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February 24, 2023

「学習評価」大丈夫か?

2年前に書いたものを修正して示す。いまだに「学習評価」について怪しい先生がいるからだ。

「学習評価について指摘されている課題」については、中教審の部会で次のように報告されている。

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〇 例えば、学校や教師の状況によっては、

・学期末や学年末などの事後での評価に終始してしまうことが多く、評価の結果が児童生徒の具体的な学習改善につながっていない、

・現行の「関心・意欲・態度」の観点について、挙手の回数や毎時間ノートを取っているかなど、性格や行動面の傾向が一時的に表出された場面を捉える評価であるような誤解が払拭し切れていない、

・教師によって評価の方針が異なり、学習改善につなげにくい・教師が評価のための「記録」に労力を割かれて、指導に注力できない、

・相当な労力をかけて記述した指導要録が、次学年や次学校段階において十分に活用されていない、といった課題も指摘されている。

「児童生徒の学習評価の在り方について(報告)」平成31年1月21日中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会

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・・・現場の混乱(手抜き)を見透かされたような記載だ。

その後も、「ペーパーテストだけで評価しないように」との指摘が何度も出てくる。

ただし、一文が長いから、読むのが大変。これでは広く浸透しない。

 

◆「資質・能力のバランスのとれた学習評価を行っていくためには、指導と評価の一体化を図る中で、論述やレポートの作成、発表、グループでの話合い、作品の制作等といった多様な活動に取り組ませるパフォーマンス評価などを取り入れ、ペーパーテストの結果にとどまらない、多面的・多角的な評価を行っていくことが必要である」

 

◆「知識・技能」の評価は各教科等における学習の過程を通した知識及び技能の習得状況について評価を行うとともに、それらを既有の知識及び技能と関連付けたり活用したりする中で、他の学習や生活の場面でも活用できる程度に概念等を理解したり、技能を習得したりしているかについて評価するものである。

具体的な評価方法としては、ペーパーテストにおいて、事実的な知識の習得を問う問題と、知識の概念的な理解を問う問題とのバランスに配慮するなどの工夫改善を図るとともに、例えば、児童生徒が文章による説明をしたり、各教科等の内容の特質に応じて、観察・実験をしたり、式やグラフで表現したりするなど実際に知識や技能を用いる場面を設けるなど、多様な方法を適切に取り入れていくことが考えられる。

◆「思考・判断・表現」の評価は、各教科等の知識及び技能を活用して課題を解決する等のために必要な思考力、判断力、表現力等を身に付けているかどうかを評価するものである。具体的な評価方法としては、ペーパーテストのみならず、論述やレポートの作成、発表、グループでの話合い、作品の制作や表現等の多様な活動を取り入れたり、それらを集めたポートフォリオを活用したりするなど評価方法を工夫することが考えられる。

◆「主体的に学習に取り組む態度」については、挙手の回数やノートの取り方などの形式的な活動ではなく、児童生徒が「子供たちが自ら学習の目標を持ち、進め方を見直しながら学習を進め、その過程を評価して新たな学習につなげるといった、学習に関する自己調整を行いながら、粘り強く知識・技能を獲得したり思考・判断・表現しようとしたりしているかどうかという、意思的な側面を捉えて評価することが求められる」

○ 単に継続的な行動や積極的な発言等を行うなど、性格や行動面の傾向を評価するということではなく、各教科等の「主体的に学習に取り組む態度」に係る評価の観点の趣旨に照らして、知識及び技能を獲得したり、思考力、判断力、表現力等を身に付けたりするために、自らの学習状況を把握し、学習の進め方について試行錯誤するなど自らの学習を調整しながら、学ぼうとしているかどうかという意思的な側面を評価することが重要である。

○ 本観点に基づく評価としては、「主体的に学習に取り組む態度」に係る各教科等の評価の観点の趣旨に照らし、

① 知識及び技能を獲得したり、思考力、判断力、表現力等を身に付けたりすることに向けた粘り強い取組を行おうとする側面と、

② ①の粘り強い取組を行う中で、自らの学習を調整しようとする側面、という二つの側面を評価することが求められる。

○ 「主体的に学習に取り組む態度」の具体的な評価の方法としては、ノートやレポート等における記述、授業中の発言、教師による行動観察や、児童生徒による自己評価や相互評価等の状況を教師が評価を行う際に考慮する材料の一つとして用いることなどが考えられる。

