初任者を苦しめる要因(9)
「教わる気持ち」と「学ぶ気持ち」
校内研修にしろ校外研修にしろ、公的な研修は「教わる」という受動的・他律的な意味合いが強い。
一方、休日返上で身銭を切って参加する自主研修は「学ぶ」という能動的・自律的な意味合いが強い。
同じような意味合いで使われるのが「誘因」と「動因」という言葉。
「誘因」は、外的な環境や条件のことで給与や昇給などが含まれる「インセンティブ」。
「動因」は内発的なモチベーションで、自分で奮い立たせるやる気のことを「ドライブ」と言う。
ビジネスシーンで使われる場合の「ドライブ」とは、通常「駆り立てる」「追い立てる」の意味になる。
他人や自分を鼓舞したり、気持ちを奮い立たせるために使われる言葉で、噛み砕いて言えば「気合を入れる」「もっとがんばる」といった意味合いになる。
授業の準備に奔走するのが給料をもらう生計=「誘因」のためなら、それは、いわば「ライスワーク」。
もらえる給料に見合うところで行動すれば良い。
一方、授業の準備が楽しくて子供の反響が楽しみで取り組んでいるとしたら、それは「動因」になっている。
いわば「ライフワーク」。自分が納得するまで追究すれば良い。
「学ぶ」ではなく「教わる」気持ちの相手に熱心に教えても、相手は迷惑だろう。
5分のつもりで指導の言葉をもらいにきたのに、30分もも講話されたら本人もたまったものではないが、良かれと思って逆に恨まれる方もたまったものではない。
だから「啐啄同時」。
学ぶ気持ちがあるなら指導者も熱を入れて教えるし、教わる側の気持ちがそれほどでもないならほどほどにしておけば、お互いの無駄が省ける。
「学ぶ」と「教わる」の間に「教えを請う」がある。。
自分から進んで訊ねてくれるなら、教える側もそのリクエストに特化すればいい。
本当に学ぶ気があるなら漫然と「教えてもらう」ではなく、「教えを請うてみよ」なのだ。
・・・とまあ、これは教師の研修も問題だから、これでいいと思っていた。
しかし、子供の場合と重ねてみたら、そうでもないなと思えてきた。
子供にとっての「授業」が、「教わる」だけで「学ぶ」を感じていなかった時、教師はそこで諦めるか。
学ぶ意欲を奮い立たせられなかった自分の力量を反省して、何とか「学ぶ楽しさ」を実感してもらおうと努力するではないか。
ならば、教師の研修も同じだ。
相手に学ぶ意欲がないからと諦めるのではなく、学ぶ楽しさを実感できるまで教えるのが指導者の仕事だ。
初任者研修や校内研修で学ぶ側の熱を感じないとしたら、熱するよう働きかけ工夫するのが、指導者側の仕事なのだ、
もし、いつまで経っても自分から「教えを請う」姿が見られないとしたら、指導の中身がお粗末か、コミュニケーションが足りていないかどちらかだ。
若い先生も「僕を教えるのも給料のうちですよね」と開き直れば良い(その代わり、その言葉は保護者から浴びることがあることを覚悟しておいてほしい)。
「若い教師が学ばない」と嘆くのではなく、そのような教師を「優れた学び手」にしていくことを課していかねばならない。
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