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July 29, 2022

到達目標と努力目標

「入賞を目標にしてたので、急にメダルを欲しがってもくれないよな・・」

 やり投げ銅メダルの北口榛花さんのこの言葉が印象的だった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f2e37b45cba27e83c2b5c85a79dc055a18dc9f02

 中学校で陸上部顧問だった時に、よく感じたことだ。

 県大会出場を目指して練習している子は、そこで終わってしまう。

 支部大会決勝がピークになって、県大会出場が決まったところで気持ちが切れてしまう。

 県大会当日は「参加できただけで満足」の気持ちになってしまう。

 だから、無謀な目標はよくないが、目標のもう一歩高いところを目指すように話してきた。

 予想外にトントン拍子で県大会入賞、東海大会入賞と言う選手もいたけれど、その逆の方が多かった。

 自分もそうだった。

 高校の東海大会予選。「決勝に出ればインターハイ出場」という強い意識が欠けていた。「さすがにインターハイは無理」と自分であきらめていたからだ。

 自分で自分の限界を規定してしまう生き方はもったいない。子供たちには自分の失敗を繰り返して欲しくない。

 このような最低目標と最高目標の設定は、どんな世界でも意味があると思う。
(「最低でも金、最高でも金」という名言も、古くなりましたね)。

 
 このところ、採用試験メンバーから一次合格の連絡が入ってくる。

 一次合格は嬉しいことではあるが、ゴールではない。

 一次合格で満足してもらっては困るのだ。

 厳しいけど「一次合格を目標にしていたら、二次合格を欲しがってもくれませんよ」と激励を送ろう。

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道徳研究

市の初任研道徳研修の資料を見せてもらった。
市内で文科省指定の研究発表したころと、大筋は変わっていない。
日本道徳教育学会名誉会長の横山利弘氏の流れだ。


(1)教材の骨格をつかむポイント

主人公が道徳的に変化する場合の教材の骨格は、国語の物語作品のクライマックス構造の読み取りとよく似ている。


①あらすじをつかむ(一言でいうと、どんな話か)
②主人公(道徳的な変化をした人)をつかむ
③主人公変化のきっかけとなる出来事をつかむ
④主人公が生き方の自覚をする場所をつかむ(変化の頂点)


主人公の変化のきっかけは「助言」と呼ばれる。
道徳の「助言」は、人物が与えるとは限らないのだが、「助言」を与える人物がいる場合は、主役に最も影響を与える「対役」と考えると分かりやすい。

大雑把にいうと、「主人公は、対役に出会い、その一言によって成長する」とすると、国語資料も道徳資料もよく似ている。


主人公の行動や言葉を捉えて、その背後にある内面の「心」を考えさせる問いが、横山流の道徳の中心発問。
直接気持ちを問わないという意味では「間接性の原理」を踏まえている

「何が人物Aを変えたのか・なぜ人物Aは〇〇をしたのか」を考えさせる場面であるが、
「何が人物Aを変えたのか・なぜ人物Aは〇〇をしたのか」を直接問うと反応は出づらい。
だから、個々の資料によって、中心発問は工夫される。

教師の腕の見せ所だが、つい「なぜ~」と聞いてしまう先生も多い。


(2)振り返りプリント
「書く活動は、終末のふり返りのみ」とあるが、これは結構難しい。
行動中心のお話の場合、前半ー後半で2回書かせて、さらに本時の振り返りを書かせることがある。
何度も書くと、時間が足りなくなるし、一番大事な最後の振り返りでエネルギーがなくなる。資料前半の書き込みで盛り上がって、その後、下がっていくことも多い。

振り返りプリントには、「これが書けたら道徳名人」の指標がある。
①「〇〇とは、~だと思った」・・・主題の読み取りだね。
②「最初は〇〇と考えたけど、〇〇だと思った」・・・自分自身の考えの変容だね。
③「今日の授業で~だと分かった」・・自分なりの主題の確定だね。
④「僕は、これから~したい」・・決意表明を強要してはいけないと指導があったね、
⑤「自分は(自分だったら~)・・自我関与だね。自分ならどうするか?


