« 『龍馬とともに幕末を生きた52人のその後』(洋泉社MOOK) | Main | 相手の視点で物事を考えることを教えよう! »

October 10, 2022

視点の問題として、ドラマ「サイレント」を語る

この秋スタートしたドラマに「サイレント」というのがあって、Tverで視聴した。
ストーリーを説明するのはややこしいからできるだけ端折るけど、
第一回のラストは、元彼に再会したヒロインが、耳が聞こえなくなって別れたという彼の告白に衝撃を受けるところ。
なるほど。
この日のドラマの進行では、元彼が耳が聞こえないことを
①視聴者は、中盤、元彼の行動で知り、
②今の彼は、中盤過ぎに知り
③ヒロインだけが、ラストで知る。
という流れになっている。
視聴者は既に知ってるから、ラストのヒロインの悲しみを外側から見る事になる。
もし、最後まで知らなければ、視聴者はヒロインと同化して
「そうだったんだ。だからいきなり自分の前から消えたんだ」
と衝撃を受け、氷解する。
①元彼に何か事情があることだけは匂わせて
②今の彼が知る詳細は後回しにして、
③ヒロインへの告白場面で、視聴者にも種明かしされる。
ミステリーじゃないんだからそんな流れは要らないか。
ミステリー慣れしている視聴者には、逆に、この種明かしの流れの方が平凡かな。
こんなことを考えていたのは、『ごんぎつね』の視点を考えていたから。
ごんが償いをしていることを読者は知っているが、兵十は知らない。
だからラストで兵十は衝撃を受ける。
読者は兵十に同化しない。
「あっ兵十、ゴンを撃ってはダメだよ」と言いたくなる。
「あっゴン、兵十のバレたから逃げて」と言いたくなる。
もし、読者も「栗や松茸の贈り主」が誰か知らずに、最後で兵十と一緒に気付かされる展開だったらどうなのかなと思った。
神様のような全知視点の作品が幼稚と言われるのは、登場人物の気持ちや事情が全て分かってしまっているからだ。
視点が単一だと、見えない部分・気づかない部分があるから、読者も、そこで共感したりショックを受けたりできる。
ただ、ドラマで視点を単一にすると、重層構造にならないから、複数の視点で同時進行させるパターンが多い。
視点を意識してドラマを観ると、ストーリーではなく、組み立てが気になってくる。

|

« 『龍馬とともに幕末を生きた52人のその後』(洋泉社MOOK) | Main | 相手の視点で物事を考えることを教えよう! »

教育」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 『龍馬とともに幕末を生きた52人のその後』(洋泉社MOOK) | Main | 相手の視点で物事を考えることを教えよう! »