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November 30, 2022

「対比」と「二項対立」

「対比」と「二項対立」とがよく似ているが、本当に、対比と二項対立を同じとみなしていいのか自信がなかった。

井関義久氏の「入門『分析批評』の授業」を読み直してみたら、「二項対立」の記載があった。

◆ とりあえずイメージ語に目を向けてみると、その中の隠された二項対立に気がついたりして、意外なことが見えてくることがある。p58

◆コスモスの色を特定するような発問は無意味だ。根拠を求めても無理なコスモスの色を問うのではなく、コスモスに色がないことの効果をこそ問うべきなのだ。 「幸せ」や「平和」が、「不幸」や「戦争」といった暗い面を併せ持っていることとのかかわりを、このことを通して再び問題にすることができるだろう。ここにも二項対立がある。p59からp60

◆ 1976 (昭和51)年12月、向山洋一氏が調布大塚小学校の6年生を対象とした「やまなし」の授業は、「五月」と「十二月」の二項対立をイメージ語の対比として捉えなおすことからはじまった。p60

次のような授業展開が思い浮かぶ。

○二項対立するイメージ語を列挙させる。

○場面を対比させて、「二項対立」の形で整理する。

・・・・対比して並べる言葉が「イメージ語」と言い切れるかどうかは、もう少し読み込んでから確定したい。

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「心の理論」と呼ばれる課題、

「心の理論」と呼ばれる課題、例えば「サリーとアン」の例は、特別支援教育を学ぶ際に、よく引用される。

ただし、「心の理論」に「一次・二次」があるとの指摘があって、自分がそこまでは詳しくないことが分かった。

一次の心の理論・・「Aさんは,○○と 考えているな。」がわかる

二次の心の理論・・「Aさんは,『B さんが○○と考えている。』と考えているな。」 がわかる。

http://www.edu.pref.kagoshima.jp/research/result/siryou/hyoudai/tokubetusienn/pdf/tokushi193.pdf

この指導資料が分かりやすいので、何度か読んだ。

「赤ずきんちゃん」の場合

二次の心の理論は、「『オオカミがおばあさんになりすましている』ことを赤ずきんちゃんは知らない』という状況がわかる。

「ごんぎつね」の場合

二次の心の理論は、「『ゴンが自分のために償いの品物を届けている』ことを兵十は知らない」という状況ががわかる。

・・・読者である自分は知っていても、作品中の登場人物は知らないことがあるという状況の理解だ。

 

◆定型発達児の二次の心の理論は,学童期で ある6~9歳頃に獲得される。学童期において,二次の心の理論獲得は重要であり, 複雑な他者の心の状態を推測する力こそが, 社会的やり取りを育むものとなる。と書いてある。そして、そのような「心の理論」の課題を克服するために、次の方策が例示されている。

◆ また,言葉だけではなく,文字化(視覚化)することも有効である。例えば,そのときの場面に登場する人物を簡単な線画で 描き,吹き出しの中に,子供と一緒に話し言葉や心の状態を書いていくことにより,子供は会話の意味や相手の気持ちを改めて 整理することができる。

・・・人物のやりとりを矢印で示して言動を整理すると「心の理論」に関わる誤読が回避できると書いてある。

椿原先生の「図読法」の場合は、(おそらく)書かれていない心の状態までは明記しない。でも、言動のやりとりだけでも順を追って整理すれば、その場面の心の状態も想像しやすくなる。

まず「ゴン」がこうしたよね。そうしたら「兵十」はこうしたよね。

A君がこう言ったよね。そうしたらB君がこう言い返したよね。

・・・「図読法」が特別支援学級でうまくいく理由の1つがこれだ。

そして、「図読法」が、喧嘩の整理や道徳資料の内容整理に活用できる理由(の1つ)がこれだ。

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November 27, 2022

「海の命」は何を象徴しているのか?

「海の命」(小6)は何を象徴しているかを問う授業案を見たことがある。
 授業者に自分はどう考えているかを尋ねたが、端的な答えが出てこなかった。
 私も、答えられない。
 そもそも「海の命が何を象徴しているか」という発問が理解できないのだ。

 手元のネット辞書で「象徴」を引く。
(@nifty辞書 世界大百科事典 第2版 象徴とは)

==================
象徴はきわめて多義的な概念であるが,ごく一般的には,たとえば鳩は平和の象徴であるとか,王冠は王位の象徴であるとかいうように,目や耳などで直接知覚できない何か(意味や価値など)を,何らかの類似によって具象化したもの(物や動物や,あるいはある形象など)をいう。
====================

 「ハト → 平和」のように、具象の裏に抽象が隠れているというのが「象徴」の構造だ。

「海の命」は何を象徴しているかと問われて、

・海にすむ全ての生き物の命
・海に関わるもの全ての命

という答えが出てきたとしたら、これは「海の命の意味・題名の意味」ということでしかない。
 それは「象徴」ではない。

 「〇〇という具象には、△△という抽象が隠れている」

という構図で考えたら

「『海の命』という具象には、△△という抽象が隠れている」ではなく、

「〇〇という具象には、『海の命』という抽象が隠れている」になるのではないか。

「海の命」を象徴している具体物は何か?

そうやって、具象を考えたら

「海の命を象徴しているのは、クエである」

「海の命を象徴しているのは、父親である」

「海の命を象徴しているのは、与吉じいさである」

「海の命を象徴しているのは、太一である」

などと、当てはめることができる。

それらを全てひっくるめた、全ての登場人物が「海の命」を象徴しているとも言える。

自分が不勉強で理解が足りないのかもしれない。
そう考えて、いくつか実践を検索してみた。

http://www.muraki-e.tym.ed.jp/muraki2006/061108kokugo/6-1.pdf
◆「海の命」という題名は、作品の主題を象徴している。

http://www.iwate-ed.jp/db/db2/sid_data/es/kokugo/e960073.txt
◆この教材は「海の命」という題名に象徴されている主題について考える学習、すなわち「海の命」とは一体何を表しているのかを考えることを大きな学習の柱として読み深めさせたい

・・・どちらも「象徴」について十分な説明になっているのかどうか理解できなかった。

 

A:「海の命」を象徴している物は何か?

B:「海の命」は、何を象徴しているか?

この2つの問いが真逆であることを理解し、どちらを問うているのか、教師が混乱しているとしたら、授業がうまくいくはずがない。

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4 4 4 4 で、1〜10

この計算は定番ネタ。
ただし、数字が4つなので高学年向け。
4×4÷4÷4=1     4÷4+4÷4=2
(4+4+4)÷4=3   (4-4)×4+4=4
(4×4+4)÷4=5   (4+4)÷4+4=6
4+4ー4÷4=7    4×4-4-4=8
4+4+4÷4=9
※10は、ルートを使わないとできないのでは?
 