(3)ICT 活用
意見の可視化、分布、意思表明など

①テキストマイニング
②展開の前後で変化を見るためのジャムボード(色分けなども)
③ポートフォリオ

さまざまな場面でICT活用が進むといい。

 

(4)おまけ

横山利弘氏の道徳動画を何本か視聴した。

資料の内容を含めると【04】「月明りで見送った夜行列車」は、聞いているだけで感動した!

思いやりー粋ー野暮 という解説も納得。
https://yokoyama-doutoku.jp/category/movie/
https://www.aktk.co.jp/channel-dotoku

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July 27, 2022

『頭のよさとは何か』 中野信子・和田秀樹

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勉強を続けていないと頭が悪くなるのは当たり前のことだし、感情に振り回されたり、定説を信じて思考停止になったりして頭が悪くなる。
 だから、学歴や肩書という、ある時点での頭のよさでなく、現時点での頭のよさを求めていく必要がある。そして、そう思えるようになったら、自分自身、昨日より今日、今日より明日のほうがもっと頭がよくなるはずだ。
~『頭のよさとは何か』プレジデント社~クリック、もしくはここにファイルをドロップ
・・・あとがきの和田秀樹氏の言葉。
 あとがきのタイトル「頭のよさとは、能力でなく態度である」も、学習指導要領の理念とリンクするような名言だ。
私自身は、頭のよさというものは能力でなく、態度であると考えるようになった。
自分の認知が歪んでいないかなどを客観視する「メタ認知」も、認知心理学者に言わせると能力でなく態度なのだという。実際にそうしてみようと心がける”態度の問題”なのであって、生まれながらでもなければ、トレーニングで鍛えられるものでもないということだ
P228

 「能力」と思うと、生まれながらのもの=変えられないもの、鍛錬しないと伸ばせないものとあきらめてしまう。
 「態度」と思うと、心がけ次第ということになる。それなら、だれでも今すぐ変えられるのかと思えてくる。

 この「能力 VS 態度」 の対立軸と似ているなと感じたのが
 「知識 VS 知恵・知性」
 「コンテンツ VS コンピテンシー」

 本書の中に「コンピテンシー」は出てこないのだが、「コンテンツの学力」を否定しているので、その対極の「コンピテンシー」が浮上してくる。

◆数学の難しい問題が解けるようになろうが、物理の問題が解けるようになろうが、歴史の年号についてオタク的に詳しくなろうが、そのコンテンツは役に立ちません。ただ、「勉強する能力」だけは身に付きます。これは後々まで役に立ちます。
P31

 「コンピテンシー」は「資質・能力」だが、「態度」に近いかもしれない。
第4章のタイトル「知性とは、誰も知らないことを知ろうとする熱意である」も、「知性」が態度(熱意)であることを表している。
「学び続ける者だけが教壇に立てる」という思いを新たにした一冊だ。
 
 中野信子氏の次の言葉も印象的だった。
みんな「積分」できないのかよって思うんです。ピーク時の高さしか見ていない人が多いけど、仮にピークが高くなくても、積分したら面積が広い、みたいな。じわじわでも長く続けているほうが面積を広く取れるんですよ。
p82 
・・・「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」(北村西望)の俳句を思い出した。
ほかにも沢山、付箋を貼った。学びの多い一冊でした。

