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August 31, 2022

複数の条件を提示されると、情報を取捨選択できない

平成19年度の学力調査で話題になったのは、平行四辺形の面積の問題。
A問題では96%の子どもが答えられたのに、地図上で平行四辺形と正方形の広さを比べたB問題では正答率が18%だった。
自分としては、これは、底辺・高さ以外の余分な情報が含まれると、正しく取捨選択ができなかったのだと推定した。
しかし、これはあくまで個人の解釈だから、実際の要因は分からない。
Bは桁数が大きいから計算間違いもあっただろうし。
「事実」からは、いくつかの「解釈」が生じる。
自分の「解釈」を絶対視してはいけないと思う。
ただ、この資料そのものは、すごく興味深いので要保存だと思う。
Pisa 

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August 28, 2022

良い騒然・悪い騒然があります

2年生の算数の時間、三角形や長方形のピースを組み合わせる活動で、子供たちは、ああだこうだと声を出していましたが、騒がしいとは感じませんでした。大声で言いあっていますが、本時の課題に正対して頑張っている証拠なので、むしろ、心地よかったのです。

この時、騒がしいにも「良い騒がしさ」と「悪い騒がしさ」があるんだなと実感しました。

「良い騒がしさ」は、感動や歓喜、驚嘆などです。「やったー」「できたー」「えー、どうやったの。」といった声を聞いて嫌な気持ちにはなりません。白熱した授業なら絶叫だって心地よいものです。

一方の「悪い騒がしさ」は、授業に関係のない不規則発言や、子供同士の言い合い(罵り合い)、教師への苦情など、周囲を嫌な気持ちにさせるネガテイブな騒がしさです。

発言のベクトルが1つの方向に集中しているのが「良い騒がしさ」、発言のベクトルがバラバラなのが「悪い騒がしさ」と言えるかもしれません。

 

多分、初任の先生でも、良い騒がしさと悪い騒がしさの違いは分かると思います。

しかし、せっかく授業に熱中して盛り上がる「良い騒がしさ」なのに、ケジメがつかずに制御不能になれば「悪い騒がしさ」になってしまいます。

だから、「悪い騒がしさ」になるのを恐れて「良い騒がしさ」の授業を封印する先生もいます。いつも先生のコントロール下に子どもを置いておきたいのでしょう。

 

「夢中になるのはとてもいいことで、歓声を抑える必要はない。でも、やめる時はやめる・人の話を聞くときはちゃんと口を閉じる。これができたらもっといいクラスになるよね」

そんな指導ができたらと思います。感情を発露できることで、子どもたちもスッキリするからです。

 

逆に言うと「良い静けさ」と「悪い静けさ」もあります。

物を言わずに熱中して何かに取り組んでいるのが「良い静けさ」。

ボーっとしたり、お昼寝状態で無反応なのが「悪い静けさ」といったところでしょうか。

さすがに、テスト中は、多くの子にとって「良い静けさ」です。やることがはっきりしていて、みんな集中してがんばっているからです。

テストの時に集中できる子たちなら、授業内容を改善すれば、良い静けさは可能です。

やることがはっきりしている・正誤がはっきりしているといった「テスト」の特質を通常の授業にも活かしてみてほしいです。

先生自身が、「こういう状態は先生も嬉しい」「こういう状態は残念だな」とアイメッセージで評価基準(望ましい姿)を示してみることが大事だと思います。

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「知的好奇心」を喚起する授業の条件(2)

例えば、3年理科「風やゴムで動かそう」では、多くのクラスで、市販の教材を組み立てた後、送風機を使って車が動いた距離を測ったり、ゴムを使って車が動いた距離を測ったりしています。

確かに、それは順当な流れです。

しかし、「与えられた実験→結果→考察」というパターンで終始しています。

そもそも、教科書通りでは、単元導入時の「わ・き・お」が足りないので、自発的な疑問や問題意識の検証になりません。

 

◆疑問がなければ

◆何かを解決しようというモチベーションがなく

◆結果に対する予想もなく

◆実験に「仮説検証」という意識がないままです。

 

教師(教科書)のレールの上に全部のっていると、新たな発見はありません。

授業時間に余裕があれば、単元の後半で「新たな疑問→予想→検証実験→考察」として

「横向きの風受けを縦にセットしてみる」

「風受けを2個、3個にする」

「輪ゴムを2個、3個にする」

「送風機を2個、3個にする」

など、条件を変えると結果がどう変わるかを楽しませたいところです。

やってみたい実験(自由試行)を繰り返すことで、子供たちはさらに理解を深めたり、新たな疑問も浮かべたりします。

やってみたい実験(自由試行)ができるから、子供たちは、追求意欲を喚起できます。

だからこそ、日々「無駄」を削り、自由試行できるだけの「余裕」を生み出すことが大事なのです。

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「知的好奇心」を喚起する授業の条件

『知的好奇心』波多野誼余夫・稲垣佳世子著 中公新書1973初版。

 

自由な探索の過程で自分の能力に合わせて挑戦することが興味を維持し学習効果を高める・。

・・その一例として「磁石」の学習場面が挙げられています(P104~107)。

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 どういう性質の物が磁石につきやすいかがよくわからないうちに砂鉄や石(磁鉄鉱)を出して、「さあ、おもしろいですよ。これもすいつきますよ」といった導き方はあまり好ましくない。子どもにとっては、そのおもしろさがわかりにくい。彼のそのときに持つ「知識」に挑戦する対象として砂鉄が示されたのではないからだ。

 このようなときには、まず最初のうちは、子どもに自由に磁石をいじらせる。彼は自分のまわりの物に対して手あたり次第磁石をつけてためしてみようとするだろう。多くの場合、磁石にすいつくか否かに関して典型的な事物が試されるだろう。そうしているうち、木製の物はすいつかない、つくのは金っ気のあるもの、ピカピカ光る物らしい、という予想が形づくられるだろう。

 しばらくいろいろためしていて興味がやや低下したとみられるところで、彼らの予想に「挑戦する」事物を与えてみるのである。たとえば、メッキされたアルミニウム製の物と、メッキされた鉄製の物を準備したり、磁鉄鉱や砂鉄を用意したりする。あるいは、棒磁石、大小のU字型磁石、電磁石などを用意するのである。

 みかけはピカピカに光っていても、磁石につく物もあれば、つかない物もある。石や砂など磁石につくものか、と思っていたらすいついた。これらは、子どもを驚かせ、さらに探究することを動機づけるだろう。また磁石を近づければ、近づけるほどそれからはなれようとすることがある。スイッチを押すと磁石のようになるが、スイッチをはなすとそうでなくなる物がある・・・。これらはさらに事物のいろいろな側面を綿密に探索することを動機づけるかもしれない。」

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(1)自由試行させる(飽きるまでの体験させる)。

(2)予想させ、自我関与させる。

(3)固定概念を崩すような難しい課題に挑戦させる。

 

などのポイントが読み取れます。

 

◆磁石は、他の物にくらべ、環境の「応答性」を増幅する。子どもの反応に応じて、つまり、子どもが磁石を事物に近づけるのにしたがって、事物がすいついたり、すいつかなかったり、はっきり「応答」してくれるからだ。(P107)

◆子どもの疑問に、はじめからていねいに答えすぎない、ということだ。もちろん、子どもの疑問を無視したり、適当に答えてその場をやりすごしてしまうことは好ましくない。しかし、あまりに完全な答えを与えすぎるのも問題だ。むしろなるべくヒントを与えるなどして、まず子ども自身に自分で考えさせようとすることが大切である。(P108)

◆自由な雰囲気の中で、子ども同士の積極的な相互交渉を奨励することも大切である。(P108)

 

などの記述を元にすると、以下のポイントも読み取れます。

 

(4)「応答性」のよい教材を選ぶ。

(5)教えすぎない。

(6)子ども相互の関わり合い(集合知)を活かす。  

 

『教育トークライン』2019年1月号(東京教育研究所)で板倉弘幸氏が『知的好奇心』について触れ、向山洋一氏の次の言葉を紹介していました。

 

◆「知的好奇心は、今まで何気なく見過ごしてきたことに対する違和感から生じる」

 

 有田和正氏の「はてな帳」の発想に通じるし、向山先生がよく言われる「あれども見えず」に通じます。

 『本当は大切だけど、誰も教えてくれない授業デザイン41のこと』大前暁政著(明治図書)にも、「あれども見えず」を顕在化させる記載が、何か所か出てきます。

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◆授業は子供が素通りしてしまう情報に気づかせ、認識の飛躍を促すことが大切になるのです。子どもの知識の枠組みがさらに強化されるからこそ、知的に満足するのです・P077

◆このように、ある情報を見せても、すべての情報が見えているかどうかは別の話なのです。人は知らないものは見えず、重要でないと思っているものも見えないのです。/ どんな人でも、自分が重要だと思い込んでいる情報だけを選択して見ているのです。P138

◆初学者は、どうしても知識と経験が不足しているので、大切な情報を見逃したり、素通りしてしまったりすることがあります。つまり「心理的な盲点」があるのです。その心理的な盲点に気づかせるためにも、発問を用意しないといけません。/ これは、認識の飛躍を促すことでもあります。発問によって、自然には気づけない内容に気づかせ、問題を焦点化し、一段上の考え方ができるように導くのです。P167

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 大前氏は、「主体的な学習」には、次の順序が大事だと述べています。

①気づきや疑問、調べたいことを発表させる

②子ども同士の意見の食い違いに焦点化する。

③教師が発問する。

・・・この①②③は、

①「分かったこと・気づいたこと・思ったこと」の列挙

②対立点の明確化

③教師の発問による「あれども見えず」の顕在化

 

ということで、向山先生の授業の流れと同じなのだと理解できます。

 

「楽しい授業」は、エピソード記憶として長期化されやすいので学習効果が高いです。

「楽しい」は、単なる冗談や悪ふざけではなく、「知的な好奇心」をベースに考えたいところです。

 

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補欠に入って「学級経営」を考える 〜「自動化」の総決算〜

 

3学期、インフルエンザにかかった先生の代わりに3日間担任業務を行ったことがあります。

授業も自習ばかりというわけいはいかないので、ある程度進めました。

それにしても、3学期に補欠に入ってみて、担任の先生の学級システムの構築のすばらしさを実感しました。

①朝の会・帰りの会が、マニュアルに従ってきちんと進行する。

②ラジカセ係も決まっている。その日の「お話タイム」のお題も決まっている。

感心したのが、日直のスピーチや帰りの「ほめほめタイム」をみんなが静かに聞いていたことだ。

学級によっては、帰りの「いいこと探し」が形骸化していて、用具をしまう子は全然聞いていない。聞いていない子を放置したままの会の進行は見ていて辛くなる。

 

③給食・掃除もシステマチックに子どもが役割を果たしていた。

配膳台のふき忘れもなく、牛乳キャップのゴミの始末などもバッチリだった。

給食のおかわりや、会食の始まり・終わりも係が進んで行っていた(コロナ前のことですので)。

 

④欠席の子へのお手紙も担当の子がイラスト付きで書いていた。

 

⑤朝の宿題の提出・連絡帳の書き方・背面黒板の係の運用も決まっていた。

 

※担任不在だと、子どもなりに張り切ることがある。

※代わりの先生が来ると緊張してがんばることもある。

そのような加点はあるものの、これまで担任が指導してきた賜物です。

かつて、初任研修の講師として「安全管理」について1コマ話をした時、

 

◆自習にする時は、朝から帰りまで、子どもがどう動くかをイメージしているか

 

を尋ねたことがあります。

 先生が1日不在でも、子どもだけでそれなりに学級が動いていくようにルールをつくり役割分担をし、システムを構築します。

 朝の会のプログラムや給食係の分担の仕方は担任裁量で構いません。とにかく、子どもが納得した形でやり方を決め、適宜修正や注意を加えながらやらせていくことで、子供たちだけで動く「自動化」が可能になります。

 「やってみて、言って聞かせ、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」の積み重ねが学級経営を盤石なものにするのだとつくづく思います。

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子供を傷つける教師の毒語 〜教育マルトリートメント〜

あるクラスの先生は、やる気を示さない子が数人いて連鎖反応を起こすので苦労している。

担任は、なかなか指導の手がなく、つい子供を責めてしまう。

「○○君、今、それやる時じゃないよね。」

「○○君、危ないからやめて。」

「○○君、ちゃんとやるって言ったよね。嘘はやめて」

 

先日は、宿題の提出だろうか。朝の会の時点で詰問状態だった。

A君への詰問の空気の重さに、いつも勝手なB君は「俺はちゃんとやってるよ」のオーラを出していた。

後ろのロッカーに向かうA君は明らかに不機嫌そうだった。

1時間目の理科の時は、昨日配ったプリントが見当たらなくて、すねていた。

2時間目、体育で教室が空いていたので、自分がプリントを調べてみたら、ロッカーの奥から出てきた。自分で自分のプリントは管理できない子なのだ。

3時間目の算数の時間、割り算の筆算ができないA君は突っ伏していた。

担任と今後の対応を相談。

みんなの前で追い詰めても本人は面白くないだけだから、個別に話を聞くといいかもしれない。特に今日の不機嫌さはいつもと違うよね。

「どうしたんだ」

「どうしたいんだ」

「大丈夫か」

5時間目は漢字の練習プリントをさせている間、隣の空き教室で話を聞いてもらった。

前日、家庭での出来事を打ち明けて泣き出したそうだ。

そうか、A君が自分の気持ちを打ち明けてくれてよかったね。

少なくとも、今日は、ただの怠け・ただの反抗じゃないと分かってよかったね。

 

担任は朝から詰問モードだったことを反省していた。

授業後、教室の雰囲気をダメにする教師の「毒語」について紹介した。

 

教室に不穏な風を吹かせる毒語

(1)質問攻めの問い詰め

・何回言われたらわかるの?・どうしてそういうことするの?

・ねえ、何やってるの?・誰に向かってそんな口のきき方をするんだ?