10月半ば、3年生4年生の算数で交換法則の指導場面があった。
その時、自分で色々試してみた。
4つの数字では、難しいので、数字は3つかな?
でも、これを 3 3 3 でやると、以下の答えぐらいしか出ない。
   3×(3−3)=0
(3+3)÷3 =2
(3×3)÷3 =3  
 3+(3÷3)=4
(3×3)−3 =6    
 3 + 3+3  =9
(3×3)+3 =12   
 3 × 3 × 3 =27

あとで、ネットで調べたら、こんな感じだった。難しい。
で、数字を 3 2 1 に変えてみた。
3 ー 2  ー 1  = 0
3 ÷(2  +   1) = 1
3   ー 2    +  1   =   2
3 ×(2  ー  1) =  3
3   + 2   ー  1  = 4
3 × 2   ー  1   =  5
3 × 2 ×  1  = 6
3 × 2 +  1  =  7
(3+ 1) ×   2  = 8
3 ×(2 +  1) = 9
答えが8の時は、321の順番ではできなかったが、これくらいなら取り組めそう。
 
こういうのは、持ちネタとしてストックしておくと良い。

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毎時間のプリントは成績に加味しない!

学期の成績処理の時期になりました。

皆さんの学校では、「形成的評価」と「総括的評価」の区別はできていますか?

成績に入れるために、毎時間のプリントを点数つけて記録している方はいませんか?と教わりました。

 

石井英真氏編著の『ヤマ場をおさえる学習評価』(図書文化)によると

===============

◆授業では、「形成的評価」として子どもを全体で把握しつつ、一人ひとりをしっかりと伸ばす。そして、単元末や学期末など、しっかりと伸ばし切ったところで、確実に身に付いたかを全数調査でしっかりと確かめて評定(=「総括的評価」)する。

 

◆総括的評価と形成的評価を区別することで、評価に関わる負担を軽減することができる

=====================

・・・というわけで、毎時間の授業プリントを成績のために評価する意味はありません。

点検作業に追われるような評定は苦しいからやめましょうと書いてあります。

 

形成的評価を点数化するのは、毎回の授業プリントを10点配点にして5回分取って50点にして成績に入れるようなやり方。

一方、総括的評価は、「ここぞ」と決めた授業プリント1枚に50点で見とるやり方。

ヤマ場の授業プリントで、全員が良い結果になるように、途中途中のプリントで指導を加えていくことに意味があり、たとえ前半のプリントがイマイチでも、ヤマ場のプリントで良い結果が出ればOKというのは総括的評価です。

小テストなどを含め、形成的評価を成績に入れているのは、時代遅れなのですが、いかがでしょうか。

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November 20, 2022

1人1台端末活用 〜そういうことだったのか(10)〜

1時間の中に多様な学習者がいる

という「個別最適な授業」は、まるで「複式学級」のようなイメージだ。
しかし、授業は本来、個々の状況に応じるべきで、
ある子は先生に教えてもらい、
ある子は友達に教えてもらい、
ある子は友達に教えて学びを深め、
ある子は(ネット活用を含め)、一人学びをする。
・・・このような同時多発型の授業が「個別最適な学び」。
全員が黙々とAIドリルで学習することが「個別最適」ではない。
個別最適な授業は、GIGAだから始まったわけではなく、本当は従来でも行われているべきで、有能な先生は当たり前のように実践してきた。
スーパーテイーチャーしかできなかった個別最適が、GIGAになってやりやすくなったということでしかないのだ。
奈須先生は、一斉授業が成立しない幼稚園では、前から当然「個別最適」であり、そのために「所時物」が周到に用意されていたと言う。
というわけで、写真のようなモデルを作ってみた。
なんとなくでも分かってもらえたら幸いです。
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1人1台端末活用 〜そういうことだったのか(9)〜

ある学級で、ある課題について、理由をプリントに記入した子どもたちが積極的に発言していました。
先生は子どもの意見を板書しているので、子どもが次の子を指名します。
「○○君の意見に付け足しで」という言い回しもあって、とてもスムーズで心地よいです。
これはこれで、良い授業風景です。感動もします。
でも、
クラウド活用の新しい時代になり、こういう授業だけが評価されるわけではなくなりました。
多くの子に発表させる授業はロスも多いです。
先生がリアルタイムで板書するスピードには限界があります。
発表に要する時間が長くなればなるほど、集中できない子が増えます。
音声による意見は聞き漏らしも多いです。
だから、
スプレッドシートに書かせたら、みんなの意見が一覧できる。
ジャムボードに書かせたら、自分たちで分類整理できる。
そういう良さも採り入れていかないと、せっかくのクラウドがもったいないですよということなのです。

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1人1台端末 〜そういうことか(8)〜

パラダイムシフト ~学習指導要領の理念の再確認~

◆注意してほしいのは、学習指導要領の考え方が、今までのそれとは大きく様変わりしている点です。
「今までの学習指導要領とは違うんだ」と、肝に銘じてください。
◆「能力観」が変わったことで、「授業観」の変化が要求されている。
この大変化を、先生方や教育委員会の方々は、理解しているでしょうか?
と堀田龍也先生は述べている。
ドキッとする。
もはや「新」をつけることもないほど定着したはずの「学習指導要領」。
本当は劇的で画期的な変化だったが、コロナ禍・全国一斉休校で「対話的な学び」「協働的な学び」はスタート直後に出鼻をくじかれた。
それでも、コロナ禍のおかげて、1人1台端末が前倒しで導入され、そこだけ学校現場は劇的に変わった。
学習指導要領の理念プラス1人1台端末導入によって、これまでの学校教育は激変した(はずだった)。
「はず」と書いたのは、人はすぐに慣れてしまうし、妥協点を探ってしまうからだ。
タブレット活用を一斉授業の中に採り入れて、そこそこ満足し始めている。
そこを糾弾するように、堀田龍也先生は述べているので、一部改変して示す。
(原文はマーカーだらけになってしまった)
=========================
◆学習指導要領では「能力観」が大きく変わったため、 「授業観」も変えていく必要があります。
◆1年目が「慣れる」期間としたら、2年目はGIGAスクールの「本来の目的に迫る」フェーズに入ります。
「本来の目的」とは、学習指導要領が求める学習を実現し、資質・能力を育むことに他なりません。
◆基礎的・基本的な「知識・技能」の習得は、依然として重要です。
しかし習得して終わりではなく、その「知識・技能」を用いて「思考・判断・表現」する力や、「生涯にわたって学び続ける力」を育むことを、学習指導要領は強く求めています。
◆先生は「教え込む」役割から「子どもの学びを見守り、導く」役割へ
◆「個別最適な学び」が広がっていくと、従来の一斉指導、チョーク&トークで先生が教え込む授業では、対応できなくなります。
(中略)そうなると、先生の役割も変わります。教え込む役割から、子どもの学びを見守り、導いてあげる役割へシフトします。
「ティーチングからコーチングへ」と変わるのです。
◆先生が「今日はこの課題を勉強します」「さぁ話し合って」「じゃあ発表して」と逐一指示するのではなく、子ども一人ひとりが最善の学習活動を選択して、自分のペースで進めるようになります。
◆「端末やクラウドの効果的な活用方法を教えて」と、よく質問されます。
結論から言うと、今までの授業に端末やクラウドを当てはめようとしても、うまく行きません。
◆一斉授業の中で、先生が子どもに教え込む道具として端末やクラウドを使おうとしても、「これなら紙で十分。今まで通りでいいじゃないか」と感じるでしょう。
今までの授業は昔の「能力観」や「授業観」に基づいて作られ、「紙に最適化」されているので、そういう結論に至ってしまうのです。
◆今までの授業観や能力観に固執していたのでは、時代の変化に取り残されてしまいます。
チエルマガジン2022春夏号より。
==========================
・・・これほどの危機感、パラダイムシフトの意識は各校現場で共有されているだろうか。
旧学習指導要領のときと、同じ教科内容(教材)の場合、これまでと同じ指導方法で授業展開していないだろうか。
たとえ端末活用をしていたとしても、授業に流れやめざすゴールが変わらないなら、それは新学習指導要領の理念に合致していないことになる。
新学習指導要領のはるか以前から、「コンテンツ(教科内容)ではなくコンピテンシー(学び方)」を意識して、主体的・対話的で深い学びを具現化してきた探求型の授業実践がある。
有田先生や向山先生の実践を探ると、新学習指導要領の理念を具現化するためのプランが見えてくる。
スーパーテイーチャーしかできなかった探求型の授業実践が、ICTを活用すれば多くの学級で可能になる。

