「思いやり」を育むのは、教師の「相手意識」
これまで多くのセミナーで学んだ授業の配慮は
「学力の低い子もきちんと参加できるか」
「全員が参加しているか」
「一番後ろのにもちゃんと声が届いているか」
などである。
指導案その他の提案文書の配慮は、
「全員が参加しているか」
「一番後ろのにもちゃんと声が届いているか」
などである。
指導案その他の提案文書の配慮は、
「初めて読む人(門外漢)にも伝わるか」
「中学生が読んでも伝わるか」
などである。
自分は答えを知っているし、授業のゴールも分かっている。
自分は知っているから、相手も分かっているつもりで授業を創ってしまう。
「他人の脳は、自分とは違う」と教わったこともあるが、自分の既得情報や既得体験を捨て去って考えることは難しい。
それでも
◆授業を受ける子どもの身になって考える。
◆文書の読み手の身になって考える。
というように「相手の立場で物を見る」を遂行できる教師でありたいと思う。
「相手意識」は要するに「思いやり」である。
高段者の先生方の授業エピソードは、いつも「思いやり」にあふれている。
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