「狂言回し」という文芸用語
① 「狂言回し」清水義範氏の『発言者たち』(文春文庫)の後半、主人公の番匠が次のようにつぶやく場面がある。
◆ 番匠が小説を書いてみようと思いたったのは、あるテーマを発見したからである。人は皆、なぜこんなに夢中になって自分の発言をしたがるのだろう、というテーマ。巷には無数の有名人ではない発言者がいて、様々な手段で思いのたけを吐き出している。手紙を書いたり、小冊子を発行したり、投書したり、電話をかけたり、スピーチをしたり。あらゆる機会をつかまえて人々は、我こそは、という内容の発言をしている。そういう発言をするのが好きである。それは一体どうしてなのだ、というのが番匠の小説のテーマである。主人公は、そのテーマを追っていくための狂言回しである。
・・・「主人公はテーマを追っていくための狂言回し」というのは分かりやすい表現だ。
ふだん、なかなかお目にかからない言葉だが、そういう見方で分析できる作品もきっとある。
ちなみに辞書(新明解)で引いてみると確かにある。
◆(歌舞伎などで)登場人物のうち、場面でのしぐさなり台詞(セリフ)なりが、その後の筋をスムース(ドラマチック)に展開するのに役立つ大事な働きをしている役。志を得ない主人公に対する、なんらかの意味での世話役など。
・・・主役・対役以外の3番手以降の人物が「物語の進行役」の気もするが、先の清水氏の文章では、主人公自身が狂言回しになっている。
ドラマではゲスト出演する犯人に対して、レギュラーの刑事が「狂言回し」となる場合もあるようだ。
さて、「狂言回し」に該当する人物として誰か思い浮かぶだろうか?
『注文の多い料理店』の2人の紳士はどうだろう。道に迷って作品の舞台である料理店に迷い込む。最後に痛い目に遭うから、回す役・進行役とはちょっと違うかな。
『美女と野獣』の娘の父親はどうだろう。父が野獣の屋敷に迷い込んでしまったため、その身代わりとして娘が屋敷に軟禁される。それが娘と野獣との出会いである。ということは、「娘の父」が「狂言回し」ということになるだろうか。
こんな風に、いろんな作品に当てはめてみるのも、読書の楽しさの一つだ。(若いころのサークル通信を改変してみました)。
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