(2)裏を読ませる言い方

・やる気がないんだったら、もうやらなくていいから(本当は「やりなさい」)

・勝手にすれば(本当は「勝手なことは許さない」)

・あなたの好きにすれば(本当は「言う事を聞きなさい」)

(3)脅しで動かそうとする

・早くやらないと、〇〇させないよ。

・じゃあ、〇〇できなくなるけどいいね。

(4)虎の威を借りる言い方

・お母さんに言おうか。

・校長先生に叱ってもらおうか。

(5)下学年の子と比較する

・そんなこと1年生でもやりません。

・そんな子は一年生からやり直してください。

(6)見捨てる

・じゃあ、もういいです。

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「ああ、これ言ってます」と担任は即答。

自分だってついつい口にしてる言葉だ。

誰だって言いたくなる時はあるよ。ただ、アンガーマネジメントと同じだから、発する前に、ちょっと考えてみるといいよね。

言ったところでお互いに嫌な思いをするだけかもしれない。

先生は優しいから大声で怒鳴ることはないけど、その分、やさしく追い詰めてしまうところがあるかもしれないね。

 

上記の言葉は、川上康則氏の論稿による。

「教室マルトリートメント」(東洋館出版)

教室で行われる子どもの心を傷つけるような不適切な指導を示す川上氏の造語だ。

 

毒語を吐くしか手がない教師は、まさに手詰まり。

子供を傷つける言葉を口にした時点で教師の敗北なのだ

 

ある学級で、お楽しみ会の歌で揉めていた。

①諭す・・・みんなで決めたんだから頑張ってやろうよ。

②叱る・・みんなで決めたんだからちゃんとやれよ。

③見放す・歌わない子はほかっておこう。

④脅す・・歌いたくないなら自分は学習発表会の動画に参加しないことを保護者にも伝えておきなさい。

⑤寝かす・・月曜日までみんなで考えよう。来週、もう一度、何が問題か話し合おう。

 

などの複数案を出したのは、クラスの状況がわからないからだ。

歌わない子を強く指導すべきなのか共感したり励ましたりすべきなのか、担任の話だけでは把握できなかった。

しかし、ふと自分のアドバイスを振り返ってみると、子どもを傷つける「毒語」に溢れていた

 

・・・川上氏はこう書いている。

◆自分自身が吹かせる「風」に無自覚な教師は、言葉の重みに気づけない。発する言葉の端々に「毒づいた言葉」を使いながら、子どもたちを知らず知らず苦しめていることがある。

教師のストレス発散(指導力不足へのいらだち)にしか思えない子供への侮辱は禁じ手なのに、自分の対応案の中に毒が入っている。

未熟だから「毒語」に頼ってしまう。相変わらずの自分の未熟さを猛省した。

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新規採用者を苦しめる要因(2)

かつてイチローが「人の2倍も3倍もがんばるのは無理」と話していました。

できるのは、2倍も3倍でなく、2、3割増程度の努力。

5割超勤すると過労死ラインに突入するから、「死に物狂い」の度を越した根性努力は、本当に死を招きます。

かつて、野口芳宏先生は「絶縁能力」が必要だと言われました。

人はあれもこれもできないのだから、どこかで絶縁の判断をしなくてはなりません。

だから野口先生は、他教科を断ち、「国語の名人」になりました。

「選択する、断つ、断る」ができない人は、あれもこれも手を出して結局成果が出せずに終わってしまいます。二刀流の大谷選手を否定するつもりはないが、彼は常人ではありません。

通常、マルチタスクはシングルタスクより処理速度が遅くなって、非効率です。

新人は仕事を任されたら、真面目だから「あれもこれも」になります。

まして担任業務となれば、どれひとつも疎かにはできません。

手を抜いていいなんて夢にも思わないでしょう。

しかし、どこかで軽重(メリハリ)を付けて、手を抜いたり、他人に頼ったりしなければ教育の質が維持できず、結局全部ダメになります。

だから、上司が「これはやらなくていい」「これはやるな」と言ってあげないといけません。

やらなくていい仕事を「見える化」し、「命令」しない限り、若い先生を過労死や精神疾患から守れないのだ。

 

◆人間だれしも時間は1日24時間と決まっている。一人で1日48時間も使えるという人はいない。24時間あっても、本当に「24時間仕事バカ」だと死んでしまう。睡眠もとらなければならない。プライベートの生活もある。どんなに集中力があっても、まともに仕事に使える時間はせいぜい一日12時間だろう。

◆何から何まで、商売丸ごとを動かして成果を出すのが経営者。しかもハンズオンのスタイルで仕事をするとなると、時間がいくらあっても足りなくなるのが当たり前。ということは、自分で手を出すことと、手を出さないこと、その線引きがよほどしっかりしていなければならない。

・・これは、経営コンサルタントの楠木健氏の発言で、このコラムのタイトルは「優れたリーダーは何を『していないか』」

 

従業員を守るなら、優れたリーダーは、部下に対して「何をさせないか」も重要です。

「しなくて良い・してはならない」を明示しないと、部下は自分でやめる決心ができないからです。

 

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新規採用者を苦しめる要因

ここ数年、教育実習の授業時間数が減ってきた。

大学からの指定授業数も「特になし、学校事情でお任せします」ということが多く、そう言われると、学校側としても研究授業を何時間も組めない。

実習生にとって授業実数が少ないのは、その場はラッキーかもしれないが、長い目で見ると不幸だ。

いざ就職して担任を持った時、あまりに経験が乏しくて立ち往生するからだ。

実習生への最初の教育講話では

「学生ボランテイアをやったことがあると言っても所詮はT2。大事なのはT1で授業を任された時に、自分1人で応対できるかだ」

と少し脅す。

軽い気持ちで「子ども相手だから楽な仕事」だと、安易に教師になられたら、本人も子供も不幸だ。

 

ある年の初任2人は2学期苦しかった。

「もともと教師に向いているのだろうか。不幸にも合格してしまったのではないだろうか」と教頭・教務も同じことを言う。

2人とも講師経験がないが、無事、採用試験は合格した。

もちろん1年目からうまくいくほど甘い仕事ではない。

おそらく採用面接はハキハキ対応したのだろうが、2学期はすっかり表情が暗い。

2学期の今の状況で「子供が好きか」「日々の授業に対して楽しそうにチャレンジしているか」で評価すると、かなり苦しい。

(そうなってしまった要因を、現場はしっかり分析しないといけない)、

ある程度乗り越えた先生なら、冬休みは充電して、勉強もして、3学期の準備を進めておいてほしいと助言するところだが、初任の2人には「2週間学校のことを忘れて、しっかり英気を養ってほしい」と伝えた。

種火を消すと着火に時間がかかるから、少しは火を残しておいてほしいのだが、今の2人は、学校のことを一切考えないで休養した方が良いレベル。

3学期になったら、みんなで支えて再出発していこうと思った。

 

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我々の仕事は「感情労働」!

「肉体労働」「頭脳労働」に加え、第3の労働のタイプを「感情労働」と呼びます。

『教育マルトリートメント』出版記念のオンライン講演で川上康則氏が「教職も感情労働」として話していました。

聞いたことのあるワードだったが、真剣に考えてきませんでした。

教員は「肉体労働だ」とか「サービスマンだ」という業種カテゴリーの発想から抜けきらなかったからです。

(かつては冷房のない過酷な労働環境だったなあ。まさに肉体労働!)

 

自然に笑顔がこぼれる教師はいい。

しかし、「笑顔を作れ」と強要されたら、それは苦しいでしょう。

 

ストレスによる心身の不調

 感情労働では、常に相手に好意的に接することが求められるため、自分の本来の感情を押し殺すことが多い。自分の感情をストレートに表現できないことが大きなストレスになり、気付かないうちに精神的な疲労が蓄積されてしまいがちだ。

それにより、「眠れなくなる」「憂鬱な気分になる」「イライラしやすくなる」といった心身の不調が引き起こされる可能性がある。

https://officenomikata.jp/coverage/10726/

 

教師は「肉体的に苦しい仕事」であり「精神的にも苦しい仕事」です。

教員のメンタル不調を考えるなら、「感情労働」という視点で、労働環境をしっかり認識し手を打つ必要があります。

 

川上氏は、併せて次のような話もされました。

 

私たち(教師)は一体何に追い詰められているのだろう。

①時間がない

②やり方がない

③大人側の解決能力や我慢が足りない

④助けてくれる人がいない(理解者不在)

⑤他者の視線(他者からの評価)

◆気持ちの「余白」がなくなる。

◆笑っていられなくなる。

◆迷いも生まれやすい

 

・・・何かと追い詰められやすい仕事です。

だからこそ、せめて上司や同僚からの「追い詰め」ぐらいはゼロにしたいです。

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愚痴や不満は口に出した方が良い。

愚痴や不満を我慢する人は多い。そんな邪悪なことを考えてしまった自分を卑下し、自己嫌悪に陥る人もいる。

しかし、大丈夫です。

「感情の抑制は逆効果」という指摘があります。

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感情を抑制すれば、目に見える形での感情表現は当然ながら減少します。 ただ、それはあくまでも表向きの感情表現が減っているだけで、それによって、心の中で抱いている本当の感情までなくなるわけではありません。 分かりやすく言えば、「我慢している」状態だといえます。

『あなたの仕事、感情労働ですよね』関谷大輝著2016年花伝社 第6章 感情労働のセルフケア

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・・・我慢してくすぶってしまうと、かえっていつまでも引きずってしまいます。

ウェグナーという心理学者が行った「シロクマテスト」が有名です。

 

◆「シロクマについて、考えないでください」というものです。すると、その協力者の多くは、「考えてはいけない」と言われたシロクマについて 考える回数が増えてしまうという、逆説的な効果が生じたのです。 (中略)

おそらく、「考えてはいけない」ということに意識を向けた時点ですでに「考えてしまっている」ことに、原因があるのだと思います。

 

◆よく、「休みの日は仕事のことを忘れましょう」などと言われますが、本当に考えたくないような強いストレス経験ほど、忘れることが難しいものです。つまり、仕事で嫌な経験をして、「それを忘れたい」 「考えないようにしよう」と試みれば試みるほど、シロクマ実験と同様に、余計に頭から離れなくなってしまう危険性があるわけです。

 

・・・なるほど、「考えまいと思うほど考えてしまう」。

心理的な反芻(ぐるぐる考えてしまうこと)をしやすい人は、結果的に、抑うつ状態が強まり、他者だけでなく自分自身に対しても攻撃的になるなどの悪影響が報告されているそうです。

これはまずい。

というわけで、

「反芻」を乗り越える策は、逆説的ですが、考えたくないことは、「あえて、よく考える」

これを前掲書では、「意図的熟考」と呼んでいる。

 

◆ 反芻は、自分自身では意図せず「気付いたら考えてしまっている」状況を指すことが多いのですが、自分から意図的に、出来事について色々と考え直す反芻のパターンもありま す。これは、「意図的熟考」と呼ばれ、文字通り、意図的によく考えることを意味します。

大切なのは、ストレスとなる出来事が起きた後、意図的な熟考を適切に行えた場合には、自分が経験した過去のストレスに対し、たとえば「役に立った」とか「あの経験のおかげで成長した」などと、ポジティブな意味を見出しやすくなるということです。逆に、 意図せず勝手にグルグルと考えてしまう反芻状態に陥ると、過去の出来事やその後の自分自身などについて、否定的な捉え方をしやすくなる危険性が高まってしまいます。

◆つまり、ストレスを経験した後に、その出来事の大切さや価値などについて意図的にしっかり考えると、自分自身の成長を含めて良い結果が得られる可能性が高まります。

 

・・・ただし、強いストレスを受けた場合、その直後に、ストレス要因となった出来事について積極的に考え過ぎてはいけない、ということなので、あまりに辛い出来事は、やはり考えすぎるのは禁物とある。

 そして、振り出しに戻るが、もう一つの方法が、「吐き出してみる」

◆意図的な熟考のほかにも、考えたくないようなストレス経験を、考えずに済むようにしていくためのヒントになりそうなものがあります。 「感情の開示」という方法です。 感情の開示とは、自分の気持ち (本心)や考えを、何らかの形で表に吐き出すことを指 します。 「感情の抑制」に対して、本心を何らかの形で表に出してあげる作業と考えてください。 実は、この感情の開示は、心身の健康維持のためには重要だということが数多く指摘されています。経験した感情を心の中に留めておくのではなく、外に出していくことが良い 結果を生むのです。

・・・「愚痴をこぼすのも立派な感情開示」とある。

愚痴をこぼす自分を責めてはいけない。

心の中の毒素を吐き出すデトックスなのだ。

 

◆心の中にそのような思いが出てくること自体を否定する必要はないのです。感情を抱くのは自由です。 感情には意味があります。 そのような感情を抱くのは、人間とし 自然な現象であると考えてください。 本当の自分が自然に抱いた感情が原因で、自分自身を否定することがないよう、せめて自分の中だけでも、自分の感情認知寛容になってあげてください。

 

・・・ただし、愚痴を聞かされる側が、ネガテイブを伝染させられて重い気分になると申し訳ない。

くれぐれも「自分のネガテイブを他人に伝染させてスッキリしよう」などという意図で愚痴らないで欲しい。これ「怖い話」でよくあるパターン。

 

かつて「悩みを聴く側の心得」としてSCに言われたことがあるのは、

「真剣に聴くのはいいが、深刻になってはいけない。」

深刻に聴きそうな相手には、深刻な愚痴を持ち込まないことが大人のマナーかも。

 

◆追記◆

今の世の中、もちろん体罰は厳禁だが、厳しく叱ることも快く思われない。

そのような状況の中で、

「厳しく叱れない」故に、モヤモヤした感情を引きずって、かえってネチネチ叱る先生がいるように思う。

いわゆる「毒語」だ。

答えられないと分かっていて

「どうして、そんなことしたの?」

「いいと思ってるの?」

「いけないと思っているのに、どうしてやったの?」

などと無限ループに入ってしまう。

保護者から、ある先生について

「あの先生は、子供を叱ることで自分のストレスを発散している」

と指摘されたことがある。

相手が言い返さないことに安穏とすると、ネチネチがエスカレートして快感になってしまうのかもしれない。

確かにそういう先生だった。

これが、教師のいじめ(教育虐待)につながっていく。

先にオンラインで聴いた川上康則氏のお話の中で

「懲らしめ型指導」も「報酬系回路」を刺激し、快感をもたらす

と聞いて、「ありえるな」と思った。

あの先生も(また別のある先生も)、そうした傾向を持っていた。

上司が部下をいたぶるハラスメントも同じ構図だから、どこでも起こり得る問題だ。

厳しく怒鳴れない分だけ、ネチネチ口撃してしまう。

 

子供も、大きくなると、「うるせえ。悪いと言ってるのに、いつまでもしつこいな。」とブチギレる。

そういう恐れのある上級生や中学生相手にネチネチ叱る先生は少ない。

結局、言い返される心配のない低中学年で、教育虐待は起きやすいのだ。

同じく、言い返される心配のない部下に対して、パワハラは起きやすいのだ。

 

※中学校だと、「あの先生、フツーの生徒には厳しいけど、不良生徒には何も言わないんだよね」と見透かされている先生がいる。

そんな教師に、なってはいけない。

 

「感情の抑制」の難しさと、「叱ることの快感」という間違った感情

この2つの問題が自分の中でシンクロしている

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苦しいが愛されている担任アルアル

授業が騒乱状態になる先生がいました。

GW前には声が枯れてしまったし、プリントを見せに来させれば大行列ができるし、5時間目が終わってもまだ連絡帳点検が終わっていないことがありました。

第三者から見て黄色信号でした。

でも、彼女は子供に好かれていました。

だから、放課には子供がどんどん寄ってきます。仕事が進まないほど子供が寄ってくるのですから、まさに「うれしい悲鳴」です。

プリントを見せに来る時も子どもたちが熱心に何かを話しかけ、先生がそれに真摯に対応するので行列がなくなりません。

この先生には「放課は職員室に戻って事務作業しないと終わらないよ」とアドバイスしたことがあるのですが、そのアドバイスは間違っていました。

授業スキルや事務仕事の処理能力はいずれ向上しますから、子どもに向き合い、おしゃべりに付き合い、話したくて仕方ない関係を築く方が重要です。

 

支援を要する子の指導に手を焼いている先生がいました。

何とかしたいと思うあまり、くどくどと指導することも多いです。あまり長いと子どもから嫌われるのではと思ったこともあります。

でも、彼は子供たちに好かれていました。

だから、長々と説教した子供が、放課にはおんぶをせがんできます。算数の時間には個別支援をしてもらって満足しています。

「あの子たち、先生に説教してもらうのを喜んでいない?それクセになるとまずいよ」などとアドバイスしましたが、子どもを何とかしたいと語りかける熱心さを大事にしてほしいと思いました。

 

確かに、この2人の先生は授業準備や子どもの指導で苦労していました。

しかし、彼らが、適当に「コツ」を覚えると同時に「手抜き」を覚えて、子供と向き合う時間を短縮するようになったら、今と同じ「愛され方」をキープできるでしょうか。要領だけ良くなって、効率的に仕事できて、子どもが集まってくるでしょうか。

我々の仕事は「子どもに好かれること」ではありませんが、好かれる関係があればこそ、子どもたちに喜び・自信・達成感・満足感などを与えることができます。子どもとしっかり向き合う教師であってほしいです。

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道徳資料は、納得できるものを扱いたい。

道徳(光村2年)の「生まれるということ」という資料は、「生命尊重」なのか「家族愛」なのか、何を伝えたいのかがよく分からない。

指導書添付のワークに次の問いがある。

 

「いのちは、つながっている」とかんじたことはありますか。それは、どんなときですか。

 

当然、「(感じたことは)ない」と即答する子がいたよね。

あの子たちは、「どんな時」かを書き込むことができないから、やることがない。

だから教室が混乱してしまう。

 

「いのちは、つながっている」と感じたことはありますか。

 

なんて聞いたらダメだよね。このワークが悪い。

感じたことがあることを前提の問いだから

 

「いのちは、つながっている」とかんじるのは、どんなときですか。

 

と問うべきで、それで子供が答えられないとしたら、そもそもの課題が悪い。

「命は繋がっている」なんて感じる時を聞かれても、大人でも難しいよね。俺すぐに答えられないよ。

◆親子で似ているところを探せばいいの?

