道徳の授業は、そこから始まるのに・・。
1年生の道徳の授業を参観したことがある。。
最後に家族に感謝のお手紙を書かせる授業だった。
しかし、「別にママに何もしてもらっていない」という子がいて、戸惑ってしまったと授業者は反省していた。
「いやいや、そこからが授業じゃないか」
「別に感謝されるようなことはされていない」と子どもが思っているからこそ、授業の意味がある。
子どもは、狭い世界を生きているから知らないこと・気づいていないことが多い。
だから、見えていない世界・気づいていない世界を示して、視野を広げるのが授業の役目だ。
◆みんなが寝ている間、お母さんは何をしていると思う?
◆みんなが学校に行っている間、お母さんは何をしていると思う?
とみんなが見えていない時間の行動を想像させてもいい。
◆朝起きたら朝ごはんが出てきた。これは誰が準備したの?
◆みんな洋服を来て登校します。これは誰が洗濯したの?
◆熱が出たので、病院に行きます。誰が連れて行ってくれる?
と、ふだんの生活を順に想起させてもいい。
たとえ、ママ1人でなくても、家族みんなで分担していればかまわない。
日常生活をしていて、1年生が誰の何の世話も受けていないはずがない。
それは知らないだけ、気付いていないだけ、見えていないだけだ。
授業は、見えていないものを見せてやるように仕組めばいい。それが授業の準備。
「そういう考えの子がいるんだ」と授業中に気づいていては遅い。
それに、そこは戸惑うところではなく、「よし、意識を変えさせてやるぞ」と意気込むところだ。
そういう子もいると思って、事前に手を打つことが大事。
それが授業の準備。
この先生は、授業中、家族の行動を具体的に挙げなかった。
子どもが「別にない」と反応したのは、そうした情報提示の不足によるものだと思う。
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