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1人1台端末活用 〜そういうことか(7)〜

「訓令型」の授業だから、「同時多発」=個別最適」になる

「号令」=「任務だけを示したもの
(例)ゴミを拾いなさい
「命令」=「任務と趣意を示したもの」
(例)教室をきれいにします。ゴミを10個拾いなさい。
「訓令」=「趣意だけを示して、任務は相手に任せるもの」
(例)教師をきれいにします。自分でできることをやってごらん
・・・この3つのステップを見ると、探究型の授業は、「訓令型」であることがよく分かる。
授業の場合、事前に「課題とゴール」を示し、やり方は各自に任すから、「個別最適」ということになる。
(本人が選んだ学習方法が適していなければ、「最適」にはならない。そのマッチングがファシリテーターの教師の支援が物を言う)。
「課題とゴールを示して、やり方は本人に任せる。
・・・この訓令で子供がストレスなく動けるようになるのが、理想である。
◆この「訓令型授業」を成立させるのが「自由度の高い学習規律」。
学習ルールはゼロではないが学習を拘束しない。
「課題を達成するために、何が必要か」を自問し、自己コントロールできる子どもが育てば学習規律は必要最低限でなんとかなる。
要するに教師が「任される」にふさわしい子供を育てられるかなのだ。
◆この「訓令型授業」を成立される課題の1つは「検討しなさい」である。
きわめて「自由度の高い指示語」だが、それだけ奥が深い。
場合によっては、情報の「収集」も「分析」も「整理」も「考察」も含まれる。
「検討しなさい」で子どもが動けると、余分な指示がいらなくなる。
とはいえ、それまでの指導がなければ、「検討しなさい」と指示したところで何も動けない。
「ファシリテーター」という言葉に惑わされてはいけない。
きちんと教えなければ「ファシリテーター」の機能を発揮することができない。
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1人1台端末活用 〜そう言うことか(6)〜

学習者が、学ぶ相手を選ぶ

(1)2学期に入って、T-C主体のタブレットの授業に疑問を感じたことがある。
①挙手した子の書き込みを発表させる。
②子供の意見を先生が受けて一言解説して板書するが、他の子が発言を書き足すことはない。
というT-Cの繰り返しのため、各自で付箋の書き込みはあっても、相互作用がない。
 指名された子が教師に向かって発言する繰り返しだけでは、せっかくの付箋機能なのに協働的な学びとは言えないのではないか。
◆他人の考えを知り、触発されて、さらに自分の考えを深めたり広げたりできるといいな。
◆みんなが集まると多様な考え方が出てくることを知り、集団で学ことの楽しさを満喫できるといいな。
・・・教師がずっと司会進行を務め子供の意見を拾っていくT-C、 T-C、T-Cが続く授業展開ではなく、子供相互の意見交換が主となり、C1、C2、C3・・・と子ども同士のやりとりが続く授業であってほしい。
漠然と「T-C」から「C-C]への授業移行を考えていたが、元々これは
◆教師指導から子供主体へ
◆「教える」から「任せる」へ
という意味でもあった。
(2)東京書籍の『教室の窓』2022年9月号の奈須正裕氏の文章の中に「学校教育の過去・現在・未来のモデル」が提示されていた。
未来【情報技術パラダイム】
・知識データベース等に生徒も教師も等しくアクセスできる
・生徒間、生徒対教師の相互作用がある
・情報コントローラーとしての教師は姿を消し、生徒と教師が知識データベース等を取り囲む。
・・・なるほど!
◆T-C中心の授業から、Cが、TにもCにもデータベースにも自由にアクセスする授業へ
ということだ。
タブレットをうまく活用すると、「個別最適な学び」が充実できる。
たとえば、音楽や体育で個々のテストをやっている時など、先生は体が1つだから「T―C」は限られる。
そのとき、子供同士のC―C、子供と情報端末とのC-TPCなどでカバーするとロスがない。
「T-C」だけでなく「C-C」「C-TPC」のやり取りから学習者が選んで学べるようになったのだ。
お互いの学習状況や考えが見えれば、互いに刺激になるし、自分の「現在地」を把握できる。
他の子より遅れている子は「これはまずい」と思い、先生に叱咤される前に自分で軌道修正できる。
教師が教師にしかできない役割(=本当に必要な子供に対する個別支援)に徹するためにも「C-C」「C-TPC」を有効活用し、子供同士やTPCに任せられることは任せていくとよい。
(3)そして、先日、松島正昭氏のセミナーを受けて、次のように考えた。
===================
◆先生がほめる・先生が価値づける・先生がフィードバックする
この、先生からの価値づけだけでは、成長は頭打ちだから
◆子供同士でほめる・子供同士で価値づける・子供が相互にフィードバックする
ように仕向けることで、学級がワンランクアップする
=====================
これも、T-C型の指導から、C-C型の指導への転換だ。
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1人1台端末活用 〜そういうことか(5)〜

 『チエルマガジン』2022秋冬号に、春日井市立高森台中学校の特集ページがあり、問いを立てる授業の大切さを解説している。
==========
自分なりに問いを立てるのは簡単ではなく、時間がかかる。だから前半の「教科書を読んで情報を集めて整理する活動」はスピーディーに進め、問いを考える時間を十分に確保していた。(中略)
「情報の収集に時間をかけすぎると、それだけで『学んだ気』になってしまいがち。そもそも今までの授業は、子供が自分で情報収集する機会すら少なく、先生が情報を与えてくれるのを待っていました。情報の収集はさっと進めて、集めた情報の整理・分析や考えることに時間をかけるねらいです。」p10
===========
・・という記述を見ると、情報収集のために、教科書以外の資料を持ち込んで各自で「沸騰するまで情報をインプットする」というような学習活動は行っていないことが分かる。
スタートラインは「教科書」という同じ土俵なのだ(と理解した)。
情報満載の資料より、情報が足りない教科書の方が疑問が出やすいのかもしれない。
特集の端々に出てくる小川晋先生の言葉も、今となればストンと落ちる。
◆「 答えにたどり着けなくてもいい。むしろすぐ答えが出るような問いでは、やりがいがない。
簡単には答えられない、熱中できる問いを立てようと、子供たちには伝えています。」
◆「 一人ひとりが情報を集め、問いを立てるような授業を昔からやってみたいなとは願っていました。
でも、紙では無理。スーパーティーチャーならできたでしょうが、ほとんどの先生には至難の業でした。
でも1人1台端末やクラウド使えば、誰でもできる。誰でもできるから、子供たちは経験を詰め、力がついてきたのです。」
「問いを立てられない教科」も気になるところ。
例えば数学では、次のような授業例が示されている。
=========
「問題発見、解決能力を育む」という大きな目標の下、例えば3年生の数学科の授業では前半は教科書を見ながらみんなで解き、後半は先生が用意した難易度別の複数の問題から選択し、個別に学習します。担当教員は「自分の現在地を客観的に把握して、自分に合った方法で学ぶ『学び方』を習得させたい」と話します。p13
==========
・・数学の問題を最初から自由選択させていないことが重要で、「教えてー手放す」の手順が大事であることが分かる。
この記述部分のキーワードが「自分の現在地」だ。
自分の「現在地」を見誤ると、個別最適な学びに繋がらない。