◆自分の父母、祖父母、曽祖父母と遡っていけばいいの?

 

ワークプリントには、目当てとして「いのちがつながっているとは、どういうことなのでしょう」と書いてあるが、2年生にどんな答えを求めているのかな。

子供たちに、何をどう答えさせたいのかが曖昧だよね。

到達目標が不明なので、教師も子供たちも、どこを目指して授業をしているのか不明だよね。

何をどう答えたらいいのか子供も分からないから、つまらない。

どんな答えを求めているのか自分も分かっていないから、教師も授業を進めづらい。

 

若い先生に「この資料はつまらないから使わないで違う授業します」という気概を求めるのは難しい。

与えられた教材とワークシートで授業しなければという思いが強い。

だからこそ、教科書会社の責任は重い。

つまらない教材、使えないワークシートを載せるのはやめてほしい。

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帯の時間で、日常的に鍛える

ある先生の体育の授業は、先生による鉄棒チェックなので、全員が45分間ずっと鉄棒でした。

鉄棒だけずっとやるとなれば、多くの子は飽きてくるし、だれてきます。鉄棒が苦手な子にとっては、ただただ苦痛の1時間です。

また、ある先生の体育の授業は、男女交代でドッジボールと鉄棒でした。

先生は鉄棒のチェックをし、残り半分はドッジボールをさせています。1時間の中に、もう少し多様な運動があるといいですね。

準備運動にサーキット運動を入れたり、鬼ごっこを入れたり、ランニングを入れたり。年間の指導内容を、ちょっとずつ組み込んでいくことが、「布石の連続」につながります。これが「帯の時間」の使い方です。

スポーツテストの記録、鉄棒やマット運動の各種の達成度を上げたいなら、毎時間少しづつ取り組むとよいです。

慣れてくれば、「これが終わったら、次はこれ」と体育係が進めてくれます。これが自動化です。

 

これは、どの教科でも同じで、どの教科もさまざまなパーツ(ユニット)を組み合わせた方が、子供たちはメリハリがあって生き生きと取り組めます。

 

「あの先生の国語の授業、いつ見ても漢字指導をやっている。漢字しかやっていないのかな」と教頭・教務に指摘される先生がいました。確かに自分が見ても、前半も中盤も漢字をさせていることが多く、「1時間中、漢字なのかな」と思うことがよくありました。

いくら漢字が大事でも、やはり「帯」で10分程度が適切だと思います。

ちょっとずつ毎日取り組む方が、子供の力になります。苦手な子への配慮でもあります。

 

ある日のことです。

今日は、雨なので、体育の動画を見せます」ということになり、NHKの番組で鉄棒の場面を視聴しました。

なるほど。確かに分かりやすい動画です。

「あー、そうなんだよね」「ああやると、うまく回れるんだよね」といった声が聞こえてきました。

こうして1時間まとめて動画を見ることもいいですが、いつも授業の前に視聴してから、体育に取り組んだ方は効果は上がるのではないでしょうか。前日の給食後の時間や、帰りの会の時間、当日の朝などの隙間で5分捻出すれば動画視聴は可能です。

事前に動画を見て、今日のポイントを確認して練習に取り組む。あるいは事後に動画を見て今日の自分の動きを振り返る。

そんな毎時の授業の流れを考えてほしいです。

ちなみに、この番組では、子供たちが自分や友達の動きをタブレットで撮影して確認し、自分のスキルアップを図っています。

 

モデル動画の視聴、自分たちの動きの撮影、振り返りシート、自分の演技のプレゼン発表、自分たちでモデル動画の制作などなど

 

いずれ、どの学校でも、このようなタブレット活用〜見る動画の活用だけでなく、作る動画の活用〜が当たり前になるでしょう。

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若手アルアル 〜玉突きで授業時間がどんどん失われていく〜

ある若い先生の教室です(2年生)。

日直の進行で朝の会と健康観察を行って、1時間目を始めようと思ったら、係児童から追加の連絡があり、追加のプリント配付があり、1時間目に食い込みました。

先生の指示したがって国語の用意をしていた子もいたのですが、「漢字テストをするから机の上の物をしまうように」と指示がありました。それなら最初から言えばいいのに、用意した子供は報われませんでした。。

しかも1年生の復習の漢字テストなのに、テスト隊形でわざわざ机の向きをかえました。ここでも時間ロスで、1時間目の授業時間は着々と減っていきました。

自動車で言うと、アクセルを踏もうとすると信号が赤になって、ちっとも進めないのです。子供ががんばろうとする気持ちに水を差しているようです。

2時間目は、できなかった国語の残りの授業を行ったので、予定していた次の授業も途中切れになりました。

この日は雨だったので、2時限後の20分放課に子どもたちはタブレットを使って楽しんでいました。子どもが熱中して取り組んでいる様子を見て先生はストップをかけづらかったのでしょうか、3時間目が始まってから、各自のタブレットを廊下の収納庫に入れさせました。ところが収納庫の前で大行列ができて、想定外の時間がかかりました。タブレット収納を後回しにしなかったので、3時間目も授業時間は大幅に潰れました。

結局、朝から3時間、きちんと授業できませんでした。

どれも、担任のせいとばかりも言えませんし、もちろん子どもには何の落ち度もありません。

では、何がいけなかったのでしょうか?

 

「今やりたいこと(授業)」と「後でもいいこと(諸連絡、配付物、後片付けなど)」を明確に区別できず、優先順位が徹底できなかったことではないでしょうか。

 

「あれもやって、これもやって」と同時に複数のことを処理しようとすると、結局全部中途半端になってミスや漏れが起きます(PCでいうと、マルチタスクは処理速度が下がります)。

だから一つずつ完結させていくシングルタスクの方が作業の効率も仕上がりも確実になります。

よほどの緊急案件でない限り、当初の予定を1つずつ進めていきましょう。

よく授業中に、子供から直接授業に関係のない質問をされることがあります。

丁寧に答える先生もいますが、そこで個別対応するよう授業が中断し、子どもたちの集中が途切れます。

「今、関係ないよね」と後にするよう伝えたり、あえてスルーしたりして、対応しないことも集団を統率する上での大切な所作です。

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1年を逆算して計画を立てる

学級の最終日をイメージする

 

修了式の日に保護者からお礼の言葉をもらう先生がいます。

・一年間ありがとうございました。

・おかげで息子は一年間おだやかにすごすことができました。

・できたら、来年度の担任もお願いしたいです。

 

最終日に、保護者からこんな連絡帳をもらったら、本当にうれしいですよね。子どもの成長と変容が余程嬉しかったのでしょう。

子どもの感想で言えば、

・来年もこのクラスがいいな。

というリアクションがあったら、担任冥利です。

狙ってできることではありませんが、どうしたらこんな言葉をもらえるか、逆算して学級経営を考えてみてほしいです。

たとえば、「納得して子供を帰宅させること」です。

喧嘩やトラブルがあったとき、不満を抱えて帰宅させると、そのまま保護者に伝えるから厄介なことになります。保護者にとっては子供から聞いた内容が「事実」です。

だから、納得させて帰宅させる必要があります。

「もう大丈夫? 先生からおうちの方に電話しようか?」ぐらいに詰めます。

子供が毎日楽しく過ごし、楽しく帰宅するから、次の日も学校に来たくなる。

 

「毎日学校が楽しい」

「来年も、このクラスがいい」

 

一部の子だけでなく、多くの子がこう感じるような学級づくりを目指して欲しいです。

無論、先生自身が「毎日学校が楽しい」「来年も、このクラスがいい」と心から思い、全身かオーラを出さないと、そう思ってもらうのは難しいです。

先生自身の思いが先決です。

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支援を要する子に、どう対応するか?

支援を要する子の対応が上手くいかず、悩んでいる先生がいました。

「教育トークライン」5月号の小嶋悠起氏先の論稿が参考になりました。

授業で「ずっと座っている」「ずっと話を聞いている」ほど多動性を増加させるものはない。

◆触りたくなるもの、見たくなるものをしっかり隠す

 

そう、まずはそこなんだ!

授業のイメージを根本から見直さなければならないし、予想される行動には事前の対処が必要です。

授業中、折り紙を触っているA君は、とりあえず耳だけは授業に参加しています。

授業の進行は理解できています。

しかし「触りたくなるもの、見たくなるものをしっかり隠す」の約束が徹底していませんでした。

「A君、授業中は触らない約束だったよね」と担任が注意したことがあったから、一度は約束をしたようです。

しかし、参観した授業中はずっと机の中の作品を触っていました。

身勝手な行動だから注意したいけど、何度も注意すると険悪な雰囲気になる。

この葛藤で先生も困惑していました。

「ああいう子は難しい。危害を加えないなら、無視するのも1つの手だよ。時に無視して、時に支援して、時に注意する。そのぐらいの距離感でいいと思うよ」などと慰め程度しか言えない私も心が折れそうになりました。

 

併せて井戸砂織先生の論稿を読む。

◆「子どもをああしよう、こうしようなんていい迷惑だ。子供はそのままでいいんだよ」(向山先生)

◆子供の短所が見えた時、つい「その短所をどうかしなくては」と思ってしまう。そう思いそうになった時、「その子の長所だけを見よう」と気持ちを切り替えることで、以前よりずっと状況が良くなる。

 

うん、そうだ!。

短所をどうかしようと慌てると、子供とぶつかってしまいます。

だから、その子の良さに着目しましょう。その子が授業に気持ちが向いたら励ましましょう。

 

そう思って、小井戸先生の論稿も読む。

◆年間1500枚の一筆箋 ◆二年越しの変化、通算356枚目

 

なるほど。すごい執念!

向山先生の言われる「子供はそのまま」は、「何もしない」とは意味が違います。

その子の良さを見つけ、認め、引き出してやる努力を続くけることです。

あるいは小嶋先生の言われるように、その子の短所が発露しないように策を練ることです。

向山先生の「そのままでいいんだよ」は、「その子の持っている良さを認めてあげよ」なのだと理解しました。

違うのかもしれないが、そう理解することで元気が出ました。

 

「教育トークライン」(東京教育技術研究所)は、さまざまな論稿が化学反応を起こす。だから読んでいて面白いです。

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「話す」と「話し合う」を区別して指導できますか?

授業の中で「グループで話し合いましょう」と指示することが多いですが、グループ内で個々の意見を順番に発表しているだけでは「話し合い」とは言えません。

では「話す・聞く・伝える」と「話し合う・聴き合う・伝え合う」の違いを聞かれたら、どう答えればよいでしょうか?

◆話し合いは,「発表会」とは違う。順番に1人ずつ話すだけのワンウエイでなく、ツーウエイに意味がある。

◆話し合いは、聞き合いでもある。自分以外の子の意見に耳を傾け、比較検討することに意味がある。

◆話し合いは、伝え合いでもある。自分の意見にリアクションをもらうことに意味がある。

 

・・・自分の意見を言ったらそれで終わりではなく、ほかの子の意見をちゃんと聞くこと。

です。

もちろん、そのためには「正解が1つ」のような課題で話していては意味がありません。

正解が1つなら、利発な子が最初に発言したら、他の子の意見は必要ありません。

「ほかの子の意見も聞きたいな」という気持ちは、多様な考えを求める課題の際に意味を持ちます。

①「自分の意見は○○だけど、ほかの人はどう思っているのかな?」

②「同じ○○の意見の子はどうやって理由を言うのかな?」

③「自分の意見は○○だけど、△△の人の理由を聞いてみたいな。」

④「○○の意見の良さを、△△の子にも分かってもらいたいな。」

⑤「自分は○○だったけど、話を聞いていて△△もよくなってきたぞ」

⑥「△△の意見も多かったので意外だったな。」

といった思考を促すような、課題の提示が必要です。

多様な考えを引き出す授業は、「一人で勉強するより、みんなと勉強する方が楽しいな」という気もちに通じていきます。これが「協働的な学び」の第一歩です。

 

そして、教師は「今の意見の言い方よかったね」というようなフォローを入れて、どう言ったら自分の意見に興味を持ってくれるか、どう強調したら別の意見の子にも響くか、「相手」を意識してプレゼンテーションする意識を持たせます。分かりにくい意見では、誰もリアクション(評価)してくれませんよね。

 

授業中の子どもの発言は、ついつい先生に対してなされます。

ですから、「先生に言うのではなく、みんなに言うんですよ」と子どもに指導するのですが、実のところ、教師自身が子どもの意見を他の子に回さずに受け入れてしまうことが多いです。

授業に余裕がないと、TーC、T ーCの連続に終始してしまいます。

教師自身が子どもの意見に「入れ食い」にならず、「みんなどう思うか」を確認し、他の子の意見を聴きとる余裕がないと、T-Cの授業が改善されません。

 

※おまけ1

 家族は子どもが何も言わなくても察して動いてくれます。

先生も親と同じで、子供の発言が分かりづらくても理解しようと努め、他の子に翻訳して説明します。

しかし、子ども同士(他人)はそうはいきません。相手に伝わるように話すのが、本来の話し手側の責任です。

教師が安易に翻訳するだけでなく、

①本人にもう一度言わせる。

②他の子に、今の説明で分かったかを確認する。

③他の子に、説明させ直す。

などの場を設定するとよいです(繰り返しますが、授業に余裕がないとできません)。

 

※おまけ2

同学年集団で、「譲る・譲られる」が実現するには、相応のコミュニケーションが必要です。

わがままな子や甘えっ子は、言葉が足りないので、思い通りにならないとすぐ切れたり、押し黙ったりして泣いたりします。

そこで、教師や気の利いた子が、本人の意向を代弁したり翻訳したりし続けると、本人の伝えるスキルは伸びません。それは「誤学習」でもあります。

自分を表現できず、相手を説得できない子は、コミュニケーション力を向上させないといけません。

相手の言い分を聞かず、自分の思いだけを押し通そうとする子も、コミュニケーション力を向上させないといけません。

高学年なら、

「泣いてるだけじゃ分からないよ」

「自分で言わないと通じないよ」

「先生はパパやママじゃないから(スーパーマンはないから)、ちゃんと話してね」

など、突き放す場面も時には必要でしょう。

学級でのトラブルを回避するためにも、「自分の思いや理由を言葉で伝える・相手の思いや理由をしっかり聞き取る」を学校生活の中で育てていく必要があります。

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August 24, 2022

比喩の力がイメージを膨らませる

「小説の読み方」(PHP新書)平野啓一郎2009年第一版
「分析批評」の後方支援になる箇所もいくつかあるが、指示発問の原則に関わる部分があって着目した。
静かに歩かせたいときに「忍者のように歩きなさい」という指示が効果的だが、そうした比喩の効能を語る箇所だ。
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 比喩というのは、人間の脳の情報処理システムの錯誤をうまく利用した手法だろう。
 未知の情報と出会った時、私たちには、それを処理する下地がない。そこで、自分が既に知っている近似的な情報へと迂回して、いわば錯覚を利用して処理するというのが比喩だ。
 得体の知れない、白い丸いものについて語られたとしても、だれもそれをイメージできない。しかしそれが、「卵のようだった」と言われれば、既に知っている卵というものと疑似的に同一視しながら、その丸い物体をイメージし、情報として受け止める場所を自分の中に開くことができる。同一ではないけれども、近いイメージのものを持ってきて、未知のものを把握できるようにするための手段。それが比喩だ。
P89.90
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そうだね。
「忍者」が分からい相手には、「忍者のように歩きなさい」は意味をなさない。
相手の知らない言葉(概念)で、「〇〇のようだ」と言っても何も理解できない。
むろん、当たり前だが、まったく同じものでは「AのようなA]だから比喩でもなんでもなくなる。
「未知のAをイメージさせたいために、既知のBを提示する」
「AさせたいならB」
 Bが「既知」であり、「近似的」でないと比喩は機能しない。
小説の技法でなく、日常的な課題として捉えることができた。
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August 22, 2022

最後の行動まで示してから、子どもを動かせ

 子どもがバラバラになり、教室が騒然となった原因は教師にある。

 

