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January 21, 2022

子どもの誤答を考える。

1年生のクラスの算数の授業を見ていたら、「10が5つと、1が6つでいくつでしょう」で困っている子がいた。

「10円が5個あったら、いくらかな?」

「15円」

・・・そうか、そう考えるか。

「10円が1個で10円、2個で20円、3個で30円だぞ」という説明で押し切って「50」を引っ張り出す。

「同じように考えたら、1が6つあるんだから6だな」と言うと

「じゃあ、1はどこにいったの?」

と怪訝な顔をする。

・・そうか、そう考えるか。

「単位の1」という概念が希薄だから「1が6つ」という表記の意味が理解しきれていないのだ。

でも、これは数学的な思考の混乱ではなく、国語的な表記の混乱かもしれない。

 

A「1と6でいくつでしょう」・・・7

B「1が6こでいくつでしょう」・・6

 

「1が6こ」という表記を、数字と数字だと読み取っていると、「1はどこへいったの?」ということになる。

 

同様に「10が5個で15」という解答も

 

A「10と5でいくつでしょう」・・・15

B「10が5こでいくつでしょう」・・50

 

という国語的な表記の混乱なのかもしれないのだ。

子どもにとってABはよく似ているし、Aの足し算の表記に慣れているので、単位量を表すBで読み誤るのかもしれない。

「10が5こ、1が6こ」は数概念の基本だが、奥が深く、困っている子もいるのだということを教師が想定する必要がある。

 

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教師は、仕事を楽しめているか?

「超AI時代の生存戦略」落合陽一(大和書房)の中に「ワークライフバランスの崩壊」に関する記述がある。

◆働く時間、休み時間という捉え方より、ストレスのかからないことのバランスの方が重要だ。(中略)
要するに1日中「仕事」や「アクテイビテイ」に従事していても、遊びの要素を取り入れてストレスコントロールがちゃんとできていれば、それでもいい。P33/34

1日中仕事をしても、楽しくてしかたない人がいる。
仕事が体をむしばむかどうかは労働時間の長さでは決まらない。
だから、落合陽一氏は、超過勤務は、時間超過ではなくストレス超過で判断すべきだと言う。

 

それを学校現場に置き換えてみると

◆先生たちは、日々の仕事を楽しめているか。
◆先生たちは、この仕事が好きなのだろうか


が気になってくる(子どもが好きかどうかも気になってくる)。


毎日暗い顔をした先生を見ていると、楽しんではいないなと思う。

◆事前準備をぬかりなく行い・・うまくいき・・・成功体験を味わえて気分が良い・・次もがんばろうと思う

という好循環に対して

◆準備不足で挑む・・撃沈する・・・失敗して落ち込む・・次への意欲がわかない

という悪循環がある。

「発達障害の二次障害」の次の特徴を読むと、うまくいかない教師も同じじゃないかと思ってしまう。

・低い自己評価(自分へのあきらめ)
・どうすればいいのか分からない困惑(困り感)
・自分の存在を否定する周囲への反発

・すべてに対するやる気の喪失
・怒りなどの情動抑制の不能
・自分を評価しない周囲への反発
・自分の将来への悲観(自暴自棄)

「事前準備さえぬかりなければ、必ずうまくいく」とは限らない。
しかし「うまくいく可能性(成功率)」は高くなる。

数回がんばったくらいで「成功」はしないかもしれないが、数を積めば「成長」はする。
「成功」にこだわると「失敗」が気になって一歩が踏み出せなくなる。
だから「成功」なんて、めざさなくていい。
「好き」で挑戦し、少しずつ「成長」していけばいい。
日々の授業、日々の学級経営を楽しんでくれればそれでいい。

オリンピックでも試合後のインタビューで「がんばりました」より「楽しみました」と答える選手が何人かいて印象に残っている。
行動そのものを楽しめていれば、結果がどうであろうと後悔はない。

ただし、「仕事を楽しむ」は、実は、最も難しい課題なのかもしれない。


※警告 ただし「楽しければ超過勤務でも苦にならないでしょ」という上司の押し付けは「やりがい搾取」であり、パワハラである。

◆やりがい搾取とは、労働者の「やりがい」を利用して、雇用主が従業員に不当な長時間労働・低賃金で業務を強いて、利益を搾取する行為です。
「やりがい搾取」は、東京大学大学院教育学研究科教授・社会学者である本田由紀氏が2007年前後に定義した労働搾取構造を意味します。
「ブラック企業」や「名ばかり管理職」などと同じく、労働者の権利を侵害するキーワードとして注目が集まり、官民共同での抜本的改革が求められています。

