教育は菊を作るような方法ではいけない。
許容範囲の狭い先生は「俺の言う通りにしろ」という圧迫感が強い。
子どもより自分の方が思慮深いのだから、間違っていないという思いが強い。「自分の方針に合うように子供を矯正するタイプ」という先生の存在を知って
「あっ、これが『菊作り』のことか」
と納得した。
==========
総じて人を取り育て申す心持ちは菊好きの菊を作り候様には致すまじき儀にて、百姓の菜大根を作り候様に致すべきことに御座候。 菊好きの菊を作り候は、花形見事に揃い候菊ばかりを咲かせ申したく多き枝をもぎ取り数多のつぼみを摘みすて、のびたる勢いちぢめ、わが好み通りに咲くまじき花は花壇中に一本も立たせ申さず候。 百姓の菜大根を作り候は、一本一株も大切にいたし、一畑の中には上出来も有りへぼも有り、大小不揃いに候ても、それぞれに大事に育て候て、よきもわろきも食用に立て申す事に御座候。 細井平洲「鸚鳴館遺草」
新版「続・授業の腕を上げる法則」(学芸みらい社)
第一条 子供の教育は菊を作るような方法でしてはならないしてはいけない。
=========
・・・自分の好みになるようにつぼみを摘んだり、枝をはらったりするような教育ではいけない。
大根作りのように大小不揃いであっても、それぞれを大事にするべきであるという指摘を、向山先生の著作から学んだ。
新卒数年という時期に、この教えを読むことができて幸運だった。
「自分は一生懸命教えているんだから、これでできないのは私の責任ではない」と「落ちこぼし」やむなしと考える教師も少なくない。 「できる子は伸ばすが、できない子は仕方ない」というエリート教育と真逆の教育が、日本の民度の高さ、普通の人々の教育力の高さに繋がっている。
(1) 自分にとっては常識になっている「菊作りではなく、大根を作るように」という教育観が、果たしてみんなの常識になっているかは疑問である。この機会に、しっかり広めていきたい。
(2)教師だって様々だ。不揃いでも、無理に揃えず、それぞれの個性や強みを活かせるようにするのが学校経営の根幹だ。
「教育」カテゴリの記事
- 最初は、びしっとやればいいのか?(2023.03.31)
- 子どもができることは、子どもに任せる。(2023.03.31)
- 「最初の三日間」の価値を意識する。(2023.03.31)
- 学級の最終日をイメージする。(2023.03.31)
- 我々の仕事は1年走り続けるマラソンランナー(2023.03.30)
Comments