子供の意見を類型化する
討論のさまざまな意見を「類型化」することがある。
「類型化」そのものは決して目新しいワードではないが、意識していない教師も多い。
本来、指導案にある「予想される子供の反応」は類型化していくつか書かれるべきものだが、教師に類型化の自覚がないと、同じ意味なのに表現が異なるだけの意見が列挙してある。
子供の意見を板書するなら、類型化して書けばよいのに、その自覚がないと、同じような意見がずらりと並んでしまう。
発言した子供の意見を板書したりしなかったりすることに躊躇して、ほぼ同じ意見なのにずらずら全部板書してしまうケースを何度も見てきた。
発言順に板書すると、あっちのタイプだったりこっちのタイプだったりバラバラになる。
むろん、子供の意見をずらーっと板書した後で、ABCのようにタイプ分けさせる展開もあってよい。それは子供に類型化させる授業だから、それはすごく知的だ。
あるいは板書する位置を意図的に変えて、出された意見を類型化して示す授業もある。
道徳の授業で、ある人物の行動を見て心が動く主人公の心情を問うことがよくある。
この場合は類型化すると3つになる。
A 後悔「自分の行為への反省」・・過去の自分
B 感動「あの人はすごいな」・・・他者への憧れ
C 決意「これからは○○しよう」・・未来の自分
こうした3つの類型の自覚が教師にあれば、子供の発言を聞いてどのタイプが多いか、どのタイプが出ていないかで授業の組み立てを考えることができる。あるいは、あるタイプの意見が出るまで待つことができる。
いきあたりばったりの授業・思いつきの発問では、類型化できるはずがない。
類型化できるということは、正解が1つではないということだから、子供の多様な思考を促すこともできる。
気の利いた子が意見を言って、「はい、おしまい」とは違う授業が展開する。
あるいは、一見的はずれな意見の中にある、すぐれた発見を教師がうまく摘出する授業が展開する。
子供の意見を、どう予想し、どう類型化するか、授業づくりの基本として伝えていきたい。
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