July 28, 2023
July 27, 2023
春日井市に投下された模擬原爆
全校出校日(登校日)。
5年生は、戦争に関する動画を視聴し、感想をスプレッドシートに書き込んでいた。
戦後75年 終戦前日に愛知県に落とされた”パンプキン爆弾”は実は原爆投下の練習のため その知られざる真実
https://www.youtube.com/watch?v=IQ2oRMxrSqg&authuser=0
原爆と同じサイズのパンクキン爆弾は、原爆のお試しとして全国各地で投下され、春日井市の場合は原爆投下を終えた後終戦前日に投下されている(今後の戦争への参考資料のためか、残った爆弾の処理のためか・・)
今や、太平洋戦争の悲惨さを学ぶというねらいだけではもったいない。
ウクライナでは今なお戦争が続き、爆弾投下が行われている。
ただ「戦争反対」を唱えるだけでは、今、世界で行われている「戦争」を理解することができないのだ。
太平洋戦争の動画を見て平和の大切さを感じた我々は、ウクライナの惨状に無関心では意味がない。
「歴史に学ぶ・過去に学ぶ」は「今に活かす」ためでありたい。
それは「振り返り」ではなく、「まとめの感想」
過去の中学校での実践データが出てきた。
July 26, 2023
証拠となる言葉探しに、敏感になる。
かつて、国語の授業『注文の多い料理店』で、「証拠となる言葉」にこだわった授業をしました。
最初に取り組んだのが作品の時代です、
明治・大正・昭和と言われても歴史を勉強していない5年生には難しいですが、それでも『少なくとも○○がある時代』という意味で次のような物が証拠として出されました。
「十円」「ネクタイピン」「カフスボタン」「電気」「クリーム」「ホークとナイフ」・・。
教科書の解説に「二千四百円は現在でいうと二百万から三百万」とありましたが、これは時代をどうやって特定したのでしょうね。
宮沢賢治は明治生まれ、なくなったのが昭和の初めです。もっと調べればこの作品がいつ書かれたかは分かるはずです。
「二千四百円」というお金の価値を調べれば、教科書会社が特定した正確な時代は決まってくるでしょう。
歴史を知らないから仕方がないとはいえ、「江戸時代」「戦国時代」というような、あてずっぽうの意見が出ました(手をあげて発言しているわけではありません)。
ふだんの生活でも「あてずっぽう」や「思いつき」や「勝手な推測(すいそく)」で何か言うことがあります。
そして証拠もないのに適当なことを言って、人を傷つけたりトラブルを引き起こしたりします。
言葉は凶器にもなります。いいかげんなことを口にするのはトラブルの元です。
その意味では国語の授業の中で「意見を出したら、その証拠を見つける」という作業が大切なのだと思っています。
次の授業では『注文の多い料理店』の「季節」を考えました。
なんとなくでも「秋」か「冬」に、しぼられます。
かんじんなのが「証拠」です。「白くまのような犬」では季節には無関係です。
「寒くなってきた」「外が非常に寒い」「寒さにぶるぶるふるえ」「外とう」=「オーバコート」「ひびが切れる」「温かいものでも食べて、元気をつけて・・」
などがページ番号とともに発表されました。
同じようにぶるぶるふるえていても、こわくてふるえている場面は関係ありません。
このように見ていくと「冬」で決まりそうですが、ものすごい山奥ですから「秋の終わり」でも寒いのだも考えられます。
証拠を見つけて意見を言うと「これ以上は決められない・どちらとも言い切れない」ということが起こってきます。
その限界が分かるようになると読みのレベルが一段アップです。
July 25, 2023
対話的な授業を成立させるために
授業がうまくいかない原因の一つは、授業がワンウエイになっていることだ。
「ソクラテスメソッド=対話術」について、色々WEB検索してみた。
◆日本の大学では、教授が十年来の講義ノートを一方的に読んだり、黒板に書いて教える形式が一般的ですが、こうした知識詰め込み型の講義形式とサンデル教授のソクラテス的対話方式には明らかに違いがあります。ソクラテス的対話方式では、解答のない問題について皆で意見を出し合いながら、多面的な見方を相互に学んでいくのです。しかも、ソクラテス的対話方式は、米国では初等教育でも行われているのです。
https://debatekk.net/education/20170611/
というWEBの文献の中で、以下の引用がある。
============
出典:玉川大学 第4・5回海外教育事情(連携)視察報告(1995-1996)
Buckingham Browne & Nichols School(以後BB&N;)で授業参観した際に,5年生の教室で先生が私達を児童に紹介し「子供達に質問があったら何でもしてみてください」と言われる場面があった.私達から児童たちへのいくつかの質問の中に「日本のスポーツ選手で知っている人はいますか?」というものがあったが,すぐには回答がなく,しばらくたってから「アッ,知ってる,知ってる,ヒデオ・ノモは日本人だ」との答えがあり,次に「たしか,スケートのクリスティー・ヤマグチも日本人じゃなかったかしら」という返事が返ってきた.その後,しばらく児童たちでワイワイ言い合っていたが,「なぜ,私達は日本のスポーツ選手を知らないのかしら」「私達がテレビで見ているのは国内のスポーツだけだからさ」「つまり情報源が偏っているということになる」「ということは発信する側の情報を一方的に受け入れずに,こちらから必要な情報を求めればよいということになる」「ただし,なぜ外国のスポーツ選手を知る必要があるのかは別問題」などのやりとりが展開された.日常の些細な事象を通して「懐疑的」あるいは「批判的」な思考力を育てようとする姿勢が垣間見られる場面であった.