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「探索的会話」

◆活発な話し合いを行っているグループの一人ひとりは何も学んでいない。
◆探求活動が行われているグループは、活発な話し合いではなく、静かなつぶやきとぼそぼそ声を交流している。
・・・『総合教育技術』2022年2月号の佐藤学氏の連載は奥が深かった。
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グループ学習は「話し合い」にしないことが最も重要である。学びは既知の世界から未知の世界への旅(経験)であるが、「話し合い」はすでにわかっていることの交流であって、そこには学びが成立しないからである。実際、活発な話し合いを行っているグループの一人ひとりの発言を記録し分析すると、何も学んでいないことがわかる。学びが成立し探求活動が行われているグループは、活発な話し合いではなく、静かなつぶやきとぼそぼそ声を交流している。静かな教室でつぶやきと囁きが交歓されているグループ学習の教室こそが、質の高い探求と共同の学びが遂行されている教室なのである。
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さらに、「会話」には2つのタイプがあるという。
◆ 「発表的会話」は「僕はこう思う」「これはこうだ」という会話。
◆「探索的会話」は「これがヒン トにならないか」「あれとこれは関係しているのではないか」と探りを入れながら推論し思考する会話。
なるほど。
確かに、すでにわかっていることを伝えるだけの交流なら、そこで交わされる会話は「自分はこう思う」「うん、そうだね」で終始してしまう。
そのような会話レベルなら、いくら活発でも、何の生産性もない。
グループ学習はそんな「話し合い」にしないことが重要だという指摘は、すごく新鮮だった。
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グループ学習における「聴き合い・学び 合う」活動の重要性は、ロンドン大学のダグラス・バーンズが1990年代に指摘し、 日本では一柳智紀(新潟大学)がパーンズ を敷衍して探究している。
バーンズはグル ープ学習における子どもの発話を「発表的会(presentational talk)」 と 「探索的会話(exploratory talk)」 に分け、協同的探究は「発表的会話」ではなく「探索的会話」によって遂行されることを示していた。「発表的会話」とは「僕はこう思う」「私 はこう考える」「これはこうだ」という会話であり、「探索的会話」は「これがヒン トにならないか」「あれとこれは関係しているのではないか」というように、探りを入れながら推論し思考する会話である。
協同的学びにおける「探索的会話」の重要性 は、その後、ケンブリッジ大学のニール・ マーサーによって継承され、ヨーロッパ諸国の協同学習の最も強力な理論的基礎になっている。
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・・・「探索的会話」で検索したら、たくさんの論文がヒットした。しっかり追究したい。

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July 25, 2022

学校が崩れる・・・「週刊東洋経済」

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夏休み早々、重たい本を読んでしまったなあ。

教員不足(講師不足、新規採用不足)。日常勤務の過度な負担。

まさに「自己犠牲で成り立っている」今の教育現場。

ぎりぎり綱渡りで、既に向こう側に落ちてしまった現場もあるというのに、予算が絡むので、改善はそう簡単な事ではない。

それにしても、事象は見えていても、根本の部分は見えていなかった。

00年代に始まった小泉政権の三位一体改革。
04年の義務教育費国庫負担制度への総額裁量性の導入。
06年からの地方公務員定員削減計画

当時は組合員だったけど、そんなこと意識したことがなかった。

結局、正規職員(組合員)にとって「非正規職員」の問題は、他人事だったのだ。

小泉首相と言えば「米百俵」(今の百俵の米も教育にあてれば明日の百万俵になる)の精神で、教育に理解があったと思っていた。

そうか、二枚舌だったか。

教育基本法や学習指導要領の解読に精一杯の現場は、給与や雇用制度などは行政任せだった。

怒りの声、疑問の声を上げずに従順に働いてきた我々にも、責任があることを痛感している。

〇〇で人が足らないのは、待遇が悪いからだ。待遇を良くすれば、人は集まる。

「教員」だけでなく「コンビニ」や「看護婦」でもトレーズできるのだが、
待遇が良くないのに我慢して働く人がいると、事態が変わらない。

みんな、人がいいから「悪いけど、働いてくれないかな」という懇願に負けてしまうのだ。


一部の記事はここから読めます。
リンク先の関連記事を読むと、ほぼ網羅できそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8473d5d3f8ba92b5a843469144b6680433a70cdc?fs=e&s=cl