教師が「子どもを動かす法則」を知らないからいけないのである。

「子どもを動かす法則」を知っていたら、こんなことにはならなかったはずである。

 
 では「子どもを動かす法則」は何か。

 それはただ一つである。

子どもを動かす法則最後の行動まで示してから、子どもを動かせ

 子どもを動かす秘訣は、これに尽きる。

「最後までどうやっていくか」ということが分からないから、子どもは場当たり的に行動するのである。

 最後の行動まで示すのは、その集団の長の責任である。つまり、学級では教師の責任なのである。

 さて、この法則を知っただけで、ずいぶんと動かし方はうまくなる。法則は単純明快な方がいい。

 が、これだけでは、不安な方もおられよう。

 そこで、法則を支える補則を示すことにする。

 補則は全部で五つある

 五つの補則

(1) 何をするのか端的に説明せよ。

(2) どれだけやるのか具体的に示せ。

(3) 終わったら何をするのか指示せよ。

(4) 質問は一通り説明してから受けよ。

(5) 個別の場面をとりあげほめよ。


~『子どもを動かす法則と応用』 向山洋一 明治図書刊 1984年初版~ 

・・・引用のみ。余分な言葉は要りません。「子ども」対象に限定されません。

とにかく集団を統率するうえで大事な原則だと思います。

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August 21, 2022

学級の自由度の高さが、討論の授業の大前提

向山洋一氏の論文「討論の授業の原則」(『現代教育科学』97年9月号)
討論のステップの前に、学級風土=「自由な空気」の形成に関わる記載がある。
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討論とは、自分の意見を主張することである。しかも、互いに意見の豊かな子どもが主張することになる。
どの子も、自分の主張を堂々と主張できなくては討論の授業は成り立たない。
子どもは間違うことを極度に恐れる。
技量の低い教師の教室では、異なる意見をそれぞれが堂々と主張することは、望めない。早々と、どれかになびいてしまう。
「千万人といえども我行かん」というような子どもの主張は、自由な空気の中でこそ、育まれる。
むろん、自由というのは、デタラメのガヤガヤ状態を言うのではない。
授業中、席を離れて友人と相談する。本を調べるのは自由だが、教室はきちんと秩序が保たれている状態をいう。
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・・「どの子も自由に発言する雰囲気」「どの子も堂々と自分の意見を主張する雰囲気」が大前提となって、堂々と主張する「強い個人」が育まれると言う。
これは、道徳の授業も同じだ。「謝罪を受け入れる学級の雰囲気がなかったら『すぐに謝ろう』という気持ちにはならない」。
「子供は間違うことを極度に恐れる」ことを、まずは肯定して策を立てているから、説得力がある。
「協働的な学び」の前提は、こうした学級の自由度の高さだ。
「自由な雰囲気」の中で、
「自己表出の場が保証され、
「個人の強さ」が育っていく。
ここに
◆多数決では決まらない、逆転現象の授業
◆正解が一つに収束しない、多様な解を引き出す授業
◆1人1芸で出し物をさせるような裏文化
などが入るのだと思う。
 もちろん、権威に屈しない教師の生きざま・常識にとらわれない柔軟な思考なども問われている。
 「討論」の条件(言語スキル)だけを追っていても、うまくいかない。
「授業づくり」と「学級づくり」がセットになっていることがよく分かる。

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学級担任とつながる「日記指導」のコツ

学級担任とつながる「日記指導」のコツ
ここにフォーカス~日記から何が見えてくるか」⑤

将来の不安が見えてくる日記の読み方

~「授業力&学級統率力」2013年1月号~


一 子どもにとって「将来」とは

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次のオリンピックが行われる時、私は高校生です。
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 これは、かつて六年生が書いた日記の最後の一文である。
 私にとって四年後は、それほど遠い出来事ではない。次のオリンピック観戦をしている自分の姿も容易に想像できる。
 しかし、若い世代にとって四年は大きい。六年生が、どのような中学校生活を送り、どのような進路選択をして高校生になるのか。そう考えると、四年後は予測不能な「遠い将来」である。
 中学三年生が成人式の自分に向けて手紙を書くことがあるが、これも同じだ。五年後の自分が想像できなくて、なかなか筆が進まない。「たかが五年、されど五年」なのである。
 子どもたちは、日ごろ「来週のサッカーの試合」や「今度のテスト」「修学旅行の班決め」といった目の前の「将来」で頭がいっぱいである。
 「四年後・五年後」は、十分に遠い。
 したがって、高校や大学入試・就職試験といった人生の関門を越えないと決まらない十年後・二十年後は、大人が考えるほど簡単にはイメージできない。
 そのような子どもの時間感覚を理解しないと、子どもの日記を正しく読み取れない。
 なお、四・五年後の自分が読めてしまうような安穏とした教師生活をしていては、子どもの「将来の不安」には共感できないだろう。

 

二 子どもにとって「不安」とは

 「次のオリンピックが行われる時、私は高校生です。」の一文は事実のみが書かれている。では、言外に「期待」と「不安」のどちらが込められているだろうか。
 この日記を書いた本人の性格を考えれば、「不安」はない。彼女は高校生の制服にあこがれるスポーツ少女であった。純粋に次回のオリンピックを楽しみたい、早く高校生になりたいという「期待」で綴ったのだと思う。
しかし、中学校生活と高校入試をクリアしないと四年後はない。同じ一文でも、書いている当人の性格や状況によっては「不安」を込めているとも読める。
 日記を読む時は、書いた本人を思い浮かべ、かすかなサインを見逃さないように注意したい。


三 自信に満ちた日記でも

============
 ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
活躍できるようになるには、練習が必要です。ぼくは、その練習には自信があります。
(中略)そんなに練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。(後略)
============
 「夢」と題した有名な小学校時代のイチローの作文である。
 同じように、自信や期待に満ちた日記を目にすることは多い。
 「来年は、いよいよ中学生です。」
 「○○高校に合格したいです。」
 「絶対に優勝してみせます。」
といった日記を目にすると、「期待しているよ・楽しみにしているよ・応援しているよ」と素直にエールを送りたくなる。
 しかし、「期待」と「不安」は表裏一体である。特に、自らを鼓舞する有言実行型の文章は、自分で自分を追い込んでいる場合が多い。私には、先のイチローの作文でさえ「不安の裏返し」であるように読める。
 せっかくの決意に水を差すような赤ペンは慎まなくてはならないが、過度な激励は本人を追い詰めてしまう。
 日記に書かれた強い自信を素直に受け止めていいかどうかは、安易には決められない。やはり、書いた本人の性格や状況と重ねながら判断すべきであろう。
 他人に見せることを前提にした日記は、何らかのコメントを期待して書いている。赤ペンの言葉を励みに書いていると言ってもいい。
 しかし、だからといって子どもたちが不安や弱さを直接吐露するとは限らない。
 日記に込められた言外の思いが察知できるよう、一人一人の日記を丁寧に読んであげたい。

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August 19, 2022

「楽しかった」「楽しかったね」の違い

かつて、翔和学園の伊藤寛晃先生(現学長)のお話の中に
「楽しかった」「楽しかったね」の1文字の違いが大きな差
というくだりがあった(文責は私)。
「楽しかった」は自分だけの感情表現。
「楽しかったね」は相手を意識した感情表現。
「楽しかったね」の「ね」には
◆僕はこう思うけど、あなたはどう?
◆また楽しいことをしたいね。
◆一緒に楽しんでくれてありがとう。
◆これからも仲良くしてね。
のような意味が入る。
もし、子供の会話の中に「ね」が入るようになったら、その子が次の成長過程に上がってきたことを意味する。
伊藤先生に指摘されなければ一生気がつくことのない「ね」の魔術だった。
「きみはほんとうにステキだね」
宮西達也さんの「テイラノサウルス」シリーズの絵本の1つ。
思わず涙が出てしまうステキなストーリーだが、伊藤先生の指摘とシンクロして、ますますこの作品に愛着が湧いた。
今も図書館の子供コーナーに行くたびに探してしまう(宮西さんの新作がないかも確かめながら)。
そして、テイラノサウルスシリーズを読む度に、伊藤先生のことを思い出す。
例えば、次のようなインタビュー記事を思い出し、もっともっと教師修行しなくてはというエネルギーをもらうのだ。
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ある学生はこんなスピーチをしていましたね。「本音を言うことの大切さ。お互いの気持ちに気づくこと。翔和学園に来て、みんなと過ごしていく中で、共に助け合って歩んできたことは、大切な思い出になりました」と。
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事務作業にも意味がある 〜指導要録の差し替えと担任印〜

指導要録の「学籍の記録」は、持ち上がりだから、毎年差し替えて、担任氏名のゴム印を押す(年度末には朱印を押す)。
「学籍の記録」は、「学習の記録」と違って所見も成績記録もないが、様々な情報が入手できる。

(1)
離婚などの事情で名字の変わった子が分かる。
2回変わっている子は、母親の旧姓に戻り、再婚したというケースが多い。

(2)
住所変更・転出入の記録は、「ああ、この子は転校経験があるのか」というだけではない。
何年時の転校かも気にして目を通してみると、見えるものが違ってくる。。
かつて、3年生に不登校児童がいたが、保育園時・3年時と2度の転校で不適応を起こしていた。

(ちなみに小学校以前の引っ越しについては、幼稚園名・保育園名で、ある程度は分かる。)

6年生に、非常に手のかかる子がいたが、その子の記録は

A校→ネフローゼにより養護学校→A校→本校

となっており、友達作りがうまくできない理由の一端を読み取ることができた。
なお養護学校で作成された支援記録には「読み書きが遅れているので追いつけるといい」という母親の希望が書かれていた。

(3)
担任の経緯も知ることができる。1・2年時に持ち上がりとか、2年時と5年時で同じというようなケースもある。

育休補充等で年度途中交代というケースも分かる。すると、この子の保護者は何度も担任交代していることに不満を抱いたり、今年もそうなるのではと不安を抱いたりしているかもしれない、と想像することができる。

「主任のクラスが多い」「初任のクラスが多い」「女性担任のクラスが多い」などは教職員はあまり気にならないが、保護者の関心は高い。

夏休みに事務作業をまとめて行う先生もいるが、担任としては、年度初めに把握しておきたい情報である。

事務的に要録の差し替えをすます人も多いが、差し替えには差し替えの意義がある。

たかが事務作業、されど事務作業である。

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August 18, 2022

「訓戒」を肝に銘じようと思う

タレントのコロッケさんのお母さんの訓戒「あおいくま」

①あせるな
②おこるな
③いばるな
④くさるな
⑤まけるな

 

勝間和代の「三毒追放」は

①ねたまない

②怒らない

③愚痴らない。

 

仕事がうまくいく、5つの「あ」というのも聞いたことがある。

①「あいさつ」
②「ありがとう」
③「あやまる」
④「頭を下げる(おねがいします)」
⑤「新しいことに取り組む」

ただし、本当は5つとも「~が言えない・できない」の否定語で「仕事がうまくいかない人の5項目」であった。

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学校の研究テーマはロジカルに作られているか?

「読解力向上をめざした工夫ある授業づくりを通して」がテーマの小学校で研究授業を参観したことがある。

(1)読解力の定義は吟味されていたか?

「PISA調査で読解力低下が指摘された」と指摘しながら、

「読解力とは文字通り文章を読んでその意味内容を理解する力である」

と定義されている。

 PISAを引き合いに出すなら、読解力は「書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」である。

 そうでなくでも指導要領だって、「よむこと」の欄に「自分の意見をもつ」「自分の表現に役立てる」がある。だから有元秀文氏は「読解表現力」という用語を提唱した。

 意味内容の理解だけを「読解力」などという定義では、時代遅れなのだ。

 

(2)各学年の研究仮説が吟味されていたか?

(低)音読に関心を持たせる活動を取り入れることにより、読解力が高まるだろう。

(中)音読を毎日行ったり、体験を書いたりするなどするなど、表現活動を多く取り入れた授業をすることにより、読解力が身に付くだろう。

(高)主題に迫る一文に着目する授業つくりをすることにより、読解力を高めることができるであろう。

 

・・・各学年の文末が「高まる」「身に付く」「高めることができる」とある。

文末は統一してほしい。

この文末の不揃いにこだわる言語感覚こそが「読解力」の基盤ではないか。

 それに、どの活動も、「読解力」に直結していないと思う。

「音読させれば読解力が高まる」「体験を書かせれば読解力が高まる」「主題に迫る一文に着目させれば読解力が高まる」という仮説だが、私なら「音読」「体験作文」「一文に着目」だけでは読解力が高まらないことを検証したいくらいだ。

 音読や体験作文を否定はしないけど、読解力向上の手立てにしては間接的過ぎる。

 なぜならPISA型の3段階で考えると、「テキスト理解」のレベルでしかないだからだ。

 テキストの「利用」「熟考」をさせていないのだから、これでは、学力テストでお手上げだった記述型・論述型の設問には対応した力をつけられないのである。

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「音読」の効用~学級経営の大きなツール~

 リズムの良い詩をみんなで音読すると、心地よい。

 先生が読んで、同じ箇所を読む「追い読み」

 1行ずつスイッチする「交代読み」

 学級の一体感を感じることができるので、音読はクラスをまとめる大切なツールになる。

 かつて、サークルメンバーからは、次のような発信があった。

=============
今の荒れたクラスは,音読で巻き込むことができます。
しっかりとリードして読んでくれる子がいるからです。
かぶせ読みを取り入れた交代読みも効果があります。
どちらも,子どもが読んでいる間に,個人指導が入れられます。
音読が終わった瞬間に,指示を入れることができます。
その反面,○読みとかたけのこ読みとかは全然できません。
ふざける子が多く,うまくつながりません。
だから,最近は,あきらめてやっていません。
荒れる前から,継続して身につけさせておけばよかったのかもしれません。
音読が,クラスをまとめる大切なツールだと言うことを大いに実感しています。
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 音読は声をそろえることであり、心をそろえることであると思う。
 

 読みをそろえるためには、他人の読みに耳を傾けねばならない。
 早く読める子はペースを落とし、遅い読みの子はペースを上げる。
 読みの苦手な子は真似る。
 きれいにそろった時の達成感を考えれば「音読でクラスがまとまる・音読でクラスをまとめる」なのだ。

 別のサークルメンバーからも発信があった。
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音読は本当に大切です。
日々の英語の授業で配慮が必要な人たちが、赤点から脱出する際のツールも、音読と暗唱です。

巷のメンタリストさんの本にも呼吸合わせの効能が書いてありました。
是非、音読の講座を創りましょう。
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「みんなで声をそろえる」という音読の効用で言えば、「フラッシュカード」も同じ。

 「個別最適な学び」になりがちな時代だからこそ、みんなで声を揃える「協働的な学び」も大事にしたい。

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話し合い活動の充実、協働的な学びの実現は長い間の課題だった。

かつて文科省委託の道徳研究指定校に勤務していた。

定番の授業スタイルは、主人公の気持ちに寄り添い、共感するもの。

「モラルジレンマ」資料は御法度であったが、研究授業でなければ行っていた。ワンパターンの道徳授業では教師も子どもも苦しいからだ。

 当事者意識を大事にする「この資料のどこに問題があるか」「自分ならどうするか」を考える道徳授業も御法度であったが、通常は行っていた。

とにかく、気持ち主義の道徳授業のワンパターンで子どもが思考停止するのではないかと危惧があった。
授業=発問がワンパターンになれば、子供の発言=思考もワンパターン化し、本音が引き出せないからだ。

当時の授業パターンでは、子どもが道徳的価値を高めるチャンスが2回あった。


1つ目は「資料」に触発される自己対話。
資料のもつ道徳的な価値に触れ、自分を高めていく。

2つ目は「話し合いによる子ども同士の相互作用」 

 個々の意見を発表させる場面で「そうか、そんな考え方もあるんだ」「自分の考えより、友達の考え方の方がいいな」など、人によって異なる感じ方や考え方に触れることで、自分をさらに高めていく。

「自分ならどうするか」を討論させる授業は、この相互作用の効果を狙っていた。今でいう「協働的な学び」だ。

「話し合い活動・友達の意見から学ぶ活動」は、道徳だけでなく各教科においても求められる。

友達の意見から学ぶ機会がなくていいなら、AIドリルや家庭教師のような個別学習でもいいことになる。学校が集団で授業を受けていることも意義は、この互いの相互作用にあるといっても過言ではない。

