することと、欲ばってインプットしても子供には入っていかないから精選して次回にまわす英断が必要であることを伝えた。

そして、そもそも、「割合」は難しい単元なのだから、難しい単元に取り組んでいる子どもたちに共感してほしいと伝えた。

「この単元は難しいんだよね。8÷4なのか、4÷8なのか迷うよね。
でも、ちゃんと分かるようになるから、よく聞いててね」

といった、子どもへの励ましの言葉がほしい。
黙って板書を写しておきなさい、という授業は「教えたつもり」になっているだけで、結果責任を伴っていないことを分かってほしい。

Wari  

 

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December 10, 2021

基礎的読解力の第一歩は、「一文一義にリライト」

くるまが8だい とまっています。3だいくると、なんだいになりますか。

 

・・・1年生の算数の問題だ。

2文構成だが、意味で区切ると「はじめーなかーおわり」の3文になる。

 

はじめに、車が8台 とまっています。

途中で、   3台来ました。

おわりには、 何台になりますか? 

 

算数の文章問題の基本形を「はじめー 中ーおわり」の構造でとらえると、すっきりする。

この一文一義のリライトを1年生の段階で意識させたい。

 

すると、5年速さの、次のような問題にも対応できる。

時速230kmで走る新幹線があります。この新幹線が2時間走り続けるとkm進みますか?

①時速230kmで走る新幹線があります。

②この新幹線が2時間走り続けます。

③この新幹線は何km進みますか?

       

・・・「~したら どれだけになりますか」という二義の文は、算数の文章題特有だ。

それに慣れろという指導のアプローチもあるが、分解して一文一義にするのもアリのだと考えている。

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December 08, 2021

「教えて考えさせる」が授業の基本

2005年以降、中教審答申では「教えて考えさせる授業」を提言している。

かつて勤務する春日井市内で、堀田龍也先生が教育アドバイザーとして研究指定校の助言をしてくださっていた。

当時のキーワードは「習得と活用」。

ちまたでは「活用が大事だから、教師はできるだけ教えない」という誤解もあった。しかし、堀田先生は、「教えることはきちんと教えてから手放す」「先生は手放すタイミングが早すぎる」といった助言をされた。

算数の授業モデルは、

「例題をきちんと教え、類題をみんなで解き、練習問題を自力で解く」

といったパターンで、参観する先生の中には教え込みのイメージをもつ人もいたし、練習問題を解くことが活用だと誤解する人もいた。
通常の算数の1時間の中に習得と活用の要素があると感じた先生もいたが、練習問題が「活用」では、活用レベルとしてはあまりにお粗末だ。
当時、参観した教務主任でも、どの部分が「活用」なのかで誤解がうずまいていた。

 市川伸一氏の著書の言葉で言えば、

「教えて考えさせる授業」の挑戦 ―学ぶ意欲と深い理解を育む授業デザイン―

https://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-062028-9
 

「はじめに」の部分がネットでも閲覧できる。
学び合いや問題解決的な学習=教えない授業の欠点を指摘している。ちょっと長いが奥が深い。

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私は当初、授業がわからないというのは、教師が一方的にどんどん教え込んでいく授業をするからだと思っていました。ところが、子どもたちの言うことがどうも違うのです。「先生が教えてくれないからわからない」と言うのです。では、いったい授業では何をしているのかと聞くと、「さあ、自分で考えましょう」「みんなで話し合って考えましょう」という自力解決や協同解決の時間がやたらに長くとられ、教師がわかりやすく説明してくれる時間がほとんどないと言います。

 その後、私自身、授業見学をする機会が増えるようになり、そうした授業を多く見かけるようになりました。「確かに、これでは子どもたちは、わからないだろう」と思わざるをえませんでした。時代の風潮というのは怖いもので、当時は、そういう授業がよいものとされ、皆でめざしていたのです。「教える」「指導」「知識」などの言葉は極めて悪いイメージをもたされ、「子ども中心」「指導より支援」「問題解決」「自力解決」などの言葉がとびかいました。そして、この傾向は、まだ根強く残っています。

 正直なことを言えば、私自身も、一九九〇年代は、学習相談の実践研究をする一方で、探究型、創作型の授業を提案したり、実践を紹介したりしていました。ただし、それは、あくまでも基本的な知識・技能は手堅く身につけることを前提としての話です。その前提が、もはや全国的にかなりくずれていたわけです。

 公教育で、最も大切なのは、バランス感覚であろうと私は思っています。ところが、現実には、振り子が振れるように、極端から極端へと方針が振れやすいのも教育界の特徴です。一方の極の方針で実施してまずいことが起こると、マスコミも教育学者も徹底的に批判し、まったく逆の方向に行こうとするのです。

