March 28, 2022
March 16, 2022
道徳の授業づくり 島恒夫氏講演の覚書
平成30年度の道徳セミナーで島恒夫氏のお話を聴いた際のメモ書きが残っていた。
分かるように書き加えながら再掲するので、文責は自分。
◆「どうすれば失敗せずに済んだだろう」「何がいけなかったんだろう」のようにマイナスを埋めるための道徳授業は教え込みになりやすい。
◆状況理解レベルで授業をすると読解になってしまう。状況理解の問いは発問ではなく確認。
場面状況を分からせる手立ては必要だが、授業のメインではないので、短時間で済ます。
◆そもそも道徳は抽象的。具体的な状況(資料)がないと議論が深まらない。
「正直に謝ることが大事」という項目を認識させるために、具体例となる資料を用いる。
「正直に謝ることが大事」って「たとえば、こういうことだ」と具体的に語らせないと、道徳的価値レベルまで意識できない。
◆「何をすべきか」と行動を問えば「正直に謝るべきだ」のような分かりきった意見が出る。
「正直に謝るとよい」は授業する前から分かっている。
「正直に謝りなさい」では道徳ではない。
「正直に謝ると、すっきりするな」のような「~だなあ」の部分が道徳。
◆授業は道徳的価値を話題にしないと意味がない。
登場人物の行動レベルではなく、子供個々の「道徳性を育てる」ための授業展開を外さない。
◆状況理解レベルや登場人物の心情読解レベルではなく、道徳的価値レベルで議論させる。
◆「道徳性」とは、日常生活で出会う様々な場面や状況において、適切な行為を主体的人選択し、実践できる「内面的気質」。
◆「主人公を変えたものは何か」のように、見えないものを言語化させることもある。
◆中心発問に対して1つ目で出る答えは授業で中心ではない。1つ目に出る意見にもとに議論するような建前からの脱却が道徳の授業。
◆道徳的価値を意識させるためには「汎用性」。資料の状況でなく自分に置き換えて、例えばどういう場面で生かせばよいかを考えさせる。
・・・・抽象的なメモで理解がしづらい。具体的に語らないと、なかなか腑に落ちないことがよく分かる。
March 10, 2022
蒸気船を造った宇和島藩の嘉蔵
先日の東海ライセンスセミナーで「ペリー来航」の追試実践を拝見した。
ペリーが来航して六年後に蒸気船を造った宇和島藩の嘉蔵。
気にはなっていたが、調べる機会がなかった。
指導案に記載された司馬遼太郎の著作を読むことにした。
『酔って候』という文庫の中に「伊達の黒船」という短編があり、これが読みやすそうだった(村田蔵六を扱った『花神』は長編だ)。
司馬は、ずば抜けた才能を持つ男のサクセスストーリーとしては描いてはいない。
◆身分制の固定した徳川治世のもとにあって、しかもそれがかさぶたのように厚い田舎の城下町にあっては、きのうまで人のくずのようにあつかわれてきた裏借家住いの中年男が、とにもかくにも「御雇」というお扶持取りになるのである。戦国時代でいえば、太閤のような奇蹟的な出世であろう。
◆下士に取り立てられて、三人分九俵のお扶持をいただくことになった。武士ともいえないほどの身だが、提灯張りかえとしては、奇跡的な出世だろう。
とあるが、嘉蔵の扱われ方は、ずっと下人並みで、嘉蔵の周りには利益だけは享受しようとする輩が集まっている。
それが現実であるとしても情けないことだと思った。
もっともっと嘉蔵が評価され、彼の才能が発揮される場があったらと思うものの、逆に言えば、宇和島でなければ、生涯誰の目にも留まらなかったのかもしれないから、それはそれで幸運だったのだとも言える。
終末部で村田蔵六が「石高相応のボイラーでござる」と不愛想に答えたとあるから、これ以上の活躍は望むなということだったのだろうか。
追究するのに意味がありそうな人物は、嘉蔵の才能を見込んで、あれこれ動いてくれた人たちで
・嘉蔵を推薦した清家市郎左衛門
・長崎奉行役人で嘉蔵の才能を認め出島への立ち入りを許可した山本物次郎
・蘭学者の竹内卯吉郎(最初は嘉蔵に教えていたが、次第に教わるようになった)
・長崎砲台の築造に参加し木製雛形をつくった大工の金四郎(職人のよしみで教えてくれた)
・長崎で反射炉の図面をもっていた上野俊之丞
竹内は嘉蔵の方が自分より実力があると認め、教わるようになっていった。
次のくだりは胸を打つ。
◆「足下は、蒸気にかけてはすでに日本一である。いや、二番はない。唯一の人だ。」
といった。嘉蔵はその手を何度も押しいただき、奇妙な声を出して泣いた。蒸気機関の日本一といわれたことがうれしかったのではなく、人並みに遇してくれた竹内の優しさについ感情がたかぶってしまったのだ。
蒸気船を造る命令が出されて八か月、ここで、次の記載がある。
◆こんどは藩をあげて嘉蔵の要求どおりに作業をすすめることにした。
ということは、やはり蒸気船製造のリーダーとして評価されていたのではと思う。