「相互作用」は、たった1つの正解を志向する授業では成立しないから、まずは大前提として多様な思考を促す授業の確立が必要である。

 現行学習指導要領では「納得解」「複数解」「多様な解」と呼ばれている。
 いくら「話し合い」の場面を設定しても
①自分の意見を言いたいだけ・言いっぱなし
②「人は人、自分は自分」とばかりに、意見が多様に分かれても自分の意見と照合しない
では意味がない。
 

個々の発言も
「○○さんの意見を聞いて、思いついたことがあります。それは〜」
「確かに○○さんの意見もいいと思うんだけど自分は〜」
「○○さんの意見を聞いて、意見を変えます」
「○○さんと△△さんの意見を聞いて、合体すればいいと思いました」
のように、きちんと前の人の意見を受けた言い方をさせたい。

 

 繰り返すが、「話し合い活動(協働的な学び)の指導は道徳授業に限ったことではない。
 たとえば、図工の授業の鑑賞活動は、各自がプリント記入して回収して終わりという場合が多いのだが、本当はそれでは相互批評の場がない。
 国語のまとめの時間は作文を書いて終わりが多いのだが、本当は、各自がどんな感想を書いたかを交流し、さらにその学びを言語化する場面が欲しい。

 タブレット活用の中で、スプレッドシートや付箋機能を使って、お互いの意見を見ながら自分の意見を書き込むことが可能になってきた(かつては、子どもたちの意見を集約してプリント配布したものだ)。

 このタブレット学習の動きはスタンダードになるだろうが、古い人間としては「黙々と相互作用」というのは少し気になるところだ。

 タブレット活用したからといって、深まりのある話し合い活動が達成しているとは言い切れない。
 タブレットを使うかどうかは別にして、国語、道徳を含むすべての授業における向上的変容が、
①資料・教材による感化

②子ども同士の意見による感化

の2つであってほしい。

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August 17, 2022

「黄金の三日間」を支えるマイナスの三日間の戦略

「黄金の3日間」を成功させるには、その前の3日間、つまり、子どもの登校していないマイナスの3日間にやるべきことはたくさんある。

始業式を迎える前の毎日が勝負なのである。

まず、何をするだろう。

大きく分けて3つが想定できる。

 

A 担任する子どもの事実を知る

B 担任する学年の教育内容を知る

C 担当教室の現状を知る(環境整備をする)

Aを細分化する。

1・子どもの環境調査を知る(親子・兄弟関係)

2・子どもの学習成績を知る

3・子どもの生活や行動の様子を知る(リーダーや問題児童)

4・子どもの交友関係を知る

5・学級開き(三日間)の戦略を立てる

 

後になって「○○の弟だったのか」などと気が付くこともあるが、それでは、その子との出会いに失敗したと言わざるをえない。

始業式早々に電話連絡してお願いをする保護者もいる。

何を使って知るか。

環境調査票や指導要録や申し送り用紙、旧担任からの情報である。

ということで、時間があれば、書類やゴム印の差し替え作業を行っておいた方がいい。

学年主任が「後でいい」と言おうと「暇だからやっておきます」と済ませてしまえばいい。

 

★ 差し替え作業を繰り返していると、子どもの名前も覚えやすくなる。

★ 差し替えが早めに終われば、落ち着いて書類に目を通せる。

 

名簿も原簿からコピーしてもいいが、自分で打ち込んでいくとよく覚えられる。

最初は名簿順で座席を決めることが多い。

給食当番や清掃活動も名簿順のグループで決める事が多い。

しかし、成績や問題行動・交友関係によっては名簿順ではまずいこともある。

最初の座席やグループでトラブルが起きては1年間困ってしまう。

最低限「名簿順の座席で問題はないか」だけは確認しておきたい。

 

Bを細分化する。

1・教育課程や教科書を見る

2・教材の選別作業をする

3・その学年の「ヤマ」となる教材を知る(決める)

4・当該学年の前年度の学習内容を確認する

5・授業開きの各教科の内容を決める

 

 一括保管してある部屋からさっさと教科書や教育課程をもってきて、ざっと眺めてみると、当該学年の有名な単元などが把握できる。

「この学年なら、あの実践を追試してみたいな」というようなものも浮かんでくる。

あるいは、自分の手持ちの書籍で、当該学年に関する実践をざっと目を通しイメージを持つ。

この学年で、どんな子を育てたいかについてのイメージを持つ。

また、教材屋さんが持ってきた教材の山をざっと選別してみる。

決められた学年に合わせて、すぐに使いそうなプリント類を準備して印刷をする。

学習用のプリント・自己紹介カードや学級経営用のプリントも用意しておく。

 

Cを細分化する。

1・椅子・机・ロッカー・靴箱など、子ども個々の場所を確認する

   (場合によってはあらかじめ名前シールを貼る・座席を決める)

2・教卓・黒板・掲示板・背面黒板・カーテンなどを確認する

3・掃除道具・ICT機器・コンセント・延長コードなどを確認する

4・ガラスの破損、画鋲、フック、木片など危険箇所を確認する

5・教室保管のグッズ・掲示物を準備する

 

 どにかく担任が決まったら教室やくつ箱を自分の目で確かめる。

 1~4などは前年度の教室管理者の仕事であるが、文句を言っても仕方ないので黙ってやる。

前年度の教室管理者の私物等がある場合は、「よかったら、私が運びますよ」ぐらいのことを言ってでもできれば何とかしてもらう(ということは、自分の元の管理教室の後始末については文句のでないように万全を期しておくこと。好意で残しておいた便利グッズでも嫌がられることがあるので全面撤去しておくべきである)。

 何もない教室で、子どもが初めて教室に入って来る時に、どんな状態にしておくかを決める。

 

・黒板に何を書くか(メッセージ・座席の案内・先生が来るまでの指示等)。

・何を掲示しておくか(カレンダーや花など)。

 

 ざっと10個想起してみた。文房具は当然なので省略。

 

 

①自分の教室にはトイレットペーパーのホルダが取り付けてある。

②ゴミ箱にレジ袋をかけるのは面倒なので、レジ袋をひっっかける形の物を併用している。

③白いガムテープは、文字を書いてそのまま貼れるのでとても便利。1つあるといい。

④大きめの日めくりカレンダーが掛けてある。日直用。

⑤月ごとのカレンダーは、できれば次年度の3月まで最初から用意してあるといい。

⑥掲示用に、使用済みカレンダーの写真の部分が残してある。綺麗なポスターもキープしてある。

 背面黒板の上は授業中の自分の目の休め場所になるので、そこに貼るようにしていた。。

⑦後ろの連絡黒板には時間割用に白線が引いてあるが、消えかかっている時は黄色の細いビニルテープで罫線をつくってしまう。

⑧抽選用に抽選棒やトランプ。

⑨修理用にドライバー。

⑩給食当番の白衣をかけるヒートン(フック)が危ない場合は、プラスチック製の丸いフックにした。

※忘れ物の文房具はは貸せるように準備しておくのが前提である。

 

100円ショップは楽しい。安いので複数購入できる。

本立てとかクリアケースとかは複数揃えると、統一感があっていい。

休日に、100円ショップであれこれ眺めてみるのもお薦めである。

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堀田龍也先生も愛読していた「授業の腕を上げる法則」

 春日井市の小中学校で指導・助言をされてきた堀田龍也教授(東北大学)は、初任の頃、「授業のあげる法則」(向山洋一著)を一気読みし、「教室ツーウエイ」のバックナンバーを買いそろえていたそうです。

その「授業の腕をあげる法則」の前書きには、次のように書かれています。

==================== 

「愛情と熱意が大切です」「自分の授業から学びましょう」「教師の技術は苦労して盗むものです」
 これは確かに大切なことです。 でも、あまりに漠然としています。一体何をしたらいいのか分らないのです。

 手のつけようがないからです。

 まず何をしたらいいのか。次に何をするのか。それをどのくらいやればいいのか。 その結果、どの程度の技量が身につけられるのか。

 こういうことを求めていたのです。(中略)

 いかなる仕事にも「一人前になるための修業の方法、学習の方法」はあるのです。

 ところが、教師の世界には、それがないのです。みんな「無免許」で運転を始めるのです。もちろん教育に関する学問を学び、試験を通過した人なのですから「無免許」は言いすぎですがペーパードライバーということは言えると思います。 

=======================

 

・・・かつて明治図書から発刊されていた向山氏の著書は、現在、学芸みらい社から復刻の形で出版されていますが、書店ではなかなか見ることがありません。「教室ツーウエイ」も廃刊となり、教育書コーナーも随分スペースが減りました。

 ただし、TOSSランドは健在です。https://land.toss-online.com

 堀田教授も学んだ「授業の腕をあげる法則」や「教室ツーウエイ」のエッセンスをお伝えし、「どうやったら教師の腕があがるか」「何をどのように努力していけばいいのか」という疑問にこたえていきたい。そのようなブログを目指しています。

 一生懸命勉強を教えて、子どもが「分かった!」「できた!」と言った時の嬉しそうな笑顔、それはこの仕事を続けていく上での大きな原動力です。
 しかし、そのような腹の底からの実感を得るためには、やはり教師が学び、「授業力」や「統率力」を身につけないといけません。また、最近では「特別支援を要する子への対応力」を身につけることも不可欠になってきています。子どもを取り巻く現状は昔に比べて大きく変わっていますが、熱意をもって真摯に学べば、必ず大きな手ごたえを得られます。その一助になればと願いブログを続けています(別の媒介にした方が、成果はあるのかもしれません。それは検討中・模索中です)。

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改めて『授業の腕をあげる法則』から指導をしたい。

今後の初任者指導の資料を準備しているが、やはり向山先生の著書が原点回帰になる。
◆『授業の腕をあげる法則』の中でも多くの先生方が共感するのが、第4条の「全員の原則」の場面です。
=================
「先生、窓あけていいですか」   ・・ああいいよ
「先生、外で遊んでもいいですか」 ・・ああ、いってきなさい
こんなささいなことをなぜ聞くのだろうと思うほど子供たちは次々に聞きに来る。
「給食を食べ終わったら、片づけていいですか」
「体育の時間の準備体操はだれがするのですか」
「野菜を残していいですか」
 次から次へと、際限なく子供たちは聞きにくる。
 そして、たまに小さなトラブルが生じる。
「先生、前の先生は、全員が食べ終わるまで片づけてはいけませんでした」
 その頃は新卒教師に対する子供たちの質問は数十にものぼっているから、先生の回答のくいちがいも生まれてくる。
 ある子供には「野菜を残して良い」と答え、ある子供には「できるだけ食べてごらんなさい」と答えたような時である。
 一方の子供は「先生は残して良いと言った」と主張し、一方の子供は「先生は食べなさいと言った」と主張するようなことが生じてくる。あまりにもささいなことを何度も聞きにくるので「自分で考えなさい」とつきはなすこともある。それぞれの子供が考えたルールが、独立して歩きはじめる。教師の権威がかすかに落ちはじめる。
 学級の出発に見られた静けさは、少しずつ失われていき、加速度的に騒々しさが教室を支配するようになってしまうのである。
 この間、わずかに2カ月位のできごとである。
====================
 このようなエピソードを採用前に知っておくことで未然防止にはなるでしょう。
 しかし、このようなエピソードが身に沁みるのは、自分自身の経験と重なった時です。
「そうそう、1学期、ホントそうだった」「2か月でクラスがガラガラと音を立てて崩れていった」という苦い体験がある先生の方が、向山先生の言葉はズシンと響くのです。
 1学期を終えた今だからこそ、「2学期はリセットして、スタートダッシュでうまく乗り切ろう」という意気込みが持てるのです。
「指示は全員にせよ」と題したこの章では、次のようなアドバイスも書かれています。
 
手に何か持っている状態で指示をしたのは指示したうちに入らない。
◆おへそを先生の方に向けなさい。
◆指示の追加をしてはならない。
◆最後の行動まで示してから動かせ
苦い経験のある先生は、おそらく、ここでも「まさにそうなんだよね」と相槌を打ちます。
さて、前述のような質問ラッシュの場面は、どこでも起こります。
道徳の授業と同じですね。「このような経験はありませんか?」で振り返り、事例を自分の経験と重ねると意味理解が深まります。
ここでは、私自身の経験と重ねてみます。
=========================
◆ある時、自習監督を頼まれました。「国語のテストを1枚やらせたら、あとは読書」という担任の要望です。子どもたちに「国語のテストが終わった人は、読書をします」と宣言しました。
その瞬間、質問が出ます。
「お昼寝はダメですか」  「自由帳はダメですか」  「折り紙はダメですか」
「いつもはテストのあと、○○もやっていいよ」
・・・先の場面と同じです。
「お昼寝は勉強じゃないから家でやって。」
「先生は読書をしてほしいと頼まれました。読書をします。」と対応しました。
子どもたちは、あきらめて、テスト後、静かに読書をしていました。
=======================ー
・・・今思えば、オウム返しのように「読書です」を繰り返せばよかったと思います。
 あるいは、黒板に「テスト→読書」と書いておけば、余分な質問は受け付けなくてすんだはすです。
 いちいち、子どもの質問や要望に応える必要はありませんでした。
 向山先生が書いているように、対応すればするほど、そのうち先生の回答に食い違いが生じるからです。
 また「この先生はどこまで許してくれるかな」と、ダメと分かっていて試しているだけの場合も多いです。
 「相手にしない」という対応も、策の一つとして持っておくと良いですね。

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元気よく声を出す=セレトニン効果

翔和学園では朝学習で絶叫するように歌を歌ったり、「話す聞くスキル」に取り組むことで落ち着いた授業に取り組んでいると聞いたことがあります。
元気よく活動した方が、その後、落ち着いて授業に取り組めると聞いたことがあるのですが、適切な資料が見つかりませんでした。

かつてネットで似たようなのを見つけました。
すでに閉鎖していて残念です。コピペしてあった箇所を引用します。

http://m-md.net/br/seretn.htm

脳内物質セロトニンが脳を活性化する

◆昔から早起きは三文の徳というように朝の時間を有効に活用することが大事です。
朝は体力的にも精神的にもエネルギーに満ちています。
この朝を心身ともにベストなコンディションに保つには、脳内物質のひとつ「セロトニン」が重要になります。

セロトニンは心とからだのバランスや調子を整える役割を担っています。
セロトニンが増えると心のバランスが保たれ、からだの調子を整える作用が強くなります。
無意識に背筋が伸び、表情が豊かになり心とからだが若々しく保てるわけです。

◆セロトニンを増やすトレーニング
セロトニンを増やすにはいくつかの方法がありますが、継続することが大事なので毎日5分くらいを目安に、無理の無い自分にあった方法で行ってください。

朝目覚めたら布団の中でリズム運動を行う

朝日を部屋に取り込む(日に当たる)

朝食
・・・ここまでは家庭でのトレーニングですね。

以降は朝の学校の役割です。
  
①アイウエオを発声する(背筋を伸ばして、腹筋呼吸を意識しながら発音する)。
②音読や単純計算する。
③笑う(腹筋呼吸のリズム運動がセロトニン神経を刺激する)
④リズム運動・ダンス運動
(体幹を使った運動・全身を使ったリズム運動はセロトニン神経を刺激する。ラジオ体操やフラフープなども同様)。
⑤歌う

朝放課や朝の会の役割が大きいことが分かります。
朝登校したら、元気よく遊ぶ・笑う・部活の朝練
朝の会で歌を歌う・音読する・暗唱する・大声を出す・簡単な体操をする・・

何らかの行動によって脳が「喜び」を感じたときにドーパミンは分泌され、人間に「快感・快楽」をもたらします。
脳はその快感をもたらした行動をよく覚えていて、また同じようにその快感を再現しようとします。
これが「学習の強化」です。


なお、ドーパミンがどっと出たあとは、セロトニンもおおいに分泌されます。
セレトニンが出ると、気持ちが安定します。落ち着いた授業が可能になります。

というわけで、登校したら「元気よく声を出す」なのだなと思います。

朝の挨拶や健康観察で、まずは元気よく声を出して緊張を解くことが大切ですね。

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「あたりまえ」総点検

(1)「合言葉はABC」

何の頭文字だと思いますか?