その際、各教科等の特質に応じて、児童生徒の発達の段階や一人一人の個性を十分に考慮しながら、「知識・技能」や「思考・判断・表現」の観点の状況を踏まえた上で、評価を行う必要がある。

したがって、例えば、ノートにおける特定の記述などを取り出して、他の観点から切り離して「主体的に学習に取り組む態度」として評価することは適切ではないことに留意する必要がある。

・・・ 椿原先生に紹介していただいた『OECD Education2030 プロジェクトが描く教育の未来」白井俊著(ミネルヴァ書房)にも、次の指摘がある。

「知識・技能」や「思考・判断・思考」が思わしくなくても、授業態度はまじめだからと「CCA」の評価が付くような場合だ。

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「CCA」といった評価をしている教師には、「勉強が苦手は生徒でも、頑張っている状況を何とか評価してあげたい」という切実な願いが込められている場合があることは、心理的にはよく理解できる。

しかしながら、コンピテンシーの統合的性格を前提に理解すれば、「知識」や「思考力」から切り離して、「態度」のみを独立して捉えることはそもそも不適切であるし、逆にそうすることによって、授業中の挙手などの表面的・形式的な態度の獲得も、数学や国語といった教科の「学力」の重要な要素であるという誤ったメッセージにもなりかねない。授業中の挙手の回数や宿題の提出などについては、むしろ普段からの声掛けや面談、通知表の総合所見などにおいて評価すべきことであり、観点別評価は、あくまで各教科を通して身に付けるべき資質・能力を評価するために行うものである。(P9)

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A:普段からの声掛けや面談、通知表の総合所見

B:各教科の観点別評価

このの2つは、明確に区別しろということ。

各校、本当に大丈夫かな?

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February 20, 2023

そもそも「シベリア抑留」はなぜ起こったのか?

 土曜日にようやく『ラーゲリより愛を込めて』を映画館で観た。
 「家族の愛」よりもシベリア抑留・強制労働のことが気になって、映画に没入できなかった。
 帰宅後、「なぜ終戦後も捕虜を救えなかったのか?」のようなサイトも確認した。
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そもそも「シベリア抑留」はなぜ起こったのか?
 山本は1944年7月に招集され、36歳で出兵。ハルビン特務機関に配属され、ソ連の情報を翻訳していたことがスパイ行為とみなされ、終戦後、ソ連の国内法により戦犯として25年の重労働が課せられた。ソ連にいたわけではない山本を、国内法で裁けるわけがないのだが――。抑留すること自体とそこでの待遇は、日本が1953年に加入したジュネーヴ諸条約にも、「捕虜を抑留する間の宿舎、食糧、被服、医療・衛生等に関する待遇、捕虜の金銭収入、捕虜の通信・救済品等、捕虜に対する刑罰・懲戒罰の付与」などの点で違反していた。(中略)
 本作を観ていて疑問に思ったのは、そもそもなぜシベリア抑留などという非人道的なことが起きたのか? そして、なぜすぐに俘虜解放の交渉が始まらなかったのか? ということだった。(中略)
 しかし終戦後であるにもかかわらず、日本は捕虜を救出できなかった。ロシア科学アカデミー東洋学研究所所長のエレーナ・L・カタソノワ氏は、スターリン体制下で「社会主義建設のために、無報酬の労働力が必要だったから」ではないかと語っている。一方、ロシア国防省中央公文書館に残された<関東軍文書>からは、敗戦時の交渉で“日本の条件を受け入れるのであれば日本人労働力を提供する”と書かれたものが1993年に発見されている。当時、日本では、兵隊という市民の労働力を条件交渉の材料として使ったのではないかと報道され、話題になった。
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・・・抑留者は平和交渉の「捨て石」だったのか。
 そうなると、これはソ連の問題というより日本国内の問題ということになる。
 あれだけの非人道的な行為に怒りの声を上げない日本人・置き去りにした日本人は、これからも様々な国からの迫害・侵害を受け入れてしまうのだろうか。
 というわけで、不当に抑留された人たちへの憤りがおさまらず、「ラストで感動した」とは言い切れないのだった。
 しかし、自分だって、これまで直視してこなかった問題だ。
 このところ幕末や明治維新あたりに関心を向けていたのだが、やはり「昭和」も見直してみなければ。
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通知表の所見対策

