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August 30, 2023

【FAQ】の考え方

 【FAQ(Frequently Asked Questions)】は、よくあるお問い合わせ内容に対する答えのこと。
 子どもたちに任せる際、【よくある質問】はここを見て自分でやってみてねという指示があると、教師はFAQで補えない支援に集中できる。
 ある小学校ではタブレット操作のショートカットキーが教室掲示してあると聞いた。
 クラスルームに、学びの手引きやヒント動画が入れてある教室もある。
 
※解決率の高いFAQサイトでは、誰が読んでもわかるような表現を使い、回答が簡潔にまとまっています。逆に、専門用語が多かったり、記述がわかりにくかったりすると、FAQそのものの解説が必要になり、顧客は自己解決ができず、電話やメールでの問い合わせにつながります。必要に応じて図や画像、リンクを使い、わかりやすいFAQサイトを目指しましょう。 
子どもの自立解決を促し、先生のリアルのヘルプを減らすのが【FAQ】の発想である。
FA Qで、つまずきポイントを事前に解消しておくこと。
追加質問が出ないように、最善のFAQにしておくこと。
こんなところも、子どもたちだけでスムーズに学習させるための配慮事項になる。

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August 29, 2023

真面目な子が損をしない学級づくり

採用試験対策LINEで、ルールを守らない子への対応が話題になり、学級経営の苦しい時期を思い出した。
やんちゃな子への対応を優先すると、大勢の真面目な子が救われないし、報われない。
みんな宿題をちゃんと出しているのに。
みんな授業中静かに先生の話を聞いているのに。
みんな係や当番の仕事をしているのに。
みんな順番を守っているのに。
それを一部の子が破る。
担任がルール破りを注意をしないで黙認しては学級の信頼関係は保てない。
中には担任の先生も大変だなと同情し我慢する子もいるだろうが、みんな子どもだ。
誰だってかまってほしいし、認めてほしい。
堂々とズルをされたら耐えられない。
不正やズルを容認する集団に自分の身を置くことも耐えられない。
「あの子が許されるなら自分ももそうしよう」という子が出てくる。
実行しないにしても心の中で不満を膨らませる子が出てくる。それは自然のことだ。
こういう子が雪崩式に増えたら担任はお手上げだ。
若い先生は、真面目な子どもの「黙っている」行為に甘えてしまうことが多い。
しかし、担任に文句を言ってこないからといって子供の「我慢」に甘えてはいけない。
向山先生は「どの子も自分は先生からエコひいきされている」と思うような対応をせよと語っている。
「いつも嫌な思いをさせてごめんね。」
「いつもあの子の分まで仕事してくれてありがとうね。」
「ズルをする子がいても自分はしない、そういう子は本当にすごいと思うよ。」
そういうフォローだけでは足りないかもしれないが、どの子も、どこかで「自分はエコひいきされている」と思うような支援ができたらと思う。
「目をかけよ、手をかけよ、声をかけよ」
ありきたりの助言だが、このような凡事を徹底できるかどうか、その微差が大差になる。

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August 28, 2023

判断をさせると、思考と表現ができる。

子供に「よく考えてね」と言ったところで、考えられるわけではない。
だから、まずは「選ばせる」
Aだと思う人? Bだと思う人? 理由が言える人?
勘でも何でもいいから選べばいい。
理由を言えない子もいるし、「なんとなく」しか言えない子もいる。
でも中には「だって・・・」と言える子もいる。
「誰か意見が出たら、「今の理由でいいなと思う人?」と聞く。
挙手した子たちは、「自分が選んだ理由はそういうことだったんだ」と言語化することに慣れていく。
だから、授業は、何をどう選ばせるかを意識して作るといい。
いきなり「考えましょう」は、ノーヒントの高レベルの授業。
「どちらですか」は、選択肢でヒントを与えているから、グッと易しい授業になるが、そのあとで理由を言わせれば、「考えましょう」の授業と目指すゴールは同じになる。
自分もそうだが、「簡単なことを聞く」のを避けたがる教師は結構多い。
もちろん、ずっと「簡単」は、よくない。
「易から難」。簡単な問題を繰り返しているうちに、だんだん難しくなって、「あれー、分からなくなってきた」というのが、挑発的で熱中させる授業の流れになる(向山先生の筆順の授業をイメージしています)。

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August 27, 2023

2学期はフェイドアウトを意識して

高橋純先生の論稿は何度か引用しており、その繰り返しになるのだが、今だからこそ、次の箇所を強調したい。
◆「今日はこれが課題です」「これを調べます」「次に表にしましょう」と、教師がステップバイステップで進めていくのであれば、それは一斉指導であり、一斉の練り上げ的な授業と大差はない。
◆ もちろんシンキングサイクルの指導の初期段階においては、教師がステップバイステップで進めていくことも大いにあり得るが、最終的には子供自身が働かせられるようにと考える。
  『 学び続ける力と問題解決』Ⅶ章「子供一人一人が問題解決する授業づくり」より
指導の経過としては、ちゃんと教える場面があって、徐々に手放していくことを考えると、
「1学期の授業が教師主導でうまく流れたから、2学期もこの調子で行こう」ではなく、
「1学期の授業が教師主導でうまく流れたから、2学期は次のステップに移行しよう」
といきたいところだ。
「2学期の授業をどうするか」は、「どの段階で手放しを始めるか」の意識が必要だ。
 しかし、実際には、つい現状維持の方向に気持ちが向いてしまうことが多く、無難な方策に気持ちがいきやすい。
 丁寧に教える先生は、2学期も3学期も丁寧に教えたがる。
 2学期は
「手放す」「補助輪を外す」「足場を外す」「フェイドアウトする」
という意識を持って、臨んでほしい。
 
 高橋先生、堀田先生、奈須先生の論稿を読むと、それが「新学力感」なのだということが分かる

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August 25, 2023

TーC型の指導から、CーC型の指導へ

◆先生がほめる・先生が価値づける・先生がフィードバックする
これは、子供を伸ばし、学級集団を磨く大切な手立てだ。しかし、先生からの価値づけだけでは、成長は頭打ち。
「A君の発表が上手でした。」
「B君の係の仕事が見事でした。」
「C君がすごく手伝っていました。」
というように
◆子供同士でほめる・子供同士で価値づける・子供が相互にフィードバックする
を仕向けることで、学級がワンランクアップする。
これは、帰りの会で「今日のいいこと探し」をしている学級も多いだろうから、決して目新しいことではない。
しかし、子どもの司会によるワンパターンの馴れ合いでやってると効果が薄くなる。
子供の褒める箇所もワンパターンになるから、時々、
「今、A君の発表、とても良かったな。どこが良かったと思う?」
というように、先生が全く違う視点で価値づけし、
「そういう点も見るといいんだな」と思わせて、子供の価値判断の基準を広げていくことが大事だ。
「今日のいいこと探し」を子どもに丸投げしていると、成果は出ない。
「いいこと探し」の質が1年間同じレベルでは困る。
「1学期は○○ができれば誉めてたけど、2学期からは同じことでは誉めないよ。」
というような、次のレベルへの価値づけ(手放し)も教師の仕事になる。

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「ごんぎつね」は、コミュ二ケーション不足の悲劇

  『国語教育』(明治図書)の1998年2月号で大森修氏が『ごんぎつね』に触れていた。

  「価値観が問われている」とあるだけで具体的な指摘がないが、否定的なニュアンスである。

  以前、樋口編集長から紹介された『アメリカ人と日本人』を読んだこともあって、国語教材の価値観(あるいは子どもに与える影響)について私も考えていた。

  『アメリカ人と日本人』は、日本の国語の教科書の内容や登場人物が、アメリカの教科書に比べ、ひ弱で自立していないといった趣旨になっている。そして、そうした国語教科書の登場人物の生き方が日本人の生き方に影響している(すりこまれている)のではないかと警告しているのである。

  以下に私見を述べる。

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  文学作品の特徴(美)の一つは、行間を読むことである。登場人物の心情などは、\はっきり書かれるよりは想像を書きたてるような「あいまいさ」の方が好まれる。 

