かば焼きの匂いは、うなぎ屋の前で捨ててきた
◆逸話の多い禅僧のひとりに「一休禅師」がおれらます。
ある日、お弟子さんと檀家の法事に参られる途中、たまたま「うなぎ屋」の前を通りかかったときの話です。
店の中からおいしそうな鰻を焼く匂いが漂ってきます。一休禅師は思わず「うまそうだな」といいました。
それを聞いたお弟子さんは驚きました。「自分たちのようなものでも、うなぎ屋の前でうまそうだな、というようなことを言うのはあまり行儀のよいことではない、ましてや一休禅師ほどの方がうまそうだなんて」何かを食べたいといった欲望を口に出すものではないと、弟子さんは思っていました。
やがて、家に到着したところで、お弟子さんは「和尚さんは先ほどうなぎ屋の前で、うまそうだなとおっしゃいましたが、あれは出家者の身としてよくないことではないでしょうか」と尋ねました。すると一休禅師は、
「お前はまだそんなことを引きずっていたのか。わしはかば焼きの匂いなどは、うなぎ屋の前で捨ててきた」
と言われました。
おいしそうな匂いにそそられる、それは誰にもある当たり前の感情です。
花屋の前では美しいとながめ、お菓子屋さんの前で「おいしそう」と思うことは、その時の目の前のことを精いっぱい味わっていることであり、「今」を大事にすることです。
しかし、ひとつのことに心を奪われたりしばられたりすると、「今」を見失ってしまいます
https://blog.goo.ne.jp/sakamichi361/e/25369d6e0d674ab75728bd3f7915adfb
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・・・保護者からのあるクレームがあって、このエピソードを思い出した。
私としては、ここで筆者が述べた「今を生きる」よりも、「思いを、その場に捨ててきた」という言葉の方が強烈に残っている。
いつまでも思いを引きずることの戒めだ。
この場合の一休さんは「うまそうだな」というポジテイブな心の声だが、「悔しい」とか「ばかやろー」などのネガテイブな心の声などは、しっかり吐き出した方が後に残らないと思う。
クレームを入れる方も、いつまでも過去にこだわらないで、今を生き、未来を志向してほしい。
「過ぎたことでなく、今後のことを考えましょう」
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