 2月なかばは、「授業を進める ー テストをやる ー 成績をつける」が最優先といえば最優先なので、所見にまで気が回らない先生が多い。忙しいのは分かるが、初任にとっては初仕事なので少しずつでも取り組んでほしい。

 通知表は一生残るし、何度も読み返れされるので、十分な配慮が必要になる。

(1)大事なのは具体的なエピソードです。

 ちょっとややこしいが、例えば次のような場面

◆給食の際、牛乳のストローを入れるゴミ袋にジャムが入っていたことがある。A君が見つけて、袋からジャムを取り出して、ジャム用のゴミ袋に入れかえていた。 後で担任に聞いたところ、彼は前期の給食係だが、後期、自分の係でなくなってからも、給食のゴミ処理にすごく熱心に取り組んでいると言う。

・・・この「ストロー用のゴミ袋にジャムの袋が〜」というところは、状況説明が難しいし、あまりに小さなエピソードだから通知表に記載しづらい(ただし懇談会などの話題としては使える)。

 でも、こういう具体的なエピソードをベースにするから、「係が変わっても進んで給食の後始末に取り組んだ」というような抽象的な(総括的な)所見ができる。こういう具体的なエピソードのストックが大事である。

 また、次のような場面。

◆特別日課で掃除がなかった日。昼放課に3人の子が教室掃除をしていたので、「あれ、すごいね」と言うと、「今日は清掃カットの日だから、3人で掃除をしているの」と話してくれた。

・・・当然、係でもなんでもない自主的な行動だから、こういう素敵な行動はぜひ何かの形で残しておきたい。たまたま○月○日にだけ取り組んだ行動なら一生残る通知表に記載することもないが、「清掃カットの時はいつも・・」のように言えるなら、それは記載するだけの価値がある。

(2)「行動の記録」と擦り合わせてください。

 通知表には毎学期「行動の記録」がある。行動の記録の「責任」に◯があって、所見に「責任を持って」とあるのはよいが、○がなくて所見だけ触れてある場合、保護者は「所見で『責任を持って〜』とを褒めるなら○をつけてくれればいいのに」という不満を持つかもしれない。

 「元気よく」「礼儀正しく」「進んで」「協力して」「分け隔てなく」などのフレーズは、行動の記録の「〇」と所見を連動させると誤解が少ない。

(3)「指導要録」を参考にするのは、使わないためです。

 今は、通知表の所見の文末表現を変えて要録用としてデータをコピーする場合が多いから、指導要録を見れば、前年度までの通知表の所見がおよそ把握できる。

 ただし、「指導要録を参考にする」というのは、「使わないための参考」であると考えてほしい。

 1年に1回書かれる通知表の所見だから、子供も保護者もおよそ覚えている。そこに昨年と同じような内容、あるいは毎年同じような内容が書いてあってはがっかりさせてしまう。

 「いつも明るく元気」「進んで係活動を」「友達と仲良く」「運動が得意」のようなフレーズは、「行動の記録」と連動させるから結果的にそうなるのだが、今年度らしいエピソードを入れることで同じ観点でも受け止め方が変わってくる。だから(1)の具体的なエピソードのストックが大事になる。

 高学年はクラブ・委員会・行事などの活躍場面が多くなるから、そういうトピックで書くと、所見のダブりを回避できる。

 

(4)大変なのは残り2割です。

 よく、2割の子に8割のエネルギーが必要になると言われる。逆に言うと8割の子はそれほど苦労なく書ける(はず)。 大変なのは、おとなしい子・目立たない子。早めに書けそうな子は早めに済ませて、おとなしい子・目立たない子を注視してほしい。

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February 16, 2023

中学年の社会科の扱い方

(当たり前のことを書いていると思われたらごめんなさい)