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昭和の教師は夏休みを謳歌した。

自治体によって事情は様々だろうけど、かつて教職員の夏休みはかなり自由だった。
「自宅研修」が許されていたから、出退勤の管理が緩かった。(そもそも、日ごろから出退勤の記録をとってなかったし)
自宅研修がOKなのだから、学校の出退勤もうるさく言われなかったのだ。
今は、夏休みも「毎日定時出退勤」が原則である。
平成の中頃だろうか、そのあたりの判断がまぜまぜだったので、
「いまだに、昼食が45分超える先生がいる」
「いまだに、朝、勤務時間に間に合わない先生がいる」
「いまだに、『自宅研修(教材研究)』で1週間申請する先生がいる」
などと非難される「過渡期」があった。今は違います。
今は「自宅研修」が(ほぼ)なくなり、「研修承認簿」も「事後報告書」も様々な制約がある。
コロナを機会に「自宅研修」が許容される流れができるかと思ったが、そのような動きは勤務地にはない。
「自宅でできる仕事があるなら、自宅でいいよ」ではなく、「学校でできる仕事なら、学校でせよ」だ。
世の中がオンライン可能・自宅勤務可能になった時代なのに、学校は後ろ向きである。
学期中、さんざん超過勤務させておいて(教師の大変さに目をつぶっておいて)、夏休みも出退勤を縛るのは、公務員に対する地域住民のやっかみに耐えられないからだ。
管理職も「先生方、いつも遅くまで残っているから、夏休みぐらいは早く帰っていいよ」と言えない。
旅行というだけでは「研修」は認められない。年休を使うことになるが、年間の休みを夏休みで取りきってしまうわけにはいかない。
教師にとって「旅行」という形で見聞を広げることは、「研修」としての意義は十分にある。
教員には研修の機会が与えられている(はずだ)。
年休では足りないぐらいの長期旅行を「研修」で認める度量が欲しい。
夏休みの魅力を復活させて、教師の志願者減少に歯止めをかけてほしいな。

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「学校も15時にシャッター降ろしませんか」

これは、30年以上前、大学の指導教官の言葉。
銀行は15時までお客さん対応して、15時になったらシャッターをしめて17時まで事後処理にあたる。
これ、いいよね。
学校も子供を帰したらシャッターを下ろせば、残務整理や明日の準備に専念できる。
30年以上前から、子供が帰った後の先生の仕事の多さは問題になっていた。
小学校でさえ退勤時間で帰る先生なんて、ほとんどいなかった。
しかし、昭和から指摘されていた学校現場の要望は、ついぞかなわないまま今に至っている(多少、改善してきたかも)。
残業前提の業務形態。
教師の志願者が減るのは当然だと思うな。

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学校の「ワンオペ」、なくなるか?

牛丼チェーン・すき家では、以前、アルバイト女性が、1人で働くいわゆる「ワンオペ」中に倒れ、死亡した。
「ワン・オペ」
学校の先生も、基本「ワン・オペ」だよね。
子供が倒れたり、子供が暴れたりしても、まずは1人で対応。
逆に、先生が突然倒れたら、子供が慌てて隣のクラスの先生を呼んでくるしかない。
とりわけ「ワンオペ」が気になるのが、個人懇談会。
よほどの事前対策がない限り、個人懇談会に管理職等が同席することはない。
懇談会の場で、いきなりすごい抗議になっても担任は自分1人で対応するしかない。
「ブザーを押したら管理職が飛んでくる」
「時間が過度に延長したら職員室にアラームが鳴る」
「全教室の懇談会がビデオ録画されて、職員室で把握できる」
のようなシステムがないかぎり、担任は1人で対応するしかない。
多くの個人懇談会は和やかな雰囲気で日ごろの子供の様子を伝えたりお聞きしたりして終わるので、恐れることはない。
しかし、管理職としては心配が尽きなくて「何もないといいな」と期間中ドキドキしていた。
そもそも授業は、先生が1人で行う「密室」だから、学級王国になったり、担任発のいじめが起きたりしてもチェック機能がない。
子どもは自分の都合のいいように親に言うので、「先生に暴言を吐かれた・そんなことは言ってない」で大騒ぎにもなることも多い。
責任重大なのに、初任から「ワン・オペ」という業務形態。
教師の志願者が減るのは当然だ。

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ワーケーションやらせて!

