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July 27, 2022

『頭のよさとは何か』 中野信子・和田秀樹

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勉強を続けていないと頭が悪くなるのは当たり前のことだし、感情に振り回されたり、定説を信じて思考停止になったりして頭が悪くなる。
 だから、学歴や肩書という、ある時点での頭のよさでなく、現時点での頭のよさを求めていく必要がある。そして、そう思えるようになったら、自分自身、昨日より今日、今日より明日のほうがもっと頭がよくなるはずだ。
~『頭のよさとは何か』プレジデント社~クリック、もしくはここにファイルをドロップ
・・・あとがきの和田秀樹氏の言葉。
 あとがきのタイトル「頭のよさとは、能力でなく態度である」も、学習指導要領の理念とリンクするような名言だ。
私自身は、頭のよさというものは能力でなく、態度であると考えるようになった。
自分の認知が歪んでいないかなどを客観視する「メタ認知」も、認知心理学者に言わせると能力でなく態度なのだという。実際にそうしてみようと心がける”態度の問題”なのであって、生まれながらでもなければ、トレーニングで鍛えられるものでもないということだ
P228

 「能力」と思うと、生まれながらのもの=変えられないもの、鍛錬しないと伸ばせないものとあきらめてしまう。
 「態度」と思うと、心がけ次第ということになる。それなら、だれでも今すぐ変えられるのかと思えてくる。

 この「能力 VS 態度」 の対立軸と似ているなと感じたのが
 「知識 VS 知恵・知性」
 「コンテンツ VS コンピテンシー」

 本書の中に「コンピテンシー」は出てこないのだが、「コンテンツの学力」を否定しているので、その対極の「コンピテンシー」が浮上してくる。

◆数学の難しい問題が解けるようになろうが、物理の問題が解けるようになろうが、歴史の年号についてオタク的に詳しくなろうが、そのコンテンツは役に立ちません。ただ、「勉強する能力」だけは身に付きます。これは後々まで役に立ちます。
P31

 「コンピテンシー」は「資質・能力」だが、「態度」に近いかもしれない。
第4章のタイトル「知性とは、誰も知らないことを知ろうとする熱意である」も、「知性」が態度(熱意)であることを表している。
「学び続ける者だけが教壇に立てる」という思いを新たにした一冊だ。
 
 中野信子氏の次の言葉も印象的だった。
みんな「積分」できないのかよって思うんです。ピーク時の高さしか見ていない人が多いけど、仮にピークが高くなくても、積分したら面積が広い、みたいな。じわじわでも長く続けているほうが面積を広く取れるんですよ。
p82 
・・・「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」(北村西望)の俳句を思い出した。
ほかにも沢山、付箋を貼った。学びの多い一冊でした。

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