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1人1台端末活用 〜そういうことか(4)〜

 『チエルマガジン』2022秋冬号に、春日井市立高森台中学校の特集ページがある。
タイトルは
1人1台とクラウドがもたらした変化
 「本当の問題発見・解決能力」を育み、生涯にわたって学び続ける子供を育てる
1人ひとりが問いを立てる様子が、次のように紹介されている(意図的に改行してナンバリングした)。
==========
①教科書を読んで、Googleジャムボードで情報を手早く整理。
②それを基に、自分で「問い」を考え、チャットで発信。
③そして自分の「問い」を1つ選び、Googleスプレッドシートに書く。
個別の活動だが、いつもクラウドでつながっていて、友達の意見も参考にする。
これを高森台中では「明るいカンニング」と呼んで推奨している。
============
・・友達の「問い」に触発されて、新たな「問い」が生まれる好循環は、クラウド上で「中途共有・他者参照」が行われているからだ。
アナログなやりとりとはスピード感が違う。
 そのことを高橋純先生が次のように解説している。
◆ ICTやアプリを積極的に活用することによって、先生や子供の意思で実際に、リアルタイムに、学習の中途を共有・把握できる。長年、先生方がやりたくても実践できなかったことが「主体的に学ぶ」授業、それがG I G Aスクールの1人1台の実現で、一人ひとりを主語にした教育ができるようになったと評価します。
 そもそも「問いを立てる」が一番の難関だと言う水谷校長の言葉も説得力がある。p5
◆ 「問題発見・解決一番難しいのは、実は、問題を発見すること」と語っています。それなのに今までは、先生が「問い」を与えていた。これではいつまでたっても問題を発見する力がつかない。自分なりの問いを見つけてこそ、調べたくなり、自分で学びを進めていけるようになると言うわけです。
 このような授業や学習活動を日々経験し、子供たちは先生に言われてからやるのではなく、一人一人が自ら進んで課題を設定し、自分の解決方法で取り組むことができるようになってきたのです。
・・「自ら問いを立てる」を実現するためには、教師側の意識改革が必要になる。
そのことを堀田先生は次のように書いている。p7
================
GIGAスクール環境の学校に求められているのは、従来までの「先生が教える授業」ではなく「子供が学び取る授業」へのパラダイムシフトです。
一般的に先生は、どうしても「何かを教えて学ばせなければならない」と考えがちです。しかし、1人1台端末が整備された今、分からない言葉はその場で検索すればいい。概念を理解した上で、細かい事象はいつでも調べる態度とスキルのほうが重要です。さらに必要な知識を集めるだけ集め、 そこから自分にとって今何が重要かを判断できることの方が、答えのない不連続な変化の時代を生きる子供たちには大事です。
先生から教わる事は大切でこれからもなくならないと思います。でも、そういう勉強の仕方しか知らないと自らが直面する問題は解決できないでしょう。
=====================
・・さらに「 先生方も、GIGAスクール環境をベースに、慣れ親しんだコンテンツを教える授業だけでなく、コンピテンシー(資質・能力)を育む授業に挑戦してほしい」と結んでいる。
 先生が教える授業を否定しているわけではない。しかし教えるだけじゃダメですよと述べている。
 このバランスがとても難しい。
「問いを立てる」については、別途、発信します。
 この「チエルマガジン」(無料)は中身が濃いです。

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1人1台端末活用 〜そういうことか(3)〜

 『チエルマガジン』2022秋冬号に、堀田龍也先生の巻頭論文があり、次の見出しが刺激的だった。
◆「今までの授業のどこでICTを使うか」という発想では情報端末は十分に生かされない
 1人1台端末や クラウドに慣れるステップ1に対し、「個別最適な学び」と「協働的な学び」を実現する過程をステップ2と呼んでいる。
 そのステップは理解できる。
 しかし、このステップ2の中に、一斉授業型・同時多発型の2段階があるようで、その解説が学会のシンポジウム以外からピックアップできないので戸惑っている。
 ただ、この巻頭論文をよく読むと、それらしい記述がある。p3〜4
◆ 例えば、あるクラスの総合的な学習の時間で高齢化社会を取り上げたとしましょう。ある子供は介護職員などを支える人について調べたい、ある子供は病院での対応を知りたい、ある子供はもっと別の事柄をやりたいと言ったとします。
・・こういう状況は総合に限らず、社会や国語でも起こりうる。
国語の物語なら「人物を追いたい・対比構造を追いたい・情景描写を追いたい」のように個々の課題(アプローチ)を設定することができる。40人で40通りということはないだろうが、そこそこの「コース別」ということがあり得る。
したがって、追究する課題が異なれば「同時多発型」の授業になるには当然の流れだ。
40人クラスなら40通のテーマが出てくる可能性があり、先生がすべてに精通しているとは限りません。こういう場合、先生は万能な学習リソースではないことになります。でも、教科書、G I G Aスクールの端末、インターネット、学習動画、図鑑、図書館など様々な学習リソースの中から疑問の解決にふさわしいものを選択し、そこから学び取る力があれば自力で結論を導き出すことができます。
・・なるほど、学習課題を設定した時点で、「先生から学ぶ」は数ある学習リソースの中の1つにしかならない。
先生がファシリテーターと言われるのも、こういう事情だ。
◆ それぞれの子供の活動が可視化され、「あなたのテーマは私のやってることに近いから、一緒に調べよう」という会話が自然に生まれます。これが「個別最適な学び」と並んで提示されている「協働的な学び」です。
・・自然発生的に「活動が可視化され」と記述されているが、それは違うと思う。
そういう会話が生まれるように意図的に「可視化」するから、「一緒にやろうか」という会話になる。
この可視化するための手段が、クラウドだ。
違うページの言葉でいうと
「中途の共有」(高橋純先生の言葉)
「明るいカンニング」(高森台中学校の言葉)
ということになる。
◆ 従来型の紙ベースの授業スタイルでは、同じ教室内にいても他の人の学習活動の様子が分からない。でも、1人1台のGIGAスクール環境なら、クラウド上で他の子供のやっていることが可視化されるので、「なるほど、こういう風にまとめればいいのか」「こうやって検索すればほしい情報が手に入るのか」とインスパイア(刺激・啓発)されることがいっぱいある。
・・ここは課題解決に入ってからの「明るいカンニング」の記述である。
学会での高橋純先生のスライドでは「他者参照」という言葉が使われていた。
「自分の問い」と言われても困惑する子がいるかもしれない。
だから、問いも「他者参照」すればいいのだ。
従来「まずは自分で考えよう」「最後は自分でまとめよう」と、自分1人の力に重きを起きすぎていたと思う。