 「黙して語らず」という美徳もある。しかし、これは相手に確実に真意を伝える「議論の文化」と相反している。   

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  「ごんぎつね」の悲劇性は、いじわるな見方をすれば、

 ○ごんが兵十に黙って「つぐない」をしようと思った独りよがりの行為に問題がある。

 ○きちんとあやまることもせず、かげでこそこそ行動したところに問題がある。

ということだ。

そもそもごんが勝手にやった行為は相手に通じていなかった以上「つぐない」とは言えないのではないか。

という考え方もできる。

「ごん」のいたずらと「兵十のおっかあの死」だって関連は怪しいのである。

  ラストで「ごん、お前だったのか」と兵十が言っているが、だからといって「ごん」が何のためにくりやまつたけを兵十の元に届けていたのか、その理由まで伝わっているとは限らない。

「ごん」の真意さえ伝わっていないのなら「ごん」の死は実に無意味である。

  議論の文化・コミュニケーションの文化と言う観点で見ると、「ごんぎつね」は

○相手に自分の気持ちをきちんと伝えていない。

○相手に自分の気持ちが伝わるまで話し合っていない。

と言える。「誤解」を避ける努力をしていないとも言える。

 

○「ごんぎつね」の教材解釈に、「ごん」は独りよがりだからいけなかったのだといった批判的な読みが認められているか。

そうした読み方を認めるほど国語の授業は自由であるか。

○「ごん」の悲劇の原因はどこにあったか・どうしたら「ごん」の悲劇は防げたか、という形でコミュニケーションの重要性に気づかせる授業が行われているか。

○議論重視・コミュニケーション重視の授業をと言いながら、教材がコミュニケーション軽視でいいのか。

  コミュニケーション不足による悲劇といった反面的な形でなく、もっと正攻法でコミュニケーション重視を訴える教材こそが求められていいはずである。

  これが、私なりの「価値観が問われている」の意味である。

  「沈黙は美徳」をすりこむような文学教材のオンパレードなら、その分、明示的な説明文の授業を繰り返す方が「生きる力」になる。

 

 『一つの花』も父親とゆみ子がきちんとコミュニケーションしていない(ゆみ子の年齢がそう設定されている)。

  「一つだけの花、大事にするんだよう」といった暗示的なメッセージは実に文学的である。

ただし、それゆえに父親の真意といったものはきちんと伝わらない可能性がある。

結局何が言いたかったのかあいまいだから

  「食べ物を大事にしようと言いたかったんだ」

「この世に生きるもの全てを大切にしようと言いたかったんだ」

なんて、父親の真意を想像させる実践が存在する。  

  文学の世界では暗示や二重の意味が大切な効果を示す。

  しかし、コミュニケーションの文化では、暗示(暗黙の了解)は避けるべきである。

 

  私は文学の暗示的表現や登場人物の沈黙を否定しない。感動もする。

ただし、それは相手に自分の意をきちんと伝えることの大切さに比べれば、重要度は低いと言いたいのだ。

  書かれていない人物の気持ちばかり尋ねている(想像させている)授業は、書いてあることをきちんと読み取る授業より減らしていくべきである。

  また、書かれていない人物の気持ちを想像させながらも、自分たちは実生活で伝えるべきことは、きちんと言葉で伝えていこうと教えていくべきである。

 『ごんぎつね』の悲劇の原因が「思い込み」や「コミュニケーション不足」であるならば、ぜひ、悲劇からその学ぶ授業であってほしい。

  反面的に生き方を学ぶのが「悲劇」の読みの典型であると私は考えているから。

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August 24, 2023

町内の起案文書も、ナンバリングが欲しい!

昨夜は町連区の自主防災連絡協議会があり、10月に開催される防災訓練の打ち合わせがあった。

会議要項には、当日の連絡事項が以下のように書かれていた。
初期消火訓練は女性の会に補助作業を依頼、AED心臓蘇生法訓練は婦人消防に補助作業を依頼、放水訓練は消防団が主体となり実施、全体として消防本部に指導をお願いする。民生・児童は本部での受付、粗品配布を依頼する。また、例年行われて来た号令は行わず、進行案内のみで訓練を進める。
こういう部分こそ、ナンバリングしてほしい。一部改変するとこんな感じ。
①初期消火訓練は、女性の会に・・
②AED心臓蘇生法訓練は、婦人消防に・・
③放水訓練は、消防団に・・
④本部での受付・粗品配布は、民生・児童に・・
⑤例年の号令は・・
⑤例年行われて来た号令は・・
実際のプリントは4行。箇条書きにすると5行だから大差ない。それでいて担当の仕事が一目で分かる。
例年の起案文書をトレースしているはずだから、担当者がその気にならないと毎年同じままの文面になる。
「箇条書きにしてナンバリングする」という言語技術に30年以上取り組んできたが、学校だけでなく日常社会でもスタンダードになってほしい。
※100名近い参加者の前で、本地区町内会長が穏やかに毅然と司会進行を務めていた。自分にはできないなあと思った。

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ワークシートの是非を考える

ワークシートを作成して効率よく進める授業が多い。

この点について高橋純氏が『学び続ける力と問題解決』(東洋館出版)で次のように書いている。

◆教師がオリジナルのワークシートを用意し、その指示に従って学習を進めたり、穴埋め的に問題を解く活動をしたりすることも多い。〜中略〜 社会や理科といった教科の内容を理解するにはよいかもしれないが、ワークシートがなければ学べない子供を育てているともいえる。

 

つまりはワークシートをつくる教師に学習を依存している。学び方を身につけるのであれば、大きな学習課題を小さく分割し自らの課題にするなど、自らワークシートがつくれることや、それ以上の学び方の学習が期待される。p003

 

◆ 小6にもなれば、過去にも似た学習を繰り返し行っているはずである。その経験を生かして、自ら表や図にまとめようと着想したり、自ら表の項目を決められたりしなくてはならない。p004

 

・・・「生涯にわたって能動的に学び続け力」を考えると、ワークシートへの書き込みを通して習得・習熟させるだけですまない。「教師が不要な子供を、教師が育てる」「ワークが不要な子供を、教師が育てる」まで推し進めなければならない。

 

はじめ:

教師の計画通りに書き込ませるワークシートを一斉利用する。

中  :

ワークを選択的に利用する。

使いたければワーク、自分のやりたいまとめ方があればそれを使う。

終わり:

子供が自分に合ったフォーマットでまとめる。

 

・・・この自分に合ったフォーマットの1つが、向山型と言われる「見開き2ページで自分なりにまとめる」である。

評価基準は「一目でわかる」。

基準がシンプルだから子供たちは熱中して取り組める。

当然、教える側に、次のスキルがないと、子供に任せられない。

 

①実際に見開き2ページにまとめるスキル

②子供たちが作成したノートを瞬時に評価・評定するスキル、

③的確にアドバイスするスキル

 

授業をスムーズに進めるために、ワークプリントを使用する場合が多い。

メリット・デメリットを十分理解したうえで活用してほしい。

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子どもの後ろには保護者がいる

「教育トークライン」N0561(教育技術研究所)9月号。

巻頭の教育Q&Aで、向山洋一氏が、子供たちからの暑中見舞いについて解説している。

以下、太字部分は引用。

◆「はがきの後ろには保護者がいることも意識して、必ず返事を出しましょう」
という言葉は、暑中見舞いのはがきのアドバイスにとどまらない。
一事が万事、子供の後ろには保護者がいることを意識しないと
保護者から「あの先生はだめだ」と評価されてしまいます
ということになる。
連絡帳、夏休みの日誌、各教科のノート、宿題、・・・
それらの奥には保護者がいる。保護者まで届くことを意識してちゃんと赤ペンを入れてあげてほしい。
赤ペン(リアクション)は、子供にも保護者にも届くものだ。
赤ペンが入らないけれど、「保護者の協力」を意識したいのが
◆持ち物の準備と記名、給食当番の白衣の洗濯、行事日の弁当の用意
など。
「そんなの当然」と思うと、感謝の言葉が出ない。
仕事を終えてクタクタの中で、我が子のために準備している保護者を意識して、感謝の気持ちを大事にしたい。
なお、今月号の向山氏の回答の「肝」は、
◆家庭の中に「夏には暑中見舞いを出す」という文化が根付いているから、子供がはがきをかくのです
の部分だと私はとらえた。
「家庭の中に根付く文化」は、「家庭の教育文化」であり「家庭の教育力」でもある。
教室で「この子は何ていい子なんだろう!」と感じるのは、総じて家庭で育てた「非認知能力」が高い子だ。
そういう非認知能力の高い子がいることで学級経営がうまくいくのだから、育てていただいた保護者には感謝あるのみなのだ。

