何も見ないで授業をするのが信頼の基本
先日、愛知合同例会に参加した。
真剣な授業検討の場に立ち合い、準備の整った授業の心地よさを再認識した。
「何も見ずに授業を展開する」は検定授業では当然の所作だが、現場の教室ではなかなかそうはなっていない。
帰宅して過去の記録を探ったら、松藤司先生の講座の感想が見つかった。
2012年12月9日の岐阜での親学セミナー。
「江戸しぐさ」のことを詳しく知らない人が多いと判断された松藤先生は急きょ解説をされた。
予定外の解説だったが、松藤先生は何も見ないで、いくつかの江戸仕草をスラスラと語られた。
見ないで言えるほど自分のものになっている。
見ないで授業するから、授業のリズムとテンポが崩れない。
資料を見ないで授業するから、逆に子どもの表情と教室の空気を見ることができる。
だから、
①指導案を見ながら授業する
②教科書本文から目を離さない
③板書ばかりで、ずっと黒板を見ている
などは論外なのだ。
何を見なくとも、よどみなく語れる授業=万全の準備をした授業は
①発問も指示も授業の流れも頭の中にインプットされている授業であり、
②何を聞かれても大丈夫だという自信のある授業である。
③授業に対する圧倒的な自信が、オーラとなって現れる。
④自信を持った授業が、教師への信頼につながっていく。
「何をどう突っ込まれても大丈夫」と思える万全の準備を日常的にするのは難しい。
しかし、年に何回かはそのような授業をし、成功体験を積むとともに、子供への信頼を勝ち取ってほしい。
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