===========
・・・なるほど、この場面は「引き出す」の典型なので、ストップモーションで解説してみる。
Q「日本のスポーツ選手で知っている人はいますか?」という教師の大きな問いかけがあり、子どもたちが「問いに正対して」自由に発言する。
A1「アッ,知ってる,知ってる~」、A2「たしか,スケートのクリスティー・ヤマグチも~」。
しばらく児童たちでワイワイ言い合っていた子どもたちが、自分たちで問いを立て、自分たちで解決し始める。
Q「なぜ,私達は日本のスポーツ選手を知らないのかしら?」
A1「私達がテレビで見ているのは国内のスポーツだけだからさ」
A2「つまり情報源が偏っているということになる」
A3「ということは発信する側の情報を一方的に受け入れずに,こちらから必要な情報を求めればよいということになる」
A5「ただし,なぜ外国のスポーツ選手を知る必要があるのかは別問題
・・・この場面は、「なぜ,私達は日本のスポーツ選手を知らないのかしら?」の問いが、分岐点になっている。
日本なら、多くの場合、ここも教師が問いかけて新たな展開に持っていくところだ。
授業を教師が主導する前提なら、この発問は教師だけに許可される。
しかし、「問いかけ」も含めて自由発言が許容されていれば、新たな問いが子どもから生まれ、その問題解決を皆で始めるこのような展開もあるわけだ。
有田学級の授業は、有田先生の巧みな話術と問いかけで、子供の思考がどんどん深まっていく。
有田先生なら「なぜ,私達は日本のスポーツ選手を知らないのかしら?」と問うだろう。
それが、いわゆる「揺さぶり発問」だ。
無論、有田先生も、自問自答できる子=独り立ちできる子をめざしている。有田学級の子どもは「はてな帳」で鍛えてあるから、自分で問いを立、自分で解決する(追求する)ことが可能だろう。
一方、向山学級の「磁石」の授業の鍵となる問いは、子どもによるものであった。
子どもから生じた気付きの中から向山先生が学級討論させるに足ると判断したものをチョイスして投げかけたものだ(と理解している)。
「優れた発問による授業」だけでは、子供が発問待ちになる。
子ども自身が問いを持てるように育てる必要があるから、分析批評のように「解釈コード」を教えるのだ。
一人読み・独り立ちさせるために欠かせないスキルを習得させておかなくてはならない。
ワンウエイでない授業の工夫、ツーウエイな授業・対話的な授業に必要な指導スキルについて、もっともっと深めていかねば。
「構造学習」について
「構造を読み解く力」河村有希絵(デイスカバー)によれば
構造学習とは「書かれていることの背景にある、著者・筆者の意図を自分なりに構造的に紐解く思考の訓練」。
思考トレーニングで身に付ける「基本学習」の行程は次の3プロセス10操作
第一構造:洞察思考(見とおし学習)
①問題発見 ②大きなふりわけ ③問題洞察 ④問題安定
第二構造:分析・統一思考(要点の振り分けと重みづけ学習)
⑤洞察の安定確認 ⑥要点分析思考 ⑧実証
第三構造:意思決定思考
⑨洞察・分析統一思考の安定確認 ⑩高次への洞察のまとめ
ちょっと難しいが、ざっくり次のように解説している。P28
◆段落に番号を振り、内容にまとまりのある段落をまとめて全体の文章をいくつかに分け、文章のテーマは何かを大きくつかむ(第一構造)、
そのテーマに向かって、段落のまとまりごとの要点を整理し、段落間の関係性を中心に図示するなど、文章の構造を考える(第二構造)
結果として、その文章がどのような文脈でそのテーマに対して答え、結論を出しているのかをつかむ(第三構造)
という工程を、ひとつの文章に対し、授業数回に分けて行っていました。
・・・この説明を読む限りでは、そんなに奇抜な授業だったとも思わない。ただ、授業記録の「練りあい」の部分を読むと、子供たちが互いに自説を述べたり、反論に対する説明を加えたりしているので、そうした子供の鍛錬も素晴らしかったということだ。
「思考の質を高める構造読解力」
「構造学習」は、戦後まもなく打ち立てられた初等教育の理論。
当時の文部省教科調査官だった沖村光が提唱したもので
1 教師主体の教授法ではなく、学習者(である子ども)主体の学習法としてまとめられていること
2 文章を「構造」という観点で分析すること
3 最終的に思考トレーニングとして位置づけられたこと
全国組織が組成され、1970年代には会員が1000名を超えたが1980年代以降は縮小したと言う。
定年退職した自分でさえ記憶がない。大学でソシュールは習ったけど。
それでも、その理論を現代風に説いた河村氏の本を読むと、「論理的思考」「正確なインプットとアウトプット」など現代的な課題をクリアするヒントが満載だということが分かる。
流行のシンキングツールは駆使しないが、段落構造図は考えさせている。
自力解決できる読み方を習得させるという意味でも、お互いの意見を交換・交流させるという意味でも、今なお意義深い(日本の教育は、こうやってぐるぐる回っているのだ)。
本書では「構造の読み解き」は次の三つの構成で成り立っていると言う。
1 論説的文章を読んで、論理を読み解く
2 物語、情緒的文章を読んで、人の心情を読み解く
3 思考を組み立てて、解釈する/アウトプットする
意味段落の内容を吟味して構造化するのは、決して簡単な作業ではないが
◆小学校段階の簡単な文章で慣れさせる。
◆「正解」に固執しない。多様な「解」があっていい。
と捉えることで、取り組みやすくなっている。
発案当初の沖村光のスタンスは「作者の意図を正しく読み取る」だったから、多様な解釈を許容したところが変遷している。
著者の特集サイト
◆コンサルで通用する思考力は「小学校国語」で学ぶ
文章読解で学んだ「構造を読み解く力」とは?
