「全員」と「全体」の区別ができているか?
「全員の原則」にこだわると、空白禁止に抵触する。
「いい、みんな聞いてるかな」
「ちょっと、みんな聞いて。まだこっち向いていない子がいるよ」
・・・聞き漏らしのないように「全体への指示」を意識しているのはよく分かる。
しかし「全員が揃う」まで待てば、待っている子は、ただ待つしかない。
自動車に乗っている人なら分かるだろう。信号がいちいち赤になるとイライラする。
「せっかくスピードがのってきたところでブレーキ」の連続はストレスがたまる。
待っている時間は退屈なので、そこから荒れが生じる。
あくまで私見だが
「全員」と「全体」の区別が大事なのではないか。
と考えている。
大事なのは「全体」だ。
明らかに他ごとをやっている子は、後回しにして、「全体」を優先する。
「全体」に指示を出して、作業させた後で、個別支援に入れば、それが「全員」への対応になる。
全員を優先するあまり「A君、聞いてないよ」を繰り返せば、A君の自尊感情は下がる。外見的には(しぶしぶ)聞いているかもしれないが、不機嫌モードになってしまえば内心ではシャットダウンしている。活動意欲も下がるから、その後も「A君、まだ終わってないよ」のように何度も注意しなくてはならなくなる。負のスパイラルである。
「また、A君のせいで授業が中断した」という事実が重なればA君への不満に繋がる。それは「教師発のいじめ」でもある。
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