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October 30, 2022

「分析批評」の番外編 ~読者・作者・話者~

『天気の好い日は小説を書こう』(三田誠広)は向山先生もお勧めの1冊だが、その中に

「志賀直哉の作品は二十歳の人にはわかりません」

「赤ん坊を抱いて初めてわかる『和解』」

という章がある。

読者の人生経験(スキーマ)に触れている。

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小説というものは人生経験に基づいて書く芸術ですから、ただ勉強するだけではわからないという面をもっている。読者の側にも、それなりの経験が必要な場合もある。例えば、志賀直哉の作品は若い人にはわからないかもしれない。(中略)人の親になると人間の心境というのは変わるんですね。変わるし、人生観が深くなります。その時に初めて志賀直哉というものがわかるんですね。皆さんもいま、志賀直哉を読んでわからないと思うんです。二十歳の人にはわからないですね。皆さんも三十歳くらいになって、子供がよちよち歩きになるとか、そうした時にもう一度、志賀直哉を読んでみるといいと思います。

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・・・この三田氏の主張は、読者の経験によって、作品から得られるものは違ってくるということだ。

椿原先生も話しておられたが、大人になってから、子供向けにお絵本を読むと印象は全く異なってくる。

『天気の好い日は~』には、もう1つ印象的な箇所があった。

先の志賀直哉の『小僧の神様』のくだりで次のように書いてある。

 

◆これはですね、中学校の時に読むと、小僧の神様の立場で読んでしまうんです。

 

この三田氏の主張を、教師はしっかりと自覚しないといけない。

作者が設定した視点人物がどうであれ、子どもは作中の「子ども」の立場で読んでしまうということだ。

中2の「大人になれなかった弟たちに」は、少年(兄)が話者であり視点人物だから、生徒は少年(兄)の立場で読む。

生徒はヒロユキの死を弟の死として読む。

教師は、ついつい母親の立場に立って、我が子の死としても読ませたがるが、生徒は「弟の死」で仮想体験する。

もし、親の視点で書かれた小説が教科書に載っていたら、その時は、「親の視点」に読むように指導すればいい。

「三人称全知視点(神の視点)」のデメリットについて、三田氏は「『小学生の作文』にならないための諸注意」の章でアドバイスをしている。

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神の視点でものを見て、父と子が出てくるとですね、どうもお父さんがうすっぺらく見えてしまうということになる。子どもなり、娘なりの視点に徹して描いていくと、おのずと父親の影というものが気配に伝わってくるものです。子供の目には見えない父親の影の部分は、見えないままにしておく。その方がいいんです。見えないものは描かない。すると立体感が出てくるのです。神の視点で何もかも描いてしまうと、嘘っぽくなる。同様に、書き手が何もかもを解釈し、説明してしまうと、ただの図式になり、奥行きがなくなってしまいます。(中略)人物が出てくると、必ずその人物を説明する人がいるんですね。「これがこれこれこういう人である」というふうに説明しちゃったら、それは「絵に描いた餅」になってしまいますね。そうじゃなくて、主人公の目でじっと見る、見えたものだけを書けばいいんです。そうすると見えなかったものは書かれないということになります。その人物の裏側というのは主人公に見えないわけですね。見えないけど、裏も何かあるんじゃないかなという気配だけが残る。すると作品が立体的になるんですね。(P153/154)

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書き手は人物の解釈や説明をしていない。

だからこそ、読者は自分で解釈し説明を加え自分を納得させる。

書き手が書いた解釈や説明をなぞるのではなく、書いていない解釈・説明を読者自身が課す。

主人公の目でじっと見る、見えたものだけを書けばいいんです。

この三田氏の書き手のテクニックを裏返しで言えば、主人公の目でじっと見る、見えたものだけを読めばいいんです。ということになる。

まさに「見え先行方略」だ。

三田氏はさらに次のように述べる(P116)

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◆もし、これがですね、志賀直哉が父親に向かって、「お父さん、僕の赤ん坊が死んでしまいました。その瞬間、私はお父さんの気持ちがわかりました。いままでの私がわるかった。お父さん、許してください」と言ってですね、父親が息子を抱き締めて、「いや私もいままで説明不足だった。お前もお父さんのことを許してくれ」と言って、二人がひしと抱き合ったら(笑)非常にわかりやすい話になりますね(笑)しかし、それでは大衆文学になってしまうんです。教養のない人にはわかりやすいかもしれないが、志賀直哉はそういうふうには自分の文学を作っていかなかったんですね。何にも説明しないんです。だけどわかる人にはわかる。私も二十五歳にして初めてわかったんですね。

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小中学校で扱う文章は、人物の解釈・解説が詳細に描かれている。

「大造じいさんとガン」は典型で、冗長なガンへの呼びかけを宇佐美寛氏は批判している。

そのような「わかりやすさ」に慣れてしまうと、語らない良さを備えた小説を読めなくなってしまう。

「分かりやすい」物語を例にして読みの訓練をしながら、「分かりにくい」小説を読むスキルを身に付けさせていければよい。

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