民間企業に就職した息子は、現在、ほとんどオンライン勤務。
上司は出社しなくてよくなったから居住地を軽井沢に移したそうだ。
息子は、7月後半から1週間ほど沖縄に行き、昼間はホテルからオンラインで仕事をする。
大手企業の友達が無理矢理、休暇を取らされるから、お付き合いで同行するらしい。
ワークとバケーションを併せた言葉が「ワーケーション」。
宿泊先はエアビーで押さえたそうだ。
休暇中の友達は昼間も遊ぶが、息子は夜と土日だけバケーションを楽しむ。
昼間はサボったりできるのか尋ねると、「それはない」という。
アバウトながら毎日オンラインで出社退社を申告しているらしい。
夏休みのよさとは、例えば、こういうことですよ。
出張旅費をくれとは言わないから、我々教師にも「場所を離れた仕事」に対する裁量をあたえてほしいものだ。
今はクラウドで、いろんな仕事ができる。
各地を旅行して役に立たないはずがない。
歩いた量だけ学びも増える。
若い先生には「夏休みは書を捨てよ旅に出よ」「金は出せないが、時間はあげる」と命じてほしいくらいだ。

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July 20, 2022

1学期を乗り越えた先生方に

かつて、中学校1年1学期の終業式に学年通信を発信した。学年主任の時だ。
データを探し回っていて、
「あっ、TOSSランドにアップしてあったかもしれない」
と思い出した。
リニューアル前のデータだったので、福原正教先生が代わりに作成してくださっていた。
========================
「ご入学おめでとう」というあいさつをしてから3か月半。
 中学校という新しいステージで、新しい仲間と新しい勉強を始め、部活動やテストにも取り組んできました。
 たくさんの不安があり緊張があり、体力的にも辛い時期があったことでしょう。
 そんなみなさんに、今日は「1学期を乗り越えておめでとう」という言葉を送ろうと思います。
「はえば立て、立てば歩けの親心」という川柳があります。
 わが子はかわいくてしかたありません。
 ようやくハイハイをしたら「早く立ってほしい」と願い、ようやく立ったら次は「早く歩いてほしい」と願うというように、親の願いは次から次へと続きます。
 「中学校で、うまくみんなとやっていけるかな」という心配がなくなると、
 「テストでいい点をとってね」
 「部活動もしっかりやってね」
 「できれば、○○高校へ入ってね」
というように、おうちの人の願いは次から次へ増えていきます(それが親心なのです)。
 でも、だからこそ、みなさんには「とにかく1学期を乗り越えたんだ」という事実に胸を張ってほしいのです。
 たくさんの学校を回って「命の授業」をされている助産婦の方は、いつも「みんな生きているだけで100点満点」という言葉で授業を終えるそうです。
 私たち教師も、毎日みなさんにいろんな願いを突きつけてきました。
 でも、1学期を終える今、みんなが無事に1学期を過ごせたことを喜びたいと思います。
 夏休みも同じです。
 夢の実現のために各自の目標を立てて行動してほしいことはもちろんですが、何よりも大事なのは「無事に過ごす」ことです。
 どうか、全員が無事で、そして笑顔で2学期の始業式を迎えてほしいと思っています。
「みんな生きているだけで100点満点」の100点をとるための方法
(1)安全な生活を心がけましょう。「ちょっとの注意」が大きな事故を防ぎます。
(2)健康な生活をこころがけましょう。食事と睡眠があなたの健康を守ります。
(3)心の健康にも気をつかいましょう。悩みがあったら相談しましょう。
===============================
 初任の先生方は、それぞれクラスにで、いろんな子供の対応で苦労していた。
 いつも「週末はゆっくり休めばいいよ」と伝えて、先週は「月曜部がお休み、火曜日が学期の後始末、水曜日が終業式だから、1学期はもう終わったも同然。よかったね。お疲れ様」と話すと、みんな、ほっとした様子だった。
「T2の学生ボランテイアとは全然違ってでしょう?」と聞くと「全然違います」と笑っていた。
