そういう人に自分もなりたい
先週の土曜日、たまたま聞いていた福山雅治の『福のラジオ』で、親切な方に出会った人の投稿を紹介していた。
投稿者が、スーパーで買い物をした帰り、雨のマンホールに滑って転んで、レジ袋の買い物が散らかり、顔を打って鼻血でマスクが赤く染まり、痛みでうずくまっていた時、
見知らぬ人が駆け寄ってきて、
「座ってなさい」と休ませて、
道に散らかった荷物を拾ってくれて、
破れたレジ袋の代わりに自分のエコバックに入れて、
自転車のカゴに入れてくれて、
近くのコンビニでマスクとテイッシュを買って来てくれて、
お金は要らないからと立ち去っていったという。
聞いているだけでも、感謝の気持ちでいっぱいになった。
司会の福山雅治さんも、一つ二つならできても、こんなにたくさんの行動はできないとコメントしていた。
併せて「儀礼的無関心」といって、あえて見ぬふりをする残念な慣習があることも・・・。
困っている人を見たら放っておけない方だったのだろうか。
困っている人を見たら助けよと教わってきた方だったのだろうか。
以前助けられた経験があるのだとしたら、それは「恩送り」の精神だ。
自分も一歩でも近づきたいと思う。
「教育」カテゴリの記事
- 行動を価値づけする(2024.09.12)
- 人々が画一化しないために(2024.09.08)
- 「原爆裁判」については、ほとんど知りませんでした!(2024.09.06)
- パラリンピックの理念(2024.09.02)
- 先生が子離れしないと、子どもは自立できない。(2024.09.02)
Comments