https://toyokeizai.net/articles/-/669255
◆商談相手の心情を読むのが上手な人下手な人の差
働く人こそ「物語」を読んだほうがいい理由
https://toyokeizai.net/articles/-/669266
ドラゴン桜も「構造」で読むことをお勧めしているので、併せて読むとよい。
◆東大生が実践、知ると「読解力爆上がり」の簡単原則
「文章の構造」を意識すると次の展開が読める
https://toyokeizai.net/articles/-/621516
◆「国語は公式で解ける」東大生が断言する納得理由
文章を読むのが遅い人にも役立つスキルを伝授
July 24, 2023
振り返りの質を高めるために
もともと「振り返り」は自分のために書けばいい。「日記」が「内省」の効果を持つように、「振り返り」も自己対話で完結してもいい。
ただ、そこに至る中途の過程では、第三者の支援や他者参照があった方が、質が上がる。
「誰かに自分の思考を読んでもらう」「自分の言いたいことを確実に伝える」
を意識すると、アウトプットの質は上がる。
◆ちゃんと教師や仲間が読んであげないと。
◆読んでリアクションしてあげないと。
◆できれば価値づけしてあげないと。
こうした支援があれば、書く側も読み手に合わせて次のような意識をする。
◆読み手を意識して書かないと
◆リアクションしやすい内容を意識しないと
◆ただし、人に褒められたい、認められたいという思いが強すぎると、邪念になる。
独りよがりにならないように気をつけないと。
学級通信やサークル通信、SNSで、自分の学びや気づきを記録することを習慣化してきた。
どれも「こんなことがありました。こんなことをやりました」の単なる経過報告ではなく、自分の気づき、学びを主にして書いてきた。
誰が書いても同じ客観的な記録ではなく、自分にしか書けない主観的な分析を意識してきた。
古いサークル通信を見返してみたら、情報に対する私の「解釈・意味づけ・構造化・評価・感想」がよいのだと評価してくださった方がいた。
振り返りの要素が、この「解釈・意味づけ・構造化・評価・感想」なのだなと納得した。
同じ1つの授業でも、学び方・受け止め方・感じ方は各人各様だから、自信を持って自分の視点で振り返りを書けばいい。
むしろ他人と同じになると「つまらないな」くらいの気概が欲しい。
「誰も思わないような鋭い視点で振り返る子供」を育むには、
「誰も思わないような鋭い視点で書いた振り返りを評価してくれる人(教師)」が必要だ。
評価してくれる人がいれば、その動きは加速するし、評価してくれる人がいなければ、その動きは減速する。
「人と違う意見が尊重される」という思想を、教室でどこまで貫けるかが問われている。
アウトプットの際、個人的に、気をつけてきたのが「2つのS」。
◆それで何? So what?
◆なぜそうなるの・なぜそう言えるの? Why so?
「今日の授業では○○の勉強をしました」だけでは「それで何?」と突っ込まれてしまう。
「次の時間もがんばりたいです」だけでは「なんでそう思ったの?」「何をどうがんばりたいの?」と突っ込まれてしまう。
振り返りの質を上げるとは具体的に書かせることだ。
「役に立った・勉強になった・次もがんばる」のような抽象的・総括的でステレオタイプな表現は要らない。
具体的に、論理的に、個性的に一人で書けるようになるまでには、の具体的な支援が必要なのだ。
◆モデリング・・手本を見せる
◆コーチング・・アドバイスやフィードバック・価値づけ
◆スキャフォールデイング・・少しずつ手放す。
「振り返り」の質を高めるために「価値づけ」をサイクルで回す
「認知的徒弟制」では、学習者へのサポートを4段階で考える。
①モデリング(modeling)手本を見せる ②コーチング(coaching)アドバイスやフィードバックを与える ③スキャフォールディング(scaffolding)徐々に足場を外していく ④フェーディング(fading)全て1人で行わせる(手放す) |
この4つのステップで「振り返り」の指導を考えると
①モデリングとして、ヒントを提示する。
例えば
◆今日分かったことは〜◆今日できるようになったことは〜◆今後に生かしたいことは〜
のように。
過去ー現在ー未来の成長過程を書かせる場合もある。
◆この学習をするまで、自分はどうであったか?
◆この学習を通して、自分は何を学び、どう成長したか?
◆この学習をいかし、これから自分はどう行動していきたいか?
「こうすればいいんだよ」と方向づけをしたり、「その振り返りいいね」とフィードバックしたりする。のが②の「コーチング」。
書くことが浮かばない子への支援(足場かけ)にするという意味では、③の「スキャフォールデイング」とも重なってくる。
ただし、フォーマットを決めてしまうことは長所でもあり短所でもある。フォーマットに従うと、思考停止してしまう場合もあるからだ。
全員一律に書かせたところで、全員が深い内省を書くことはない。
だから、それぞれの深い学びを書かせたいなら、書き出しを指定せず、各自に任せた方がいい。
自分が一番印象に残ったことに特化して自問自答して思考を深めさせた方がいい。
それが④の「フェーデイング」。教師がいちいち教えなくても自分で書き進んでいく状態だ。
「検討しなさい」の一言で分析批評が書けるように、「振り返りを書きなさい」の一言で自分らしい内省が書けることが望ましい。
さて、この①から④のステップは、「サイクル」(無限ループ)として捉えた方が成果がある。
ステップ④で書いたある子の深い振り返りを、①の「モデル」として全体に提示すれば、「価値づけ」になり、他の子にとっての新たな視点」になるからだ。
モデルとして全体に紹介された子は、紹介されたことが、次回へのモチベーションになる。
質の高い「振り返り」は、適切なフィードバック
ある学級の国語ノートを見たら、とても丁寧に感想が書いてあったが、検印がなかった。。
「どうしてノート点検してあげないのか?」と思ったのだが、逆に言うと、提出の義務もないのに丁寧に書けている点が驚きだった。
ノート点検して励ましたり評価したりすることは、次時への励みになる(プレッシャーにもなる)。
「振り返り」の質も同じだ。書いて終わり、提出して終わり、では励みにならない。そもそも、その内容でいいのかどうか、伝えてあげなくては本人には分からない。
評価する。フィードバックする。価値づけする。
ノートを持ってこさせ、瞬時にABCと評定していくことが、とても意味があったのだ。
さて、「価値づけ」は、「承認」「賞賛」とはちょっと違う。「それでいいよ、それがいいんだよ」という方向づけともちょっと違う気がする。
というわけで、ちょっと調べてみた。
一番納得したのが次の記述。
