子どもの探究心を教師がスポイルしていないか?
2年前の一斉休校の時、学校は学習課題(プリント爆弾)の作成と配付方法に苦心した。
もし今、再び休校になったらどうだろう。
子どもは相変わらず教師の課題待ちだろうか?
それともタブレット端末さえあれば、自分で課題を見つけてチャレンジしていくだろうか?
文科省も「学びを止めない」と訴えてきた。
与えられなければ自分から動かない子供たちを育ててきたとしたら、教師の罪は大きい。
学び方が分かっている子・学びに向かう力のある子は、自分で探究していける。
子どもの質の問題ではない。
「先生がいなくても、一人で学びに向かえる子どもを育ててきたか」という教師の指導の在り方が問われている。
自習になったとき、授業の隙間で時間があまったとき、臨時休校になったとき、出席停止を余儀なくされたとき、
「そういう時は、これをやろう」と直ぐに思い付き、実行できる子どもを育てているだろうか?
そういう時間を意図的に確保して、子どもたちに「探究」の時間を与えているだろうか?
「学校が準備しないと子どもたちは学習を進められない」と決めつけている。
そうやって「教えないとできない子」を育てている。
相変わらず「情報伝達型の授業」をし、準備した板書計画やノート計画通りに授業を進めることで満足しているとしたら・・・。
それではいけない。
GIGAスクール構想がもたらしたのは、まさに教師の意識改革。
教師の意識が変わらなければ、授業は変わらないし、子どもの学び方は変わらない。
文科省や中教審の方針をしっかり読み解いていく必要がある。
文科省や中教審のど真ん中に、堀田龍也先生がみえることの意義は限りなく大きい。
※昨晩のオンラインセミナー
奈須正裕氏が解説された「個別最適な学び」の意味は、まだまだ浸透していないと反省するばかりだった。
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