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漢字に興味を持たせ、漢字の習得率をアップさせたい。

 かつて5年生を担任した際の記録が出てきました。30年以上前のものです。

日記の中で、子供が作ってきた漢字クイズ

①人・・にんじん  ② 音・・ねおん

と答えが示してあって、あとは答えがない。「芽ん馬っ手根(がんばってね)」と書いてある。

 

③荷  ④目  ⑤歯  ⑥子  ⑦旗

 たぶん解答は 「荷・・かに」「目・・もくめ」「歯・・はし」「子・・こし」「旗・・はたき」

 こうやって、自学ノートに漢字クイズを出してくる子がいると、それを学級通信で紹介してきました。

 以下は、別の子が作ってきたヒント付きの当て字。ヒントがかわいいです(解答は掲載せず)。

 

①都模打置(だいじなもの)   ②根子二子晩(ことわざ)   ③油有序宇(大切なもの) 

④洗世囲(みんなの好きな人)  ⑤語反(パクパク)    ⑥円火津(いつも使うもの) 

⑦野有徒(⑥と友だち)      ⑧努予羽美(今日は?)

①ともだち ②ねこにこばん ③ゆうじょう ④せんせい ⑤ごはん ⑥えんぴつ ⑦のうと(ノート) ⑧どようび

 

以下も、別の子が作ってきた当て字問題(解答は掲載せず)。

可連打亜  例象雇    差裸打  多聞倒素多有

カレンダー ②れいぞうこ  サラダ   オーブントースター

 

なお、別の子が用意したのは、本当の難読漢字で、②⑤は読めませんでした。(解答は掲載せず)

蟻  水黽(あめんぼ) 油蝉 兜虫 蝦蟇(がま) 蛇 狸 

猪 兎 11猿 12虎 13獅子  14鍬形虫  

 

先生が分からないような問題を考えてくる。

先生が通信でみんなに紹介してくれる

 

 という好循環で、結構、学級で漢字クイズが流行しました。

 当時みんなに漢字辞典を購入させたかもしれません。ネットのない時代だから、難漢字を調べて漢字クイズを作るには、マイ辞典が必要だったと思います。

 

 ある時、子供が次のような日記を書いてきました。先生に対する反論です。

この前、した(舌)という漢字を書いた時、同じ部首の漢字しかのっていなかったので「舌しかないんだよ」と書いたら、その横に先生が「乱・辞・活・括・話」という字を書いたけど、これはちがいます。その字の部首を書きます。

乱・・乙(おつ・おつにょう)  辞・・辛(からい)  括・・てへん

活・・さんずい  話・・ごんべん  憩・・心

です。

 

 私は学級通信に、上の日記を紹介して、コメントを書きました。

これは、すごいです。「これはちがいます」と証拠を出しているところがすごい。

その通りです。舌を部首とする字はないようです。ただ舌のついた字があるので書いておいただけなのです。このような反こうなら、いつでもお受けしますよ。

 

・・・漢字は習得が大事だから「教え込む」「何度も練習させる」「テストを繰り返す」という方法がとられます。

 しかし、それだけでは、無理やり覚えただけなので早々に忘れてしまいます。「剥がれ落ちる学力」と言われる通りです。

 

◆主体的な学び・・興味を持って自主的に探究する・ゲーム化して楽しむ。

◆対話的な学び・・クイズを出し合って交流する。

◆深い学び・・・・教科書の学習範囲を超える。

 

 漢字の学習は、習った範囲にとどまる「収束的な学習」ではなく、学習範囲を超える「拡散的な学習」が可能です。

 なお、上記の漢字ブームの前提として、「自分の氏名を違う漢字で書かせる」「友達の当て字の氏名を読み合う」という活動を行っています。

 今は負担軽減の時代なので、お勧めしづらいのですが、

 

「自学ノート」に取り組ませる

  先生が取り上げて紹介する

  本人のやる気が高まる・学級全体に波及する

という流れがありました。

 今はタブレットを活用すれば、子供たちだけでも学習を広げていけるのではないでしょうか。

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「1人1人にきめ細かい指導を」とは言いにくい時代?

 「少人数なのに一斉指導」という実態を問題視した田中博之氏(早稲田大学教職大学院教授)の論稿のコピーがある。2年ほど前の小学館の「総合教育技術」だと思うが、発行年や号数の記載部分が落ちてしまっている。引用としては全く不適切なのだが、引用しながら自分の意見を述べていきたい。
 論稿の題は分かっています。
「少人数なのに一斉授業」を防ぐため管理職が指導方針を明確にする必要がある
◆40人近い子供がいる学級の担任は大変です。テストの丸つけの数も多いし、指導要録や通知表の所見を書くのも一苦労です。授業中に机間指導しても、気になる子どもをすべて見てやることはできません。子ども一人ひとりに目が届かないため、保護者からのクレームも多くなります。
◆かといって、30人未満の学級になっても、教師は子供一人ひとりに対してきめ細かい指導するのかと言うと、そうではないのです。逆に、人数が少なくなると、学級の管理がしやすくなるので、教師はほっとしてしまうのでしょうか。教師主導で叱ったり、命令したり、指示したりという形で管理的に子供を動かしてしまう傾向が見られます。授業も「主体的・対話的で深い学び」をするのではなく、教師が全部指示をして、 説明や解説をするような一斉授業をし始めるのです。 実際に、私は山間部や過疎地にある小規模校で、約10人の子どもに対して担任がずっと一斉授業をしているところ何度も見ました。ただ、これはある程度、しかたのないことでもあります。 教師の仕事が増える中で、負担が少ない方に流れるものだからです。
 しかも、昔ながらの教え込み型の授業しても誰からも文句言われないのです。保護者は授業参観で、静かで落ち着いている教室を見て満足します。
・・・昨年度も今年度も、担当する初任の学級が25人以下というケースがある。ほぼ毎日が少人数指導なのだが、慣れてしまうと、25人以下でも日々大変なので、人数の少なさを生かしたきめ細かな指導を行おうという意気込みが薄れていく。
田中氏の指摘はもっともだが、少人数学級でも多忙で余裕がないのが現実だ。
◆「学級の子供の人数が多いと、担任は作文やレポート、感想文など、子供が記述して表現するような課題をできるだけ避けようとします。提出されたものに手直しをしたり、コメントを書いたりするのが大変だからです。しかし、文章を欠かせないと、思考力や表現力が身に付きません。少人数学級になったら、子供たちに記述する課題を出し、教師はそれを添削してやってほしいと思います。単元ごとに、あるいは学期に何回書かせる、と言うふうに学校の方針として決めると良いでしょう。
・・・せっかく人数が少ないんだから、「書く」場面を増やし、手直ししたりコメントを書いたりしてあげてほしい。
でも、それは教師に負担を求めることになるから、言い方が難しい。
◆ 今、求められる学力は、知識や技能だけではなく、思考力や判断力、表現力です。全国学力・学習状況調査や民間業者のテストの問題も、新しい学力観の下で作られています。そうなってくると、ドリルで基礎的な問題の反復練習をしていても学力向上には結びつかないのです。
・・・早くできた子は、タブレットでドリルやっていいよ、という指示は、ドリル反復をさせているに過ぎない。
タブレットでドリルをやらせるのはいいが、その間ノート点検するなり、コメント書いたり、個別支援したりする時間に充てることが大事だ。
 田中氏は、4つの授業ポイントを提示している。
①発言の回数を増やす
②記述する課題を増やす
③修正する時間をつくる(誤答を消して正答を書き写すだけでは理解したことにならない)
④習熟度別に指導を行う
そして、ベースになるのは学級経営だと述べる。
◆ 今は「主体的・対話的で深い学び」が求められています。根拠を示して友だちとディスカッションして、合意形成をしてプレゼンテーションまでしなければいけません。そのためには、子どもたちは学級の友だちと協力し合う必要があります。人間関係がバラバラの学級では、学び合いなどできませんから、「主体的:対話的で深い学び」が成立しません。肯定的で支持的で、支え合い、認め合い、許し合う関係が築かれていなければ学力が向上しないのです。
 少人数学級になったからといって子どもたちが自動的に仲良くなる事はありません。(中略)一人ひとりの提案を聞こう、みんなで協力して学ぼう、一人ひとりの良さを生かした活動しよう、良い発表には拍手をしよう、といったことを教師が 伝えていく必要があります。人間関係のベースとなる学級経営の重要性を、改めて教師には認識してほしいと思います。
1学期に比べて余裕ができる2学期は、一人一人のノートや作品を丁寧に見て、コメントを返してあげてほしい。

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一番若い先生が、一番古い授業をしてる?