 少なくとも、知識・技能の習得をめざした授業では、教師が基本的なことをわかりやすく教え、子どもたちが共通の知識をもった上で、クラス全体で問題解決や討論を行って理解を深めるというのが「教えて考えさせる授業」です。これを聞くと、「何をアタリマエのことを言っているのだろう」と思う方も多いでしょう。それがアタリマエでなくなってしまったのが、一九九〇年代以降の学校教育なのです。

 この一〇年あまり、「教えて考えさせる」というフレーズは、ずいぶん広まったようです。私も、中央教育審議会にはいってから訴えてきましたし、講演、雑誌、書物などで主張してきました。二〇〇五年以降、中教審答申では、「教えて考えさせる」という表現が使われるようになりました。しかし、それに伴う誤解や反発もあります。誤解・反発の代表例は、「教師が先に教えてしまったら、子どもは考えないではないか」というものです。私は、これまで関わってきた三〇校を超える学校の生徒の様子や先生方の声から、そんなことはないと自信をもって言えます。むしろ、そういう反論をする方は、教師が教えたあとに、何を考えさせるか、という発想がないのでしょう。教師の教える知識はゴールではありません。むしろ出発点なのです。知識があるからこそ、新たな疑問や興味も生まれ、さらにすすんだ問題解決や話し合いができるのです。
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・・・教務主任の頃、堀田先生が提言していたのは、まさに、この「教えて考えさせる授業」のことであった。

「教えずに考えさせる授業」を理想モデルにしてはいけないという指摘だったのだ。

問題解決の授業を否定するスタンスはもっていたが、その理論背景を持っていなかったことが悔やまれる。

今なお、「教えて考えさせる」がスタンダードになっていない。
 

◆2005年以降、中教審答申では、「教えて考えさせる」という表現が使われている。
少なくとも、知識・技能の習得をめざした授業では、教師が基本的なことをわかりやすく教え、子どもたちが共通の知識をもった上で、クラス全体で問題解決や討論を行って理解を深めるというのが「教えて考えさせる授業」である。

 

ということを今更ながら、しっかり意識、拡散していきたい。

 

※教えない授業のマイナスもあるが、今のコロナ禍の授業は、教師の一方的な詰め込み授業が復活しているという危惧もある。

めざすべき「主体的、対話的で深い学び」が封印状態の学校もある。

※市川伸一氏の講演記録
https://edupedia.jp/article/587d8d73fa57e2282a83c7c0

基調講演「第3回創価大学教育フォーラム」 習得・活用・探究の学力を育てる ―小・中・高・大を見通した授業づくり― - CORE Reader
https://core.ac.uk/reader/230429450


※2014年7月の「堀田龍也先生のご指導」の覚書も再掲しておく。
「教えて考えさせる授業」について、ぼんやり学んでいたことがよく分かる。

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 春日井市立出川小学校の公開授業研究に、堀田龍也先生が今年も助言者として参加される。
 今年度1回目の研修会が7月2日に、行われた。
 指導助言の最後の言葉が印象的だった。

①「教える」場面での教師の話し過ぎ
②「考えさせる」場面でのつっこみ不足
③広い視野での教材研究  
   

①「教える場面」で、
 ・教師がしゃべりすぎない。
 ・やたら説明しない。
 ・「入れ食い」みたいに、子どもから出た正解に飛びつかない。
というような意味合いだ。
 「教師の一方的な説明で教えた気になるな」と自分にも、いつも言い聞かせているが、まだまだだ。

 「教えた」と「伝えた」は、まさに別次元なのである。

②「考えさせる」場面で、
 ・「本当にそうかな」
 ・「それだけかな」
 ・「○○の場合はどうなんだろう」
と問うのが「つっこみ」。
 きちんと立ち止まり、安易に次へ進まないための、「つっこみ」の基本が「良質な発問」である。
 (「ゆさぶり」も、「つっこみ」の1つだ。)

 最近、活動型の授業が優先され、「発問の吟味」がされなくなった。
 今回の公開授業も、「めあて」はあるが、主発問で盛り上がる授業は見られなかった。
 「わかった」と「わかったつもり」は別次元である。
 質のよい発問が、子どもの思考を活性化させることを肝に銘じたい。
 
③広い視野での教材研究は、
 この教科で、
 この単元で、
 この1時間の授業で、
何を学ばせたいかを明確にせよ、というような意味でもある。
 各教科の6年間・9年間の系統性を自覚して、授業に臨んでいるかが、問われている。


 さて、この「広い視野での教材研究」が不足していると
①のように、教師が説明で教え込もうとしてしまう。
②のように、「ここぞ」という場面での突っ込みが不足してしまう。