その時、「1学期を乗り越えておめでとう」と書いた学年通信を思い出した。
トレースしたら、次のようになるか。
=================
「新規採用おめでとう」というあいさつをしてから3か月半。
 学生から社会人という新しいステージで、諸先輩方と授業づくり、学級づくりに取り組んできました。
 たくさんの不安があり緊張があり、体力的にも辛い時期があったことでしょう。
 そんなみなさんに、今日は「1学期を乗り越えておめでとう」という言葉を送ろうと思います。
「はえば立て、立てば歩けの親心」という川柳があります。
 わが子はかわいくてしかたありません。
 ようやくハイハイをしたら「早く立ってほしい」と願い、ようやく立ったら次は「早く歩いてほしい」と願うというように、親の願いは次から次へと続きます。
 「黄金の三日間を、うまく乗り越えられるかな」という心配がなくなると、
 「テストでいい点をとれるように学力をつけさせよう」
 「教育相談もしっかりやってね」
 「保護者対応もうまくやってね」
というように、私の願いは次から次へ増えていきました。
 でも、だからこそ、みなさんには「とにかく1学期を乗り越えたんだ」という事実に胸を張ってほしいのです。
 たくさんの学校を回って「命の授業」をされている助産婦の方は、いつも「みんな生きているだけで100点満点」という言葉で授業を終えるそうです。
 私も、毎日みなさんにいろんな願いを突きつけてきました。
 でも、1学期を終える今、みんなが無事に1学期を過ごせたことを喜びたいと思います。
 夏休みも同じです。
 二学期への改善のために、各自の目標を立てて行動してほしいことはもちろんですが、何よりも大事なのは「無事に過ごす」ことです。
 どうか、無事で、そして笑顔で2学期の始業式を迎えてほしいと思っています。
「みんな生きているだけで100点満点」の100点をとるための方法
(1)安全な生活を心がけましょう。「ちょっとの注意」が大きな事故を防ぎます。
(2)健康な生活をこころがけましょう。食事と睡眠があなたの健康を守ります。
(3)心の健康にも気をつかいましょう。悩みがあったら相談しましょう。
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July 11, 2022

教育実習では想像できないこの仕事

成績処理と個人懇談会
6月後半から7月上旬の担任の仕事は、教育実習では全く想像できない業務だ。
もちろん「黄金の三日間」の重要さは否定しないし、
3日間ー1週間ー1か月(3−7−30)の重要さは変わらない。
しかし、1か月働いただけでは、この仕事の(事務的な)大変さは実感できない。
学期末の「成績と個人懇談」まで経験して、ようやくファーストステップだ。
単元ごとの授業準備はしてきたはずだし、テストやパフォーマンスもチェックをしてきたはずだ。
それでも、いざ学期末になると、評価材料が足りなかったり、点数のつけ方が曖昧だったりする。
慌ててノートやファイルを再点検したり、
「返却しなければよかった」
「写真で保存しておけばよかった」
「ここで一言書かせておけばよかった」と後悔したりする。
この時期は、採点の嵐、入力の嵐で、どうしても残業が増え、休日出勤も増えてしまう。
そして、個人懇談会。
余程の社交的なアルバイト経験でもない限り、1対1で年配の方と10分も話す機会はない。
ある意味で、人生の初体験。
子供相手の仕事だからと油断していた先生にとってみれば、大人相手のこの期間は大きな試練になる。
ただ、こうして成績処理と個人懇談会(通知表作成)を含めた1学期を終えてみると、学期のサイクルが分かってくる。
そして1年の担任業務が見えてくる。
学級づくり、授業づくり、生徒指導、学習評価、個人懇談会という1学期の後悔を反省材料にして、夏休みにしっかり充電すて、2学期にリベンジすれば良い。
昔と違って、通知表作成の手間は圧倒的に少ない。
PCで成績を出してしまえば、あとは書式に合わせて勝手に印刷される。
出欠記録も自動集計。ゴム印で苦労した昭和とは事情が違う。
個人懇談会をうまく乗り切って、「心は夏休み」で、あと少し頑張って欲しい。