若い先生方にも分かるレベルで「新学力観に即した授業」を語るには、やはり堀田先生の解説は端的で鋭い。
ストックしてあるものを改めて読むと、以前とは違うところに注目する自分に驚いたりする。
「教育家庭新聞」は、今でもWEBで閲覧できるので、ありがたい。
◆「個別最適な学び」キーワードは「自己決定」「自己調整」「相互啓発」
・・・「個別最適な学び」が「指導の個別化」と「学習の個性化」という点は以前も注目していたが、タイトルにある「自己決定」「自己調整」「相互啓発」には、当時あんまり引っかからなかった。「相互啓発」は「他者参照」とセットだなと今なら思う。
次の箇所は、当たり前な方針なのだけれど、現場ではなかなか具現化できていない。
◆学校での授業も「教員の話を聞いて終わる」授業から、「学び取ることの喜びを獲得できる授業」としていかなければなりません。そのために必要な学びの環境として、端末やネットワークが配備されました。
◆学んだ結果としての学力だけではなく、学ぶ意欲と学ぶスキルが求められます。学び続ける意思、自分の学びを自ら組み立てる力、あふれる情報をうのみにしない力、議論や対話を通してより良い納得解を構築できる力です。
◆日々、自ら調べて話し合いしながら考えを深めて納得解を見出す学習経験を経た子供とそうでない子供では、「考える」「関連付ける」スピードが変わります。
・・・「主体的・対話的で深い学び(旧アクテイブ・ラーニング)」と言われながら、「習得」至上主義のような授業が現場では多い。
端末が「効果的に教え込む」ツールになっている場面も目にする。
 新学習指導要領が出た時の意識=「パラダイムシフト」がトーンダウンし、教え込む授業が横行しているのではないか。
 別の講演記録では、次のように指摘している。
◆「教えないとわからない」子供ではなく「自ら学ぶ」子供を育成する。そのためには「探究的な学びのプロセス」を各教科で繰り返すこと、そこに端末を活用することだ。
初任の中には、以前の学習指導要領(学力観)との違いが判らず、自分が子供のころの授業をトレースしている先生がいるかもしれない。
実は、そこが一番あやしい。
昔から「一番若い先生が、一番古い授業を行っている」と揶揄される所以だ。

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August 16, 2023

「ごんぎつね」の語彙の指導

ずいぶん昔の「ごんぎつね」の授業実践が出てきた。
① 「ちょっ、あんないたずらをしなけりゃよかった 」
「このような気持ちを短く言うと何と言いますか?」と聞く。
みんなピンと来ないので、 「後かい」という言葉を教える。これは教えるしかない。
「しまったなあ、というような気持ちのことだよ」と補足する。
できれば「ごんぎつね」の授業に入る前に、道徳の授業や生活指導などで繰り返し使っておくと、ここはすんなり進む。
②「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か」
「このような気持ちを短く言うと何と言いますか」と聞く。
これもピンと 来ないようだったで、サッサと教えた。
「同情」と言います。(「共感」でも良い)
③ごんは、いわしやくりやまつたけを兵十に持っていきました。
「この時のごんの気持ちを短く言うと何と言いますか」
「先生、漢字ですか?」
「いいえ、ひらがなです。 どこかに書いてあります。
「うなぎのなんとか」 とヒントを出して「つぐない」 を出させる。
「後かい」も「同情」も「つぐない」も、この作品を読む上で(ごんの心情を読む上で)とても大切な要素になる。
しかし、これらの言葉を知らなければ、使えないわけだから、感想が貧弱になる。
語彙を増やすことは、言語環境の整備でもある。
「豊かな日本語の使い手」を育てることは、なかなか大変なことで、1時間の授業で解決する問題ではない。
だからこそ場面場面で、具体的に手を打つことが大事になる。

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社会科は「語彙」が勝負!

高学年になると、学習内容が難しくなる。
何が困ると言って各教科の専門用語・語彙。日常生活に出てこない言葉が次々に出てくるからだ。
これまで授業を聞いてなくても何とかなった子が、各教科の専門用語を疎かすると分からなくなり、それが苦手意識にもなっていく。
社会科の教科書では、すでに4年生で言葉の難しさが出てきている。
・ こう水量、積雪、じょ雪、輸入、らく農、耕地面積、下水、取れ高、産業
等の言葉が理解できないと社会科の授業が成立しない。
例えば、かつて、社会科テストには、次のような穴埋め問題があった。
選択肢問題だが、カッコが多くて一目で見ただけでは何が何だか分かりづらい。
市の人たちのねがいは( ① ) や( ② )にうったえる。
このことを(  ③ )と言い、この願いは( ④  )でそうだんして決められる。
公園を作るためには、( ⑤  )だけではたりないことが多く、( ⑥ )や県にほじょを求める。
解答は、①市長 ②市会議員 ③ちんじょう ④市議会 ⑤ 市  ⑥国 
この場合、選択肢が8個あって2つ余るようになっていた。
同じようなものが並んでいるから、1つ間違えると間違いの連鎖が起きる。
③の「ちんじょう=陳情」などは、授業中に意味をきちんと押さえておかないと何のことか分からない。
「陳情」がわかるためにはその前の「訴える」も分かっておく必要がある。
意味のわからない言葉があるのに、理解できるわけがない。授業についていけるわけがない。
全校集会などで高学年の先生が話をすると、どうしても難しい言葉が出てくる。
自分が話していると気づかないが、第三者として聞いていると「この言葉では低学年には伝わらないな」と心配することがある。
教師にとっての当たり前の言葉を疑ってかからないと、子供が置いてきぼりになる。

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August 15, 2023

昭和40年代の本を読む 

戦後、長く文部省教科調査官だった沖山光は、たくさんの著書を出している。図書館で何冊か借りて読んでみたが、今風の文章・文体に慣れた自分にはかなり難解だった。

そんな中で、今にも通じると思った点がいくつかあった。

 ○×式の学習を否定したところで、自由記述による答案の処理には、高度な、しかもダイナミックな思考や判断が伴うことを承認しなければならぬ。教師の答案処理は、○×式のような単純なものではない。自由記述の教育を承認することなしに、○×式教育を乗り越すことはできない。教育界現状では、容易にこれが受け入れられるとは思えない。

 「国語教育の構造と思考1」1967年初版(明治図書)P23

 

・・・「能力開発は、提示された文章に即してみずから問題を発見し、問題を解決に役だつように分析し、総合し乗り越えていくところに、はじめて可能である」と言うことは、逆に言えば、

「提示された文章に即してみずから問題を発見し、問題を解決に役だつように分析し、総合し乗り越えなければ、自分の能力を開発することはできない」

ということだ。

 その真逆の教育が「○×式」の閉鎖的思考だと沖山は述べている。

 ○×式教育を批判した沖山が文部省教科調査官を退官したのが1966年。

 マークシート型の共通一次試験が導入されたのが1979年。

 時代はあらがえなかったのかもしれない。

 沖山は「○×式の学習」だけでなく、教師による問答の授業も否定している。

==================

教室における問答方式の教育もまた、○×式教育と、ほど遠からぬものである。 教師のあらかじめ用意した問い という「ものさし」にあてはめて答えを要求していく教育である。これまた、閉鎖的思考である。