なお、嘉蔵の活躍は、身分の低いものまでは学問できる日本の教育の高さが要因であることが分かる。
◆日本各地で見る町の清潔さ、人々の笑顔、独自の発展した文化を目の当たりにした白人達は、今まで植民地化してきた諸外国との違いを多々発見していくのです。
中でも、戦国時代、江戸時代共に白人達が驚いたことは、日本人の識字率の高さでした。教育というものは、他国では一部の特権階級のみに許されたものです。
貧富の差は勿論、身分制度の激しい諸外国では、文字の読み書きを出来る庶民はほとんど存在していません。
しかし、戦国時代から簡易な寺子屋制度が始まっていた日本では、武士のみならず、僧侶や商人などが文字の読み書きを習得していました。
https://jpreki.com/kurobune1/
薄汚い提灯職人が、藩の名誉をかけた蒸気船造りを任されたというあたりは、宇和島藩(伊達宗城)でしかありえなかったかもしれないが、それにしても前代未聞のサクセスストーリーなのだ。
参考文献・関連書籍をもっともっと読んでみたい。
https://ilink-corp.co.jp/1097.html
https://miyoshishipbuilding.co.jp/2020/04/21/column01/
March 07, 2022
浮世絵は奥が深い!
2月13日のNHK日曜美術館アートシーンで、千葉市美術館のジャポニズム特集を紹介し、西洋美術に与えた浮世絵の影響を語っていた。
美術館のHPには次のようにある。
https://www.ccma-net.jp/exhibitions/special/22-1-12-3-6/
色彩としての黒、雨の表現、大胆な構図、そして「浪」。
なるほど!
浮世絵の影響については、自分も調べたことがあるが、「明るい色調」「大胆な構図(遠近法)」以外は触れていなかった。
「北斎ブルー」だけでなく「黒」も浮世絵の特徴だったんだ。
詰めが甘かった。千葉に行きたかったなー。
◆江戸時代を通して大衆にとって身近な存在であった浮世絵版画は、明治時代に西洋からもたらされた「美術」という価値観に値するものとも気づかれることのないまま、大量に欧米に渡り、ジャポニスムと呼ばれる動向を導きました。
◆黒=墨は、浮世絵版画の中でも、最も重要で効果的な色とされています。西洋版画にも取り入れられた、黒い線と面の印象的な表現に注目します。
◆降る雨や雪を描く絵は伝統的な西洋画にはほとんどありませんでした。なぜ浮世絵は、自然が見せる一瞬の表情を主題に取り上げてきたのでしょうか。
◆周囲に高台や建物がなくても、浮世絵師は頭の中で自在に視点を高くして風景を描きました。この影響を受けて、西洋画でも俯瞰図が多く描かれるようになります。
https://www.ccma-net.jp/wp-content/uploads/2021/12/japnisme_flyer.pdf
2月27日の中日新聞日曜版でも、浮世絵(日本に魅せられた画家たち)を扱っていた。
◆「鎖国」をへて世界へデビューした日本。その美術や工芸品は、欧米を熱狂させました。とりわけ浮世絵の自由で大胆な構図・色彩は画家たちに創作へのインスピレーションを与えました。
「モネ」
ジヴェルニー(フランス)の自宅隣で庭造りに没頭。日本の庭園を意識した「水の庭」をつくり、太鼓橋や藤棚、棚などを採り入れた。浮世絵の構図をしばしば自分の作品に生かし、生涯で集めた浮世絵は290点を超えた。
「ゴッホ」
浮世絵に出会い、心酔したゴッホ。模写にとどまらず、その構図や色使いを徹底的に研究し、自らの作品に昇華させた。日本の文化、宗教観、自然観などにも感化され、日本へのあこがれを募らせたv。
「ミロ」
書家と交流した来日以降、余白をいかした書のような作風を一層発展させていった。黒文字のフォルムと鮮明な色彩との美しい調和、幻想性と独特のユーモアが特色。シュールレアリスムの影響を受けたことでも知られる。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/162209?rct=daizukai
・・・「ミロ」の件は今回初めて知った。
今は名古屋市美術館でゴッホ展が完全予約制で開催されているが、GWからは愛知県美術館でミロ展があるそうなので、チェックしよう。
もう退職だから「授業づくり」としてというよりは、「教養」としてだろうか。とにかく探求は楽しい。
ちなみに授業した際は「クールジャパン」とつなげて、「真似される日本に誇りを持とう」と結んだ記憶がある。
もう一度、コンテンツを見直してみよう。
「ばかげたアイデアが革新を生む」~本庶佑氏の言葉~
先日のセミナーで、本庶佑先生の「教科書を信じるな」という言葉を紹介された。
