「個別最適な学び」とは真逆の・・
かつて中室牧子氏の講演で、
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大学入学者のうち、大検合格者は、高校での様々な体験がないから、非認知能力が低い結果が出ている。
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と知った。
この時のキーワードが
「taught by somebody」(誰かに教わるもの)」
中室氏が執筆したリクルートの連載にも同様の記述がある。
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ヘックマン教授は、非認知能力とは「taught by somebody」(誰かに教わるもの)と定義している。
つまり、「非認知能力」とは、机に向かって1人で獲得できるような類のものではなく、家庭や学校のなかで、親や教師、友人らから「教わって」身につけるものだということなのだろう。
人生の成功を左右する「非認知能力」とは 2017年01月23日
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・・・高校生活の様々な活動は、受験には無用で時間のムダかもしれない。
しかし、非認知能力の形成・人格の形成には重要なのだという。
個別最適な学びが強調されると、「みんなでやりましょう」が無駄に思えてくる。
確かに、早い子は待たされ、遅い子は急かされる。
受験学力だけ考えればオンライン個別学習でいいじゃないかということになる。
でもでも・・。
例えば算数の筆算の授業。
「53-27の計算。3から7は引けません。
5から1をかりて13、13-7は6・・・・」
というように、ベテランの先生は、みんなで声を揃えて言わせる。
1人ではきちんと言えない子も、みんなの声を聴いて、がんばって追い付こうとするから、アルゴリズムに慣れてくる。
集団で学習することで、クラス全体の底上げを図ることができる。
例えば読書の場面。
読書週間だから、みんな揃って静かに本を読んでいる。
たぶん、自宅では本を読めない子がたくさんいると思う。
みんなが静かに読んでいるから、自分も静かに読むしかない。
そうやって周囲の雰囲気に飲み込まれて読書習慣が形成される。
例えば、少し古いが、かつてテレビでやっていた20人21脚のレース。
20人の中には足の遅い子もいる。
だが、高レベルのチームは、20人で走ると、遅い子も全体に引っ張られて、自分の持ちタイム以上に速く走れてしまう。
1人では速く走れない子も、みんなと一緒に走ることで、タイムを上げることができる。
運動会の演技も、周囲が頑張っているから自分もやらなければと気合いが入り、どの子も当日はよい演技ができる。
「自分のペースで」と言われると、それがコンフォートゾーンになってしまって、快適なんだけど「ぬるま湯」にもなりかねない。
「自分のペースで」と言われて自分に強い負荷をかけられるのは、レベルの高い子だ。
人のふりをみて我がふりを直す。
人の行動を見て、それをモデルに自分も頑張ろうと思う。
みんなのペースに追い付こうと頑張る。
こうしてみんなで学ぶことで「やりぬく力・続ける力・我慢する力」=非認知能力を身に付けられる。
将来の成功は認知能力の高さよりも、非認知能力の高さが関与すると言われているのだから、
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「みんなで学ぶ」「taught by somebody」(誰かに教わるもの)」
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の大切さをしっかり意識させていきたい。
※今回はあえて「協働学習」というワードは使っていません。
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