◆例えば、アニメや映画を観ていて、子どもが主人公の大変な状況に涙を流したとします。 あるいは、テレビのドキュメンタリー番組で、家族を亡くした子どもを観て涙を流したとします。 そういうとき、共感しながら「本当にかわいそうだよね」と言ってあげることはもちろん大事です。 そして、さらに言語化と価値づけのために、次のようなことを言ってあげるといいでしょう。 「あなたには人を思いやる気持ちがあるね」 「あなたは人の気持ちをわかってあげられる人だよね」 「あなたのように、人の苦しみがわかるって大切なことだよね」 このように言ってあげると、言語化と価値づけによって、子どもは「自分は人を思いやることができるのだ。それはとてもよいことなんだ」というよい自己イメージを持つことができます。 すると、それが設計図になって、それを目指して自分を作っていくようになります。 言語化と価値づけで、子どもによい自己イメージを持たせよう | schola | 個別指導塾・学習塾・進学塾ならTOMAS https://www.tomas.co.jp/schola/list/mother/oyanoteacher/2685/ |
あなたの言動には、このような価値があるのだと言語化してあげること。
「丁寧な字だね」「その調子でね」という承認や賞賛から一方進めて、
「そうやって丁寧に書ける子は、うっかりミスしないんだよね。」と伝えるのが価値づけだ。
「あなたに○○の才能があるよ」と宣言するのは、まさに教師の「易者」の役割だと言えようか。
「君たちはどう生きるか」に中のコペル君の気づきに対するおじさんのノートもまさに「価値づけ」だ。
例えば、こんな言葉がある。
◆ だから、今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子だと感じたということは、ほんとうに大きなことだと、僕は思う。僕は、君の心の中に、今日の経験が深く痕を残してくれることを、ひそかに願っている。 今日君が感じたこと、今日君が考えた考え方は、そうして、なかなか深い意味をもっているのだ。それは、天動説が地動説に変わったようなものなのだから。 |
振り返ってみれば、日記のやノートの赤ペンも、このような価値づけの意味があったのだと思う。「承認、賞賛、価値づけ」が赤ペンの意義だ。
今の若い先生は、赤ペンの「言葉」が足りない感じがする。
花丸やスタンプでは言語化されないから、価値づけとしては弱いということを分かってほしい。
「振り返り」の質を高める
平成20年の小学校学習指導要領総則には、次の指摘がある(中学校にもある)。
(4) 各教科等の指導に当たっては,児童が学習の見通しを立てたり学習したことを振り返ったりする活動を計画的に取り入れるよう工夫すること。
形式的な振り返りならやる意味がない。
「振り返り」とは「リフレクション」のこと。そして「リフレクション」とは「内省」のこと。「内省」「リフレクション」「振り返り」のニュアンスがちょっと違うかなというのが自分の実感だが、同じとして考えないとややこしくなる。
ただし、「内省」は「反省」とは違う。「内省」は、自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みることを言う。
◆反省:自分の間違った考えや言動などを振り返り、周りに「これがいけなかった」と伝えるための考え方
◆内省:自分自身と向き合い、自分の考えや言動を振り返り、気付くこと
「反省」は形式的になりがちで、口先だけならいくらでも反省の言葉を重ねることができる。
なお、「内省」と「内観」も違う。「内観」は「内観療法」とも言うように、医学用語なので安易に使えない。よって、ここでは「内観」という用語は使わない。カウンセリングも使わない。
さて、授業の「振り返り」というと、一言感想で済ませてしまう場合がある。
「頑張った」「楽しかった」「よく分かった」では、レベルが低い。
「自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みる」をさせられないとしたら、それは教師の指導不足だ。
教師自身が「どんな振り返りをさせるのが望ましいか」を明確にできていないのなら、教師のイメージ不足と言っていいかもしれない。
「振り返り」には感想でなく自己分析を!
「今日は調子悪かったです」としか言えなかった選手が、「下半身をこう使えばうまくいくことを、今日の試合中に気づいたので、イニングの合間に修正してみたら、ボールの質が変わりました」と言えるように変われば、自己改善できる。 『最高のコーチは教えない』吉井理人著(デイスカバー21)より |
◆振り返りを続け、質問を重ねていくうちに、新たな気付きが生まれるような思考回路に変わったのだろう(P206)
ともある。たぶん、ここで大事なのは「コーチからの質問」だ。
「がんばった」「今度はがんばる」と宣言するだけでは進歩はない。
だから、コーチ(指導者)が、具合的にどうすべきなのか、自己分析を促し、自己表現できるような言葉の訓練をさせていく必要がある。
まさに「言葉の訓練=思考の訓練」なのだ。
◆思考を深めるために言語能力を鍛える
◆言語能力を鍛え、自己改善ができるようにする。
子供の振り返りの良し悪しを指摘しない「活動あって指導なし」では、振り返りの質が高まらないのは当然だ。
「思考」と「言語」と「行動」の関連は、実に難しい課題だ。
◆大谷翔平の「振り返り」は質が深い◆
WBC を特集した映画「憧れを超えた侍たち 世界一への記録を観る」。
イタリア戦で先発した大谷投手の舞台裏の貴重なやりとりを聴くことができた。
甲斐捕手の「ナイスボール」の言葉に応えるように大谷投手が
「真っ直ぐ効いてますね。」「いいファクターで164の真っすぐ出た。」「完全に最後変化球待ちなんで」 「スプリットのファールでわかった。」
と答える。
ああ、これは「自己分析」であり「振り返り」だ。
続いて
(甲斐)「あそこで高めの真っ直ぐでも投げられると思ったけど」に対して、
(大谷)「全然大丈夫です」「タイミングでピュッといったらどこでも大丈夫」
(甲斐)「結構、スライダーの意識が強い。だからと言って打てるわけでもないけど」
(大谷)「右は別に意識したところで見たことないから。」「あれは反応できないんで全然大丈夫だとして。」「あとはスプリット。 全然反応ないんで。」「カウント球でいかにシンカーを見せられるか。」
と続く。
この場面では「気持ちはホットでも頭はクール」のナレーションが流れた。
確かに、大谷投手は実に冷静だった。大谷投手は冷静に、「自己分析」=「振り返り(リフレクション)」をしているのだ。
無論、この大谷投手の言葉の意味を理解できたわけではないが、「大谷投手が選ぶ全ての球種には意味がある」のだと実感した。
「『言語技術』が日本のサッカーを変える」(光文社新書)も
◆自分のプレーの意図をきちんと言語化(論理化)できるかどうかが、欧米と日本のサッカーの違いだ
という問題点がスタートだった。
「すごかった」って、何がどうすごかったの?
「よかった」って、何がどうよかったの? なぜいい結果が出たの?
と、感情の奥のロジックを整理することが「自己分析」=「振り返り」なのだ。
探究的な学習のステップを踏む
情報収集には、ワクワク感がほしい!