◆本庶教授が語っていたのは、教科書を鵜呑みにするのではなく、「本当はどうなっているのか」という心を大切にすべきだ、という心構えだ。好奇心、不思議に思う心を持ち、自分の目で物を見て考え、納得できるまであきらめない。そういう心が研究者には必要だ、というのだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/10040631/?all=1
自分も、先日の飛込授業で、本庶先生の言葉を引用した。
それは
「ばかげたアイデアが革新を生む」
ただし、この言葉は本庶氏のインタビューを聴いた記者がつけた見出しなのか、インタビュー記事の中には出て来ない。
ネットの記事は現在は有料なので全文読めない。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38389950Q8A131C1TJM000/
次のように書いてある。
◆イノベーションとは何ですか。
「イノベーションとは結果だ。とんでもないと思うようなことから始まって、結果として世の中を大きく変える。アマゾンやフェイスブックが登場したとき『うまくいくわけがない』『どうやってもうけるんだ』とバカにされた。世界トップの企業になるなんて当時は誰も思わなかった。振り返ってみれば、あれがイノベーションだったと認識される」
インタビュー冒頭のこの回答に本庶氏の思いのすべてが集約されていると思う。タイトルの「バカげた挑戦が革新生む」も見事な要約だ。
周囲がうまくいかないと思っていることこそ、イノベーション。
誰もがうまくいくと思うなら、それは「想定内」に過ぎない。
本庶氏は、このあと次のように述べている。
「月にロケットを上げるような、計画を立てて金をかければできることはイノベーションではない。金で解決することとイノベーションは次元が違う」
実績を残した方の言葉は重い。
ただし、ノーベル賞を取った方の言葉だけをありがたく受け止める姿勢は良くない。
誰が言おうと良いものは良いし、悪いものは悪い。
大事だのは主体的な判断だ。
スマホ断ちから、スマホ活用へ!

March 01, 2022
道徳の指導目標の文章構造
春日井市(愛日地区)の道徳の教育課程では、本時のねらいの文章に一定の構造がある。
①【資料】を通して
②【内容項目】について考え、
③【その価値にふさわしい実践意欲と態度(心情)】を育てる。
(例1)
①病気のリスに嵐の中でもぐみの実を届ける小鳥の姿を通して、
②親切にしたりされたりするとどんな気持ちになるかを考え、
③身近にいる人に温かい心で接し、親切にしようとする実践意欲と態度をそだてる。
(例2)
①保育園で花を育てる仕事に取り組む千里が変化していく姿を通して、
②みんなと働くことのよさについて考え、
③働くことの負担や面倒を乗り越えて、自分の役割を果たし、進んで働こうとする実践意欲と態度を育てる。
道徳の所見も、本校の場合、後半は、上述の「ねらい」によく似た形の構造をもつ。
(例1)
①「ぐみの実と小鳥」の授業では、やさしい主人公の姿を通して、
②身近にいる人に温かい心で接し、親切にしようとする気持ちを高めました。
(例2)
①「マリーゴールド」の授業では、熱心に花を育てる取り組む主人公の姿を通して、
②負担や面倒を乗り越えて、進んで働こうとする意欲を高めました。
となる。
しかし、授業展開が悪い(というか道徳の授業構造を理解していない)クラスの所見は、
①【資料】では
②【内容項目】について考えました。
で終わっている。
(例1)
①「ぐみの実と小鳥」の授業では
②親切にしようとする気持ちを高めました。
(例2)
①「マリーゴールド」の授業では、
②進んで働こうとする意欲を高めました。
こうなると「内容項目」を言えばいいだけだから、「親切にしよう」とか「進んで働こう」とか、きわめて当たり前の建前の言葉で終わってしまう。
そのレベルなら、授業を受ける前から言える。
授業を受けても受けなくても言えるような言葉しかやりとりしないなら、授業する意味がない。
ジレンマ教材に限らないが
「親切が大事なのは分かっている。分かっていてもなかなかできない自分の弱さと向き合おう」
「親切が大事だと言いながら、実際は自分のやりたいことを優先してしまうわけを考えよう」
「親切が大事だと思うなら、具体的にどうあるべきなのかを考えよう」
というような意識をもって、道徳の授業に臨まないと、内容項目(お題目)を言うだけの授業になってしまう。
①「ぐみの実と小鳥」の授業では
②親切にしようとする気持ちを高めました。
という所見しか書けない先生は、
子供からそのような意見しか出ないような授業をしたのか、
子供からそのような意見が出れば十分だと思っていたのか
なのだと思う。残念ながら。
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