道徳の指導目標の文章構造
春日井市(愛日地区)の道徳の教育課程では、本時のねらいの文章に一定の構造がある。
①【資料】を通して
②【内容項目】について考え、
③【その価値にふさわしい実践意欲と態度(心情)】を育てる。
(例1)
①病気のリスに嵐の中でもぐみの実を届ける小鳥の姿を通して、
②親切にしたりされたりするとどんな気持ちになるかを考え、
③身近にいる人に温かい心で接し、親切にしようとする実践意欲と態度をそだてる。
(例2)
①保育園で花を育てる仕事に取り組む千里が変化していく姿を通して、
②みんなと働くことのよさについて考え、
③働くことの負担や面倒を乗り越えて、自分の役割を果たし、進んで働こうとする実践意欲と態度を育てる。
道徳の所見も、本校の場合、後半は、上述の「ねらい」によく似た形の構造をもつ。
(例1)
①「ぐみの実と小鳥」の授業では、やさしい主人公の姿を通して、
②身近にいる人に温かい心で接し、親切にしようとする気持ちを高めました。
(例2)
①「マリーゴールド」の授業では、熱心に花を育てる取り組む主人公の姿を通して、
②負担や面倒を乗り越えて、進んで働こうとする意欲を高めました。
となる。
しかし、授業展開が悪い(というか道徳の授業構造を理解していない)クラスの所見は、
①【資料】では
②【内容項目】について考えました。
で終わっている。
(例1)
①「ぐみの実と小鳥」の授業では
②親切にしようとする気持ちを高めました。
(例2)
①「マリーゴールド」の授業では、
②進んで働こうとする意欲を高めました。
こうなると「内容項目」を言えばいいだけだから、「親切にしよう」とか「進んで働こう」とか、きわめて当たり前の建前の言葉で終わってしまう。
そのレベルなら、授業を受ける前から言える。
授業を受けても受けなくても言えるような言葉しかやりとりしないなら、授業する意味がない。
ジレンマ教材に限らないが
「親切が大事なのは分かっている。分かっていてもなかなかできない自分の弱さと向き合おう」
「親切が大事だと言いながら、実際は自分のやりたいことを優先してしまうわけを考えよう」
「親切が大事だと思うなら、具体的にどうあるべきなのかを考えよう」
というような意識をもって、道徳の授業に臨まないと、内容項目(お題目)を言うだけの授業になってしまう。
①「ぐみの実と小鳥」の授業では
②親切にしようとする気持ちを高めました。
という所見しか書けない先生は、
子供からそのような意見しか出ないような授業をしたのか、
子供からそのような意見が出れば十分だと思っていたのか
なのだと思う。残念ながら。
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