中学年の社会科では、全国版の教科書と地域版の副読本を併用している。
全国版の汎用的な知識を扱っておかないと市販テストで困る。
ただし多くの先生の授業展開は、春日井市の副読本中心で、春日井市の様子について具体的に学んでいく。
◆全国版の教科書で学ぶべき内容をおさえ
(たとえば、明石市ついて、何をどう調べているかを学び)、
◆春日井市では(あるいは校区では)どうなのかを副読本等を使って調べまとめる
というスタイルで安定させると教師の出番を徐々に減らすことができる。
4年生の場合は、全国版の教科書プラス愛知県の副読本になる。
教科書が「コンピテンシー」、副読本が「コンテンツ」と言えるだろうか。
これまで自分が見た授業は、多くの場合、副読本中心で、教科書の扱いに困っていた。
また、副読本に書かれた内容を丁寧に押さえる授業が多く、副読本を使って「調べ学習」をするという手法ではなかった。
「教科書の方法を活用して、副読本やネット記事を使って、地域を調べる」という形でなら、子どもの思考場面を増やせるのではないか。
これも「探究型」かな。
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February 12, 2023

子どもの辛さに本気で寄り添っているか?

かつて、体育の時間、今一つまじめに取り組まない女子がいた。
走り高跳びでは、はさみとびのフォームが理解できず、ハードル走のように突っ込んでバーを蹴飛ばしてしまう。
「えー、分からん分からん」と言って、うまく跳べない。
「みんなの動きをよく見てよ」と思うが、そんなアドバイスが入らない。
長なわでは、入るタイミングが合わず、何度も失敗した。アドバイスをすると「プレッシャーになるからやめて」と言う。
「態度悪いな、前向きでないな」と感じることもあったが、彼女は苦手意識があって、みんなができることができなくて辛かったのだろうと今は思う。
高跳びも長なわも、多くの子は苦労していない。
なのに自分はうまくいかない。
順番が回ってくるから仕方なくチャレンジするが、本当は嫌で嫌で仕方ないのかもしれない。
Aレベル・・自分の意志でチャレンジする(ジャンジャンやりたい)
Bレベル・・人に押されてチャレンジする(指示された分だけやる)
Cレベル・・いやいやチャレンジする(できればやりたくない)
Dレベル・・拒否する(失敗するからやらない)
彼女は「拒否」はしない。
ただ失敗するからできればやりたくないのだ。
これは「学習性無力感」
【できない経験を繰り返すと、がんばろうとしなくなる】
に関わる事例だ。
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失敗恐怖が強く、自尊感情が乏しいCくん。課題が示されても積極的に取り組めない背景には、成功体験までたどり着けなかったであろう過去や、警戒心や逃避・拒否の繰り返しの歴史が存在しているようだ。(中略)
「あいつはやればできるのに、手を抜いている」とか「あいつは何を言ってもやる気を示さない」といった周囲の誤解につながることもあるので注意しなければならない。
 月刊「実践障害児教育」2014年7月号P40 川上康則氏論文より
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そう、彼女に対して「あいつはやればできるのに、手を抜いている」という誤解を、教師である自分が持ってしまっていた。
そして彼女に過度の助言(過度の期待)をして苦しめていた。
できない子供の辛さに寄り添えないようでは、教師失格。
そんな子供に最適な指導を講じてこそ教師であり、それができないなら「子供の辛さに寄り添う教師」なんて口にする資格がないのだ。

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優秀だけど、バツになったAさんの解答

3年国語の市販テストで指示語の問題があった。
~~線の「こそあど言葉」が指している言葉にーー線を引きましょう。
   図書館で本をかりた。それは今年の話題作だ。
・・・Aさんは「それ」が指し示す言葉として「図書館で本をかりた」の全部に線を引いていた。
よく分かっていないのかなと思って、
「この『それ』は何のこと?」と聞くと、「図書館でかりた本」と言う。
おー。
それって大正解じゃん。
言葉(単語)に下線を引く問題だから不正解だが、この考えはとても正しい。
このように指示語の内容に合わせて「それ」に該当するものを書き換えるのは、高学年から中学生レベルの問題だ。
Aさんの考えこそが完全解答だ。Aさん見下してごめんなさい。
Aさんは、出来過ぎで、バツになった。
誤答の背景を知らないと、A子の正しい評価ができない。
(もう1問、同じような問題があるので、A子は、ここでマイナス10点となった)。
〇か×かの採点の奥に「すごく惜しい×」がある。
今回のAさんは、◎をつけたいくらいの×であった。
今日は、テスト解説の場面でたまたま見つけたので、「言葉に線を引こうだから『本』が正解だけど、もっと詳しく言うと「図書館でかりた本」なんだよ」と取り上げた。
機械的に採点していては見抜けないなあと改めて思った。