 やはり、大事なのは「授業準備」である。
 授業準備が足りないと、、説明で押し切ろうとする。
 教具の工夫もなく、鋭い発問(つっこみ)で、思考に迫ることもない。
 教科書1冊、チョーク1本の授業で押し切ろうとする。
   
 教師の授業準備が雑になり、子どもも我慢ができなくなれば、荒れは目に見えている。
 そのような授業にならないよう、日々、研さんに努めたい。
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December 07, 2021

齋藤孝『子どもの学力は読解力で決まる』

(1) 要約はほとんど一緒になることに意味があると齋藤孝氏は述べる。

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 一つの話をみんなで読むとします。そして、みんなに話を要約してもらうとする。このとき、読解力のある人の要約はほとんど同じです。
 10人いても10人ともほぼ一致します。ところがこう言っちゃなんですけど、読解力のない人が読むと、10人いると10人の要約がバラバラになるんですね。
 それはおかしいでしょ。要約は、誰が読んでもだいたい同じでなくてはいけない。
 もしここが間違っていると、いくら名作を読んで、そこに書かれている内容を読み解けといっても無理です。だからまずは、誰もが共通理解として持てる客観的要約力を身
につけなくてはいけない。国語のテストなんかで問われているのはこれですね。もちろん、英語でも算数でも理科でも社会でも、問われているのは、「何が書かれているのか
」です。
     齋藤孝『子どもの学力は読解力で決まる』(朝日新聞出版)p39
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・・・学テの記述問題も、「要約」に近いので、誰がやっても同じになる。
 大学入試記述問題も、「要約」に近いので、誰がやっても同じになるはずなのに、読解力のない学生の反応を聞いてしまったので「採点にバラツキがある」といった批判が
生じ、いったん中止になってしまった。
「読解力のない人が読むと、10人いると10人の要約がバラバラになるんですね」という斎藤氏の指摘は重い。


(2)「要約」がすべてではないので、実は、要約後の次の部分の方が重要だ。

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これ(竹田注・要約)が大前提です。
そのうえで、この世を生き抜くためには、それだけで終わってはいけない。
要約力をふまえたうえでのプラスアルファ、「この話にはどんな意味があるのか」を読み解く力です。
 これはいはば、テストでいうと小論文です。
中略)
つまり人生で役立つ読解力と言うのは、客観的な理解と、ある種の主観的な読み込み、この二つを両輪のように回していくものなんです。
(中略)
名作で言えば、その文章で一番言いたいことは何かをさっさとつかまえて表現できる力とともに、それについて自分はどう思うかの、両方が言えること。
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 この箇所の見出しは「読解力は客観的要約力と主観的コメント力の両輪からできている」とある。要約ができたからと授業を終えていたら「片輪」どまりなのだ。

 これは、理解するだけでなく、理解した内容を自分はどう考えたか発信するまでが「PISA型読解力」であることと合致している。
 「この話の意味」「その文章で一番言いたいこと」は、まさに「主題」のことだ。
 学習指導要領から主題指導がなくなったというのは、一つの主題に収束しなくてもよいという意味であって、個々の感じ方・考え方を披露し合うことまで否定されているわ
けではない。
 「この話にはどんな意味があるか」「その文章で一番言いたいこと」という課題設定をためらってはいけない。

 

(3)「AB読書法」が紹介されている。

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とにかく、いろいろなことを比較して見るんです。登場人物の性格でもいいし、前後で話が変わったところでもいい、あるいは、人の気持ちがどういうふうに変わったかを比
較してもいいでしょう。こういう、 A と B という二つの物について比較をし、変化を見つけることがとても大事です。
A から B に変わったのであれば、Aのところに丸をつけ、 B のところにも丸をつけ、AからBへ→を伸ばす。そしてどう変わったのかを比較してみる。Aの状況と B の状況が
全く正反対になったのであれば A とB を←→で結んで比べて考えてみる。そしてここで、その変化が起こった箇所を探して、そこに電球マークなど、自分の好きなマークを
書き込んでおく。
(中略)この A と B の比較と変化でポイント、ポイントをおさえるのが読解力の基本です。
(中略)こうした AB 読書法が身につくと、本を読むときだけでなく、自分が文章を書くときにも使えますよ。つまり、これは考える方法でもあるんですね、 AB思考法とで
も言いますか。状況をA B にとりあえず分ける、A の中の小さな変化や、もしくはAとBの類似点にも気づく、というセンサーが磨かれていくわけです。
これが大人になった時非常に役立ちます。読解力は思考力でもあるんです。59~68ページ
=======================

典型的なパターンは

◆主人公の最初と最後
◆登場人物AとB 
◆ストーリーの最初と最後:
◆場面Aと場面Bなど

変化や推移なら、A→B
違い(対比)なら、A←→B

ということになる。

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