https://romsearch.officestation.jp/jinjiroumu/mentalhealth/5014

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January 19, 2022

『棒ほど願って針ほど叶う』

昨年末、NHK「青天を衝け」最終回での栄一の言葉。
久しぶりに聞いたが、いい言葉だと思う。
「望みや願いのなかなか達せられないことをいう(広辞苑)」のだが、いろんな見方ができる。
◆たくさん願わないと、願いは叶わない
◆たくさん願って、ようやく1つだけ願いが叶う
◆願いを叶えるには、たくさんの思いが必要だ
◆願いを叶えるには、たくさんの努力が必要だ
・・・軽い気持ちで願っているだけではとうてい夢は叶わない。
強い強い「思い」が必要だ。
それは
◆一意専心
他に心を向けず、ひたすらひとつのことに心を集中すること。 わき見をせずその事のみに心を用いること。
に近い。
あるいは
◆「雨だれ石をも穿つ(うがつ)」
軒から落ちる雨垂れも、長い間には石に穴をあけることができる。 力は足りなくても、 根気よくこつこつと何度も繰り返してやれば、 最後には成功するということ。
に近い。
一方、願いが全部叶うなんて思ってはならないという戒めだとしたら、
ユニクロ柳井会長の著書「一勝九敗」、
あるいは五木寛之の「大河の一滴」に出てきた「なにも期待しないで生きる」
というメンタルが必要かもしれない。
「棒ほど〜」をポジティブに捉えるか、ネガティヴに捉えるかは、自分自身の問題だ。
コトワザの力は、すごい。 端的な言葉に、人生のアドバイスが凝縮されている。
心に響くかどうかは、その時の自分の置かれた状況によるのだが・・・。

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「これならできる!」で自信をもたせる。

終業式のお話(オンライン)の中で、「これならできる」というスライドを用意した。
運動(なわとび)・お勉強、楽器(ピアニカ)、習字をしている子どものイラストをつけた。
元々は1年生の道徳で、家庭でのお手伝いで「これならできる」を考えさせる授業をしているのを見かけて、このキーワードが気に入った。
あれもこれもできなくたっていい。
あれもこれもやらなくていい。
2学期にがんばったことを振り返って、まずは「これならできる」と言えるものを決めて、自信をもってほしい。そんなことを伝えた。
「1つできたら、もう1つ」というのは次のステップだ。
何ができるようになったのかを、メタ認知させる必要があると思う。
※不登校気味の子には
「何だったらできる?」
「どの部屋でだったらがんばれる?」
「何時間だったらできそう?」
と子ども自身に選ばせることが大事で、そんなところにも応用の利くワードだ。

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January 15, 2022

授業の改善は「翻訳作業」!

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
これは、井上ひさしの言葉。

ネット検索すると、いろんな場所で引用されていることが分かる。
====================
以下の資料に、劇団「こまつ座」の雑誌「the座」の1989年版に初出したのでは
ないかと思われる記載を発見しました。
(「井上ひさし伝」桐原良光/著 白水社 p343~p345)
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000158633
====================


自分の指導案や論文は、いつも「難しい」と指摘された。

難しいことを取り扱っていることをアピールしたくて、
知っていることを自慢するオーラが出ていて、
結局、反応のない・つまらない授業になることが多かった。

高段者の先生の授業で「おー」という反響が大きいのは、まさにこの言葉の通りで

「難しそうな内容なのに、分かりやすくて、深くて、真面目だけど、楽しくて仕方ない」のだ。

教師は、まずは第一ステップの「難しいことをやさしく(分かりやすく)」という変換能力・翻訳能力だけでもで早いうちに身につけるとよいが、私にとっては永遠の課題だった。


くれぐれも
「難しいからよく聞いてよ」
「難しいから、もう一回言うよ」
という意味のないアドバイスでごまかさないで、しっかり「難しいことをやさしく(分かりやすく)」に専念してほしい。


冒頭の言葉を聞いた時、真っ先に浮かんだのは、有田和正先生の授業だった。
笑いが絶えないユーモアたっぷりの授業なのに、奥が深くて、物知りになって、自分でもっと追究してみたくなる。
それぞれの先生が、モデルとなる授業イメージを持つことも大事だと思う。

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January 09, 2022

「同調圧力」が日本の教育をスポイルしている。

昨年ノーベル物理学書を受賞した真鍋淑郎氏の会見発言が、日本特有の「同調圧力」の教育問題を指摘していて話題になった。

 

◆日本からアメリカに国籍を変えた主な理由を教えて下さい。なぜあなたは国籍を変えたのですか?

真鍋 面白い質問です。日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。

彼らはとても調和的な関係を作っています。日本人が仲がいいのはそれが主な理由です。ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。日本で「はい」「いいえ」と答える形の質問があるとき、「はい」は必ずしも「はい」を意味しません。「いいえ」の可能性もあります。(会場から笑い)

なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。だから他人を邪魔するようなことをしたくないのです。

アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません。実を言うと、他人を傷つけたくありませんが、同時に他人を観察したくもありません。何を考えているか解明したいとも思いません。私のような研究者にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。

アメリカでは自分の研究のために好きなことをすることができます。私の上司は、私がやりたいことを何でもさせてくれる大らかな人で、実際のところ、彼はすべてのコンピュータの予算を確保してくれました。

私は人生で一度も研究計画書を書いたことがありませんでした。自分の使いたいコンピュータをすべて手に入れ、やりたいことを何でもできました。それが日本に帰りたくない一つの理由です。なぜなら、私は他の人と調和的に生活することができないからです。

 

(原文)

That’s interesting question, but in Japan people always worry about not to disturb each other. You know, they have a very harmonious relationship. And this is one of the important reasons why Japanese people get along so well with each other.

