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August 03, 2022

「危ない道徳教科書」 寺脇研著 2018年宝島社

「危ない道徳教科書」

 冒頭で、指導要領解説に書かれた教科化の理念が引用されている。

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特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるものと言わなければならない」、
「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、誠実にそれらの価値に向き合い、道徳しての問題を考え続ける姿勢こそ道徳教育で養うべきべき基本的資質である」
との答申を踏まえ、発達の段階に応じ、答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の児童が自分自身の問題と捉え、向き合う「考える道徳」「議論する道徳」へと転換を図るものである。
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・・・この教科化の理念に反して、道徳教科書には特定の価値観を押し付ける内容が含まれていると寺脇氏は批判している。
 「星野君の二塁打」が「監督の指示に従うことが大事だ」という一つの価値観の教え込みに使われることは一時期、話題になった(この書籍の成果かも)。
 ちなみに「手品師」が「自分の長年の夢をあきらめて、たった一人に少年のための約束を果たした」行為が問題であると、宇佐美寛先生が30年以上前から指摘している。自分も昭和61年には「手品師はどう行動するとよかったのか」を考えさせる研究授業を行なった。
 「星野君の二塁打」や「手品師」などは、良心的に道徳授業を行なう教師なら、教科書会社の指導方針がどうであろうと「どうあるべきだったか」を議論させ、多様な選択肢を考えさせる格好の資料として扱っている。
 しかし、教科書の指導方針に盲目的に従う教師は、決められた価値観の押し付けの授業になってしまう。
 それは、どの教科でも同じで、
「国語の説明文、ロジックがおかしいな」「算数の問題配列がおかしいな」
など、教科書を疑うリテラシー能力を教師が持っているかどうかが問われている。
 「教科書がおかしいこともある」 「指導書通りでなくても良い」
という意識で、授業準備に望んでほしい。
特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるものといわなければならない」
という指摘をしっかり受け止めて、教師が指導書を絶対視したり、教科書付属のワークプリントを盲目的に使う旧態依然の指導をすることのないようにしたい。
※道徳調査官だった横山利弘先生や永田繁雄先生が教科書活用を含めて現場に伝わる指針を示しているのに、「ミスター文部省」と呼ばれた寺脇研氏は、どうしてかくもちゃぶ台をひっくり返すような発言をしたのだろう。
◆結論を先に言えば、私は道徳の教科化に反対であり、検定教科書で道徳を「教え込む」という発想は、そもそも文部科学省が道徳教科化にあたって掲げる「考え、議論する道徳」とは逆行するものであると考えている。
と述べている。
 現行の教科書批判ではなく、そもそも教科化への批判が根っこにある方なのだ。
 「押し付け」の反動で「考える、議論する道徳」の理念に賛同していると読める。
 「多様な価値観の育成を目指す道徳の授業」と「価値項目の学びを目指す道徳の教科書」が二律背反しているわけではないし、教科書会社も、そこは十分承知のはずだと思う。
   しかし、「道徳=価値観の押し付け」はイメージ批判でなく、実際にそのような授業が行われているので、それはやはり問題なのだ。
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