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道徳教育より法規の教育の問題

いじめは「犯罪」として教えます。

悪ふざけも「犯罪」として教えます。

「モラル」の問題ではありません。

威力妨害罪

詐欺罪

器物損壊罪

窃盗罪

民事の逸失利益・慰謝料に関する損害賠償

※引用したリンク先は有料記事なので文面は見られませんが、この図だけでも価値があります。

こういうネット記事はいつか閲覧できなくなるから、ちゃんと保管しておかないといけません。

https://www.asahi.com/articles/DA3S15547820.html

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February 10, 2023

「72時間の壁」

トルコの大地震で「72時間の壁」というワードが何度も出てくる。
72時間が救出のギリギリラインと言われているからだ。
この言葉を聞くと、以前の勤務校でお世話になったPTA会長を思い出す。
その方は自衛隊にお勤めで、子供向けに災害救助のお話をしていただいたことがある。
小宴の席で阪神大震災の災害救助の経験があるとお聞きし、感心した当時の教頭先生が出前授業の段取りをつけたのだ(東日本大地震の前の話です)。
その時の子供向けの話の中で次のように言われた。
==============
72時間以内には自衛隊が救助します。
だから3日分の支援物資は自分たちで用意しておいてください。
==============
・・・「そういうことか!」と納得した。
自衛隊が最善を尽くしても、時間がかかる。
一刻も早く救助してほしいと思っても、そう簡単にはいかない。
だから、3日分の物資は「自助努力」なのだ。
「3日以内には救助される」と信じれば、生きる気力が奪われることもない。
なるほど、こうやって趣意説明されると、用意しなきゃなという気になる(すみません、すぐ忘れてしまいますが)。
自分の身の危険を恐れず救助に向かう方々には感謝しかありません。

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February 08, 2023

2023年の「世界十大リスク」

 2023年の「世界十大リスク」。
 ロシアや中国と同じ指標で9位が「Z世代」とある。

◆9位は「Z世代の台頭」です。1990年代半ば~2010年代初頭に生まれた若者は生まれた時にインターネットが既に存在していたデジタルネイティブ世代です。そうした世代が新たな政治勢力となり、影響力がさらに広がると予測しています。
https://media.rakuten-sec.net/articles/-/40277

 Z世代は、日本国内の造語ではなかったんだという感想は置いておいて、
 20代から30代の世代の先生が、学校現場に大きな影響を与えるのは当然だ。

◆ミレニアル世代は、1980年から1995年の間に生まれた世代と定義されています。2020年に25歳から40歳を迎える世代です。この世代がこうして括られるのは、その成長がデジタルの台頭とともにあったためです。インターネット環境の整備が飛躍的に進んだ時代に育ち、情報リテラシーに優れ、インターネットでの情報検索やSNSを利用したコミュニケーションを使いこなします。そんな、ITに高い親和性を持った世代です。

◆Z世代とは、1996年から2015年の間に生まれた世代と定義されています。デジタルが当たり前の時代に生まれてきたことから「デジタルネイティブ」とも呼ばれます。2020年に5歳から24歳を迎え、世界全体では人口の4分の1を占める世代です。日本においては、令和のスタートと共に社会に飛び出し新しい時代を切り開く世代ともいえるでしょう。

https://www.salesforce.com/jp/blog/2019/12/how-millennials-and-gen-z-are-different.html


 当然のようにネットを使う世代は、条件次第で限定的に使おうとする世代とは感覚が違う。

◆所有にこだわらない
 Z世代は、前世代であるミレニアル世代に比べると経済的なゆとりが少なく、消費に対して慎重な姿勢を持っています。また、モノを所有する欲が少ないとも言われています。「必要なものは、必要なときに、自分が必要なぶんだけ利用できればいい」という合理的な考え方を持っており、定額制サービス、いわゆる「サブスク」を利用する人も少なくありません。
https://solution.lmi.ne.jp/column/c293

