分析批評は、作品に対して自分の意見を言うための分析の技術である。
数年前の学力調査(中学校国語)では、文章の内容を捉えた上で、自分の考えの根拠となる具体的な表現を明確にすることに課題が見られたという。
『吾輩は猫である』において、「吾輩」が「黒」をどのように評価し、どのような接し方をしているかや、そのような接し方をどう思うかを書く問題の正答率が、 20.8%にとどまったのだ。
確かに記述式だったから、解答に困った生徒が多かったことは予想される。だが、形式さえ整っていればいいので、正解の範囲はかなり広かったと思う。叙述に基づいて自分の考えをもつことの大切さは小学校からずっと教えられているはずだ。
しかし、意見と根拠の区別すら学習技能として定着していないのだろうか。
文学的文章において、思い付きの意見を排して叙述を根拠に共通の物差しで意見の交流を図ろうというのが、向山洋一氏の提唱した「分析批評」の授業だ。
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分析批評は、作品に対して自分の意見を言うための分析の技術である。思いつきをいうだけの印象批評や、作者の履歴から考える伝記批評などと異なる。分析批評では、表現を分析し、言葉を分析するのであるから、「分析の技術」を持つことになる。例えば「視点」とか「イメージ」とかである。これは「共通の認識のものさし」である。分析批評用語とも言える。分析批評の授業では、作品が何を主張しているのかを、言葉を根拠に自分が理解し、批評するかつことが行われる。
「『分析批評』で国語授業を知的にする」(『国語教育』臨時増刊1997年9月号)7ページ
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文学的文章において、明確な根拠(根拠)を示せず、自分の主張もできないのが今の子供達の現状なら、全国的に「向山型分析批評」の授業を定着させるべきだ。
「分析批評って?」と言う若い先生がいるなら、そこを支援するのが昭和教師の務めだろう。
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