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September 22, 2022

かば焼きの匂いは鰻屋の前で捨ててきた!

 鬱傾向の保護者は、いくら吐き出しても、すっきりできず、しばらくするとまた同じ内容について不満を言い始める。

 「過去を引きずって今を生きられない」という意味では、ひどく窮屈で残念だと思う。

 さて、禅に関して何冊か本を読んだ中の1つに一休和尚のエピソードがある。

 本はみつからなかったが、ネット検索で同じ内容がヒットした。

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逸話の多い禅僧のひとりに「一休禅師」がおれらます。ある日、お弟子さんと檀家の法事に参られる途中、たまたま「うなぎ屋」の前を通りかかったときの話です。店の中からおいしそうな鰻を焼く匂いが漂ってきます。

一休禅師は思わず「うまそうだな」といいました。それを聞いたお弟子さんは驚きました。

「自分たちのようなものでも、うなぎ屋の前でうまそうだな、というようなことを言うのはあまり行儀のよいことではない、ましてや一休禅師ほどの方がうまそうだなんて」何かを食べたいといった欲望を口に出すものではないと、弟子さんは思っていました。やがて、家に到着したところで、お弟子さんは「和尚さんは先ほどうなぎ屋の前で、うまそうだなとおっしゃいましたが、あれは出家者の身としてよくないことではないでしょうか」と尋ねました。

すると一休禅師は、「お前はまだそんなことを引きずっていたのか。わしはかば焼きの匂いなどは、うなぎ屋の前で捨ててきた」と言われました。

おいしそうな匂いにそそられる、それは誰にもある当たり前の感情です。花屋の前では美しいとながめ、お菓子屋さんの前で「おいしそう」と思うことは、その時の目の前のことを精いっぱい味わっていることであり、「今」を大事にすることです。しかし、ひとつのことに心を奪われたりしばられたりすると、「今」を見失ってしまいます。

https://blog.goo.ne.jp/sakamichi361/e/25369d6e0d674ab75728bd3f7915adfb

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・・・先の保護者のことがあって、このエピソードを思い出した。

 「今を生きる」よりも、「思いを、その場に捨ててきた」という言葉の方が強烈に残っている。

 いつまでも思いを引きずることの戒めだ。

 この場合の一休さんは「うまそうだな」というポジテイブな心の声だが、「悔しい」とか「ばかやろー」などのネガテイブな心の声などは、しっかり吐き出した方が後に残らないと思う。

 保護者の方々も、いつまでも過去にこだわらないで、今を生き、未来を志向してほしい。

 「過ぎたことでなく、今後のことを考えましょう」という呼びかけは、なかなか効き目がない。

このブログでしっかり吐き出したので、自分も、この保護者に罵声を浴びた辛い過去は振り返らないでおこう。

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