 所有にこだわらないこの世代は書籍を買わない(持たない)。
 文字文化よりも映像文化、動画文化。
 それは長所短所の問題ではない。そういう傾向になるのだから、彼らに合わせた接し方が必要になる。

 上記サイトには、次のような記載もある。


◆自分らしさを大切にする一方で、承認欲求が強く、他者からの評価に敏感なのもZ世代の特徴の一つです。Z世代はSNSを当たり前に使いこなしますが、SNSを使う理由として「自分らしさをアピールしたい」「自分の考えや行動を受け入れてもらいたい」といった理由を挙げる人は少なくありません。また、承認欲求が強いあまり、「評価を気にしすぎてしまう」「常に、人にどう思われているのか気になる」という人も多いようです。

 確かに、インスタグラムや動画で情報発信している若い先生が多い。
 TOSSランドのような承認がなくてもダイレクトに自分の実践を発信でき、承認欲求も満たされる。
「自ら発信」が当たり前の若い先生方には、「受け身の学び」だけでは物足りないかもしれない。

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問いに正対した解答が大事!

某会社の国語の市販テスト。2年生の「おにごっこ」を見た。
2番
原文:このあそび方だと、おにの数がふえていくので、おには、にげる人をつかまえやすくなります。
Q:このあそび方だと、おにと、にげる人は、どうなりますか。
A:数が(ふえていく)ので、にげる人を(つかまえやすくなる)。
【採点基準】「つかまえやすい」「つかまえやすくなります」なども正答。
根拠1・・設問は「どうなりますか」と聞いている。
根拠2・・本文は「つかまえやすくなります」と書いてある。
ならば、正解は「つかまえやすくなります」の一択。
どうみても「つかまえやすくなる」は×もしくは減点。
そして「つかまえやすい」は明らかに×。
3番も同様で、笑えるほど同じことが言える。
原文:このあそび方は、どきどきして楽しいけれど、おにごっこがすぐにおわってしまいます。
Q:このあそび方をすると、どうなりますか。
A:(どきどき)して楽しいけれど、おにごっこが(すぐにおわってしまう)。
【採点基準】「すぐにおわる」「すぐにおわってしまいます」なども正答。
「すぐに」が抜けているとマイナス5点
根拠1・・設問は「どうなりますか」と聞いている。
根拠2・・本文は「すぐにおわってしまいます」と書いてある。
ならば、正解は「すぐにおわってしまいます」の一択。
どうみても「すぐにおわってしまう」は×もしくは減点。
そして「すぐにおわる」は明らかに×。
これではテストが「問いと答えは正対させなくていい」と教えているようなものだ。
「~なども正答」って、正答を後回しにしている言語感覚が信じられない。
むろん、担任が、この模範解答と採点基準を無視すればいいのだが・・。
問題文が「常体」で、設問が「敬体」の場合は、解答にそういう混乱が起こる。
しかし、今回は問題文が「敬体」で、設問が「敬体」だから、わざわざ「常体」に直した解答をOKとする必要はない。
常体の解答は、せめて「~なども正答」に格下げするべきだろう。

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子供がいたずらを注意されても繰り返すのは「叱る」から。

NHK「チコちゃんに叱られる!」2月3日(金)放送分
子どもがいたずらを注意されても繰り返すのはなぜ?
・・・過剰反応のエラーラーニングという趣旨の解説をしていた。
◆いたずらの快感でドーパミンが出まくっている子供に大声で注意する。
◆「見てもらえた」という快感を得る。
◆従って、さらにいたずらがエスカレートする。
だから、冷静に対処せよ。いけない理由を静かに説いて、クールダウンさせよ。
大声で叱らない。興奮しない。驚かない。注目しない。
・・・家庭でも学校でも同じ。分かってはいるけれど、そう簡単にできることではないんですよね。

