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November 15, 2022

「天地明察」から、保科正之へ

先日の皆既月食を機に、『天地明察』(角川書店)を読み返した。
江戸時代に改暦を果たした渋川春海(安井算哲)の話だが、さまざまな人物が丁寧に描かれていて心地よい。
知らないことだらけで、いちいち驚嘆しながら読み進めていったことを思い出す。
作品の中ではメインではないが、会津の初代藩主の保科正之が印象的だった。
保科正之がこれほどの徳のある人とは知らなかったのだ。
詳細は省くが、江戸から会津に戻った際のエピソードがさすがだった。
すでに目を患っての会津入りだった。
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 かねて正之が願っていた隠居が、ようやく将軍家綱によって認められた。 二代目藩主となったのは四男正経で、のちに正容を養子にして家督を継がせている。
これにより、晴れて自由に会津に戻れるようになった正之は、将軍家御落胤たる大名とは思えぬ、きわめて質素な行列を伴い、 ひそやかに領地を見て廻った。二十年以上もの間、幕政を優先して藩に戻れた正之にとって、ようやくの慰安であった。今や藩主ではないのだか お忍びに等しい行列であり、出迎える者とてない。ないはずだったが、どこからともなく、
大殿様が来る
という噂が立ち、それが村々へ知れ渡った。そして正之が領内に入るや、街道の両脇が、出 迎えの民衆で埋め尽くされていた。行列の先触れも、この有り様に呆然となった。報告を受け正之は、その場で駕籠の戸を開かせている。 護衛の観点からすれば無防備も良いところだが、 それが正之の生涯における民生の在り方だった。 領民の方もそれを知っていた。見えぬ目をさまよわせながら正之がその身をさらしていることに気づくなり、街道を埋める民衆が一斉にその場にひれ伏したという。
”会津に飢人なし"
というかつてない偉業を成し遂げた君主に対し、決して派手派手しい歓呼といった、護衛の 必要を生じさせるような騒ぎは起こさず、ただ、
「大殿様」
「大殿様」
と、ささやくような、むせび泣きの声でもって迎えたのであった。323ページ
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・・徳のある人とは、こういうものだとつくづく思った。
少し前に読了した五代友厚も、何キロにもわたる葬列が続き、大阪全体が休業状態だったとあった。
人を惹きつけるのは道理ではなく、誠意。「志」である。
保科正之は熱烈な朱子学であった
徳川時代の安泰は、家康が朱子学による道徳的な秩序を重んじたからだ
(道徳的な秩序を重んじたら謀反や下克上は起こらないというロジック)
というわけで、今は、ちょっとだけ朱子学を調べている。
別の本を読んでいたら、保科正之が出てきて、それもちょっと嬉しい。
探究は、まさに数珠繋ぎなのだ。

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