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August 28, 2022

愚痴や不満は口に出した方が良い。

愚痴や不満を我慢する人は多い。そんな邪悪なことを考えてしまった自分を卑下し、自己嫌悪に陥る人もいる。

しかし、大丈夫です。

「感情の抑制は逆効果」という指摘があります。

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感情を抑制すれば、目に見える形での感情表現は当然ながら減少します。 ただ、それはあくまでも表向きの感情表現が減っているだけで、それによって、心の中で抱いている本当の感情までなくなるわけではありません。 分かりやすく言えば、「我慢している」状態だといえます。

『あなたの仕事、感情労働ですよね』関谷大輝著2016年花伝社 第6章 感情労働のセルフケア

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・・・我慢してくすぶってしまうと、かえっていつまでも引きずってしまいます。

ウェグナーという心理学者が行った「シロクマテスト」が有名です。

 

◆「シロクマについて、考えないでください」というものです。すると、その協力者の多くは、「考えてはいけない」と言われたシロクマについて 考える回数が増えてしまうという、逆説的な効果が生じたのです。 (中略)

おそらく、「考えてはいけない」ということに意識を向けた時点ですでに「考えてしまっている」ことに、原因があるのだと思います。

 

◆よく、「休みの日は仕事のことを忘れましょう」などと言われますが、本当に考えたくないような強いストレス経験ほど、忘れることが難しいものです。つまり、仕事で嫌な経験をして、「それを忘れたい」 「考えないようにしよう」と試みれば試みるほど、シロクマ実験と同様に、余計に頭から離れなくなってしまう危険性があるわけです。

 

・・・なるほど、「考えまいと思うほど考えてしまう」。

心理的な反芻(ぐるぐる考えてしまうこと)をしやすい人は、結果的に、抑うつ状態が強まり、他者だけでなく自分自身に対しても攻撃的になるなどの悪影響が報告されているそうです。

これはまずい。

というわけで、

「反芻」を乗り越える策は、逆説的ですが、考えたくないことは、「あえて、よく考える」

これを前掲書では、「意図的熟考」と呼んでいる。

 

◆ 反芻は、自分自身では意図せず「気付いたら考えてしまっている」状況を指すことが多いのですが、自分から意図的に、出来事について色々と考え直す反芻のパターンもありま す。これは、「意図的熟考」と呼ばれ、文字通り、意図的によく考えることを意味します。

大切なのは、ストレスとなる出来事が起きた後、意図的な熟考を適切に行えた場合には、自分が経験した過去のストレスに対し、たとえば「役に立った」とか「あの経験のおかげで成長した」などと、ポジティブな意味を見出しやすくなるということです。逆に、 意図せず勝手にグルグルと考えてしまう反芻状態に陥ると、過去の出来事やその後の自分自身などについて、否定的な捉え方をしやすくなる危険性が高まってしまいます。

◆つまり、ストレスを経験した後に、その出来事の大切さや価値などについて意図的にしっかり考えると、自分自身の成長を含めて良い結果が得られる可能性が高まります。

 

・・・ただし、強いストレスを受けた場合、その直後に、ストレス要因となった出来事について積極的に考え過ぎてはいけない、ということなので、あまりに辛い出来事は、やはり考えすぎるのは禁物とある。

 そして、振り出しに戻るが、もう一つの方法が、「吐き出してみる」

◆意図的な熟考のほかにも、考えたくないようなストレス経験を、考えずに済むようにしていくためのヒントになりそうなものがあります。 「感情の開示」という方法です。 感情の開示とは、自分の気持ち (本心)や考えを、何らかの形で表に吐き出すことを指 します。 「感情の抑制」に対して、本心を何らかの形で表に出してあげる作業と考えてください。 実は、この感情の開示は、心身の健康維持のためには重要だということが数多く指摘されています。経験した感情を心の中に留めておくのではなく、外に出していくことが良い 結果を生むのです。

・・・「愚痴をこぼすのも立派な感情開示」とある。

愚痴をこぼす自分を責めてはいけない。

心の中の毒素を吐き出すデトックスなのだ。

 

◆心の中にそのような思いが出てくること自体を否定する必要はないのです。感情を抱くのは自由です。 感情には意味があります。 そのような感情を抱くのは、人間とし 自然な現象であると考えてください。 本当の自分が自然に抱いた感情が原因で、自分自身を否定することがないよう、せめて自分の中だけでも、自分の感情認知寛容になってあげてください。

 

・・・ただし、愚痴を聞かされる側が、ネガテイブを伝染させられて重い気分になると申し訳ない。

くれぐれも「自分のネガテイブを他人に伝染させてスッキリしよう」などという意図で愚痴らないで欲しい。これ「怖い話」でよくあるパターン。

 

かつて「悩みを聴く側の心得」としてSCに言われたことがあるのは、

「真剣に聴くのはいいが、深刻になってはいけない。」

深刻に聴きそうな相手には、深刻な愚痴を持ち込まないことが大人のマナーかも。

 

◆追記◆

今の世の中、もちろん体罰は厳禁だが、厳しく叱ることも快く思われない。

そのような状況の中で、

「厳しく叱れない」故に、モヤモヤした感情を引きずって、かえってネチネチ叱る先生がいるように思う。

いわゆる「毒語」だ。

答えられないと分かっていて

「どうして、そんなことしたの?」

「いいと思ってるの?」

「いけないと思っているのに、どうしてやったの?」

などと無限ループに入ってしまう。

保護者から、ある先生について

「あの先生は、子供を叱ることで自分のストレスを発散している」

と指摘されたことがある。

相手が言い返さないことに安穏とすると、ネチネチがエスカレートして快感になってしまうのかもしれない。

確かにそういう先生だった。

これが、教師のいじめ(教育虐待)につながっていく。

先にオンラインで聴いた川上康則氏のお話の中で

「懲らしめ型指導」も「報酬系回路」を刺激し、快感をもたらす

と聞いて、「ありえるな」と思った。

あの先生も(また別のある先生も)、そうした傾向を持っていた。

上司が部下をいたぶるハラスメントも同じ構図だから、どこでも起こり得る問題だ。

厳しく怒鳴れない分だけ、ネチネチ口撃してしまう。

 

子供も、大きくなると、「うるせえ。悪いと言ってるのに、いつまでもしつこいな。」とブチギレる。

そういう恐れのある上級生や中学生相手にネチネチ叱る先生は少ない。

結局、言い返される心配のない低中学年で、教育虐待は起きやすいのだ。

同じく、言い返される心配のない部下に対して、パワハラは起きやすいのだ。

 

※中学校だと、「あの先生、フツーの生徒には厳しいけど、不良生徒には何も言わないんだよね」と見透かされている先生がいる。

そんな教師に、なってはいけない。

 

「感情の抑制」の難しさと、「叱ることの快感」という間違った感情

この2つの問題が自分の中でシンクロしている

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