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November 06, 2022

国語の教養小説 〜アウフヘーベンしようぜ〜

先に、道徳の価値葛藤について書いた。参考文献は、このサイトである。

このサイト終末部分を読んだ時、「なるほど!」と思った。
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「個人の成長と社会の関わり」を作品のメインテーマに据えた小説のことを「教養小説(ビルドゥングスロマン)」と呼びます。
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(1796)などを代表とし、19世紀のヨーロッパで近代文学の大きな潮流となったこのジャンルは、「個人の欲望」と「社会の規範」との対立、およびその止揚を主眼に据えているという意味で、まさに「弁証法的な小説」だったのです。
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・・そう言うことか。
この「教養小説」の構造で、小学6年生の「海の命」が読める。
A:父の仇であるクエを捕え、父を乗り越えたい・
・・テーゼ
B:与吉じいさの教えを守るなら、クエを殺してはならない
・・・アンチテーゼ。
C:太一はABの葛藤に悩み「クエを父親と同一視する・クエを海の命とみなし不可侵の存在とみなす」というウルトラCの解決策を生み出す。
・・・ジンテーゼ
【太一は、泣きながら葛藤し、ジンテーゼを思いついた瞬間、笑みを浮かべた。】
もう少し単純な成功物語なら、父親の仇であるクエを捕まえてハッピーエンドになるところだが、6年生という段階では、もう少し屈折した成長譚として提示したかったということだろうか。
このサイトを読んで、さらに興味深いと思ったのは、
◆アウフヘーベン型の成長譚が時代に合わなくなったことと、
◆教養小説的なプロットを拒否する現代小説の例は山ほど挙げられること。
こうした指摘を読むと、逆に教養小説的な小説の意味が分かってくる。
弁証法を超えて? 現代小説に見る『成長』への懐疑」という見出しで、芥川賞を受賞した「コンビニ人間」を次のように読み解いている。

主人公の恵子は、
「コンビニ勤務が一番自分に合っている」
しかし「いつまでもアルバイトの身分ではいられない」。
にもかかわらず「ならばコンビニで正社員になれるように仕事を頑張ろう!」
というアウフヘーベンをしない。
むしろ恵子は、そのような“分かりやすい成長の物語”に対して自ら背を向けるようにして、「コンビニバイト」という隠みのを利用し続けている。
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ここで、冒頭で指摘した「昭和という時代には弁証法について語ることが“クール”だった」という前提に立ち返りましょう。
「昭和」とは、「高度経済成長」を背景に、個人もまた「成長」の物語を信じることができた時代でした。
しかし、21世紀初頭の日本人が手渡された現実といえば、(中略)「成長」の物語を挫くような諸々の矛盾だったのです。
そのように〈近代〉と〈現代〉を分け隔てるものを考えた時、弁証法による絶え間ない自己改良の物語、つまり「社会がより良くなっていく」という楽観が失われたということが、「コンビニ人間」のような現代小説を生んだ歴史的な文脈であると言えるのかもしれません。
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・・なるほど、文学から現代社会を見取り、思想や風潮を語るとは、こういうことなのか。
教養小説=ある種の葛藤を乗り越える物語は、楽観的な「成長物語」なのか。
ただし、こういう成長譚を「作品のパターン」とみなしているからこそ、読者の期待を裏切る形の非成長物語が際立つ。
「型」があるから「型破り」が生きるのだ。
義務教育で「型」を教えることは、とても重要な意味を持つ。

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