教師が子供の反発を誘発していないか?
「正しいことは言うな」という逆説的な表現に感銘を受けたのは、もう15年も前のことだ。
教師という仕事上、子どもの失敗や過ちを指導する場面は多い。
しかし、「どうして、宿題を忘れたんだ」などと相手の過ちを責めてみても、その言葉が正しければ正しいほど相手を追い込んでしまうだけだ。
言われた方は一番聞きたくない言葉を耳にするから、反発を生むことになる。
そして、「いつも俺ばかり怒られる」という負の感情をもたらしてしまう。
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怠けている人間、遅刻した人、それぞれに事情があり、理由があるはずです。その事情・理由を斟酌(しんしゃく)することなく正しいことを言う人は、じつは、ー正義という名の魔類ーになっているのです。仏教では、その正義という名の魔類をー阿修羅ーと呼びます。阿修羅というのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりがないために、神界から追放されて魔類になった存在です。(後略)
2006年中日新聞7月18日付の朝刊に「ひろさちやのほどほど人生論」
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・・・「阿修羅」の意味まで教わったインパクトのある記事だった。
何も言わずにじっと相手の聞いて上げる行為が「慈悲」なのだとも書いてあった。何と、仏教の教えは奥が深いのか。
教師は「よかれ」と思って平気で子どもを傷つけることがある。
喧嘩した子が悪い、忘れた子が悪い、聞いていない子が悪いなどなど。悪意がない分だけ、たちが悪い。
正義感を振りかざす鈍感な教師はまさに「阿修羅」と化している。
実はかつて同僚に、ネチネチ子どもを責める人がいて、自分のストレス発散に使ってるのではと思ったほどだった。
毎年のように、そのクラスには不登校児童が生じた。保護者の間にも、それは知れ渡っていた。
『身につけよう!江戸しぐさ』という本の中に、「見て分かることは言わない」というのがあった。
「おやせになりましたね」「太ったんじゃないの」「ひどい汗ですね」など、見て分かるようなことを稚児のように言ってはいけないとある。=====================
見て(暑いんだな)と察したらすぐ冷たい飲物を出すものだよ、というわけです。急な雨で濡れていたら、サッと手拭いを差し出す方が感性度が高く、相手の思いやりが偲ばれるものです。それに加えて「読んで分かることは聞かない」というのもあります。
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何の配慮をする気もないのなら、見て分かることを言うな、というのは、実に鋭い指摘である。
「鉛筆どうしたの?」などの問いも、見れば分かる愚問だ。
問いただす前に、さっと差し出すのが大人の対応だ。
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