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August 28, 2022

道徳資料は、納得できるものを扱いたい。

道徳(光村2年)の「生まれるということ」という資料は、「生命尊重」なのか「家族愛」なのか、何を伝えたいのかがよく分からない。

指導書添付のワークに次の問いがある。

 

「いのちは、つながっている」とかんじたことはありますか。それは、どんなときですか。

 

当然、「(感じたことは)ない」と即答する子がいたよね。

あの子たちは、「どんな時」かを書き込むことができないから、やることがない。

だから教室が混乱してしまう。

 

「いのちは、つながっている」と感じたことはありますか。

 

なんて聞いたらダメだよね。このワークが悪い。

感じたことがあることを前提の問いだから

 

「いのちは、つながっている」とかんじるのは、どんなときですか。

 

と問うべきで、それで子供が答えられないとしたら、そもそもの課題が悪い。

「命は繋がっている」なんて感じる時を聞かれても、大人でも難しいよね。俺すぐに答えられないよ。

◆親子で似ているところを探せばいいの?

◆自分の父母、祖父母、曽祖父母と遡っていけばいいの?

 

ワークプリントには、目当てとして「いのちがつながっているとは、どういうことなのでしょう」と書いてあるが、2年生にどんな答えを求めているのかな。

子供たちに、何をどう答えさせたいのかが曖昧だよね。

到達目標が不明なので、教師も子供たちも、どこを目指して授業をしているのか不明だよね。

何をどう答えたらいいのか子供も分からないから、つまらない。

どんな答えを求めているのか自分も分かっていないから、教師も授業を進めづらい。

 

若い先生に「この資料はつまらないから使わないで違う授業します」という気概を求めるのは難しい。

与えられた教材とワークシートで授業しなければという思いが強い。

だからこそ、教科書会社の責任は重い。

つまらない教材、使えないワークシートを載せるのはやめてほしい。

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