===================

・・・一問一答式で詰将棋のように教師の枠にはめておく授業は、もちろん向山洋一氏も否定していた。

「討論」の授業に憧れるとは、○×式の対極にある「自由記述の教育」の側の教育を志向していたということなのだ。

大学入試での自由記述式は相変わらず反対が多くてなかなか前進しないが、自由記述でこそ「思考・判断・表現」が問われることは意識したい。

教師があらかじめ用意した問いに当てはめていく一問一答型・○×式の授業は「閉鎖的思考」だと沖村は言う。

そして、次のように書いている。今でいう「探求型」のススメだ。

 

◾️学習者のめいめいが自分みずから、問題を発見し、問題相互間の関係を分析によってつかみ、思考にすじ道を通 して、みずからの手によって問題を解決していくプロセスが、ひとりひとりの能力開発の道である。ここには、結果主義を乗り越えた、プロセス重視の新しい教育の観点が要求されてくる。

 

・・・これが昭和40年代の著作物だということに驚く。(振り子の揺り戻しと思えば違和感はない)

教育は「結果」ではなく「プロセス」が大事と分かっていながら、日々の授業(教育評価)では、つい後回しになってしまう。

 

◾️ひとりひとりの生徒の思考のプロセスが記録され、その思考のプロセスに照らして、結果を検討する教育においては、人まねとか、カンニングという、結果だけをにわかに自分のものとして、すりかえていくことが承認される余地はない。

 生徒が自己の全力をつくして、解決へのプロセスをたどるところにのみ、自己開発、能力開発の道は開かれるのである。

・・・結果ではなくプロセスが大事という主張は、今なお大事な指摘である。

 教科書の扱い方については、学習者自身が学ぶ機会を奪うものであってはならないと述べている。それも「プロセス」重視の表れだ。(P23〜25)

 

■読解すべく眼前にある文章は、ひとりひとりの生徒が、乗り越えるべき山にもたとえられるものである。 

山は、登山者がおのれの足で頂上目さして一歩一歩と登るべきものである。

その学年、その学年に適切な抵抗度を持つように、編集者が検討し、吟味したものが、一冊の教科書である。 

ここにいう適切な抵抗度とは、それぞれの学年の生徒が自力で登れるような高さの山であり、その山道のけわしさも、学年相応になっているという事実を指していっているのである。適切な抵抗度もないものは、平坦な道であって、学習資料としての文章としては失格である。

 

ーーー学習者が自力で登るための支援が教材研究であって、分かりやすくすることは「暴挙」であると言う。

 ■教師の巧みな誘導や雄弁によって解説することは、山にブルドーザーをかけて、平坦な道としてしまうようなものである。教師の教材研究は、ブルドーザーの役を果たすためのものであってはならない。

 かかることは、みずから高きに登ろうとする、ひとりひとりの生徒の学習意欲と、学習することの中に伸びる糧を、みずから味わって、無限に伸びていこうとする、学習者みずからの生きる喜びを、むざんにも教師がふみにじってしまう暴挙にも等しいものである。

■学習における思考とは、学習者のひとりひとりが、みずからの目で判断し、確かめ、一歩一歩と、みずからの額に汗を流して、頂上目ざして山を登っていく、そのプロセスにおける、見とおし、判断、確かめ、実践というふし一ふし、一行動一行動にはたらくものである。おのれみずからが推理し、判断し、決断をくだすというプロセスを抜きにしたところに思考力ははたらくものでもなし、育つものでもない。山を登るという一連の行動を念頭におくからこそ、文章読解の一連の全プロセスを「言語行動」とか「言語活動」とよぶのである。言語行動とよび言語活動とよぶ一連の思考プロセスの原理・原則は、学年の高下によって、異なるものではない。

ーーー「教師は、明治以来の講述式の殻にとらわれて、文章とは、講述によってわからせることが可能という矛盾をくりかえしている」と言う指摘に納得する。

山登りするのは学習者自身である。

「小さな親切、大きなお世話」なのだ。

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August 14, 2023

ブルーナーリバイバル 〜だから昭和40年代の書籍に意味がある〜

2015年11月に開催されたシンポジウムで奈須正裕氏が、現行指導要領は「ブルーナーリバイバル」と発言している。

◆概念的理解をベースにした授業をしていこう、それによって教科の見方・考え方が獲得されるだろう、ということになる。見方・考え方や概念的理解が獲得されてくると、それによって個別的知識の学習が早くなるのである。これはブルーナーがかつて言 ったことで、次期指導要領はある種のブルーナーリバイバルでもある。

「育成すべき資質・能力」と「アクティブ・ラーニング」をめぐって 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku/84/1/84_61/_pdf

 

ただしブルーナーの文章内容(邦訳)はずいぶん難解だ。『教育の過程』を読んでみたが、なかなか理解できない。解説サイトを参照しなければ、お手上げなのだ。

以下のサイトを見ると、ブルーナーの主張が現行学習指導要領の「見方・考え方」「構造」「学びに向かう態度」と重なることがよく分かる。

====================

2017年に改訂された学習指導要領は、裏では「ブルーナー・リバイバル」という呼び声もあるとおり、陰に陽にブルーナーの影響を受けていることは疑い得ない。本書のはしばしに、最新学習指導要領の記述と響き合う記述を伺うことができる。

 いちばん響き合っているのは、学習指導要領が言うところの「見方・考え方」という言葉だろう。これはブルーナーが「構造」と「態度」という言葉で表現しているものに対応する。学習指導要領では、小学校から高校まですべての学年において教科の「見方」を身につけることを目指しているわけだが、これはブルーナーが「教科の構造」を極めて重視したことと響いている。たとえばブルーナーは以下のように言っている。

 

◆「ますます明確になってきた一つの点は、そのようなことがらにおける構造の重要性ということである。一度この構造の重要性ということが十分に受けいれられると、さらに程度をすすめて、もっともっと年の小さい子どもたちにさらに一そうこみ入った教科を教えることが可能になる。」日本版への序文iv頁

 

◆「数学であれ、歴史であれ、その教科の構造を強調すること――つまり、できるだけ迅速に、ある一つの学問のもっている基本的観念についての感覚を生徒に与えようというしかたで、それを強調すること」3頁

 

◆「教科の構造を把握するということは、その構造とほかの多くのことがらとが意味深い関係を持ちうるような方法で、教科の構造を理解することである。簡単にいえば、構造を学習するということは、どのようにものごとが関連しているかを学習することである。」9頁

 

◆「意図するところは。教育課程を計画する場合に、これまでにしばしば見落とされた、欠くべからざる一点を銘記すべきだということにある。その一点とは、すべての科学と数学の中核をなす基礎的観念や、人生や文学を形成する基礎的テーマは、強力であるが、同時に単純なものであるということである。」16頁

「要点をまとめてくりかえすと、この章のおもなテーマは、教科の課程は、その教科の構造をつくりあげている根底にある原理について得られるもっとも基本的な理解によって決定されなければならないということであった。」39-40頁

 

 要するに、細かい知識なんてものはいくらでもあとからついてくるから、教育で重要なのは教科の「普遍的な構造」を掴み取ること、ということだ。そのための「直感」である。ブルーナー以前の行動主義や経験主義では研究の対象にすらなっていなかった「直感」というものを、ブルーナーの専門である「認知科学」が捉えているという自信が裏付けとなっているだろう。そして認知科学は、21世紀に入って脳科学なども結びつき、急速な展開を遂げている。2017年の学習指導要領が60年近く前のブルーナー仮説と響き合うのは、「認知科学」という点で基本的な発想を同じくしているせいだろう。

 