漢字テストに取り組む「自己調整学習の能力」
終業式の少し前、あるクラスで漢字50問テストの練習をさせていた。
物語の読み取りには、テーマが大事?
子どもが好きですか?
July 23, 2023
アイデアが浮かぶ過程 〜生成AIに負けない人間らしさ〜
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AEDを小型化し、持ち運びやすくする。
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AEDの操作を簡単化するために、音声ガイドやビデオガイドを搭載する。
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AEDをファッション性の高いデザインにする。
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AEDを人に親しみやすいように、キャラクターや絵柄を施す。
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AEDを設置する場所を、より多くの人が目にする場所に変更する。
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AEDの使用方法を、より多くの人に知らせるための啓発活動を行う。
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AEDを小型化し、持ち運びやすくする。
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AEDの操作を簡単化するために、音声ガイドやビデオガイドを搭載する。
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AEDをファッション性の高いデザインにする。
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AEDを人に親しみやすいように、キャラクターや絵柄を施す。
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AEDを設置する場所を、より多くの人が目にする場所に変更する。
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AEDの使用方法を、より多くの人に知らせるための啓発活動を行う。
July 21, 2023
安易なワークシートの授業
イージーな話し合い活動と同じく、イージーなワークシート活用の授業をよく見かける。
活動内容が明記され、書き込み欄も明確になっていて、枠まで提示されている。
したがって、時間の無駄がなく、スムーズに活動させられる。
しかし、ワークシートなら何でも言い訳ではない。質が問われるのは当たり前だ。
教科書会社が教材に沿ったワークシートが用意しているが、非常に使いにくいと思うことが多い(具体例が示さないのは卑劣かも)。
多くの先生方は、このワークを使って授業をしている。とにかく教科書会社のワークをやっておけば、最低ラインの学習を保障できるという思いがあるのだろう。
しかし、担任教師がワークの模範解答を記入するのに苦労していることもあった。教師でさえ困難なワークが子どもに合うはずがない。
ワークシートは、便利な半面、丁寧なノート作りの場を奪うことになる。
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子どもたちに名文名詩を暗唱させる。その時、暗唱文をプリントで与えないで教師が黒板に書く。
子どもは黒板を見ながらノートに書き写す。このような行為が必要である。
プリントを使った授業は楽でいいが、子どもに力はつかない。プリントを子どもに与えることは学習の基本を教師が奪っているようなものである。
プリントを配らなければ、子どもはノートに自分で書かなければならない。何も難しいことではない。誰でもできることである。この誰でもできるプリントを与えることによって奪い去っているのである。
できない子ができるようになる機会を奪っていることになる。
国語だけでなくすべての学習にとって作業は欠かせない。
松藤司著 「授業の知的展開(1)」P14~15
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簡単な表の枠を示すだけなら、ノートに線を引けばいいだけのことだ。
ちなみに順序が逆になるが、この前頁で、視写の弱さを指摘している。
たとえば本文から抜き出しなさいという課題に対して、
①句読点が間違っている
②漢字がひらがなである。
③ひらがなが漢字である。
④文末が違っている
という間違いがあることを示し「たかが書き写す問題なのに、このように誤答が多いのは、視写学習は十分なされていないからとしか言いようがない」と書いている。
安易にワークシートを用意することで、ノート指導の機会と視写力育成の機会を奪っていは本末転倒なのである。
「めあて」を板書しても無意味?
市内の学校では、黒板に本時のめあてを書くように指導が入る。
だから、
A「バスの運転手は、どんなところに気をつけて仕事しているかを考えよう」
のような形で板書される。
ところが、この課題を提示してそのまま考えさせたところで、子どもの思考は動かない。
だから良識ある教師は「発問」を用い、」板書する。
B:「バスの運転手は、どこを見て運転していますか?」
Aは課題。抽象的で、答えにくい。対立しないから討論にもならない。
Bは発問。具体的な問いだから、イメージしやすくて答えやすい。多様な解が生じる。
Aの課題を解決するために、具体化・焦点化する形で、Bの発問を提示する。
これが岩下修先生が提案した「AさせたいならB」である。今の若い先生はご存知だろうか。
ちなみに、法則化時代の教師にとっては、この「バスの運転手」の有田先生の発問は有名だ。今の若い先生はご存知だろうか。
Aは、いわゆる「学習課題」である。黒板に課題を書いたからといって、子どもがすぐに思考を開始するわけではない。課題を提示し、そのまま子供にぶつけて、考えさせたり話し合わせたりするのは、無謀である。
めあて(課題)をそのまま提示して考えさせても、個人では、なかなか意見が出ないから、グループで話し合わせる。結局、気の利いた子だけが活躍して、後の子はお客さんになる。
一方、Bのような答えやすい(イメージしやすい)形で問えば、誰でも話し合いに参加できる。このように答えやすい形に変えていくことが、発問化の過程であり、教師の腕の見せ所なのだ。
今は、そのような「発問」意識が希薄なのだと思う。
めあて(課題)をそのまま提示する先生=とりあえず話し合わせる・何でも話し合わせる先生には、どうしたら子どもの思考が深まるかの意識がない。発問吟味の意識もない。
話し合えば、何とか意見が出てくるだろうといった安易な依存がある。
そのくせ、「先生自身は、この課題に対してどんな答えを用意しているか」と尋ねても、あいまいな場合が多い。ノープランなのだ。
なんでもかんでも話し合いをさせることの愚かさは、先にも書いた。
=================
【向山型要約文の授業では話し合いをさせてはいけない。】
向山型要約指導の目的は、
【要約のやり方を学ばせる】
ことにある。
話し合いの好きな教師は、黒板に書かれた要約文についてやたらに話し合わせる。反対意見を言わせる。