A:あたりまえのことを
B:バカになって・バカにしないで
C:ちゃんとやる

 ちゃんと本もあるんですよ。
「あたりまえのことをバカになってちゃんとやる」(小山一慶)サンマーク出版

http://www.sunmark.co.jp/local-cgi/hpage/search1_isbn.cgi?isbn_cd=ISBN978-4-7631-917-1

 小山さんは書いています。

 ABCを実践している人は、運がよくなり、人生がうまくいき、幸せになれる。
 たとえば掃除一つをとっても、誰にも負けないくらい、来る日も来る日も同じ場所を徹底的にやる。
 あたりまえのことを、バカになって、ちゃんとやることで、これまで見えなかったものが見え、気づけなかったことに気づけるようになる。

・散歩のついでに富士山に登った人はいない。富士山の頂上に立つ人は「富士山に登ろう」と思って、一歩一歩、歩いてきた人達ばかり。
・小さな意思決定をどれだけ積み重ね、精度を高めてきたか。それが意思決定力となり、ここぞという大きな意思決定の場で発揮される。

引用するとキリがありません。

 

(2)NHK「プロフェッショナル」で特集されたパテシエ杉野実氏。
http://www.nhk.or.jp/professional/2006/0124/index.html

「おいしいお菓子を作るためには、地道な作業を、手を抜かずにやるのが必要だと杉野は言います。

 お菓子の飾り付けに使う木いちごを使います。何が大切ですか?
 ※一粒ずつ調べて、熟していないものや傷んでいるものは絶対に使わない。

お菓子を焼きます。何に気をつけているでしょうか?
 ※焼き時間を秒単位で守ること、
 弟子がうっかりオーブンを早めに開けてしまった焼き菓子はすぐさま捨てる。

お菓子にお酒を染み込ませます。何に気をつけているでしょうか?
※お酒の量をグラム単位で守ること

隠し味に使うショウガを使います。何に気を付けているでしょうか?
※2ミリに切りそろえること。弟子が切ったショウガは3ミリでは食感が悪いからと全部2ミリに切りそろえていました。

クリームをのせます。何に気をつけているでしょうか?
※体温がクリームの味が悪くならないように、クリームを絞っている時も手を氷につけて冷やします。

 30年菓子づくりに徹してきた杉野さんが大切にしている言葉
=====================
 あたり前のことが一番むずかしい」
===================== 

 杉野さんが3年間弟子入りの手紙を出し続けてやっと入れてもらったあるフランスの有名店。
 しかし、そこで出されるお菓子のレシピは料理学校のものと変わらなかった。
 特別な食材も使っていなかった。
 それでもおいしい理由は、「あたりまえ」の徹底だった。

・・・なんと素晴らしいエピソードでしょう。
当たり前のことが当たり前にできる特別な存在になるためには修行が欠かせないことが分かります。

◆職人の仕事は、毎日毎日、同じ作業を繰り返しているように見えるが、実はそうではありません。

今日50分かかった作業を明日は45分でやろうという進歩。
同じミスを繰り返さないように手順を変えてようとする進歩。
常に、その時点での最高の味を作り出すという味の進歩。
いつものフルーツをいつもの作業で触りながら、これを違うお菓子に使えないか、考える。
いつものお菓子を作りながら、ほかの素材を加えられないか、考える。

杉野さんの店に並ぶお菓子は、同じ名前のものでも、10年前に比べると、そのほとんどが、味の「進化」を遂げていると言う。
 
====================
 あたり前を積み重ねると特別になる
====================

◆発想が行き詰ったとき、杉野はいつも、日常の作業に没頭する。
いったん、問題から離れ、いつものように生地を練り、ムースを絞り、あたり前の仕事をあたり前に繰り返す。
そのなかで、今、何が一番大切かを見つめなおす。
いつものフルーツをいつもの作業で触りながら、これを違うお菓子に使えないか、考える。
厨房という現場にこそ、答えはある。

しびれます。2006年にこの杉野さんの特集を見て衝撃を受けて、今に至っている。何かあると引用している。


(3)落合監督の言葉「当たり前のことを当たり前にやるのが、一番難しい」

2011年、プロ野球セリーグで優勝した中日ドラゴンズの落合監督が退任することになりました。
落合監督は、「俺流と言われてきたが」という問いに対して、次のように語っていました。

◆普通のことをやらせることができるかどうか。
継続してやろうと思ったら、基本に忠実に。
だから、書く側も見る側も面白くない。こつこつが一番近道だし、現実的。
私の中で、らしい野球というのは普通のことを普通にできるかどうか。考えている次元が違う。
当たり前のことを当たり前にやるのが、一番難しい。(11月23日の中日新聞)

・・・名言です。「当たり前」の効用は、常勝チームを率いた落合監督の言葉だから重みがあります。

 

(4)「当たり前のことを当たり前にやる」とは、どういうことか?

http://attax-sales.jp/blog/000389.html

「誰もできないことを、できるようになる」
 それもいいですが、
 「誰もができることを、し続けられるようになる」
 習慣をまず身に着けませんか。
 それが「当たり前のことを当たり前にやる」ということだと私は考えます。
 そしてそれこそ、最大の差別化戦略になると私は信じています。

 

(5)当たり前のことを当たり前にやる
http://bravo365.doorblog.jp/archives/1343513.html

 学生においては、勉強をすることは当たり前のことです(ちょっと厳しいですね)。
 会社においては、㈰正しい品質を確保する。㈪納期を守る。㈫情報を正しく伝える等が「当たり前」のことになります。
 また、不明な点は確認をとるのが当たり前のことです。「May I〜?(〜してもいいですか。)」が全ての基本になります。
 約束を守る(守れない約束はしない)、時間を守るのも当たり前のことです。
 ただ、現実社会では、アクシデント等があって約束や時間が守れないこともあります。
 当たり前のことが当たり前になされていない場合、以下の事項が考えられます。


(1)うっかり不注意
(2)面倒くさいので、つい決まりを守らなかった場合。
(3)面倒くさくてメモをとらずに、情報を正しく伝えられなかった場合。
(4)疲れていてのミス(不注意)
(5)物事を甘く考えてしまい、自己判断でこのぐらいは許されると思った妥協があった場合。
(6)論理よりも感情が優先してしまい、してはいけないことをつい、してしまった場合。

当たり前のことを当たり前にやるには、決まりと手順を守り、行動する忍耐力が必要になってきます。
当たり前のことを当たり前にやっていると、叱られることもありませんし、トラブルを未然に防ぐことができます。
みなさんも、最高品質を目指す前に、まずは「当たり前のことを当たり前にやる」ところから始めてみてはいかがでしょうか。

 

(6)「凡事徹底 −平凡を非凡に努める−」(鍵山秀三郎)致知出版 

 

 帯には「微差の積み重ねが絶対になる!」とあります。

 この書を引用したビジネス系のサイトもたくさんあります。 
http://www.enbiji.com/2004/12/post_151.html

 ☆本から得た気づき
▼『小さなことを徹底する』
するとどんなことが起こるか?
まず、「能率」「効率」があがりますね。これは徹底することでムダをなくすことができるからです。
次に「人間の幅」が広がります。自分だけではなく、周りのことも考える余裕ができますからね。
その結果「人格が高まる」。ひとつひとつはささいなことであっても「徹底」ということがそこまでの高いレベルへとつながっていくんだなということが、この説明を聞いてわかった気がします。
どんなことでも研究でもいきなり大きなことはできません。
基礎研究の積み重ねが、商品開発において大きな花を開くことはある意味当然なんですね。

▼『そのうちまとめて』
これではだめです。「良樹細根」という言葉があります。
良い樹というのは必ず根が細く広く張っているんです。
だから簡単にも倒れないし、栄養もたくさん取り込むことができます。
細い根を広げるためには、まとめて!というのでは駄目。毎日毎日
少しずつ積み重ねていくことで根を張ることができるんです。

 

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年度初めにやっておきたいことは定点観測(実態調査)である。

「やる気わくわくチェック」を使ったことはありますか?

正進社のテストでない頃は自作で作っていました。これは向山洋一先生が実際に使ってきたものです。
これは定点観測です。
4月に実施した後、学期末などに見なおすことで1年間の自分の成長や変容が確認できます。
だから、年度当初に忘れずに実施日を確定しないといけません。
あとからやっても意味がないのです。

同じく年度初めにやりたいのが学力チェックです。
今は正進社のテストについています。

担任としては、子どもの年度当初の学力チェックをきちんとしておきたいです。

そして、子ども自身にも前学年の学習がどれだけ習得できているかを意識させたいです。

できれば保護者にも分かってほしいです。

ところで、漢字のプレテストについて、椿原正和先生は、「これは教師が1年間保存しておかないといけない」と言われました。

なぜだと思いますか?

それは「保護者から子どもの学力について疑問や抗議があった時に決定的な証拠になるから」です。

4月当初の学力のデータが残っていれば、なかなか成績が上がらない子の保護者も納得せざるをえないのです。
また、椿原先生は、国語講座で次のように言われました。

「お礼の手紙や案内状・報告書など、きちんと書かせるなら年間3回は指導したい」


3回やらせいと取組があるとしたら、いつといつといつを位置づけるのか。
そこをきちんと見通しておかないと、3回実施できなくなってしまいます。

おそらく外部講師などの本番前に2回ほど練習しておくと良いと思います。

「子供同士」「保護者向け」を経て。本番の外部の皆さん宛」です。

①年度当初に取り組ませたいもの
②年間通して継続させたいもの
③担任として1年間保管しておきたいもの

は、何でしょう。これはマニュアルではなく、先生自身の「こだわり」で構いません。

ノートに書いてみてください。

たとえば、次のような取組が考えられます。
①始業式の日の宿題にした「1年の抱負・目標」を保管しておく。

②最初に好きな子同士のグループを作った時のメンバーを控えておく。

③バスケットのシュート数を年間通して記録しておく。

などなど。

年度当初の把握しておきたいデータは5月に実施しても意味がありません。

そこを、きちんと確立しておかないと、後手後手に回ってしまいます。

だからこそ、年度当初の構想が大事なのです。

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「子どもの自尊感情を高める授業」は、教師の自尊感情も高めます!

次のようなPRがあります。

子ども達が変化する。
第一に、やる気になる。
第二に、熱中する。
第三に、何度でも挑戦する。
第四に、負けてもへこたれない。
第五に、「ルール」を守るようになる。
第六に、子ども同士の交流、コミュニケーションが展開される。
第七に、賞状をもらい、充実感、達成感を味わう。
第八に、クラスが一つにまとまる。

 

これは「ペーパーチャレラン」の紹介ですが、五色百人一首やソーシアルスキルカルタ、ふれあい囲碁、など多くのTOSS教材ならあてはまりそうです(TOSS教材に限るわけではありません)。
 ペーパーチャレランのチラシには次のようにあります。

TOSS教材の「ペーパーチャレラン」は、「五色百人一首」「名句百選カルタ」「スーパーとびなわ」くるりんベルト」「百玉そろばん」「TOSSノート」「赤ねこスキル」「話す聞くスキル」と同様に必須の教材である。
 教室がまとまり、子どもがやる気になり、子どもの学力が急上昇し、授業が楽しくなるのである。

・・・これは、子どもの視点から見た教材のよさです。
また、「話す・聞くスキル」の審査見本表紙には向山先生の言葉が次のようにあります。

日本で初めての音声言語スキルです。教室が爆笑につつまれました。
子どもたちが熱中しました。「先生、毎日やろう」と言われました。
すぐれた教材は、子どもの意欲をのばし、子どもに力をつけ、子どもを知的にします。
この教材ですばらしいクラスをつくって下さい。

 

 教師の視点で考えてみると、どうでしょうか?
 子ども達がやる気になり、熱中し、何度でも挑戦し、負けてもへこたれない。
 「ルール」を守るようになり、子ども同士の交流、コミュニケーションが展開され、充実感、達成感を味わい、クラスが一つにまとまる。
 このような成功体験を味わったら、教師の自己有用感はぐんとアップするはずです。
 よい教材を使うと、教師のセルフエステイームが上がります。
 自信のない教師・クラスをまとめられない教師こそ、優れた教材を使って成功体験を積み、自信を回復してほしいのです。

 向山先生は次のように述べています。

どの子も大切にされなければならない。

 一人の例外もなく、そのためにすぐれた指導、すぐれた教材が必要だ◆

 

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学級経営・学習指導の基盤は「楽しいことをする」に尽きる

1 「楽しいことをする」が95%  

最初のQ 向山先生は、学級経営で最も大切なことをたった1つあげるとしたら「楽しいことをすること」だと話されました。

私の学級経営は「楽しいことをする」と「管理をする」の比率が3:7ぐらいだったと、とても反省しました。

向山学級は、「楽しいことをする」と「管理する」の比率はどのくらいですか。

向山先生のA
「私の精神としては95パーセントと5パーセントです。

管理することが5パーセントで、楽しいことが95パーセントだと思います。」

「3:7だったというのは、実際はウソでしょう。

子どもから言わせたら、管理100パーセントと感じられると思いますね。

~『学級づくりー集団への対応Q&A事典』より~

 

2 「好き」という感情が「理解」「思考」「記憶」を促す 

 

◆脳では、情報に対して最初に「好きだ」「嫌いだ」といった気持ちが発生する。

「嫌いだ」というマイナスのレッテルをはると、脳はその後に控える「理解」「思考」「記憶」という過程で、そのレッテルに引っ張られ、考えたり覚えたりする機能がしっかり働かなくなる。

◆一方自分が好きな事や自分のためになると感じることに対しては、頭がよく働いて、いいパフォーマンスを上げられる。

~『脳に悪い7つの習慣』より~

 

・・・第一印象の「好き・嫌い」が、その後の1年間の学級経営・教科経営を左右します。

 だからこそ、最初の出会いが大事なのだと脳科学が実証しています。

 「先生が好き」「授業が好き」という第一印象を与えることが大事です。

 

3 楽しいことをするとドーパミンが出て強化される

◆何かをやっていて、うれしいとドーパミンが出ると、快感を生み出す行動が次第にクセになり、繰り返していくうちにその行動が上達していく。→「強化学習」。

◆ ドーパミンが出て、喜びを感じると、人間は変わります。だから、子どもはしかっているだけでは伸びないんです。褒めてあげないといけないんです。

~茂木健一郎『脳を活かす勉強法』他~

 

4 ドーパミンを放出させるコツは、「目標レベルの設定」

簡単にできてしまうことをやり終えてもドーパミンは出ない。逆に難しすぎる目標でも途中で投げ出してしまう。

→「全力を出し尽くした時に、やっとできそうなレベルを目指す」ことが大切。

 

5 プレゼンの極意はアリストテレスの修辞学

昨年7月、たまたまテレビで見た番組に衝撃を受け「実践!英語でしゃべらナイト7月号」のテキストを買いました。
 ◆プレゼンの極意は、2300年前にギリシャでアリストテレスが「修辞学」で述べている。
 ◆修辞学は公衆に向かって効果的に話し、伝える技術です。

という解説に、まずはびっくり。

「公衆の面前で話すこと」、つまりプレゼンテーションの極意がここにあります。


アリストテレスは、公衆の面前で話すこと(プレゼンテーション)は、3つの要素(ロゴス、パトス、エトス)のバランスだと言いました。(P19)

「ロゴス(論理) パトス(感情) エトス(信頼)の3つのバランス」と言われてさらにびっくり。

◆アリストテレスはこう言いました。「人間はとても感情的な生き物である。人を説得しようとするとき、私がどんなに論理的でも、もし感情に訴えかけることができず、自分の味方についてくれるような感情を彼らに抱かせることができなければ、その説得内容が何であれ、すべては無駄」なのだと。(P36)

