ぼたんを植えたのは楽しむため
先に「教育は菊づくりではなく、大根づくり」と発信したが、
貝原益軒の言葉で「ぼたんの花」のエピソードも書いておく。
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教育書の「養生訓」「和俗童子訓」など、多数の本を著した、江戸時代の本草学者、儒学者として知られています。
今回は貝原益軒の生き方から寛大さ、視座の高さを学んでいきたいと思います。
ある日、外に出ていた間に、留守番の若者が隣の友達と、庭で相撲を取って、益軒が大切に育てていたぼたんの花を折りました。
若者は心配して、益軒の帰りを待ち受け、隣の主人に頼んで、過ちを詫びてもらいました。
益軒は少しも腹を立てた様子がなく、
「自分がぼたんを植えたのは楽しむためで、怒るためではない。」
と言って、そのまま許しました。
https://copel.co.jp/category2/ekiken-kaibara-precept/
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・・この言葉を、今の学校現場とリンクさせて考えてみた。
「学校に来るのは楽しむためで、ケンカするためでもトラブルを起こすためでもない」
しかし、これでは直接すぎるので、少し和らげて
「久しぶりに登校して、すぐにケンカやトラブルでは悲しいな。学校は楽しむために来るところだから、ケンカやトラブルが起きないよう気をつけようよ」
ぐらいで諭せたらよいと思う。
益軒の言葉は、
◆そもそも学校は勉強するところであって、悪ふざけするところではない。
◆今は勉強する時間であって、ケンカする時間ではない
◆先生のお仕事は勉強を教えることであって、みんなを怒るためではない。
などとも言える。
ただし、正論を押しつけると逃げ場を失った相手は反感しか持たない。
諭し方を十分注意しないと、益軒の「寛容さ」とは真逆の対応になってしまう。。
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