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1人1台端末活用 〜そういうことか(2)〜

JAET全国大会の参加封筒に入っていた『チエルマガジン』2022秋冬号。
堀田龍也先生の巻頭論文があり、先進校の学校の様子や授業の様子も紹介されている(その中で高橋純先生の言葉も引用されている)。
堀田先生の論考の中には以下の見出しの部分があって、なるほど!と思った。
◆「子供が学びとる授業」へのパラダイムシフトが求められている
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1人1台とクラウドがもたらした学習環境の変化を前向きに受けとめ、「自分で問題を発見し、解決できる」子供を育てているのが春日井市立高森台中学校です。(中略)
同校の水谷孝校長先生は、「問題発見・解決で一番難しいのは、 実は、問題を発見すること」と語っています。それなのに今までは、 先生が「問い」を与えていた。 これではいつまで経っても問題を発見する力がつかない。自分なりの問いを見つけてこそ、調べたくなり、自分で学びを進めていけるようになるというわけです。 このような授業や学習活動を 日々経験し、子供たちは先生に言われたからやるのではなく、一人 ひとりが自ら進んで課題を設定し、自分の解決方法で取り組むことができるようになってきたのです。P5
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問題発見能力は、確かに、先生の発問待ち・与えられた問題を解くだけでは、自ら問いを発見する力は育たない。
○「なぜなのか」という疑問
○「ひょっとして×××なのかな」という予想・仮説
疑問を抱き、仮説・予想を立てるから、その後の学習に主体的に取り組める。
別のページには、次のような記載がある。
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水谷校長先生は、強い危機感を抱いた。このままでは、社会に出た時に困る。「生涯にわたって、自分で学ぶ続けられる」子供を育てねばならない。(中略)
目指したのは「自分で問題を発見し、解決できる力」の育成だった。この「問題発見・解決能力」は、学習指導要領でも「学習の基盤となる力」と位置付けられている。P8
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高森台中学校を特集したこのページの見出しは
◆1人1台とクラウドがもたらした変化
 「本当の問題発見・解決能力」を育み、生涯にわたって学び続ける子供を育てる
巻頭にある堀田先生の論文のタイトルは
◆コンテンツを教える授業から、コンピテンシーを育む授業への改善を
・・・学習指導要領で出てくる様々なキーワードを具現化しているのがICT活用先進校だ。
まさに「パラダイムシフト」。
 これまでの「ICTが溶け込む一斉授業」の概念がガラガラと崩れている。

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一人一台端末活用「そういうことか」(1)

10月末のJAET研究大会(春日井大会)の同封資料をいろいろ点検した。
教育新聞(10/17付)に赤堀侃司(あかほりかんじ)氏の文章があった。
以下の部分が腑に落ちた(便宜上、改行を増やしてある)。
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ある教師は、話し合いが苦手な子供が、話すのではなく、端末のアプリに書くことで、自分の意見を言いやすいことを発見した。
ある子供は、話す方が得意で、少しだけ書き込んで、話し合いの時間に、対面で活躍した。
この様子を見て、子供たちにとって、活動したり表現したりする選択肢が増えたのだ、と納得した。
子供の個性を浮かす、学習の個性化とは、この意味だったのかと思い、端末を用いて書くこと、対面で話すこと、をうまく組み合わせることができるようになった。つまり、学習の幅が広がった。
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・・・中学校で授業をしていた頃を思い出してみた。
中学生は、進んで挙手発表することが少ない(目立つことを恐れる子が多い)。
しかし、他人と通じたり、自分の意見を聞いてもらうことは「まんざら」でもない生徒が多い。
だから意見文を印刷配付すると、みんな熱心に読んでいた。
だから、他学級でこんな意見が出たんだよと配付すると、異空間で同じ内容を学んでいる同級生と張り合うこともあった。
これまで「堂々と挙手発言できる生徒」と「人前で発言はできないけど作文は書ける生徒」しか生かされてこなかった教室に
「1人では自信がないけれど相談しながらなら自分の意見をまとめられる生徒」が加わり、
しかも「対面型」「クラウド型」の2つのタイプがあって、
多様な生徒の存在が認められるようになったと言うことか。
赤堀氏の言う「学習の幅が広がった」とはそういう意味なのだと解釈した。
そして、先進校の生徒が探究学習に熱中するのも、そういうことなのかなと思った。
勤務校の子供(3年生)が、Jamboardに調べ学習の結果を書き込んでいた。
その後、全体発表になると、子供たちが一斉に「はいっ」と挙手し、指名された子供が順に発表していった。
みんな意見を言いたくて仕方ないのだ。そこが可愛い。
こういう口頭発表は大事だが、すべて「口頭」にする必要はない(全員の口頭発表は無駄も多い)。
クラウド上の発表を有効に活用すれば、密度の濃い発表タイムになる。
生徒からすれば、口頭発表でなくても自分の意見を見てくれる他者がいるというのは、学習の励みになる。
先進校のようにチャットでコメントしてもらえたら、とてもうれしいだろう。
全体の発表がなくても、いつでも他者参照できる状態 〜まさに常時繋がっている「オンライン」の状態〜がクラウド活用学習の特徴である。
そして、それは、従来の授業の概念が崩れるほどの大きな変化だと思う。
#ICT活用授業

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堀田龍也先生の提言 〜授業設計のアップデート〜

10月末、愛知県春日井市で開催された日本教育工学協議会(通称JAET)の全国大会

研究紀要の中で、堀田先生は、次のようにも述べている。
こちらは何度も言われてことではあるが、しっかり噛み締めたいと思う。
学校での授業が主体的対話的で深い学びとして改善される必要がある。深い学びがあるという事は、その途上には浅い学びの段階があるということを意味する。誰かから教わった、教科書に書いてあったという、何となくわかったというレベルの知識を、対話的な学びによって精緻化し、その知識の社会での位置づけを知ることによって強靭なものとしていくということになる。そのためには、いわゆるアクティブラーニングが求められ、教師が知識を伝授するタイプの授業では立ち行かないということになる。ゆえに、教師の授業設計のアップデートが求められる。
「学習の個性化」は、学び手の興味・関心等に合わせた学習活動を通して学ぶということであり、個性的な学び方が期待される。みんなと同じ方法ではなく、自分なりのやり方で学ぶからこそ、他者の学びの多様性に刺激を受けることとつながり、これが「協働的な学び」との接点となるということである。それぞれの子供たちの個性が際立つような、そしてそれらが可視化されるような学習環境が学校に求められる。
「日常的なICT」で一息ついている場合ではないと言うことか。
ついでと言っては失礼ですが、JAET会長である高橋純先生の紀要巻頭の言葉を一部引用すると
◆本大会のテーマは「GIGAスクール環境の日常的な活用で実現する令和の学び」です。
ご存じの通りGIGAスクール構想が進展し、すべての児童生徒が端末を当たり前に活用できる教室になりました。教室環境はより豊かになり、それらに合わせた学習指導の充実が求められています。
その目指すべき姿は、中央教育審議会による答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して〜すべての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現〜において、新学習指導要領に基づいた一人一人の子供を主語にする学校教育の実現として具体的に描かれています。
 