 これは自分の正しさだけを攻撃的に主張するパッシブでは相手を説得できないと述べる「アサーション・アサーテイブ」の考えとも通じます。

「アリストテレスはロゴス、パトス、エトスの3つのうち、エトスを最重要としました。なぜでしょう?(P54)」

という問いに対する解説にも納得。中身の濃いテキストでした。
 エトスの要所をメモ書きしておくと

  1. 聴衆は最初の2分であなたを判断します。
  2. プレゼンで信頼感を与える最良の方法は、聴衆を一番に考えることです。
  3. 最終的にはあなた本人が聴衆に受け入れられ、信頼されるかどうかにかかっているのです。


 自分は、ロゴス(論理・ロジック)ばかり優先してきたように思います。

しかし、理屈だけでは人は動きません。だから、アサーションを知った時も反省しました。

 今回、ロゴス・パトス・エトスについて知り、いかに独りよがりであったことかと痛感しました。

  • 楽しい授業をする
  • 達成感を与える
  • 安心感を与える
  • どの子も大事にする

人は感情で左右される動物です。

だからこそ「好き・楽しい」という感情を抱かせることが信頼に繋がり、安定した授業、安定した学級経営に繋がっていくのです。

 

〜TOSSデー春日井2012資料より〜

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何もしなければ荒れていく〜「エントロピーの法則」〜

TOSS高段者の伴先生は次のように言います。
==============
 そもそも学級というのは、何もしなければ荒れるようになっているのです。学級だけではありません。ありとあらゆる組織がそうです。
ですから、それに対応する対応策というものを持っていなければ、荒れて当たり前です。

===============
 学校・学級は放置すれば必ず荒れていきます。

 「なんとかなる」 

「しばらく様子を見て」
という程度の意識では、荒れは確実に増大します。

 だからこそ
「アドバルーンを叩け」
「荒れの始まりですばやく芽を摘んでしまえ」
という鉄則が有効になります。


ところで、荒れに素早く対処しなければと気負うあまり、人間関係も不十分な状態で厳しく叱って効果はあるでしょうか。
「何が悪いかを知らない」子どもの場合は「厳しく叱る」ではなく「教えてほめる」必要があります。


アリストテレスはこう言いました。
 「人間はとても感情的な生き物である。人を説得しようとするとき、私がどんなに論理的でも、もし感情に訴えかけることができず、自分の味方についてくれるような感情を彼らにいだかせることができなければ、その説得内容が何であれ、すべては無駄」なのだと。(P36)

アリストテレスは (論理) (感情)(信頼)の3つのうち、信頼を最重要しています。
 プレゼンの極意の本には、次のようにありました。
①聴衆は最初の2分であなたを判断します。
②プレゼンで信頼感を与える最良の方法は、聴衆を一番に考えることです。
③最終的にはあなた本人が聴衆に受け入れられ、信頼されるかどうかにかかっているのです。
アリストテレスの主張は「効果的に話す」「説得」「受け入れられる」
ための極意ですから、「注意する」「叱る」場合の極意でもあると考えられます。

注意が効果を上げるには、相手との信頼関係が大切です。
信頼を築く前に、厳しく対峙するのは高段の技であると思います。「うわべだけ高段者の先生のまねをすると火傷する」と言われる所以です。

 

もちろん、「最初にびしっと注意する」という行為が、「信頼」の第一歩ということも考えられます。
 毅然とした態度を保ち、アドバルーンをたたくことで、本人も周囲の子も、
「今年の先生はちょっと違うな!」
「今年の先生、なかなかやるな!」
と思うからです。
 やんちゃ君がやんちゃしないように先手をうつことも大切な戦略になると思います。

 

繰り返しますが、「最初から叩く」「ビシッとやる」がベストではありません。基本線は「できたら褒める・やろうとしていたら褒める」の即時的なフィードバックです。

ただし褒め言葉が安っぽいと「言葉のインフレ」を起こし、通用しなくなりますので、その点も注意が必要です。

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低学年から、子供を鍛えよう!

1年生のうちから「論理的な思考を育てる」というと驚くかもしれません。

しかし、

「論理とは『他者意識』から生まれる」、

『自立心』が論理力を発達させる」

という指摘を考えると、小さいうちから論理的な思考を鍛えることの大切さが分かります。

 

保育園・幼稚園に入ると自分の気持ちをわかってくれない相手(他者)・自分の思い通りにならない相手(他者)の存在を知る。そうなると、必然的に筋道を立てて説明しようと思う。だから、そこに「論理」が生まれる。

                   ( 出口旺 「論理ノート」 )

 

他者を意識し、他者に向かって筋道を通す。それが「論理」である。だから、依存心が強い子供は、論理を扱うことができないのだ、とも書いてありました。

他者意識に欠けていて論理的な思考も不十分な子・依存心の強い子とは、たとえば次のような子です。

 

①思い通りにならないからとすぐ切れて、我を通す。

②思い通りにならないと泣き叫んで、我を通す。

③思い通りにならないと押し黙って、誰かに何とかしてもらう。

 

・・・自分を表現できず、自分の気持ちを伝えることができない子は、言葉でなく感情で我を通したがることがあります。

きちんと言葉で伝えさせる・相手に分かるように伝えさせる指導が大切で、それは「心の指導」であるとともに、「論理的思考・論理的表現力の指導」です。

 

「書く速度」を鍛えましょう!

低学年の授業で課題になるのが、速い子と遅い子の時間差です。

1つの課題を出して、今から書きはじめる子がいるそばで、「先生、できました!」と出しに来る子がいたりします。

書くのが遅い子への対応にはいくつかあると感じています。

  1. 「今から○○と書くよ。はい鉛筆もって」など、書く準備をさせる。

鉛筆を持つというスタートラインを揃えないと、あとは差が開くばかりである。

 

②「先生と同じスピードで書くよ」と、読み上げながらゆっくり書かせる。

スピードの基準が先生の書く速さであることを示す。

 

 ③ 教師が書く内容をあらかじめ読み上げる。

音声で示すことで、黒板を見て書き写すロスを省くことができる。

 

 ④ 板書を書き終えて、数秒後には「書けた人?」と挙手させる。

   のんびりしている子もいるので、競争意識をかきたてる。

 

⑤ 先生と同じスピードで書いた子を「すごい、もう書けた!」と書いた子をほめる。

前任校の3年のクラスでは、速い子を「スーパー3年生」と呼んでいた。

できたことを適切に評価してあげることが今後の意欲につながる。

 

⑥ 速い子と遅い子の時間調整の課題等についても、きちんと計画を立てて

おくとよいです。くれぐれも先生の前で点検を受ける子の渋滞の列ができないようにご配慮ください。

 

いずれにしてもノートに書く内容を厳選するとよいです。

低学年だからと、ゆったりすぎるスピードだと子どもがだらけてきます。

時間を意識してスピードアップさせたり、競争させたりする場面も時には必要だと思います。

 

 ※速い子が優秀とは限らないし、遅い子の能力が低いとは限りません。

  速く書くことより、ていねいに・正確に書くことの方が大事だと伝えてください。

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August 05, 2022

学習の自己評価例(道徳)

中学校のある道徳教科書には、次の4段階の到達レベルの自己評価チェックがあるそうだ。~「危ない道徳教科書」P144~
===================
レベル1:意味はわかるけれど、大切さを感じない
レベル2:大切さや意味はわかるけれど、態度や行動にすることができない
レベル3:大切さや意味は理解していても、態度や行動にできる時とできない時がある
レベル4:大切さや意味は理解していて、多くの場面で態度や行動にできている。
==================
なるほど!
ただし、4つの文の書き方が不統一だと思う。
「Aはできるけれど、Bはできない」という言い方もすごくネガテイブだ。
1:意味はわかる    ・大切さを感じない
2:大切さや意味はわかる・態度や行動にすることができない
3:大切さや意味はわかる・態度や行動にできる時とできない時がある
4:大切さや意味はわかる・多くの場面で態度や行動にできている
と直してみたが、文章の微妙な表現の差を無視したいなら、表で考えればよい。
   
   意味  大切さ  態度・行動
1  〇   ×     × 
2  〇   〇    ×
3  〇   〇    △
4  〇   〇    〇
「やってみようかな」が態度、「やってみた」が行動と考えると
==========================
意味が分かるー価値が分かるー態度で示せるー行動で示せる
==========================
の4つのステップで捉えることができる。
ただし、道徳の評価に「行動できるかどうか」を入れていいのかは、別の問題。
そもそも、道徳の授業の目標は、「心情を育てる」「判断力を育てる」「実践意欲・態度を育てる」
「行動できる」までは求めていない(「道徳的実践力を育成する」の解釈にもよるが)。
だから、最初のチェックに戻ると、レベル4の「行動する」をはずして、3つのレベルで良いことになる。
1:意味はわかる  ・大切だなと思わない
2:大切だと思う  ・やってみようと思わない
3:大切だと思う  ・やってみようと思う
寺脇氏も書いているが、このようなチェック表を使うと、いかにもレベル3・レベル4が正しいのだと誘導することになる。
冒頭の表の場合、道徳の授業では求めていない「行動レベル」までを、明らかに要求している。
自己評価のチェック表としては参考になったが、そのまま「道徳」で使うのは、問題があると思う。
参考にできるところのみ、参考にしよう。

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August 04, 2022

日本の命運をかけた宇宙開発

堀江貴文氏の宇宙開発は、趣味や道楽ではないことが、以下のサイトでよくわかる。https://dentsu-ho.com/articles/8066
内燃機関エンジンのレッドオーシャンで日本に勝てない欧・米・中が撤退してEV移行を目論んでいる。
それなのに、一人勝ちの日本が自分からEVのレッドオーシャンに飛び込むってどういうことなの?という危機的状況だ。
EVシフトによって、日本の自動車産業が大打撃を受けることが明らかになった今、日本はオールジャパンで宇宙開発に取り組むことが、国家としての最善策だ。
=====================
自動車はEV(Electric Vehicle、電気自動車)の時代といわれていますが、EVはバッテリー、モーター、コンピュータを買ってくれば、誰でも作れちゃう。HV(Hybrid Vehicle、ハイブリッド車)や水素よりも、ずっと簡単です。いま、技術でかなわないEUや中国が、日本車をつぶしにきているのではないかとさえ思います。そうなったら、日本の自動車産業が持っていた貴重なサプライチェーンが破壊されてしまう。
それでも僕は、宇宙産業でかなりの程度、日本のサプライチェーンを吸収できると考えています。日本は各地に、自動車、造船、鉄鋼などの集積がある。これ全部、宇宙産業につながります。ロケットや衛星は国家安全保障、経済安全保障につながるものなので、国内で製造し、部品も国内で調達する必要がある。オールジャパンでやるしかない。
宇宙は「産業の総合格闘技」です。例えば特殊鋼の技術。そもそも特殊鋼が作れる国は世界に数えるほどしかない。日本は百年の鉄の歴史があり、資本市場も充実している素晴らしい国です。ロケット産業を育成することが、価値の継承につながります。
====================
・・・加えて、日本の「地の利」まで意識したことはなかった。それも、幸運の女神のおかげか。
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例えば東南アジアの国の多くは、自前の観測衛星が欲しい。でもそれを運ぶロケットを作れない。それで日本に頼もうとなる。受注はたくさん取れます。
日本が他国より優れている点は、“地の利”です。ロケットは東か南に打ち上げます。静止軌道は南なので、特に赤道近くが有利。低軌道は東で、ある程度の高緯度が有利です。
アメリカは、「静止軌道はカリフォルニア州」「低軌道はフロリダ州・テキサス州」など場所を変えます。その点、インターステラテクノロジズがある北海道・十勝には地の利がある。東も南も、空がキレイに空いている。“東と南が抜けている”アドバンテージ。これは先進国で、日本しかない。
=========================
堀江氏が宇宙ビジネスに取り組んでいるのは、趣味や道楽ではない。
自動車産業の今後が怪しい中、そこに特化することで多くの雇用が確保できる。
個人の利益のためでもあるとは思うが、国益を担っていることが間違いない。
「勝手にやれば」とお任せしていいレベルの話ではない。
オールジャパンの問題なのだ。

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「モノづくり日本」に対する敬意を育てたい

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8月2日の「虎ノ門ニュース」のゲストは、上島嘉郎(かみじまよしろう)氏。月刊「正論」の第二代編集長だった方だ。
5月に「復刻・岸信介『日本戦時経済の進む途』」を出された知識をもとに、火曜特集の「経済学者があまり語らない経済の話」をされた。
とても感銘を受けた。https://tora8.tv/archive/20220802
視聴していただければ済むことなのだが、自分の理解した思いを大雑把にまとめると
============
元々、西洋にとって労働は「罰」であるから、上流階級の国民は「金融・情報」など働かないで稼ぐことに腐心している。
一方、日本は古来「働くことが美徳」であり、モノづくりに精通する「匠」の生き方に敬意を表してきた。小学生のなりたい職業のトップに「大工」だった時期もある。
日本は、日本らしさ・日本人らしさを生かしてモノづくりに精を出し、会社と個人が一体化して、国全体の発展を支えてきた。
今は、西洋の後追いをし、日本の素晴らしさ・日本人の素晴らしさを捨てている。本当にそれでいいのか・・・
====================
30年間、給料はほとんど上がらなかったが、物価も上がらなかった。
給料は上がらなかったが、雇用は比較的守られてきた。良くも悪くもそれが日本。
給料は上がらなかったが、100円ショップ、100円のコンビニコーヒー、100円のマック商品や一皿100円の回転ずしがある。
メルカリやブックオフのような所で中古品を買うこともできる。(だからデフレで、だから給料は上がらないのです)。
今ニューヨークで仕事をしている息子の話によれば、ラーメンを食べると5000円はすると言う。
レストランのウエイトレスの週給は1500ドル(約20万円)まで高騰しているというから、物価も給与も異常な世界だ。
上島氏の提示した資料に驚いた。
所得倍増計画を出した池田勇人政権の前、岸信介政権の経済政策は、日本の美徳に合致していた。
◆利益のみを追求した自由放任主義は合わない
◆一人勝ちして搾取するような経済活動は合わない
◆お互いが利益を共有するような経済活動が合っている。
戦後の日本の状況は
◆戦後の高度経済成長期の日本は自分達のやり方で経済を立て直した。
◆その結果、1980年代まで日本経済は世界を制覇する成長を見せた。
◆米国によって経済場面「金融」と「情報」にパラダイムシフト
◆その仕組みに乗って経済発展しようと日本は無理をしている
◆そこに向かった日本の方向は正しかったのか。
今さら昭和の栄光を語ってどうするのかとの意見もあろう。
しかし、日本がこれからも発展していくためには、こういう経緯で日本が発展してきた事実は伝えていく必要がある。
上島氏は、自分の利益しか追求しないホリエモンを批判していたが、そこは少し違う。
今、ホリエモンは日本のモノづくり(特に自動車産業)の叡智を生かして宇宙産業に取り組むよう提言している。
==========================
宇宙は「産業の総合格闘技」です。例えば特殊鋼の技術。そもそも特殊鋼が作れる国は世界に数えるほどしかない。日本は百年の鉄の歴史があり、資本市場も充実している素晴らしい国です。ロケット産業を育成することが、価値の継承につながります。
============================
 若者は「金融、情報」への関心が高い。
 汗をかいて働くなんて、、苦労するなんて、、我慢するなんて、、という風潮もある。
 堀江氏も、その代表格なのだが、ロケット構想は違うんだよな。
 さまざまな事象に対して「それでいいのか」という問題意識をもって、未来を背負う子どもたちに何を教えれば良いかを考えていきたい。

