「哲学を語れ」とは
「リーダーは哲学を語れ」と聞いたことがある。「哲学」という言葉を使われたが「ビジョンを語れ」とよく似ている。
この場合の「哲学」は「生き方」「信条」」といった意味合いだろうか。
学校だよりなど、さまざまな原稿を書く機会が多かったが、「○○がありました」と出来事を書くだけでは意味がないと言われた。
たしかに各校の学校新聞を読むと、名言の引用が多いが、引用個所をどう味付けするか、どう意義付けるかに、引用者の「哲学」が問われていると言ってよいだろう。
ちなみに、大人が思うほどスポーツネタは小学生にはマッチしない。
「哲学」と言われると恥ずかしいが、自分も原稿や朝会のあいさつでは、しっかり吟味して思いを伝えるようにしてきた。
普遍性のある話はいつでも言えるので、できるだけ鮮度のあるタイムリーな話題を織り交ぜることを意識してきた。
講師の先生はご自身の過去の校長だよりを紹介された。
「急施紛更をもって速効を求むべからず」
伊藤博文の言葉で、「教育は急いで結果を求めるな、水がしみこむようにじっくりと」と諫めた言葉だそうだ。
こういう言葉が引用できる「博学さ」もうらやましいと思った。
さて、自分自身の哲学について考えていて、反省すべき点が見つかった。
言葉が人の心を打つのは、経験や実践に裏打ちされた時だ。
いくら自分がイチローの言葉を引用しても、相手には響かない。しょせんは受け売りであって自分の血肉ではないからだ。
経験が足りない者の言葉は軽い。
修羅場が足りない者の言葉は説得力を欠く。
自ら成長する努力を課していない者が努力を語っても、それは薄っぺらだ。
経験を語るから、聞き手の脳裏にイメージが浮かぶ。
脳裏にイメージが浮かぶから、聞き手の心に沁みる。
「自分の哲学を語れ」は、単なる言葉の問題ではない。
借り物の熱い言葉を語れという意味ではない。
言葉の奥にある自分の生きてきた道、生き様が問われている。
「哲学を語れ」は、「懸命に生きよ」「背中で見せよ」なのだ。
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