分析批評の「話者」の解説
「私」が語るのは、一人称視点の作品。
第三者が語るのは、三人称視点の作品。
(1)『大造じいさんとがん』は、大造じいさんの側に寄っているから「三人称限定視点」。
とはいうものの、教科書の作品冒頭には、次のような記述がある(光村の場合)。
◆「知り合いのかりゅうどにさそわれて、わたしはイノシシがりに出かけました。
◆わたしは、その折の話を土台として、この物語を書いてみました。
・・・「わたし」が出てくる。しかも、いかにも作者ご本人のような口ぶりだ。この「わたし」を作者と別だと説明するのも難しいし、「わたし」が出てくるこの前がたりの部分を無視して、作品は「三人称限定視点」だと説明するのも難しい。
(2)『ごんぎつね』は、ごんの側に寄っているから「三人称限定視点」。
とはいうものの、教科書の作品冒頭には、次のような記述がある。
◆これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いた話です。
・・・「わたし」が出てくる。しかも、いかにも作者ご本人のような口ぶりだ。
この「わたし」を作者と別だと説明するのも難しいし、「わたし」が出てくるこの前がたりの部分を無視して、作品は「三人称限定視点」だと説明するのも難しい。
(3)『やまなし』は、かにの親子の側に寄っているから「三人称限定視点」。
とはいうものの、教科書の作品の最後には、次のような記述がある。
◆私の幻灯は、これでおしまいであります。
・・・「私」が出てくる。しかも、いかにも作者ご本人のような口ぶりだ
。この「わたし」を作者と別だと説明するのも難しいし、「わたし」が出てくるラストを無視して、作品は「三人称限定視点」だと説明するのも難しい。
・・・どれもポピュラーな作品だが、イレギュラーな部分があるので、ちょっと使いづらいのだ。
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