 また、最新学習指導要領が言う「考え方」とは、もう少し丁寧に言えば「方法論の習得」を意味する。単に知識の量を増やすのではなく、未知の現象に触れたときにそれを適切に処理できる様々な考え方を身につけることが重要であり、そのために「方法論」を身につけるという観点だ。これはブルーナーが「態度」という言葉でしめしているものに当たる。たとえばブルーナーは以下のように言っている。

 

◆「それは、ある分野で基本的諸観念を習得するということは、ただ一般的原理を把握するというだけではなく、学習と研究のための態度、推量と予測を育ててゆく態度、自分自身で問題を解決する可能性に向かう態度などを発達させることと関係があるということである。ちょうど物理学者が、自然のもっている窮極の秩序と、その秩序は発見できるものであるという確信とに関して一定の態度をもっていると同じように、物理を勉強している若い生徒が、学習することがらを、自分が思考するときに役立つものにし、意味のあるものにするような方法で組織しようとするならば、物理学者のもっている態度をいくらかでもそのまま自分のものにする必要がある。そのような態度を教育するためには、たんに基本的観念を提示する以上のなにかが必要である。」25頁

「そのようなやり方に賛成している議論は、学習がその学問の最前線でしていることと、子どもがはじめてそれに近づくときにしているものの間には連続性があるという想定を前提にしているのである。」35頁

 つまり、学習した結果ではなく、学習の「過程」そのものが重要ということだ。まさに学習指導要領が言うところの「過程を重視した学び」である。

http://meganeculture.boo.jp/2019/02/17/【要約と感想】ブルーナー『教育の過程』/

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・・・ブルーナーの言う「自分自身で問題を解決する可能性に向かう態度」などは、現行学習指導要領の理念そのものである。

『教育の過程』は難解でそのまま理解できないのだが、そのエッセンスは、しっかり学びとっていかないといけない。

 

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August 11, 2023

英語のスモール・トークとSST

初任者が研修の配信動画を見ていた。

その一瞬の画面が外国語活動における「スモール・トーク」。

「スモール・トーク」は、外国語活動だけでなく、全ての授業や学級活動でも活用してほしいね、とSSTの話をした。

SSTによる子供たちのペアトーク・グループトークは、人間関係を円滑にするし、どの授業にも成果をもたらすからだ。

与えられたお題について枠にはまった会話をするだけではなく、自分の本音を語り合うフリートークまで進めてほしい。

話型にはまった会話だけではコミュニケーションが深まらない。それは「オープンマインド」が足りないからだ。

※「オープンマインド」の意味は、“自分をさらけ出し他を受け入れる心”のことです。自分のありのままの姿や考えを包み隠すことなく、オープンに開け広げることを指します。それと同時に「他人や他の物事に対しても興味を示し、積極的に受け入れる」という意味も持ち合わせます。

「オープンマインド」は、心をあけ放ち自由な気持ちでいること、また素直な心を持つことを意味する言葉です。そのため、「オープンマインド」の人は心に余裕をある人がとても多いと言えます。

https://biz.trans-suite.jp/41623

 

SSTに取り組んでいる学校では、スモールトークの効用はすんなり受け入れられるが、他校では、ややハードルが高い。

でも「大学時代、授業の始まりでアドジャンとかやってました」と言っていたので、若い先生はけっこう慣れているのかも。

 

※参考:光村図書のソーシャルスキル。 

https://www.mitsumura-tosho.co.jp/webmaga/jugyou/social/vol01

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August 10, 2023

教採対策〜場面指導は「アイデア」ではなく「教育観」を見る〜

ある場面指導の練習動画が送られてきて添削を依頼されました。
「間違った発表を友達に笑われたので出て行ってしまった」という場面。
廊下に出てA子ちゃんを慰めるところをメインにしていました。
①A子が笑われた場面を教師は制止できなかったのか、注意しなかったのかが気になりました。
そこで「間違いを笑う」に対する注意がされなかったことが、そもそもの問題ということになるからです。
②教室を出る前に、他の子に「ちょっと待ってて」と言うだけでだけでいいのか。
「今笑われてA子さん出て行っちゃったね。勝手に出ていくA子さんもよくないけど、笑った子も問題があるんだよ。
A子さんを呼びに行くから戻ってきたら今笑った子はどうすればいいか考えておいて」
ぐらいは言ってもよいのかと。
③Aさんの気持ちは分かる。止められなかった先生も悪かった。でも勝手に出ていくのはよくない。
「それぐらい嫌だったというAさんの気持ちは伝えるから、まず教室に戻ろう」
④教室に戻ってみんなに言う。
「A子さん戻ってきました。勝手に出ていくのは行けないけど、それぐらい嫌な気持ちだったんだよね。
自分のせいだと思う子立ってごらん。何て言えばいい? 」

ぐらいの流れを考え、最後は先生自身の納得したプランでやってみてくださいと伝えました、
受験者からいつも先生のアイデアを聞いて、なるほどと思うことばかりです。」とお礼をいただきました。
しかし、申し訳ないけど「アイデア」はちょっと違うかな、と思いました。
大事なのは「アイデア」ではなく、基本姿勢・教師の理念・教育観だからです。
(1)「間違いを笑う行為はあってはならない」という事前の全体指導(教師の所信表明)があるべきで
(2)笑いが起きたということは、教師の指導が通じなかった残念な事態です。
(3)教師の警告を突破されたので、事後指導になりますが、この場合、言った側と言われた側の指導が必要になります。
(4)笑った子に無理矢理謝らせるだけでは、また同じことが起こります。
(5)笑われた子の気持ちには寄り添いますが、それでも「勝手に教室を飛び出す」行為はたしなめます。それを許すと誤学習になります。
自分が教採の場面指導で面接官をしたときは「アイデア」ではなく、その受験者の「教師としてのあり方・教育観」を見ました。
「なるほどA子ちゃんにそうやって語るんだ」
「クラスのみんなにそうやって語るんだ」
という指導内容の奥に、受験生の人柄や教育愛があるからです。

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August 05, 2023

向山学級の評論文に学ぶ

『教師修行十年(斎藤喜博を追って)』の中に、安西冬衛「春」の卒業生の評論文がある。

向山先生が授業をした5年生と、たまたま来校した卒業生の評論文が掲載されている。

5年山田太郎君の解釈は、授業の結果だ。

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 作者は、このてふてふの勇気に感動したのだろう。ぜっ体に死ぬとしっているてふてふに、「飛んでいってくれ」と言う願いをたくしたのだろう。「てふてふが一匹」というのは、むれをなさないで、一人ぼっちでわたっていったのだろう。ふつう、一匹で旅をするよりも、むれをなして旅をする方が、生きるかくりつが多いのだ。それなのに、このあらあらしい、まの海峡をわたっていくのだ。その勇気をこの作者は書いたのだろう。もしも、わたって行ったという文章を書かなかったら、てふてふは、と中でもどって来たかもしれない。(中略)
 ぼくは、このてふてふの勇気と作者の願う心に感動した。このてふてふがふつうの陸地をとんでいるのなら、なんとも思わない。しかし、韃靼海峡というハンデイをせおって、とびたつすがたに感動した。
========

・・・この解釈を読んで、対比思考がベースになっていると思った。
 以前は「ifーthen」思考として捉えた。

 「もし〜なら〇〇」「だが〜だから△△」と2文のフォーマットだ。

 その後、、対比の思考ツールとして捉えた。上記の山田くんの解釈文からは、3つの対比が抽出できる。

 

①(もし)てふてふが群れをなしていたら、生きる確率が高い。
 それなのに「てふてふ一匹」だから、一人ぼっちで飛んでいった蝶々の姿に感動した。

②(もし)「わたって行った」と書かなかったら途中で戻って来たかもしれない。
「渡って行った」とあるから、戻って来なかったのだ。

③(もし)ふつうの陸地を飛んでいるなら、なんとも思わない。
しかし、韃靼海峡だから、ハンデを背負って飛び立つ姿 に感動した。

 フォーマットは、4つのステップに分けた。

①「もし〜なら」     ②「〇〇な感じがするけれど」
③「〜と書いてあるから」 ④「△△な感じがする」

 中1河原香さんの解釈文も、対比構造で思考している箇所がある。
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◆「てふてふ」はたった一匹で渡っている。団体で渡っていない。たった一人で生き延びていくのだというように渡って行った。