・・・「一人一人の子供を主語とする学校教育の実現」という言葉の重みが、この大会後、ようやく身にしみてきた。
それにしても170ページを超える分厚い研究紀要がペーパーレスでないところが、今の状況を示している。
堀田先生は同じ紀要の中で次のように述べている。
◆紙でもデジタルでもいいことは、これからはデジタルでやるようにすべきである。そうしていかなければ、手間とコストが下がらない。
デジタルでもいいが、やっぱり紙の方がざっと読み通せるのだ。
大会に合わせて、教育系の新聞や冊子をたくさんいただいた。この紙媒介から多くの学びがあった。

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堀田龍也先生の提言 〜ICT活用授業の次のステージ〜

#ICT教育

10月末、愛知県春日井市で開催された全日本教育工学協議会(通称JAET)の全国大会。
研究紀要の中に、基調講演をされる堀田龍也先生の言葉がある。
情報端末を常時活用し、どのクラウドツールを用いて作業するかを自己決定し、可視化された友達の学習状況を必要に応じて適宜参照しつつ、自らの学習を進行する。学習過程における自分の現在地をメタ認知し、さらに必要な情報を収集したり、あるいは思考ツール等を用いて情報を整理したり、自分の学習の現状を発信して友達から意見をもらいやすくする。ここ春日井市の小・中学校では、子供たちのそのような学習の姿を見ることができる。

・・・ナンバリングしてみると、相当のレベルを求めていることが分かる。
①情報端末を常時活用する。
②どのクラウドツールを用いて作業するかを自己決定しする
③可視化された友達の学習状況を必要に応じて適宜参照しつつ、自らの学習を進行する。
④学習過程における自分の現在地をメタ認知する。
⑤さらに必要な情報を収集する。
⑥思考ツール等を用いて情報を整理する。
⑦自分の学習の現状を発信する
⑧友達から意見をもらう。
・・・「ここ春日井市の小・中学校では、子供たちのそのような学習の姿を見ることができる」
とあるが、一部の先進校以外では①以外に、いくつできているだろうか、と唖然としてしまった。
②で、クラウドツールを自己決定するとある。先生が指示したツールで作業させて満足してはいけない。
③で、可視化された友達の学習状況とある。黙々と各自のシートに書き込んでいては相互作用は生まれない。
④でメタ認知とある。ここがTOSSが今、最先端で進めているルーブリックと重なってくる。
今自分がどこまでできているかを自覚するから、次の⑤⑥⑦のようなステップに移行できる。
そして⑧。自己評価と教師の評価だけでなく、友達からの意見をもらう相互評価。それは、意見をあげる側の友達にとってもレベルアップの契機になる。異なる考えの組み合わせが化学反応を起こす。
当然だが、答え(考え方)が早々と一つに集約されるような課題では①から⑧は必要ない。
何を問うか、何を考えさせせるかの吟味がなければ、

タブレット端末で這い回る授業

になりかねない。
「学習の個性化」は、学び手の興味・関心等に合わせた学習活動を通して学ぶということであり、個性的な学び方が期待される。みんなと同じ方法ではなく、自分なりのやり方で学ぶからこそ、他者の学びの多様性に刺激を受けることとつながり、これが「協働的な学び」との接点となるということである。それぞれの子供たちの個性が際立つような、そしてそれらが可視化されるような学習環境が学校に求められる。
ともある。
先進校のICTの授業は、これらの多くを網羅している。
求められているのは

「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実

 シンポジウムでは「同時多発的な学習活動」というワードが飛び出して仰天してしまった。
 今なお、その衝撃の整理を続ける毎日である。
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November 18, 2022

個別最適な学びの選択肢の中に「協働的な学び」が含まれる

JEES全国初等教育研究会の情報誌「wutan 」の2022年2学期号にも春日井市のGIGAの取り組みが特集されている。

この冊子は現在の先端校のクラウド学習の状況がよく分かる。
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 「個別最適な学び」も盛んです。高学年や中学生になると、一人ひとりが自分の課題を設定し、自分なりに学習を進めることが増えていきます。教科書を見てもよいし、ネットで調べてもよい。友達と話し合っても、先生に相談してもよい。学んだ成果をレポートにまとめてもよいし、スライドを使ってプレゼン形式にしてもよい。何をどう学ぶかは、子どもしだい。子供一人一人が学習の主役になって、自分の課題に向かって学習を進めていきます。「自分が学びたいことを学べる楽しさ」に、子供たちは目覚め始めています。p3
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・・この記述の冒頭部分に「『個別最適な学び』も盛んです」とある。
 友達と話し合ったり、先生と相談したりすることも含めて「個別最適な学び」だ。
 ということは、「個別最適な学び」と「協働的な学び」は並立ではない。
 個別最適な学びの選択肢の中に「協働的な学び」が含まれることになる。
 
個別最適な学びを突き詰めると、1時間の中に多様な学習者がいる「同時多発的な授業」となる。
まるで「複式学級」のようなイメージだ。
しかし、授業は本来、個々の状況に応じるべきで、


ある子は先生に教えてもらい、
ある子は友達に教えてもらい、
ある子は友達に教えて学びを深め、
ある子は(ネット活用を含め)、一人学びをする。


・・・このような同時多発型の授業が「個別最適な学び」。
全員が黙々とAIドリルで学習することが「個別最適」ではない(はずだ)。
個別最適な授業は、GIGAだから始まったわけではなく、本当は従来でも行われているべきで、有能な先生は当たり前のように実践してきた。
スーパーテイーチャーしかできなかった個別最適が、GIGAになってやりやすくなったということでしかないのだ。
 奈須先生は、一斉授業が成立しない幼稚園では、前から当然「個別最適」であり、そのために「所時物」が周到に用意されていたと言う。

そんな観点もきちんと押さえておきたい。今確認しておきたいのは「学習指導要領の理念」だ。

 

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November 16, 2022

Jamboardの活かし方 〜先進校の強み〜

 JEES全国初等教育研究会の情報誌「wutan」の20222学期号に春日井市のGIGAの取り組みが特集されています。

「チエルマガジン」と同じく現在の先端校のクラウド学習の状況がよく分かります。

 

出川小学校の2年生活科では、先生が配信した「朝顔の苗」の写真を観察し、気づいたことをジャムボードに書いていました。友達の意見をリアルタイムで見られるので、お互いに刺激し合って、発見がどんどん増えていったのが印象的でした。簡単な使い方ですが、しっかり「協働的な学び」になっています。p6.7

・・・端末活用は、簡単なことから始めればいい。確かにこのような取り組みをさせている学校は山ほどあるでしょう。

しかし、詳細を読むと学ばせ方が全く違います。

 

一人1シートを使い、観察した写真を取り組み、発見したことを付箋に貼っていく。

付箋の色は目で見て見つけたことは黄色、手で触って見つけたことは緑色、

耳鼻口で見つけたことは水色、そのほかわからないことや感想はピンク色、

友達の発見からわかったことはオレンジ色という色分けで使っていた。

タイピングはまだできないので、手書きで入力。p7

 

ここでは付箋を「目」「手」「耳鼻口」「その他」「友達」で色分けするよう指示しています。

これは「シンキング・レンズ」の着想だということが、高橋純先生の論稿ページを読むと分かります。

 

例えば、稲穂を子どもたちに見せて「観察して気づいたことを出してください」と指示するだけでは発見はあまり出てきません。(中略)

