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June 22, 2022

先生がいなくても・・それが自動化

ある日の2時限目、チャイムと同時に担任と教室に戻ったら「起立」が始まっていた。
毎時間のあいさつが必要かどうかは別にして、担任がまだ教室に戻っていないのに「起立」が始まるシステマチックな状況に感心した
(ごめんなさい、自分が職員室で話しこんだせいで、教室に戻る時間が少し遅れてしまったのです)。
2時間目の算数の授業では、
問題①の解き方を丁寧に板書し、
問題②については、自分で①と同じように書いて解いてごらんと指示していた。
このように「習ったことを生かして自分で進める」という場面を意図的に設定できるかどうかの差が大きい。
先日参観したクラスでは「先生が指示しなくてもチャイムが鳴ったら、始まりの号令をかけて」と日直に伝えていた。
こうやって意図的に「手放す」ことが大事だと思う。
あるクラスの算数の時間、本時のねらいを書こうとしたら、子供たちから「めあては教科書に書いてあるよ」と声が上がった。
確かに算数の本時のねらいは教科書に書いてある。
書く必要があるかどうかは別にして、教科書を見れば、めあては先生に言われなくても書ける。
先生が板書するのを待たなくても書ける。
「今日のめあて、書けますね。」
が通じるならば、意図的に「手放す」ことが可能になる。
あるクラスの体育の時間は、いつも担任が準備体操の時間を計測して、何分かかったかを伝えて発奮材料にしている。
ところが、先日は、子供の準備が早すぎて、先生が運動場に行く前に準備体操が始まってしまった。
「今日は、みんなの準備が早すぎて計測できませんでした。すごいです」
と言われた子供たちは上機嫌だった。
先生がいなくても・先生に言われなくても動ける子供を育ててほしい。

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