◆「去って行った」のではなく、「渡って行った」のだ。「渡って行った」という表現に、希望を失うことなく、乗り越えていけるのだとい思う作者の心を感じる。

◆「海」した方がもっと迫力があるではないか。しかし「海」としたならば、向う岸もなく、永遠に続く海原で、希望が全くなくなってしまっただろう。「海峡」だからこそ、向う岸にたどりつくかもしれない、かすかな、ほんのかすかな希望がわいてくる。
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 ちなみに桜田千枝さんの対比は、少しレベルが違う。
 どのようなフォーマットを使えば、このタイプの対比が導けるか、ここももっと考えないといけない。

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◆「てふてふ」と「韃靼海峡」から
 「強いものと弱いものの対比」 「小さいものと大きいものの対比」を捉え、
◆「自然に負けまいとするてふてふ」と「弱気になる自分に負けまいとする自分」と対比している。
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能力は努力次第で伸ばせる 「MIND SET」

以前、TV『世界一受けたい授業』で、ドウエックの『マインドセット』を紹介していました。

ドウエックは、次のように主張しました。

能力は努力次第で伸ばせるから、難しい課題でも挑戦し、失敗を恐れないことが大事だ

これは、「才能は生まれつき・努力したってどうせ変わらない」と真逆の考え方です。

 

ベテランの先生は、学級経営の基盤に

「やればできる・失敗を恐れず挑戦する・努力する・あきらめない」

等を置きます。

また、「やればできる」の対極にある「できるのにやらない子」に対する指導もしっかりしています。

◆ 「何とかならない子」は、努力を持続する意思が、極端に弱い子です。例えば、前もって予告した10問の漢字テストをするとします。(中略)予告してあっても悪い点を取る場合が多いのです。「やればできる」のだが「続けることができない」わけです。

◆「知能検査がよい」ということはたいした才能ではないですが、それとは別の「やることをやれる」「続けてやれる」ということは必要な才能であると考えています。そして、この才能は先天的なものではなく、生活の中で獲得されるものであり、それを獲得させる過程こそ、教育(学校・家庭)の大切な内容であると思っています。

「向山式『勉強のコツ」がよくわかる本」PHPより

あるクラスでは「がんばっている子に刺激を受けて自分もがんばらなきゃ」と切磋琢磨する学級の雰囲気を感じる。担任の先生ががんばっている子に温かく声をかけているからだ。

「ほめる」ができない子も「励ます」は可能である。

頑として動かない子もいるが、彼らのかすかな変化を察知して、励まして続ける教師であってほしい。

Mindset

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August 04, 2023

教採対策 〜場面指導の設定にご注意ください〜

ある場面指導の練習動画を見る機会がありました。
お題は「帰りの会に、子供が1人教室にいません。どう対応しますか」
受験生は、このとき
「5時間目に図書館に行き、A子だけが戻ってこない」
という設定をしました。
 帰りの会の指示を出して、図書室に探しに行きます。
え?、図書館から戻る時に、全員いるか確認しなかったの?
「図書館にA子残ってが残っている(A子を残している)」という場面を想定する時点で、その受験生は、そういう事態が「アルアル」だということです。
この先生が担任になったら、置き去り案件が発生しかねないのです。
そして、図書館にいるA子が読書に夢中になっていたので、特別に本の貸し出しをして教室に戻しました
え?、A子ちゃんだけ図書館で本を借りさせていいの?

「みんなと同じ行動をしていないのに、特別に借りられる」という結果を誤学習させています。
「5時間目は終わったんだから戻りますよ」と連れ戻すことが最優先です。みんな待っています。
「図書館に残ったA子がちょっとぐずったから、特別ルールで本を借りさせる」という行動をとる時点で、その受験生は、そういう対応が「アルアル」だということです。
 この先生が担任になったら、特別ルール乱発が懸念されます。
 むろん自分なら絶対に想定しません。あってはならない事態だからです。
 自分が想定するなら、嫌なことがあってトイレの前で泣いているぐらいにするかなと伝えました。
 ちょっと厳しめのダメ出しでしたが、本番前に教えてもらえてよかった・設定を変えますとの返事がありました。

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教採対策 〜場面指導のシナリオを見ていると〜

場面指導の練習を見ていると
「フツーの先生なら、そんなくどくど話をしないだろうな」
と思うことがあります。1から2分って、そんなに長いわけではありません、
いじめがあった、落書きがあった、班決めでもめたといった場面指導の場合、
①もちろん見て見ぬふりはいけない。
②「そんなことしたらダメだよ」レベルのゆるい語りでは全く効かない。
③くどいのも効かない。
面接官の好み(方針)もありますが、直して欲しいなと思うのは、
①「みんなどう思う?よくないよね」「自分がされたらどう?嫌だよね」みたいな当たり前の確認。
②全員に「よくないです」と答えさせる誘導尋問です。
分かってることを改めて聞くような対応は、そんな面接官でも評価しないと思います。
(学級に反抗的な子がいたら、「別にいいんじゃない」のように強がります。)
 
現場でのNG対応を想起してみると、、、
①怒鳴る。
②お説教で授業を潰す。
③説教を聞いていない子を攻める。
③「分かりましたか?」--「はい」の強要。
④「よくないと思う人?」--全員挙手。
⑤「よくないと分かってるよね、なのにどうしてやったの?」の無限ループ。
⑥犯人探し,個人攻撃。
⑦別件を含むお説教。
⑨嫌味、比較。
⑩あれほど警告したのだから私は悪くないという教師の責任逃れ。
 
場面指導がうまくできずに学級崩壊につながる先生がいるから、教採の試験項目に入っているのかもしれません。
お説教にならずに効果的に子供たちの心に響かせる語りを見たくて場面指導のお題になっているのかもしれません。
頭の隅に置いておいてほしいのは、
①先生の指導の不手際なら謝る。
②辛い思いをさせた子がいたら謝る。
③未来志向。済んだことは仕方ないから、これからのことを明るく語って終わる。
教採対策というよりは、2学期の学級経営対策だと思って試行錯誤しています。

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教採試験対策 

二次試験の場面指導や面接で「こんな時どうする」の対応を問われることがあります。
いじめとか、不登校とか、仲違いなどです。
生徒指導には事前指導と事後指導があります。
トラブルが起きてからどうするかよりも、トラブルが起きないように手を打つ方がスマートだということはお分かりになると思います。
◆未然防止を呼びかける場面の指導なら、自分が大切にしているポリシーを伝えます。
いわゆる所信表明ですね。
「絆」でも「一致団結」でもいい。仮想で学級訓を示してもいいです。
担任としての願いを端的に伝えて、想定されるトラブルを回避し、学級のまとまる機運を高めます。
◆もし起きてしまった際の場面指導なら、例えば「みんなで決めた学級訓を覚えているよね」「先生は4月に〇〇な学級にしたいって話をしたよね」と想起させ、「でも実際にはこんなトラブルが起きてしまったね。何が足りなかったんだろう」のように問いかけます。
◆もちろん一度や二度と宣言したり警告したりしたところでトラブルは簡単になくなりません。
起きてしまったことを責めるのではなく、このトラブルをより良いクラスにするためのきっかけになるよう励まします。
教師の落ち度によるトラブルの場合、自分なら「先生の落ち度だ。ごめんなさい」と謝ります。

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教採対策 〜「生徒指導提要」の構造〜

ある集団面接の過去問を見ていたら同じ流れでした。
1.これからどうしたいか所信表明や事前指導をする。
例えば6年生の修学旅行で班を決める、5年生が卒業式参加する
2.実際にトラブルが起きてしまった時の全体指導をする
例えば班決めでもめる、卒業式練習でみんなのやる気がなくなる。
3.特にトラブルになった子への対応をする
例えば転校生が来た、リーダーが辞退した。
・・・これは「生徒指導提要」に合わせたわけではないでしょうが
1、プロアクティブな全体指導
2、リアクティブな全体指導、
3、困難児童(予兆が見られる児童)の緊急個別対応
です。
そう考えたらお題がどう変わろうと、この3つの対応を意識していれば焦ることはないわけです。
生徒指導提要には、これ以外にも参考にできる箇所がたくさんあります。
「提要」そのものの理解が難しい場合は、まとめてもらったものに目を通すのも一つの手です。
Tei