そこでまず、「知覚」として「五感」を働かせます。視覚を働かせて、色や形に注目したり、「触覚」を働かせて触ってみて「籾が固い」ことに気づいたり。子どもたちは情報を得やすくなります。

 そうやって「知覚」した情報を、「認知」します。認知には「分類する」や「関連づける」などがありますが、私は「比較する」があらゆることの基本だと思っています。(中略)

 その上で「多面的・多角的に」考えてみます。P

 

 「観察して気づいたことを出してください」と指示するだけでは意見が出なくて当然というスタンスです。

だから、思考スキル(見方・考え方)を併せて教えていきます。

そこが研究者の指導助言が入った先進校の強さです。

このような普遍的な見方・考え方を習得させるから、一人学びが可能になります。

 

先生が「色や形に注目して」「ほかの植物と比較してみて」「農家はどうやってお米を育てているのか考えてみよう」などと指示しなくても、自分でどんどん考えて学んでいけます。シンキング・レンズは、子どもが自分で学びを進めるときの、強力な道具になるでしょう。

 

慣れてくれば、とりあえず同じ色の付箋でどんどん列挙させた後、各自の基準で色別に整理していく学習も成り立つでしょう。

「付箋の色の意味を教師が教える段階」と「付箋の色の意味を子供自身で考えさせる段階」があることを意識せずに、最初から「観察して気づいたことを出してください」とだけ指示しても、子どもは育っていきません。

端末を使うかどうかではなく、見方・考え方をきちんと教えるかどうかの教師の配慮の差が子供の学力差につながっていきます。

教師の責任は重いです。

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私の弟は学校だ

小学校2年生の主語述語の小テストで、A君が次のような答えを書いていた。

×私の弟は学校だ。
○私の弟は一年生だ。

おー、この×の回答は、あの「ボクハウナギダ」文法だ。

私の弟は「学校」ではない。
ただし、例えば、あなたの弟は今どこにいるかと聞かれたら「私の弟は学校だ」という言い方が成立する。
蛇足ながら、「ボクはウナギだ」というのは、「私はカツ丼にします」に対する「ボクはウナギだ」という場合の言い方である。
話者はウナギではない。
「象は鼻が長い」文法と同じように楽しく読んだことを思い出す。

「明日は月が欠ける」も、主語がはっきりしない一例である。
学校文法では「象はどんなだ」「明日はどんなだ」の構造と見なすので、主語は「象は」「明日は」である。納得しない方が多いと思うけど。

述語が表現する事柄(動作・作用=ドウスル、性質・状態・情意・判断=ドンナダ・ドウダ、説明=ナンダ)の主体(ナニガ)を押さえるために、
 
(主語)   (述部)
 私は、  水が ほしい
      (主語)(述語)
 
のような係り受けの関係が成り立つので、「水が」を述部に含まれる「部分の主語」とするというわけだ。

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November 15, 2022

「天地明察」から、保科正之へ

先日の皆既月食を機に、『天地明察』(角川書店)を読み返した。
江戸時代に改暦を果たした渋川春海(安井算哲)の話だが、さまざまな人物が丁寧に描かれていて心地よい。
知らないことだらけで、いちいち驚嘆しながら読み進めていったことを思い出す。
作品の中ではメインではないが、会津の初代藩主の保科正之が印象的だった。
保科正之がこれほどの徳のある人とは知らなかったのだ。
詳細は省くが、江戸から会津に戻った際のエピソードがさすがだった。
すでに目を患っての会津入りだった。
================
 かねて正之が願っていた隠居が、ようやく将軍家綱によって認められた。 二代目藩主となったのは四男正経で、のちに正容を養子にして家督を継がせている。
これにより、晴れて自由に会津に戻れるようになった正之は、将軍家御落胤たる大名とは思えぬ、きわめて質素な行列を伴い、 ひそやかに領地を見て廻った。二十年以上もの間、幕政を優先して藩に戻れた正之にとって、ようやくの慰安であった。今や藩主ではないのだか お忍びに等しい行列であり、出迎える者とてない。ないはずだったが、どこからともなく、
大殿様が来る
という噂が立ち、それが村々へ知れ渡った。そして正之が領内に入るや、街道の両脇が、出 迎えの民衆で埋め尽くされていた。行列の先触れも、この有り様に呆然となった。報告を受け正之は、その場で駕籠の戸を開かせている。 護衛の観点からすれば無防備も良いところだが、 それが正之の生涯における民生の在り方だった。 領民の方もそれを知っていた。見えぬ目をさまよわせながら正之がその身をさらしていることに気づくなり、街道を埋める民衆が一斉にその場にひれ伏したという。
”会津に飢人なし"
というかつてない偉業を成し遂げた君主に対し、決して派手派手しい歓呼といった、護衛の 必要を生じさせるような騒ぎは起こさず、ただ、
「大殿様」
「大殿様」
と、ささやくような、むせび泣きの声でもって迎えたのであった。323ページ
=========================
・・徳のある人とは、こういうものだとつくづく思った。
少し前に読了した五代友厚も、何キロにもわたる葬列が続き、大阪全体が休業状態だったとあった。
人を惹きつけるのは道理ではなく、誠意。「志」である。
保科正之は熱烈な朱子学であった
徳川時代の安泰は、家康が朱子学による道徳的な秩序を重んじたからだ
(道徳的な秩序を重んじたら謀反や下克上は起こらないというロジック)
というわけで、今は、ちょっとだけ朱子学を調べている。
別の本を読んでいたら、保科正之が出てきて、それもちょっと嬉しい。
探究は、まさに数珠繋ぎなのだ。

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November 11, 2022

「訓令型」の授業だから、「個別最適」になる

「訓令型」の授業だから、「個別最適」になる

「号令」=「任務だけを示したもの」(例)ゴミを拾いなさい

「命令」=「任務と趣意を示したもの」(例)教室をきれいにします。ゴミを10個拾いなさい。

「訓令」=「趣意だけを示して、任務は相手に任せるもの」(例)教師をきれいにします。自分でできることをやってごらん

この3つのステップを見ると、探究型の授業は、「訓令型」であることがよく分かる。
授業の場合、正確に言うと事前に示すのは「課題とゴール」であるから。
そして、やり方は各自に任されるわけだから、「個別最適」ということになる。
(本人が選んだ学習方法が適していなければ、「最適」にはならない。そのマッチングがファシリテーターの教師の支援が物を言う)。


「課題とゴールを示して、やり方は本人に任せる。

この訓令で子供がストレスなく動けるようになるのが、理想である。

◆この「訓令型授業」を成立させるのが「自由度の高い学習規律」で、学習ルールはゼロではないが拘束しない。
「課題を達成するために、何が必要か」を自問し、自己コントロールできる子どもを育てたい。

◆この「訓令型授業」を成立させる課題の1つは「検討しなさい」である。

きわめて「自由度の高い指示語」だが、それだけ奥が深い。
場合によっては、情報の「収集」も「分析」も「整理」も「考察」も含まれる。
「検討しなさい」で子どもが動けると、余分な指示がいらなくなる。
とはいえ、それまでの指導がなければ、「検討しなさい」と指示したところで何も動けない。