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July 06, 2022

学習評価 「できるー分かるー使える」

あるオンラインセミナーで、「クローズドスキル」「オープンスキル」という言葉を聞いた。
主にスポーツのスキルの場合に用いるようで、
「クローズドスキル」とは
・変化が少なく、安定して予測が可能な環境で行うので、対戦相手(外的要因)に左右されにくい。
「オープンスキル」とは
・ 絶えず変化し、不安定で予測が不可能な環境で行うので、対戦相手(外的要因)に左右される。
実地で使える応用的なスキルという意味で「オープンスキル」を使われたと思う。
「クローズドスキル」は、畳の上の水練のようなものだろうか。
このとき、先日、学習評価のオンラインセミナーで聴いた石井英真氏のお話と重なった。
 「真正の学力(オーセンティック・ラーニング)」というワードだ。
 分かりやすそうな資料をネット検索すると
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例えば、「バスケットボール」の能力を評価する場面を考えてみます。ドリブルやパス、シュートといった個々のスキルがうまいからといって、本物の試合で上手にプレーできるとは限りません。本物の試合で活躍するには、刻一刻と変化する試合の状況のなかで、いかに適切にスキルを選択できるかといった判断力や、いっしょにプレーする仲間との協調性などが必要です。
ペーパーテストによる学力の評価は、ドリブルやパス、シュートのような個々のスキルを測定するのと同じです。これに対して、オーセンティックな評価は、本物の試合のなかでどのようなプレーをするのかを評価することです。
「オーセンティック・ラーニング」とは?【知っておきたい教育用語】
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 「オープンスキル」と、「オーセンティック・ラーニング」は、実践・実地・本番という意味でよく似ている(と理解した)。
 併せていうと、石井氏の資料にあった学力・学習の質としての「使えるレベル」も、よく似ている。
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学力・学習の質として3つのレベル
① 知っている・できる
 知識の獲得と定着
 事実を記憶している・技能を実行できる
②わかる     
 知識の意味理解と洗練
 概念を理解している・方略を適用できる
③使える    
 知識の有意味な使用と創造
 見方・考え方に基づいて知識技能を総合する
文科省 学習評価ワーキンググループの石井英真委員資料 学習評価のあり方について(報告のポイント)より
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・・・自分としては「知っている・できるレベル」「わかるレベル」「使えるレベル」という3段階で考えるのが理解しやすい。
 漢字を習ったら、日常場面で使えなくては意味がない。
 語彙を習得したら、日常場面で使えなくては意味がない。
 練習でスキルを習得したら、試合(本番)で使えなくては意味がない。
といった理解だ(今のところ)。
 セミナーで衝撃を受けると、しばらく、頭の中でキーワードがグルグル回る。
あるいは、新たに知ったワードと、これまで見聞きしたワードがシンクロして頭の中で発火するような気分になる。  
 すぐにうまく整理できるわけではないが、既習事項を洗い出して、自分なりの着地点をめざしたい。 

















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