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August 03, 2022

3年道徳(光村)の「よごれた絵」

うっかり友だちの絵を汚してしまった主人公が、葛藤の末、きちんと謝ることを選んだ話。
雑巾でキャッチボールをしていたんだから「わざとじゃない」という言い訳は通用しない。
謝るかどうかというよりも、ルール違反でアウトの状況だなというのが、正直な第一感であった。。
さて、教科書付録のワークには本時の話し合いの大きなテーマが次のように示されている。
◆わざとではなくても、悪いことをしてしまったとき、正直に言わなければいけないのは、どうしてでしょう。
・・・「どうしてでしょう」って聞かれても、子供には難しいなと思う。
そんなの当たり前だよと思っている子が大半だからだ。
逆の行動を想定してみれば分かる。
◆雑巾をキャッチボールをしていて友だちの絵を汚してしまったとき、「わざとじゃない」なら正直にいわなくても良いのですか?
だから、次の謝罪の場面も、子供にとっては「そりゃあそうだよね」になってしまう。
◆「ぼく」があきらさんに自分のしたことを打ち明け、心からあやまったのは、どうしてでしょう。
子供たちはお利口だから、
①自分がされたら嫌だから。
②あとでばれるより、先に言った方がすっきりする。
③いつまでも黙っていたら、心がもやもやする
などの意見を出す。
ここは「黙っている」と「謝る」を対比させて
「このまま黙っていると・・・・だから正直にあやまることにした。」
「このまま黙っているより正直に言った方が・・・だから正直にあやまることにした。」
のように話型にあてはめると、答えやすいだろう。
教科書には、タイトル横に、次の吹き出しがある。
「ごめんね」って言うのは勇気がいるよね。
そう、謝ることは勇気がいる。
ただし、それは「勇気」というよりも「覚悟」だろうか。
自分の非を認めれば、怒られるかもしれないし、嫌われるかもしれない。
人には誰でも強い心と弱い心がある。
この場合は「正直に謝ろう」という「強い心」と、「わざとじゃないから黙っていよう」という「弱い心」だ。
だから、謝れない人の「心の弱さ」に共感しながら、正直に謝れる強い心の人に一歩でも近づくための授業でありたい。
内容項目は「正直・誠実」だが、勇気・謝罪・素直・思いやり・公共心・ルール・マナーなどが絡んでくる資料だ。
おまけ(1)
許してくれる温かい集団でないと、謝ることはできない。
「このクラスのみんななら、こういうことがあっても、許してあげるよね」という確認があるとよい。
これが「寛容」
おまけ(2)
「四知の教え」
天知る、地知る、我知る、他(相手)知るという言葉がある。
いくら隠しても秘密は、いつか分かってしまう。
誰が知らなくたって、自分の過ちは自分が一番よく知っている。
他人はごまかせても自分はごまかせない。
自分に嘘をつく人間にはならないようにしたい。
おまけ(3)
3年生には難しいかもしれないが、「後悔」「反省」「葛藤」などの言葉は早い段階で使えるようにしておくとよい。
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教科道徳における価値項目の対処

A:平成20年【「心のノート」作成にかかる文部科学省のコメント】
 今ほど調査官からご説明申し上げました中に、低・中・高学年それぞれに規範にかかわる内容として、人間として絶対してはいけないことということに係る内容を記述をしておりました。特に、このたびの学習指導要領の改訂に係る中教審の審議におきまして、殺すな、盗むな、うそをつくなといった根源的なことについてしっかりと考えていかなきゃいけないということを提言をいただいております。学習指導要領にも低学年から人間としてしてはならないことをしっかりと指導していくといった学年段階ごとの配慮事項ということも示されております。
平成20年10月「心のノート」の改善に関する協力者会議(第2回) 議事録より
B:平成29年【指導要領改訂の経緯にかかる指導要領解説】
 「特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるものと言わなければならない」、「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、誠実にそれらの価値に向き合い、道徳しての問題を考え続ける姿勢こそ道徳教育で養うべき基本的資質である」との答申を踏まえ、発達の段階に応じ、答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の児童が自分自身の問題ととらえ、向き合う「考える道徳」「議論する道徳」へと転換を図るものである。P2
 Aは、教えるべき点はきちんと教えろという方針。「教え込む」と言い換えても良い。
 Bは、特定の価値観を押し付けたり、言われるままに行動したりする人間を育てるなという方針。
 Aの対極にBがある。
 2002年公表「心のノート」、
 2014年公表の「私たちの道徳」の延長上に
 2018年「教科道徳」があるわけではないことがわかる。
 Bの指導要領解説には、次のような記載もある。
◆道徳性を養うことを目的とする道徳科においては、その目標を十分に理解して、教師の一方的な押し付けや単なる生活経験緒話合いなどに終始することのないように特に留意し、それにふさわしい指導の計画や方法を講じ、指導の効果を高める工夫をすることが大切である。(P20)
 ただし、内容項目の部分をで見ると、教えるべきは教えるAタイプの指導が残っている。
【「善悪の判断、自立、自由と責任」の内容項目の概要】
 人として行ってよいこと、社会通念として行ってはならないことをしっかりと区別したり、判断したりする力は、児童が幼い時期から徹底して身に付けていくべきものである。P28
【「正直・誠実」1・2学年の指導の要点】
 いけないことをしてしまったときには素直にその非を認め、あやまることができるとともに、人の失敗を責めたり笑ったりしないようにし、正直で素直に伸び伸びと生活できる態度を養うようにすることが求められる。P31
※社会通念上やっていけないことは「やってはいけない」。
※いけないことをしたら素直に「謝るべき」。
 多様な考えがあるからといって「やってはいけないことをやる自由を認める」「謝りたくないならあやまらないでOK」とはならない。
 そこはやはり「ならぬものはならぬ」だ。
 「特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にある」という文言に押されて何も教えないようでは、内容項目の指導にならない。
 とはいえ、AとBはどうみても真逆なのだから、これでは、現場は混乱する。
 どう整理すると腑に落ちるか、困っていたが、寺脇研氏の指摘で「融合」した。
==============
 従来型の詰め込み教育だけでは通用しない時代が訪れてしまったことは安倍首相の周囲のブレーンもある程度理解している。先に引用した雑誌『正論』の対談で、八木秀次教授はこう述べる。
〈私も以前は勘違いしていましたが、感動的な話を先生が感動的に伝えれば、子供たちは理解するかといえば、そうでもない。本当に教えたい、身につけさせたい価値項目は、子供たちが主体的に考え、議論し悩んで最終的に身につく。先生たちが自己陶酔して話しただけでは伝わらない。価値項目を上から押し付けるのではなく、子供たちがしっかり考え議論できるようにしたい。〉
 だからこそ、道徳を教科化するにあたっても、「考え、議論する道徳」という、価値観の押しつけや徳目の教え込みでない形での授業をみとめたのである。もっとも、実際にはそれが実現していないことが問題なのだが。
「道徳教科書が危ない」P156/157
===================
・・・大事だから「教え込む」。しかし、教え込んだだけでは実際に成果が上がるとは限らない。
「教えこまないで教えこむ」が、「教師の腕の見せ所なのだといえようか。
 まさに「間接性の原理」だ。
 蛇足ながら、寺脇氏の次の意見もメモしておく
(寺脇氏の意見に反論したい箇所も多いのだが、あえてスルー)。
◆学習指導要領の解説を読むとよくわかるが、文科省は最大限、時の政権に「面従腹背」するかのように抵抗してでも、二重にも三重にも片方に流れていくリスクに歯止めをかけている。P118
・・・今回の指導要領解説は、その分厚さに定評がある。
指導要領解説をよく読むと、指導のヒントが隠されている。

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「議論する道徳」は「規範意識の徹底」と真逆か?

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教科化にあたり文科省が打ち出したのは、「考え、議論する」道徳である。しかし、そのコンセプトに応える教材作りは非常に難しく、1年足らずで優秀な教科書を作るのはそもそも不可能な話だった

   「危ない道徳教科書」寺脇研(宝島社)p83
・・・たしかに「議論する道徳」は、教科化のキーワードである。その趣旨を否定はしない。
 しかし、それ以前に一斉配付された『心のノート』『わたしたちの道徳』で現場が感じてきたのは、
きちんとした道徳観、倫理観や規範意識を学ばせる」
であったように思う。
 それを裏付けるのが、平成20年(2008年)の文科省の見解だ。
=========================
【文部科学省】
今ほど調査官からご説明申し上げました中に、低・中・高学年それぞれに規範にかかわる内容として、人間として絶対してはいけないことということに係る内容を記述をしておりました。特に、このたびの学習指導要領の改訂に係る中教審の審議におきまして、殺すな、盗むな、うそをつくなといった根源的なことについてしっかりと考えていかなきゃいけないということを提言をいただいております。学習指導要領にも低学年から人間としてしてはならないことをしっかりと指導していくといった学年段階ごとの配慮事項ということも示されております。
そういったことを基に、「殺すな」、「盗むな」、「うそをつくな」、それに加えて一般的にしてはならないと考えられることとして、「ひきょうなことはするな」、あるいは「いじめるな」といったことについて、低・中・高学年、中学校、それぞれを貫いて繰り返し記述をしております。
平成20年10月「心のノート」の改善に関する協力者会議(第2回) 議事録より
===========================
 当時ベストセラーになった『国家の品格』(藤原正彦 2005)の中で、会津若松藩、日新館の「什の掟」が紹介されている(P47~49)。
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
https://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2007080601668/
 藤原氏は、次のように述べている。
「本当に重要なことは、親や先生が幼いうちから押しつけないといけません。たいていの場合、説明など不要です」
 また、別の箇所には次のように。
==========================
 法律のどこを見たって「卑怯なことをしてはいけない」なんて書いてありません。  だからこそ重要なのです。
 「卑怯を憎む心」を育むには、武士道精神に則った儒教的な家族の絆も復活させないといけない。これがあったお陰で、日本人の子どもたちは万引きしなかった。
 ある国の子供たちは、「万引きしないのはそれが法律違反だから」と言います。こういうのを最低の国家の最低の子供たちと言います。「法律違反だから万引きしない」などと言う子供は、誰も見ていなければ万引きします。法律で罰せられませんから。大人になってから、法律に禁止されていないことなら何でもするようになる。(P128)
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・・・「心のノート」に「ならぬものはならぬ」の精神が色濃く出ていたことは、議事録からもわかる。
 ただし、本当に重要なことは押しつけが必要だとする藤原氏の主張の背景には「戦前の教育勅語」「武士道」があって、それゆえ批判も多かった。当時、このブログでも、その流れで何度か書いてきた。
 
 寺脇氏は、「心のノート」「わたしたちの道徳」「検定教科書」と同じ路線で進んできたように書いている。
 しかし、道徳の教科化で「考え議論する道徳」が打ち出され、「特定の価値観を押し付けない」「多様な価値観」が強調された。教科道徳の理念は「きちんとした道徳観、倫理観や規範意識を学ばせる」ことを否定する方向に軌道修正していないだろうか(ここは、あくまで予想)。
 
 一方、検定教科書には「心のノート」「私たちの道徳」からの流用資料が多く、「きちんとした道徳観、倫理観や規範意識を学ばせる」従来の資料が残っている。
◆いくら多様な価値観の時代でも、それは最低限守らないといけないよね。
◆いくら大切なモラルでも、それは全員一律に押し付けられるものではないよね。
 教科書の問題は、「多様な価値観」と「最低限のルール・マナー・モラルの徹底」とを両立できていないことだと思う。
 ならば、教科書を使う授業者が、そこはしっかり判断していかねばならない。

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「危ない道徳教科書」 寺脇研著 2018年宝島社

「危ない道徳教科書」

 冒頭で、指導要領解説に書かれた教科化の理念が引用されている。

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特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるものと言わなければならない」、
「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、誠実にそれらの価値に向き合い、道徳しての問題を考え続ける姿勢こそ道徳教育で養うべきべき基本的資質である」
との答申を踏まえ、発達の段階に応じ、答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の児童が自分自身の問題と捉え、向き合う「考える道徳」「議論する道徳」へと転換を図るものである。
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・・・この教科化の理念に反して、道徳教科書には特定の価値観を押し付ける内容が含まれていると寺脇氏は批判している。
 「星野君の二塁打」が「監督の指示に従うことが大事だ」という一つの価値観の教え込みに使われることは一時期、話題になった(この書籍の成果かも)。
 ちなみに「手品師」が「自分の長年の夢をあきらめて、たった一人に少年のための約束を果たした」行為が問題であると、宇佐美寛先生が30年以上前から指摘している。自分も昭和61年には「手品師はどう行動するとよかったのか」を考えさせる研究授業を行なった。
 「星野君の二塁打」や「手品師」などは、良心的に道徳授業を行なう教師なら、教科書会社の指導方針がどうであろうと「どうあるべきだったか」を議論させ、多様な選択肢を考えさせる格好の資料として扱っている。
 しかし、教科書の指導方針に盲目的に従う教師は、決められた価値観の押し付けの授業になってしまう。
 それは、どの教科でも同じで、
「国語の説明文、ロジックがおかしいな」「算数の問題配列がおかしいな」
など、教科書を疑うリテラシー能力を教師が持っているかどうかが問われている。
 「教科書がおかしいこともある」 「指導書通りでなくても良い」
という意識で、授業準備に望んでほしい。
特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるものといわなければならない」
という指摘をしっかり受け止めて、教師が指導書を絶対視したり、教科書付属のワークプリントを盲目的に使う旧態依然の指導をすることのないようにしたい。
※道徳調査官だった横山利弘先生や永田繁雄先生が教科書活用を含めて現場に伝わる指針を示しているのに、「ミスター文部省」と呼ばれた寺脇研氏は、どうしてかくもちゃぶ台をひっくり返すような発言をしたのだろう。
◆結論を先に言えば、私は道徳の教科化に反対であり、検定教科書で道徳を「教え込む」という発想は、そもそも文部科学省が道徳教科化にあたって掲げる「考え、議論する道徳」とは逆行するものであると考えている。
と述べている。
 現行の教科書批判ではなく、そもそも教科化への批判が根っこにある方なのだ。
 「押し付け」の反動で「考える、議論する道徳」の理念に賛同していると読める。
 「多様な価値観の育成を目指す道徳の授業」と「価値項目の学びを目指す道徳の教科書」が二律背反しているわけではないし、教科書会社も、そこは十分承知のはずだと思う。
   しかし、「道徳=価値観の押し付け」はイメージ批判でなく、実際にそのような授業が行われているので、それはやはり問題なのだ。
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道徳 資料にみる「思いやり」 ~「月明りで見送った夜汽車」~

 「月明かりで見送った夜汽車」という道徳資料が『中学生の道徳3』(あかつき)に掲載されている。

 主題は「思いやり」だ。

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 作品展準備のために,先生たちが夜遅くまで飾り付けをしている小学校。国体に出場するI先生は、列車の時間が迫ってきたのでY先生に相談して申し訳なさそうに学校をあとにする。
 しばらく作業を続けていると、展示会場の電気が消え、次の校内放送が流れた。
「まもなくI先生を乗せた列車が通る。I先生の重荷にならないよう、しばらく電気を消させてもらいます」
 会場は「おー」という歓声と拍手に包まれる。
 やがて、月明かりの中をI先生を乗せた列車が学校近くを通り過ぎていく。

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・・・原文を読んだわけではない。
 元道徳調査官の横山利弘氏の道徳動画で、およその内容を知っただけだ。

 8分の動画なので、⒈25倍速でいいから、ぜひ視聴試てみてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=p7DPfdW-3_k

 時間外勤務を黙々とやらせる職場は、今ではアウトだ。若い先生は共感できないかもしれないが、横山先生の解説と相まって


◆こういう職場で働きたい。
◆こういう「粋」な行動をしたい。
◆相手が気づかない思いやりをしたい。
◆気づかせない相手の思いやりにちゃんと気づく自分でありたい。
◆野暮な人(嫌味な人)になりたくない。


 そんな思いを強くした。
 この話題で、ある先生には「でも理想にすぎないですね」と言われたことがある。
 「理想ぐらいは高い方がいい」と返したのでした。

 この機会に、動画は全部視聴した。

 どれも勉強になる。

 「道徳資料には一定の型(構造・構図)がある。生き方が変わる中心を外すな」としながら「形式通りに授業するな」と言う。

文科省調査官の思い描く「道徳の授業」は、かくも深い理念で作られているのだと、よく分かる

 横山先生の指導内容は「何も足さない・何も引かない」がふさわしいので、自分が要約して紹介するのは「野暮」になってしまう。
https://www.aktk.co.jp/channel-dotoku/yokoyama

 

 文科省指定の道徳研究発表校にいたとき、横山先生の指導をいただいた。

 春日井市では今もその教えの流れがあって、お弟子筋の先生が校内研修に呼ばれたりしている。

 道徳は奥が深い!

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