多くの場合、字数が短いとか誤字があるとかの指摘に終わってしまい、肝心の内容の吟味がなされない。
これは当然である。子ども自身が判定する基準をもっていないからである。
向山型要約文指導では話し合いをもつのではなく、要約するためのコツを子どもが学ぶのである。
====================
若い先生だけの問題ではない。
ずっとずっと相変わらずの授業が繰り返されている。、
30年も前に盛んになった「発問」の議論、「発問の定石化」の議論の中身を伝えていく必要がある。
「向山型国語入門QA小事典」
久々に「向山型国語入門QA小事典」に目を通した。
たとえば音読指導(音読カード)についての指摘がズシンときた。
◆音読を「家庭学習」にしてしまう教師がいる。
これは指導の放棄。音読が苦手な子は、ますますできなくなっていく。教師の仕事は「授業で子どもに力をつける」こと。
◆「音読を宿題にして、できなければ家庭と子どものせいにするようでは教師失格だ。授業で、学校で、子どもに音読の力をつけるのである」
・・・音読を家庭に任す一方で、教室では間延びした言い回しを肯定していることも多い。
◆子どもにゆっくりと音読させる教室がある。こういう教室では、挨拶も片付けも教室移動も、全て遅い。教師が子どもの生体リズムについて無知だからだ。
・・・近頃は、「たけのこ読み」を使う先生をよく見かける。しかし「たけのこ読み」をさせるなら、その前に正しい読みをきちんと指導しなくてはならない。それが変化のある「追い読み」の繰り返しだ。
もう1つ。
なんでも「話し合い」をさせる授業は、放任の授業につながりやすい。その点を指摘する記述があった(P37)。
【】は枠囲みである。
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【向山型要約文の授業では話し合いをさせてはいけない。】
向山型要約指導の目的は
【要約のやり方を学ばせる】
ことにある。
話し合いの好きな教師は、黒板に書かれた要約文についてやたらに話し合わせる。反対意見を言わせる。
多くの場合、字数が短いとか誤字があるとかの指摘に終わってしまい、肝心の内容の吟味がなされない。
これは当然である。子ども自身が判定する基準をもっていないからである。
向山型要約文指導では話し合いをもつのではなく、要約するためのコツを子どもが学ぶのである。
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・・・子どもが判定基準(解釈コード)を持たない状態で話し合わせても、不毛な議論にしかならない。
話し合いをさせないという点では、「一字読解」の指導も同じだ(P88)。
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向山氏は「一字読解」の授業では、くどくど説明をしない。
もちろん話し合いなどさせない。授業がだらけてくるからだ。
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・・・何でも話し合わせていては時間がいくらあっても足りない。
時間つぶしをしてサボりたい教師は、「話し合い」ばかりさせていればよい。
しかし、良識ある教師なら、話し合いの場を厳選し、時間の浪費を食い止めるだろう。
というわけで、次の点が大事なのだと思う。
◆授業で子どもの学力を保障する。◆
①大事な習熟の活動を安易に家庭学習に回してはいけない。
②肝心なことを、教えずに、子どもの話し合いに任せてはいけない。
30分だけがまんしなさい
「京大式ロジカルシンキング」(サンマーク出版:現在入手困難)は、極めて現実的・実践的な指南書で、論理の通用しない相手には「ほとんどテクニックは必要ありません」として、次のように述べている。
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◆30分だけがまんしなさい
ひたすらがまんして、相手の話を聞いてあげましょう。「そう、そう」と相づちを打って聞いていると、不思議なことですが、たいていの人は、やがて自分で自分の言葉に納得してしまうのです。
このような人は30分以上も論理を駆使し続けることができません。だから、聞き続けるだけで、意外に早く納得してくれます。
そうやってきちんと話を聞いてくれる相手がこちらを友だちのように思い始めてくれたりします。
「あんたほど話がわかる人物はいないねえ」
やがてそんな言葉が口をついて出たりします。そして、飲みに行こうと誘われたりして・・。
こちらはほとんど何もいっていないのですが、ほぼこのパターンになります。ともかく30分程度はがまんするようにされるのが、トラブルを避けるコツです。
「京大式ロジカルシンキング」逢沢明(サンマーク)P130
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まさに「傾聴」。
ほとんどカウンセリングと同じだが、このようにクレームを受容する余裕がないと保護者対応は難しい。
ちなみに、かつて、ある先生が「お父さん、それは誤解です」という言い方で、保護者を激怒させた。
私:「『誤解です』はまずい。相手は『じゃあ誤解していた俺がバカだったということか』と思うかもしれない」
担任:「えー、じゃあ、どう言えばいいんですか」
私:「『私の言い方が悪かった』とか『勘違いさせてすみません』『言葉足らずですみません』みたいに、誤解させたこちらに落ち度があると伝えるべきじゃないかな。」
「相手を否定しないのがネゴシエーター(交渉人)の基本だよ」と言ったが、意味が分からなかったようだ。これは映画を見ていないと分からないな。
自分は悪くないから謝りたくないというスタンスが前面に出ると、言い訳をしたくなって、傾聴できなくなる。
「傾聴が大事」とは「言い訳するな・口をはさむな・まずは黙れ」ということで、教師には、なかなか難しいのだ。
吹き出し授業の甘さは、こういうことか!
かつて、1年生の国語の「くじらぐも」の授業を参観した。
子どもたちの気持をワークシートに書かせる場面だった。
ところが、同じセリフとは言え、子どもたちのセリフは3回出てくる。
「天までとどけ、1,2,3」
3回言うのだから、次第に気持は高まっていく。
当然、吹き出しに入る気持ちも微妙に差があるはずだ。
しかし、何回目のセリフに対する気持かの指定はないまま吹き出しを書かせていた。
「この時の子どもの気持ち」の「この時」の指定範囲があいまいなのだ。
続いて、くじらぐもの気持もワークシートに書かせる。
「もっとたかく。もっとたかく」
同じセリフが2回あるのに、何回目のセリフかを指定せずに
「この時のくじらぐもの気持ち」
を書かせようとしている
だんだん気持ちが高まっていくんだから、どっちセリフなのかを指定するべきだ。
実際の子どもの反応は、セリフに対応していない自由勝手な意見もあった。
◆「天までとどけ、1,2,3」と言っている時の気持ち
◆「もっとたかく。もっとたかく」と言っている時の気持ち
とは思えない意見もあった。
それは「この場面全体における子どもたちやくじらぐもの気持ち」の読み取りになっているからだ。
指定範囲があいまいになると意見がばらばらになる。
検討のしようもないので「これもいいね、あれもいいね」で終わってしまう。
正確な対応を怠った安易な吹き出し作業は、読みの力を育まない。
本文に正対して気持ちを考えさせることが大切だ。
July 20, 2023
「どんなお話か」は難しい
2年生の国語(光村)でお話を紹介させる単元がある。
物語の「作り方」が分かると、「読み方」も分かる!
