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August 25, 2023

「ごんぎつね」は、コミュ二ケーション不足の悲劇

  『国語教育』(明治図書)の1998年2月号で大森修氏が『ごんぎつね』に触れていた。

  「価値観が問われている」とあるだけで具体的な指摘がないが、否定的なニュアンスである。

  以前、樋口編集長から紹介された『アメリカ人と日本人』を読んだこともあって、国語教材の価値観(あるいは子どもに与える影響)について私も考えていた。

  『アメリカ人と日本人』は、日本の国語の教科書の内容や登場人物が、アメリカの教科書に比べ、ひ弱で自立していないといった趣旨になっている。そして、そうした国語教科書の登場人物の生き方が日本人の生き方に影響している(すりこまれている)のではないかと警告しているのである。

  以下に私見を述べる。

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  文学作品の特徴(美)の一つは、行間を読むことである。登場人物の心情などは、\はっきり書かれるよりは想像を書きたてるような「あいまいさ」の方が好まれる。 

 「黙して語らず」という美徳もある。しかし、これは相手に確実に真意を伝える「議論の文化」と相反している。   

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  「ごんぎつね」の悲劇性は、いじわるな見方をすれば、

 ○ごんが兵十に黙って「つぐない」をしようと思った独りよがりの行為に問題がある。

 ○きちんとあやまることもせず、かげでこそこそ行動したところに問題がある。

ということだ。

そもそもごんが勝手にやった行為は相手に通じていなかった以上「つぐない」とは言えないのではないか。

という考え方もできる。

「ごん」のいたずらと「兵十のおっかあの死」だって関連は怪しいのである。

  ラストで「ごん、お前だったのか」と兵十が言っているが、だからといって「ごん」が何のためにくりやまつたけを兵十の元に届けていたのか、その理由まで伝わっているとは限らない。

「ごん」の真意さえ伝わっていないのなら「ごん」の死は実に無意味である。

  議論の文化・コミュニケーションの文化と言う観点で見ると、「ごんぎつね」は

○相手に自分の気持ちをきちんと伝えていない。

○相手に自分の気持ちが伝わるまで話し合っていない。

と言える。「誤解」を避ける努力をしていないとも言える。

 

○「ごんぎつね」の教材解釈に、「ごん」は独りよがりだからいけなかったのだといった批判的な読みが認められているか。

そうした読み方を認めるほど国語の授業は自由であるか。

○「ごん」の悲劇の原因はどこにあったか・どうしたら「ごん」の悲劇は防げたか、という形でコミュニケーションの重要性に気づかせる授業が行われているか。

○議論重視・コミュニケーション重視の授業をと言いながら、教材がコミュニケーション軽視でいいのか。

  コミュニケーション不足による悲劇といった反面的な形でなく、もっと正攻法でコミュニケーション重視を訴える教材こそが求められていいはずである。

  これが、私なりの「価値観が問われている」の意味である。

  「沈黙は美徳」をすりこむような文学教材のオンパレードなら、その分、明示的な説明文の授業を繰り返す方が「生きる力」になる。

 

 『一つの花』も父親とゆみ子がきちんとコミュニケーションしていない(ゆみ子の年齢がそう設定されている)。

  「一つだけの花、大事にするんだよう」といった暗示的なメッセージは実に文学的である。

ただし、それゆえに父親の真意といったものはきちんと伝わらない可能性がある。

結局何が言いたかったのかあいまいだから

  「食べ物を大事にしようと言いたかったんだ」

「この世に生きるもの全てを大切にしようと言いたかったんだ」

なんて、父親の真意を想像させる実践が存在する。  

  文学の世界では暗示や二重の意味が大切な効果を示す。

  しかし、コミュニケーションの文化では、暗示(暗黙の了解)は避けるべきである。

 

  私は文学の暗示的表現や登場人物の沈黙を否定しない。感動もする。

ただし、それは相手に自分の意をきちんと伝えることの大切さに比べれば、重要度は低いと言いたいのだ。

  書かれていない人物の気持ちばかり尋ねている(想像させている)授業は、書いてあることをきちんと読み取る授業より減らしていくべきである。

  また、書かれていない人物の気持ちを想像させながらも、自分たちは実生活で伝えるべきことは、きちんと言葉で伝えていこうと教えていくべきである。

 『ごんぎつね』の悲劇の原因が「思い込み」や「コミュニケーション不足」であるならば、ぜひ、悲劇からその学ぶ授業であってほしい。

  反面的に生き方を学ぶのが「悲劇」の読みの典型であると私は考えているから。

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