学級担任とつながる「日記指導」のコツ
学級担任とつながる「日記指導」のコツ
ここにフォーカス~日記から何が見えてくるか」⑤
将来の不安が見えてくる日記の読み方
~「授業力&学級統率力」2013年1月号~
一 子どもにとって「将来」とは
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次のオリンピックが行われる時、私は高校生です。
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これは、かつて六年生が書いた日記の最後の一文である。
私にとって四年後は、それほど遠い出来事ではない。次のオリンピック観戦をしている自分の姿も容易に想像できる。
しかし、若い世代にとって四年は大きい。六年生が、どのような中学校生活を送り、どのような進路選択をして高校生になるのか。そう考えると、四年後は予測不能な「遠い将来」である。
中学三年生が成人式の自分に向けて手紙を書くことがあるが、これも同じだ。五年後の自分が想像できなくて、なかなか筆が進まない。「たかが五年、されど五年」なのである。
子どもたちは、日ごろ「来週のサッカーの試合」や「今度のテスト」「修学旅行の班決め」といった目の前の「将来」で頭がいっぱいである。
「四年後・五年後」は、十分に遠い。
したがって、高校や大学入試・就職試験といった人生の関門を越えないと決まらない十年後・二十年後は、大人が考えるほど簡単にはイメージできない。
そのような子どもの時間感覚を理解しないと、子どもの日記を正しく読み取れない。
なお、四・五年後の自分が読めてしまうような安穏とした教師生活をしていては、子どもの「将来の不安」には共感できないだろう。
二 子どもにとって「不安」とは
「次のオリンピックが行われる時、私は高校生です。」の一文は事実のみが書かれている。では、言外に「期待」と「不安」のどちらが込められているだろうか。
この日記を書いた本人の性格を考えれば、「不安」はない。彼女は高校生の制服にあこがれるスポーツ少女であった。純粋に次回のオリンピックを楽しみたい、早く高校生になりたいという「期待」で綴ったのだと思う。
しかし、中学校生活と高校入試をクリアしないと四年後はない。同じ一文でも、書いている当人の性格や状況によっては「不安」を込めているとも読める。
日記を読む時は、書いた本人を思い浮かべ、かすかなサインを見逃さないように注意したい。
三 自信に満ちた日記でも
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ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
活躍できるようになるには、練習が必要です。ぼくは、その練習には自信があります。
(中略)そんなに練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。(後略)
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「夢」と題した有名な小学校時代のイチローの作文である。
同じように、自信や期待に満ちた日記を目にすることは多い。
「来年は、いよいよ中学生です。」
「○○高校に合格したいです。」
「絶対に優勝してみせます。」
といった日記を目にすると、「期待しているよ・楽しみにしているよ・応援しているよ」と素直にエールを送りたくなる。
しかし、「期待」と「不安」は表裏一体である。特に、自らを鼓舞する有言実行型の文章は、自分で自分を追い込んでいる場合が多い。私には、先のイチローの作文でさえ「不安の裏返し」であるように読める。
せっかくの決意に水を差すような赤ペンは慎まなくてはならないが、過度な激励は本人を追い詰めてしまう。
日記に書かれた強い自信を素直に受け止めていいかどうかは、安易には決められない。やはり、書いた本人の性格や状況と重ねながら判断すべきであろう。
他人に見せることを前提にした日記は、何らかのコメントを期待して書いている。赤ペンの言葉を励みに書いていると言ってもいい。
しかし、だからといって子どもたちが不安や弱さを直接吐露するとは限らない。
日記に込められた言外の思いが察知できるよう、一人一人の日記を丁寧に読んであげたい。
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