・・・この流れの逆だから、物語を読み取る場合は、次に主人公の設定を分析することになる。
・・・この流れの逆だから、物語を読み取る場合はあらすじをつかむ。
◆そのために、物語を考えるときには、伝えたいことを絶対に決めておきましょう。ここを決めないと、ふわっとしてよく分からない 話になってしまいます。
July 07, 2023
「個人懇談会」のはじめの一歩
懇談会の基本線は、
①おうちでの様子をお聞きする。 「4年生になってから、おうちではいかがですか?」 「学校での出来事は、何か言ってますか?」 ②学習面・生活面(お友達のこと)でがんばっていることを伝える。 教育相談で出てきたこと・家庭についての話題など |
担任としての「安心感」アピールが大事なので、笑顔で対応してほしい。
①で、保護者が、A「先生の話を聞きたいのか」、B「自分の思い(不満・苦情)を言いたいのか」がなんとなく分かると思う。
特にBの場合は時間が延びないように、誤解のないように進める。
担任の主観だけで話を進めるのではなく、子供の事実(生活アンケートや教育相談の発言)をお伝えする。
成績については、前学年より下がりそうな場合は、ある程度、お伝えして覚悟してもらうとともに、どこをどうがんばれば元に戻るかを具体的に伝えるとよい。
テスト点が低い子の保護者には、念のため、返却したテストをご覧になっているかどうかも尋ねてみる。
現状を知らない保護者も多いので、コピーを用意しておくこともある。
成績ダウンに伴って「だらしない・雑・うっかりミス」などのマイナス評価をそのまま伝えると、保護者の機嫌を損なうことがある。
「去年まではそんなこと言われなかった。先生の教え方が悪いからだ」といった反論をされないように。
提出物が出ない・授業中聞いていないというような場合も、苦情として伝えるのではなく「もう少し厳しくした方がよいか、無理強いさせない方がよいか」など相談するスタンスでお伝えしてみる。
言いたいことがあっても、保護者の反応を見て、場合によっては2学期の懇談会に持ち越す姿勢で臨みたい。
信頼のない状態で苦情を言っても保護者の心に入っていかない。
※想定外に手がかかるのは、学校と自宅で態度が異なる子。
保護者の前では良い子であったり、自分の都合のいいことしか保護者に伝えていなかったりすると保護者に学校での事実が伝わらない。
※自分で判断できない苦情や相談ごとの案件については、学年や学校全体で確認して後日報告することを伝える。
※時間が延びた時は、後日時間を設定する(あるいは電話での懇談を設定する)。
※友だちや教師・保護者の悪口などで、「先生もそう思いますよね」のように同意を求めてくる場合、うかつに肯定しないよう注意する。
また個人情報に関わることを誘導尋問のように聞いてくる保護者がいるので、答えないように注意する。
※「みんな、そう言ってますよ」の「みんな」はごく少数という場合も多い。
貴重な意見として受け取っておきながら、冷静にスルーすると良い。
※廊下が暑いと、懇談前からイライラしてしまう。暑い中でお待たせしないよう開始時刻を守る。
「行動の記録」が大事なわけ
1・2学期の通知表には所見の言葉のない学校が増えましたが、「行動の記録」は記入します。
客観的なテストで評価する「学習の記録」と違って、「行動の記録」は教師の日頃の観察によって評価します。
基本的な生活習慣 |
自他の安全に努め,礼儀正しく節度を守り節制に心掛け調和のある生活をする。 |
健康・体力の向上 |
活力ある生活を送るための心身の健康の保持増進と体力の向上に努めている |
自主・自律 |
自分で考え,的確に判断し,自制心をもって自律的に行動するとともに,より高い目標の実現に向けて計画を立て根気強く努力する。 |
責任感 |
自分の役割を自覚して誠実にやり抜き,その結果に責任を負う。 |
創意工夫 |
探究的な態度をもち,進んで新しい考えや方法を見付け,自らの個性を生かした生活を工夫する。 |
思いやり・協力 |
だれに対しても思いやりと感謝の心をもち,自他を尊重し広い心で共に協力し,よりよく生きていこうとする。 |
生命尊重 |
自然愛護:進んで自 然を愛護し ,自他の生 命を尊重す る。 |
勤労・奉仕 |
勤労の尊さや意義を理解して望ましい職業観をもち,進んで仕事や奉仕活動をする。 |
公正・公平 |
正と不正を見極め,誘惑に負けることなく公正な態度がとれ,差別や偏見をもつことなく公平に行動する。 |
通知表の各学年の表記内容は、もう少し具体的です。
具体的な表記内容によっては〇をつけられるかどうかが変わってきますので、各校・各学年の表記内容をしっかり確認してください。
学校によって〇の数の個々の上限や学級ごとの総数の縛りもあって、どんなよい子も全部〇をつけられないので、どこに〇をつけるかの判断は難しいです。
懇談会でふだんの生活でよかったところ・がんばっているところをお伝えすると思います。
しかし、懇談会でほめた部分と「行動の記録」の評価があまりに異なっていると、保護者から「懇談会ではあんなに褒めていたのに、どうしてこの項目に〇がつかないのか」といった担任不信にもつながりかねません。
懇談会前に「行動の記録」の〇の部分を確定し、その点を中心によかったところをお話するといいです。
「行動の記録」と「懇談会の話す内容」はセットにして準備しましょう。
各教科の「自己通知表」と同じく、行動の記録の観点についても、子ども自身で振り返りさせておくと参考になります。
「行動の記録」は1学期2学期全学期とつけます。1学期と2学期で〇をつける箇所を意図的にバラしておくこともあります。
教育相談が大事なわけ
懇談会前は、いつも先生方に「教育相談は進んでいるか?」を確認しています。
6月の教育相談と7月の個人懇談会はセットです。
教育相談の段階でさまざまなトラブルを掌握し、解決しているから安心して個人懇談会に臨めます。教育相談で子供から不安や不満を聞き取っているから、安心して個人懇談会に臨めます。
しかし、たとえば次のような事態が生じると、担任不信につながります。
普段、取り立ててトラブルを感じなくて、教育アンケートでも教育相談で何も問題なくて、安心して個人懇談会に臨んだら、「うちでは〇〇さんに嫌なことをされるって言ってますよ」「うちの子はいつも泣いて帰ってきますよ」「毎朝、登校を渋るんです」と初耳の訴えがあった。 |
この場合の保護者は、
「そんな風に担任が鈍感だから、我が子は苦しんでるんですよ」
のトーンで迫ってきます。担任の状況把握が甘かったので言い訳の余地がありません。
教育相談を機械的に進めると「先生が話を聞いてくれなかった・言い出せなかった・すぐ終わっちゃった」となりかねません。
個別にじっくり聞いて、言いたいことはしっかり言わせる場を確保します。
