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March 28, 2022

歴史を学ぶから、今を考えることができる。

いつか読んでおきたいリストに入っていた本を読んだ。
「太平洋戦争最後の証言 第三部 大和沈没編」門田隆将 小学館2012年
この手の本は買っただけで読まない恐れがあるので、借りることにした。
2週間の期限を課すことで、無事読了できた(改めて購入すると思う)。
「国を守るために命を賭けて戦う」という事実は、今のウクライナ情勢と重なった。
降伏すれば何が起こるか分からない。だから情勢が不利であっても戦うしかない。
沖縄での水上特攻から生き延びた方が次のように語っている。
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私たちは”負け戦さ”で死んでいくわけです。つまり、日本の将来がどうなるかもわからないまま負け戦で死んでいくんです。これは、無念ですよ。死んでいく時、仲間はどれだけ無念だったろうかと思います。」
「日本は勝つんだ、ちゅうなら、それは、よっぽどいいですよ。けど、実際は、”もう負けるんだ””日本の国はなくなるかもしれない”あるいは”今後日本はどうなるんだろうか”とほとんどの人が、案じながら死んでいったんですね。無念だったろうと、思うんです。(中略)あの時、 負け戦で死んでいったつらさ。それが私にはたまらんのです。」
 負け戦で死んでいく無念ーー日本の将来がどうなるかもわからないまま死んでいった若者の心情について、89歳となった山口はそう淡々と語るのである。292・293ページ
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・・・太平洋戦争の事実を知ることで、今、祖国ウクライナのために戦う人たちの思いを考えることができる。
また、一時帰郷した隊員が家を出る次のくだりは『一つの花』と重ねて読んだ。
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 自分はもう生きては帰れない。そのことを母に告げなければならなかった。文男は家を出る前に、意を決して母にこう言った。
「おっかさん、今度は、とても駄目だで」
 思い切って言葉にした。そして、
「あきらめておくれん」
と。母もとうにそのことはわかっていただろう。村に次々と帰ってくる”英霊”の数を見ればわかるはずだ。
 万歳の声でおくられた青年たちが、やがて白木の箱となって帰ってきていた。戦況が悪化するにつれて、その数は増えていった。
 しかし、たとえ頭でわかっていても、それがわが子になるとは、考えられなかったに違いない。 母は無言だった。
「海軍は沈んじゃうから…骨は帰らんで」
文男は、そうつづけた。
「残してある髪の毛でお弔いをしておくれん」
 弔いは残してある髪で・・・まだ17歳の少年が口に出すには、それは、あまりにつらい言葉だった。
 自分の弔いのことについて母親に告げる少年。文男は、その時の母の表情をそれから70年近く経った今も忘れることができない。
 「おふくろはクッと噛みしめてね。返事はなかったですよ。その時に私、まだ17歳でしょう。こっちも、それ以上は何も言えんかった。おふくろは、もう駅まで私を送らなかったですよ。出征の時も、おふくろだけは駅までよう送ってくれんかったですからね。それが最後になることがお互いわかっているから、もうおふくろには(見送りは)無理だったね…」
160ページ
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・・物語よりも、事実は重い。胸が締め付けられる。
このような予備知識(スキーマ)を教師がもっているかどうかは、言葉の説得力を左右する。
我々教師は、広く深く情報を集め、知識を蓄えて授業に臨まねばならない。

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