You know, they keep thinking other people, don’t do something which disturb other people. In the U.S., in Japan, if you ask some questions you get answer “Yes”, or “No”. When Japanese say “Yes”, it does not necessarily mean “Yes”, it could be “No”. Because they don’t want to hurt other people’s feeling much more than anything else. And so, you don’t want to do anything which is disturbing to other people.

And U.S. I can do things that I want like. I don’t worry too much about what other people feel. Because as a matter of fact, I don’t want to hurt other people’s feeling, but I’m not observing enough other people to figure out what they think. I found living in the U.S is wonderful!

And probably research scientists like me, I can do whatever I please in my research.

My boss was generous enough to let me do anything I want to do. And he, as a matter of fact, he got all computer expenditure.

I never wrote single research proposal in my life. So I got all computer I want to use, and do whatever I pleases. So that is one reason why I don’t want to go back to Japan, because I’m not capable of living harmoniously.

 

https://globe.asahi.com/article/14456908?fbclid=IwAR2TbnjHi9LakHOe5OCjLN_F8DCmgXFS14Yk6nXX_0wuWM28kkBx1kS5KLg

・・・リンク先が消える前に、残しておこう。

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January 06, 2022

子どもの探究心を教師がスポイルしていないか?

2年前の一斉休校の時、学校は学習課題(プリント爆弾)の作成と配付方法に苦心した。
もし今、再び休校になったらどうだろう。
子どもは相変わらず教師の課題待ちだろうか?
それともタブレット端末さえあれば、自分で課題を見つけてチャレンジしていくだろうか?
文科省も「学びを止めない」と訴えてきた。
与えられなければ自分から動かない子供たちを育ててきたとしたら、教師の罪は大きい。
学び方が分かっている子・学びに向かう力のある子は、自分で探究していける。
子どもの質の問題ではない。
「先生がいなくても、一人で学びに向かえる子どもを育ててきたか」という教師の指導の在り方が問われている。
自習になったとき、授業の隙間で時間があまったとき、臨時休校になったとき、出席停止を余儀なくされたとき、
「そういう時は、これをやろう」と直ぐに思い付き、実行できる子どもを育てているだろうか?
そういう時間を意図的に確保して、子どもたちに「探究」の時間を与えているだろうか?
「学校が準備しないと子どもたちは学習を進められない」と決めつけている。
そうやって「教えないとできない子」を育てている。
相変わらず「情報伝達型の授業」をし、準備した板書計画やノート計画通りに授業を進めることで満足しているとしたら・・・。
それではいけない。
GIGAスクール構想がもたらしたのは、まさに教師の意識改革。
教師の意識が変わらなければ、授業は変わらないし、子どもの学び方は変わらない。
文科省や中教審の方針をしっかり読み解いていく必要がある。
文科省や中教審のど真ん中に、堀田龍也先生がみえることの意義は限りなく大きい。
※昨晩のオンラインセミナー
奈須正裕氏が解説された「個別最適な学び」の意味は、まだまだ浸透していないと反省するばかりだった。

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同調圧力を打破して「個別最適な学び」を!

私の勘違いでなければ、向山学級や有田学級や築地学級では、必要な時は離席して調べ物をしてよかった。


「学び方は子どもが決める」

今で言えば、先生の解説がほしい子、動画解説を視聴したい子、自分で探究したい子などなど、学習する子ども自身の意志を尊重する時間が一定数あってよいという考え方。

全員一斉の画一授業からの脱却は、すべての子どもは生まれながらにして有能な学び手という子ども観に立っている。
環境があれば子どもは学んでいく。
先生が「あれを出しなさい、これはしまいなさい」と指示を出すのではなく、自分に必要な学習ツールは自分で用意するという発想は、幼稚園では当然の配慮で、どの子が何を使ってもよいように教材・教具が用意されている。
それは「所・時・物の原則」でもある。

昨晩は『個別最適な学びと協働的な学び』のオンラインセミナー
奈須正裕氏の、同調圧力が強い日本で、個別最適な学びをどう展開していくかという問いかけが印象的だった。

調べ物をしたい場合は堂々と離席する学級文化があるか

「同調圧力からの脱却」は、「一匹狼のたくましさと野武士のごとき集団」のイズムと同じだ。


それをスローガンにした向山学級は、まさに時代の最先端であったのだとつくづく思う。

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