そして、懇談会に臨むときには、「教育アンケートや教育相談では特に何も悩みが出なかったのですが、おうちでは何か言ってませんか」のように、「ひょっとしたら」を想定しながら尋ねます。こうしてリスクを回避します。
また、悩みが複雑な時は、懇談会を待たずに、報告や相談をしておきます。
懇談会前にトラブルが解決していると、和やかに終わることができます。逆に想定外の相談(苦情)で懇談会が延びて、次の保護者の時間に食い込むと、ここでも担任不信を招きます。
基本的には、初任者であっても懇談会は担任が1人で向き合うことになります。
甘い気持ちで臨んで大変な事態になるよりは、万が一を想定して危機管理をして臨んだ方がよいと思います。
懇談会前が1年の中でも一番忙しい時期です。体調を整え、笑顔で乗り切ってください。
※成績についても注意が必要で、昨年より成績が悪くなっている場合はさりげなく伝えたりアドバイスを用意したりしておかないと、「あゆみ」をもらった終業式に苦情の電話が来ます。
July 05, 2023
メディアリテラシー
July 04, 2023
フォーマットだけでは書けない
今日は〇〇についてお勉強します。
作文をやるから、ワークシートの書き出しに沿って浮かんだ言葉を書いていきましょう。
調べ学習をやるから、計画表を書い進めましょう。
図工で、△△を作ります。
うーん、いきなり「これやります」と言われても、「よし、とりかかるぞ!と動けない。
◆「おもしろそうだな」と思うような導入を仕組んでもらわないと。
◆学習課題に必然性がないと。
◆モチベーションを刺激してもらわないと。
・・・それが導入の工夫。
「教科書にあるからやる。教育課程にあるからやる」では、子どもは動かない。
若い先生は、どうしても「教科書にあるからやる。教育課程にあるからやる」となりがちだが、それでは、主体的な学び・深い学びにはならない。
「認知的徒弟制度」の4つのステップ
指導者(教育者)が学習者に仕事のやり方を見せて教える。学習者は、指導者の見本を見て模倣し、身につけていく。
【させて、見て、気付かせる】
指導者(教育者)は、学習者にその技能を練習させ、取り組みを観察し、より良い方向に行くように、ヒントやアドバイスなど、フィードバックをする。
【自立の支援】
「足場(かけ)」という意味。学習者がひとり立ちできるように支援する段階。学習者はさまざまな作業・課題に取り組み、指導者(教育者)は作業・課題の難易度・負荷を高めていく。自力で行える作業や課題は任せ、できないものだけを指導者(教育者)がサポートする。学習者は、いまの自分の習熟度、発達段階を理解、自覚する。
【任せて、手を引いていく】
学習者の習熟度、発達段階に応じて、サポートを減らしていく。また、学習者に任せて、手を引いていく段階。
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モデリング
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コーチング
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スキャフォールディング
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アーティキュレーション:学習者の知識や考え方を言語化し、問題解決までの過程を明確化する
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リフレクション:“内省”や“熟考”などを通して、学習者の問題解決の過程を他と比較検討する
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エクスプロレーション:フェーディングと同義とされている
July 03, 2023
「内省」によって、自分自身と向き合う
(1)カウンセリングに近い「内省」
今シーズンのキムタクのドラマ『教場ゼロ』をチラッと見ることがあった。
上司のキムタク刑事が部下の心の闇を暴くような場面があり、これって「内省・内観」だなと感じた。
部下の中込刑事は、キムタクに「ずるいですよ指導官。犯人を前にして俺のカウンセリングなんか」と語り、「気持ちを言葉にできたので、これからは感情をコントロールできます」と宣言する。
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/encount/entertainment/encount-470728?redirect=1
このネット記事では「過去と向かい合った」と評しているが、過去と向かい合うよう仕向けたキムタクの対応が見事だったのだ。
(2)「内省」と「反省」は違う
「内省」は「反省」とは違う。
自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みること自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みることを言う。
◆反省:自分の間違った考えや言動などを振り返り、周りに「これがいけなかった」と伝えるための考え方
◆内省:自分自身と向き合い、自分の考えや言動を振り返り、気付くこと
https://www.kaonavi.jp/dictionary/introspection/
「反省」は形式的になりがちで、口先でだけならいくらでも反省の言葉を重ねることができる。
(3)「内省」と「内観」
「内観」は「内観療法」とも言うように、医学用語なんで安易に使いづらい。
よって、ここでは「内観」という用語は使わない。
(4)「内省」と「リフレクション」と「振り返り」
「内省」とは「リフレクション」のこと。
そして「リフレクション」を調べると「振り返り」と出てくる。
しかし、「内省」と「振り返り」が同じ意味かなと気になる実践例をよく見かける。
振り返りの質が低いのだ。
マズイ。
「自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みること」までいかない「振り返り」で満足する子供がいるが、それは教師の指導不足だ。
安易な「反省」もよくないが、安易な「振り返り」もよくない。
とはいえ、具体的に、どんな「内省(リフレクション)」ならOKなのか。
そこを詰めないと机上の空論になるので、のう少し深めたい。
この後、道徳の授業と「内省」について話を進める予定ですが、どうかなあ・・・。
(続く)
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