教師の指導の積み上げが必要になる。

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November 06, 2022

国語の教養小説 〜アウフヘーベンしようぜ〜

先に、道徳の価値葛藤について書いた。参考文献は、このサイトである。

このサイト終末部分を読んだ時、「なるほど!」と思った。
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「個人の成長と社会の関わり」を作品のメインテーマに据えた小説のことを「教養小説(ビルドゥングスロマン)」と呼びます。
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(1796)などを代表とし、19世紀のヨーロッパで近代文学の大きな潮流となったこのジャンルは、「個人の欲望」と「社会の規範」との対立、およびその止揚を主眼に据えているという意味で、まさに「弁証法的な小説」だったのです。
=========================
・・そう言うことか。
この「教養小説」の構造で、小学6年生の「海の命」が読める。
A:父の仇であるクエを捕え、父を乗り越えたい・
・・テーゼ
B:与吉じいさの教えを守るなら、クエを殺してはならない
・・・アンチテーゼ。
C:太一はABの葛藤に悩み「クエを父親と同一視する・クエを海の命とみなし不可侵の存在とみなす」というウルトラCの解決策を生み出す。
・・・ジンテーゼ
【太一は、泣きながら葛藤し、ジンテーゼを思いついた瞬間、笑みを浮かべた。】
もう少し単純な成功物語なら、父親の仇であるクエを捕まえてハッピーエンドになるところだが、6年生という段階では、もう少し屈折した成長譚として提示したかったということだろうか。
このサイトを読んで、さらに興味深いと思ったのは、
◆アウフヘーベン型の成長譚が時代に合わなくなったことと、
◆教養小説的なプロットを拒否する現代小説の例は山ほど挙げられること。
こうした指摘を読むと、逆に教養小説的な小説の意味が分かってくる。
弁証法を超えて? 現代小説に見る『成長』への懐疑」という見出しで、芥川賞を受賞した「コンビニ人間」を次のように読み解いている。

主人公の恵子は、
「コンビニ勤務が一番自分に合っている」
しかし「いつまでもアルバイトの身分ではいられない」。
にもかかわらず「ならばコンビニで正社員になれるように仕事を頑張ろう!」
というアウフヘーベンをしない。
むしろ恵子は、そのような“分かりやすい成長の物語”に対して自ら背を向けるようにして、「コンビニバイト」という隠みのを利用し続けている。
=====================
ここで、冒頭で指摘した「昭和という時代には弁証法について語ることが“クール”だった」という前提に立ち返りましょう。
「昭和」とは、「高度経済成長」を背景に、個人もまた「成長」の物語を信じることができた時代でした。
しかし、21世紀初頭の日本人が手渡された現実といえば、(中略)「成長」の物語を挫くような諸々の矛盾だったのです。
そのように〈近代〉と〈現代〉を分け隔てるものを考えた時、弁証法による絶え間ない自己改良の物語、つまり「社会がより良くなっていく」という楽観が失われたということが、「コンビニ人間」のような現代小説を生んだ歴史的な文脈であると言えるのかもしれません。
=====================
・・なるほど、文学から現代社会を見取り、思想や風潮を語るとは、こういうことなのか。
教養小説=ある種の葛藤を乗り越える物語は、楽観的な「成長物語」なのか。
ただし、こういう成長譚を「作品のパターン」とみなしているからこそ、読者の期待を裏切る形の非成長物語が際立つ。
「型」があるから「型破り」が生きるのだ。
義務教育で「型」を教えることは、とても重要な意味を持つ。

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道徳の思考過程 ~アウフヘーベンしようぜ~

子供は、授業する前から、そこそこ道徳的な発言をする。
たとえば、「不公平は良くないよ。差別はいけないよ」ぐらいのことは最初から分かっている。
だからこそ、
◆「では、今日からは給食は全員同じ量にします。減らすのも増やすのも禁止です。これが公平だね」と決めたらどうなるか。
◆「男女平等だからオリンピックを男女一緒にしよう」と決めたらどうなるか」
などと、子供の既成概念を打ち崩すような意見をぶつけて、深く考えさせる。
こういう否定があって、子供は初めて真剣に考える。
・・・結局、調べ足りなくて個人的な見解に過ぎないのだが、これが、ヘーゲルの弁証法だ。
Å:命題(テーゼ:正)・・・・・・・真理として提示される考え
B:反対命題(アンチテーゼ:反)・・矛盾や否定
C:統合命題(ジンテーゼ:合)・・・アンチテーゼによって示された矛盾と照らして修正されたもの。
正・反の対立を通して新しい考えに引き上げることをアウフヘーベン(止揚)と言う。
上記の場合、
「差別はいけないってみんな言うよね。でも男女差や体格差を無視したらそれもいけないよね。この矛盾を解決するにはどう考えたらいいか」について案を出し合うのだ。
「不公平や差別はダメ」といった概念に、付帯条件や例外規定を加えることになるだろうか。
これが「アウフヘーベンしようぜ!」ということだ。
◆確かに差別は良くないが、男女差や年齢差、体格差は存在する。それらの「差」によって不利益をこうむる人が出ないように、相互理解を深めることが大事だ。互いのハンディキャップを埋めるのは「差別」とは言わない。
・・・もちろん子供はこんなに整然と言わない。
また、この見解がベストでもない。
みんなで、(その学年相応でいいから)、意見を言い合って、よりよい考えを出す。
あるいは個々の最終的な見解をもつ。
「正解」はないから「納得解」を探る。
そんな授業が「議論する道徳」なのだと自分は勝手に解釈している。
※カントは「二律背反」という言葉を使う。これが同じなのかどうかは全然自信がありません。
そして「価値葛藤(モラルジレンマ)」のルーツがここにあるのかどうかも分かりませんでした。
モラルジレンマは、「安易に第三の方策を考えない」と聞いたことがあるので、真逆かもしれません。

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November 05, 2022

張り合う必要はないが、助け合いは大事。

幼稚園バス事故のようなヒューマンエラーを防ぐためには、それぞれの仕事分担を重ねていくことが1つの策だと思う。

「向こう三軒両隣の掃除の作法」というのは、お互いに少しずつ掃除箇所を重ねようという発想だ。

昔の丁稚は、隣の丁稚に先に掃除をされたら叱られたいう話もあるが、そんな風に競うことが主眼ではない。

ある地方では、お隣分の掃除をすると「嫌味」になるそうだが、そんな風に競うこと(自慢すること)が主眼ではない。

◆二重・三重のチェックをする。

◆お互いのうっかりミスや盲点をカバーする。

◆何らかの非常時に、ぽっかり穴が開かないように互いカバーする。

これは想像力の問題であり、思いやりの問題でもある。

学校現場では「あっ、今日○○先生、不在なんだ」という時がある。

その先生が依頼した仕事にひょっとしたら漏れがあるかもしれない。

そんな時、「少しでもカバーできたら」と少し踏み込んで確かめてみる職員集団でありたい。

「頼まれていないから、ノータッチ」では残念だ。

それで犠牲になるのは、結局子どもなのだ。

 

※職員室で給食を食べていたとき、養護の先生がまだ食べていないなと思ったことがある。

「保健室で何かあったのかな、職員室に戻って来れないのかな」と思って、掲示板を見たら、お昼前から出張に出かけていたことが分かった。

無駄な心配だったが、取り越し苦労で結構。日々、こうした気配りをしていきたいなと思った。

自慢話に聞こえたら申し訳ないが、そんなこともあって、二重三重のチェックが必要なのだと思うようになった。

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