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授業がうまくいかない原因の一つ

授業がうまくいかない原因の一つは、授業がワンウエイになっていることだ。

 

「ソクラテスメソッド=対話術」について、久しぶりに色々WEB検索してみた。

=============〜============

日本の大学では、教授が十年来の講義ノートを一方的に読んだり、黒板に書いて教える形式が一般的ですが、こうした知識詰め込み型の講義形式とサンデル教授のソクラテス的対話方式には明らかに違いがあります。ソクラテス的対話方式では、解答のない問題について皆で意見を出し合いながら、多面的な見方を相互に学んでいくのです。しかも、ソクラテス的対話方式は、米国では初等教育でも行われているのです。

">https://debatekk.net/education/20170611/

というWEBの文献の中で、以下の引用がある。

============

出典:玉川大学 第4・5回海外教育事情(連携)視察報告(1995-1996) 

Buckingham Browne & Nichols School(以後BB&N;)で授業参観した際に,5年生の教室で先生が私達を児童に紹介し「子供達に質問があったら何でもしてみてください」と言われる場面があった.私達から児童たちへのいくつかの質問の中に「日本のスポーツ選手で知っている人はいますか?」というものがあったが,すぐには回答がなく,しばらくたってから「アッ,知ってる,知ってる,ヒデオ・ノモは日本人だ」との答えがあり,次に「たしか,スケートのクリスティー・ヤマグチも日本人じゃなかったかしら」という返事が返ってきた.その後,しばらく児童たちでワイワイ言い合っていたが,「なぜ,私達は日本のスポーツ選手を知らないのかしら」「私達がテレビで見ているのは国内のスポーツだけだからさ」「つまり情報源が偏っているということになる」「ということは発信する側の情報を一方的に受け入れずに,こちらから必要な情報を求めればよいということになる」「ただし,なぜ外国のスポーツ選手を知る必要があるのかは別問題」などのやりとりが展開された.日常の些細な事象を通して「懐疑的」あるいは「批判的」な思考力を育てようとする姿勢が垣間見られる場面であった.

===========

・・・なるほど、この場面は「引き出す」の一例だと思う。

 

T「日本のスポーツ選手で知っている人はいますか?」という大きな問いかけがあり、子どもたちが「問いに正対して」自由に発言する。

C「アッ,知ってる,知ってる,ヒデオ・ノモは日本人だ」

C「たしか,スケートのクリスティー・ヤマグチも日本人じゃなかったかしら」

 

その後,しばらく児童たちでワイワイ言い合っていたが、子どもたちが自分たちで問いを立て、自分たちで解決し始める。

 

T「なぜ,私達は日本のスポーツ選手を知らないのかしら?」

C「私達がテレビで見ているのは国内のスポーツだけだからさ」

C「つまり情報源が偏っているということになる」

C「ということは発信する側の情報を一方的に受け入れずに,こちらから必要な情報を求めればよいということになる」

C「ただし,なぜ外国のスポーツ選手を知る必要があるのかは別問題

・・・日常の些細な事象を通して「懐疑的」あるいは「批判的」な思考力を育てようとする姿勢が垣間見られる場面であった、と記されているが、

「なぜ,私達は日本のスポーツ選手を知らないのかしら?」の問いが、分岐点になっている。

日本なら、多くの場合、ここは教師が問いかけて新たな展開に持っていくところだ。

授業を教師が主導する前提なら、この発問は教師だけに許可される。

しかし、「問いかけ」も含めて自由発言が許容されていれば、新たな問いが子どもから生まれ、その問題解決を皆で始めるこのような展開もあるわけだ。

 

有田学級の授業は、有田先生の巧みな話術と問いかけで、子供の思考がどんどん深まっていく。

有田先生なら「なぜ,私達は日本のスポーツ選手を知らないのかしら?」と問うだろう。

それが、いわゆる「揺さぶり発問」だ。

無論、有田学級の子どもは「はてな帳」で鍛えてあるから、自分で問いを立、自分で解決する(追求する)子もいるだろう。

有田先生も、自問自答できる子=独り立ちできる子をめざしている。

 

向山学級の「磁石」の授業の鍵となる問いは、子どもの疑問、子どもの発見であった。

子どもから生じた気付きの中から向山先生が学級討論させるに足ると判断したものをチョイスして投げかけたものだ(と理解している)。

なお、各自で検討している途中で、向山先生のところに話しに行く場面の設定がある。

これは「小さな対話」が確保と言えるだろうか。

「優れた発問による授業」だけでは、子供が発問待ちになる・子ども自身が問いを持てるように育てよという指摘があった。

だから、分析批評のような「解釈コード」を教えることが、一人読み・独り立ちさせるために欠かせないのだ。

ワンウエイでない授業の工夫、「ツーウエイ(双方向)の授業の工夫」について、もっともっと深めていかねば。

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「ごんぎつね」のワークシート考

ある先生の「ごんぎつね」自作ワークプリントを見せてもらった。

いくつかの資料を参考にして自作でワークシートを7枚。
早い段階だからこそ修正も効くので、いくつか助言を文書にまとめてみた。
(1)これまでの授業の積み重ねを意識して
 「白いぼうし」「一つの花」で取り組んだことと関わらせると理解がしやすくなります。
ここで新しいことを教える際も「『一つの花』でいうと~」のように補足しながら進めると納得させやすいです。
 「ごんぎつね」を読み取りながら、物語を読み取る汎用的なスキルを意識させると、別の作品を自分で読み解く意欲付けにもなります。
(2)全体―部分―全体を意識して
 読み取りのワークプリントは場面ごとになりがちですが、まずは作品の全体の流れ(設定)を把握し、そのあと場面ごとに読み取り、最後に全体を振り返ることが望ましいです。
 「ごんぎつね」の場合、ラストを読んでから、冒頭に戻ると、ごんと兵十の物語が長く語り伝えられていることが分かります。
 「このお話が村でずっと語り継がれているのは、なぜ?」という形で、この物語の魅力やメッセージを考えさせてみたいです。
 「一つの花」が、前半と後半で大きな対比構造になっているように、「ごんぎつね」は、前半と後半で「ごん」の大きな変化があります。
 いたずら好きだったごんが、償いをするやさしいごんに変化したのは、なぜか。どこか。
 その決定的な分岐点を考えるためにも、最後に作品全体の流れを振り返る時間が必要です。
(3)自分の感想・意見・理由を書きこむワークに
 ワークは、どうしても教師主導で読み取ったことを書き込む形になりがりです。
 子供はただただ書き写すのではなく、自分の意見(根拠)を書き残すワークであってほしいなと思います(ノートを併用する方法もありますが)。
 その場合、「ごんと兵十の行動や気持ちを読みとろう」といった漠然としためあてとは別に、焦点化した「問い」が必要です。
 A:ごんはどんな人物か?
 B:ごんは兵十に気付いてほしかったのか。気づかれたくなかったのか?
 C:ごんは幸せか。不幸せか?
 Aなら、たとえば、授業の終わりに毎回のプリントのタイトル「ごんぎつね」に「どんな」を付け足して、意見交換させます。
「やさしいごんぎつね」「いたずらを後悔したごんぎつね」など、各自の読みが反映するので、それを記入し、互いに聞きあうだけで、1時間のまとめになります。
 B・Cは、選択的に問うているので、「〇〇です。理由は・・」のパターンで自分の意見を言わせる訓練になります。
 ただし単純な二択にならない場合は「2対8」「5対5」のように割合表示で考えさせると、双方の立場を踏まえた意見を書く訓練になります。
 ワークを印刷した後に新たな問いが浮かんだ場合は、それぞれのワークの裏面に書かせれば大丈夫です。裏はフリースペースですから。

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