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February 03, 2023

問題解決型学習とシンキングサイクルは別物

 日本文教出版のサイトに「算数授業のススメ」という連載がある。
 その1回目が「自分でみんなで」学ぶ算数(主体的・対話的で深い学び)勝見芳雄氏担当。令和3年6月18日発行
 令和の日本型学校教育の「個別最適な学びと協働的な学び」の実現のためには「一人ひとりの子どもが自分で学ぶ」「複数の子どもがみんなで学ぶ」の2つが必要だとして、算数の問題解決学習の4段階を紹介している。
「課題把握」→「自力解決」→「集団解決(練り上げ)→「まとめ・練習」
・・そう、これは、以前自分が考えていた「個別最適な学びと協働的な学び」のモデルだ。
今年度になって「それでは一斉指導から離れられない」と理解したのだが、自分が誤解する状況が、かつてはフツーに出回っていたのだ。
 この連載記事には、次のような解説がある。問題解決的学習の価値と課題だ。
◆日本では、この「問題解決的学習の積み重ねによって世界の中でも算数の高い学力が維持されてきました。 
 ところが、この学習スタイルだけがひとり歩きした場合、授業が形式的になり子供の思考の流れに合っていないという指摘もなされてきました。
 つまり、先生が「はい、では次」と言って問題解決の段階を移行させていては、授業が形式的になってしまうのです。
◆(ポイント)問題解決型学習の段階は、先生が移行させるのではなく、子どもが自分自身の学習によって主体的に移行できるようにする。
・・・今まで通りの練り上げの授業では、うまくいくとは限らないよと警告している。
そして、つい最近の連載記事。2022年12月の第6号では、以下のようなポイントが挙げられている。
================
◆「個別最適な学び」を実現するためには、まず、子どもが多様な方法で解決できる課題を設定する。
◆その課題の「自力解決」では、解決する内容や順序を子どもが選択する。
◆「集団解決」で「協働的な学び」を実現するために、まず、子ども一人ひとりの「自力解決」を聞き合い、相互理解する。
◆そして、他者の学習から学んだことをもとに、自分の学習を自己調整し、その結果を「まとめ」に加える。
===============
ん?
ちょっとだけ「同時多発型」のにおいがするぞ。軌道修正していないか?
令和の日本型学校教育と従来の「練り上げ」の授業とは別物だということで事情が変わってきたのか?
高橋純先生の著書では、問題解決的学習と「シンキング・サイクル」は全く別だと断じている。
==============
自力解決→協働学習→全体学習→ふり返り、といったものは、本書では学習過程とは言わない。これは子供にとって学習過程というより、教師にとっての単元・授業過程と言うべきか、学習形態というべきもので、子どもが身につけるべき学習の流れとは言えないからだ。
「学び続ける力と問題解決」P67
==============
理論武装は難しい。
多面的・多角的に情報を集め、かつ適宜アップデートしていかないと取り残されてしまう。

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February 02, 2023

教科指導・教材研究の「自腹」額



「先生の幸せ研究所」の調査データがネットに出ている。
 回答数:83件だからデータの信ぴょう性は疑問なのだが・・・。
  自腹になっているもののベスト4は、まあこんなところだろう。
①教材・副教材・教具代 59%
②文具代金       54%
③教材研究費      47%
④研修・講習費     43%
 そして、自腹なしが7%(6人)。
 えっ、自腹ゼロって、そんなことあるの?
 それって、本も買わないし、研修も参加しないってこと?
と思いながら、一方で「世の中の先生ってそうなのかもな」と思う。
そして、設問2の自腹額

Jibara    
 小中高支援学校を合わせて、パッと見て多いのが
①年間1~2万の黄色ゾーンと2~5万のオレンジゾーン
②年間1万円以下の青・空色ゾーン
 年間5万~10万がパラパラ。
 年間10万以上がさらにパラパラ・
 一般的に見たら、年間10万円以上というのは自腹の高額支出組か。
 年間購読の雑誌、様々なオンライン参加の年会費に、5千円から1万円のセミナーを年に数回(というか月に数回)参加する。
 そう考えると「自腹はない」とか「年間5000円」ということはない。
 ただし、自腹は「義務」ではないから、推奨するわけではない。
 それぞれの事情や信念に合わせて、使っていただければいい。
ちなみに、この自腹データと、満足度・残業度をクロス集計したらどうなるのかが気になった。
◆自腹額が多いほど(仕事の課題がうまく解決するから)仕事に対する満足度が高いと言えないか?
◆自腹額が多いほど(仕事に直結する情報量が多いから)残業度が低いと言えないか?
◆自腹額が少ないほど(自己投資する意欲に欠けているから)、教職に不満が多いと言えないか。
・・・あくまで「仮説」である。





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