話し合い活動の充実、協働的な学びの実現は長い間の課題だった。
かつて文科省委託の道徳研究指定校に勤務していた。
定番の授業スタイルは、主人公の気持ちに寄り添い、共感するもの。
「モラルジレンマ」資料は御法度であったが、研究授業でなければ行っていた。ワンパターンの道徳授業では教師も子どもも苦しいからだ。
当事者意識を大事にする「この資料のどこに問題があるか」「自分ならどうするか」を考える道徳授業も御法度であったが、通常は行っていた。
とにかく、気持ち主義の道徳授業のワンパターンで子どもが思考停止するのではないかと危惧があった。
授業=発問がワンパターンになれば、子供の発言=思考もワンパターン化し、本音が引き出せないからだ。
当時の授業パターンでは、子どもが道徳的価値を高めるチャンスが2回あった。
1つ目は「資料」に触発される自己対話。
資料のもつ道徳的な価値に触れ、自分を高めていく。
2つ目は「話し合いによる子ども同士の相互作用」
個々の意見を発表させる場面で「そうか、そんな考え方もあるんだ」「自分の考えより、友達の考え方の方がいいな」など、人によって異なる感じ方や考え方に触れることで、自分をさらに高めていく。
「自分ならどうするか」を討論させる授業は、この相互作用の効果を狙っていた。今でいう「協働的な学び」だ。
「話し合い活動・友達の意見から学ぶ活動」は、道徳だけでなく各教科においても求められる。
友達の意見から学ぶ機会がなくていいなら、AIドリルや家庭教師のような個別学習でもいいことになる。学校が集団で授業を受けていることも意義は、この互いの相互作用にあるといっても過言ではない。
「相互作用」は、たった1つの正解を志向する授業では成立しないから、まずは大前提として多様な思考を促す授業の確立が必要である。
現行学習指導要領では「納得解」「複数解」「多様な解」と呼ばれている。
いくら「話し合い」の場面を設定しても
①自分の意見を言いたいだけ・言いっぱなし
②「人は人、自分は自分」とばかりに、意見が多様に分かれても自分の意見と照合しない
では意味がない。
個々の発言も
「○○さんの意見を聞いて、思いついたことがあります。それは〜」
「確かに○○さんの意見もいいと思うんだけど自分は〜」
「○○さんの意見を聞いて、意見を変えます」
「○○さんと△△さんの意見を聞いて、合体すればいいと思いました」
のように、きちんと前の人の意見を受けた言い方をさせたい。
繰り返すが、「話し合い活動(協働的な学び)の指導は道徳授業に限ったことではない。
たとえば、図工の授業の鑑賞活動は、各自がプリント記入して回収して終わりという場合が多いのだが、本当はそれでは相互批評の場がない。
国語のまとめの時間は作文を書いて終わりが多いのだが、本当は、各自がどんな感想を書いたかを交流し、さらにその学びを言語化する場面が欲しい。
タブレット活用の中で、スプレッドシートや付箋機能を使って、お互いの意見を見ながら自分の意見を書き込むことが可能になってきた(かつては、子どもたちの意見を集約してプリント配布したものだ)。
このタブレット学習の動きはスタンダードになるだろうが、古い人間としては「黙々と相互作用」というのは少し気になるところだ。
タブレット活用したからといって、深まりのある話し合い活動が達成しているとは言い切れない。
タブレットを使うかどうかは別にして、国語、道徳を含むすべての授業における向上的変容が、
①資料・教材による感化
②子ども同士の意見による感化
の2つであってほしい。
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