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September 24, 2023

まずはスラスラ音読できること

向山洋一先生は『実践・授業の腕を上げる法則』の中で、次のように述べています (P 24,25)
 いつもの私なら何をするか?
 答えは簡単である。
 「教材の文章を全員が読める」ようにすることである。二年生の子どもたちが、 教材の文章をスラスラ読めるようにすることある。
 分析批評は、その後のことだ。
 教材がスラスラと、あるいはしっかりと読めるようにさせること、これは国語の授業の出発点である。
 大森修先生は、もっと厳しい言い方をされます。
 音読を十分にすると「読めば分かること」はほとんど分かってしまうので ある。「読めば分かることを授業する必要はない」 その通りである。しかし、現実の授業はどうか。読めば分かることを授業しているのである。読めば分かることが読んでいないために子どもに分からないのである。
 音読を十分にしないために子どもが分からない内容を、教師は子どもが分からないのだと誤解している。子どもは力がないという教師ほど誤解をしている。
 分析批評の授業は、 普通に読んだのでは分からない内容を授業している 。であればこそ、読んだだけで分かる内容をきちんと子どもに分からせてい るかどうかが厳しく問われなければならない。 読めば分かる内容さえも分からせないで子どもに普通に読んだだけでは分からない内容を分からせることなどできないからである。『教室ツーウエイ』No 56 P21、22
・・・久しぶりに大森氏の文章を読みました。文面のしつこさがたまらない。
 あえて、ロジックを整理すると、次のようになるでしょうか。
①音読が十分なら「読めば分かる」ことは分かってしまう。
②しかし、多くの学校では、音読が不十分なので「読めば分かる」ことさえ分かっていない。
③分析批評は、音読だけでは分からない授業を課している。
④だから、音読も十分でない教室で分析批評ができるわけがない。
 佐々木俊幸先生も次のように述べています。
 いくつかの音読指導の技術を身につけていて、それを必要に応じて使い分けていけるのがプロ教師である。
「『大造じいさんとガン』の全発問・全指示」p91、92
 さて、先日参観した4年の授業では「一つの花」の三場面を扱い、簡単にあらすじをまとめさせていました。
 あらすじの構成要素の確認も必要ですが、そもそも「スラスラ読めること」が保障されていませんでした。
 4ページもある場面だから、ちょっと読んだくらいでは、整理できない。
 宿題で音読させるだけで保障できるほど甘くないので、授業の中で、きっちり音読練習をさせてほしい。
 ICT活用の世の中でも、音読練習は決しておろそかにしてはならないのです。
※参考 「まるの会通信No133」 89.12.10 竹田発 日本教育技術学会雑記より

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September 23, 2023

先手必勝(プロアクテイブ)の生徒指導

たとえば、授業中、机に伏せている子がいる。
「授業をさぼるなよ。やる気はあるのか」と、つい叱りたくなる。
でも、体調が悪いのかもしれない。
放課にトラブルがあって泣いているのかもしれない。
そう考えたら、簡単に叱るわけにはいかない。
だから、何かあったら原因や事情を何通りか考えてみるといいんだよ。
こんなことを時々子供に語ってきた。
想像力があると、相手の立場に立てる。
いろんなケースを想定できれば、一方的に断罪するような失敗を回避できる。
「想像力」がいじめを防ぐ、というのが私の持論である。
管理職のころは「想定外を想定する」と語ってきた。
さて、これは『生徒指導提要』の「2軸3類4層」でいうと、「常態的・先行的(プロアクテイブ)な指導」に当たる。
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◆発達支持的生徒指導では、日々の教職員の児童生徒への挨拶、声かけ、励まし、賞賛、対話、及び、授業や行事等を通した個と集団への働きかけが大切になります。例えば、自己理解力や自己効力感、コミュニケーション力、他者理解力、思いやり、共感性、人間関係形成力、協働性、目標達成力、課題解決力などを含む社会的資質・能力の育成や、自己の将来をデザインするキャリア教育など、教員だけではなくスクールカウンセラー等の協力も得ながら、共生社会の一員となるための市民性教育・人権教育等の推進などの日常的な教育活動を通して、全ての児童生徒の発達を支える働きかけを行います。 P20
日常的な生徒指導によって、トラブルを未然に防ぐ。
同じ内容を「2軸3類4層構造」らしく示したのが、次の図だ、
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この図2の重層構造を見ていて、「なるほど、こっちの図は奥が深いな」と思った。
図2は量的なイメージを把握できるからだ。
 図2は、明らかな三角形になっているわけではないが、プロアクテイブな発達支持的生徒指導が底辺を支えている。
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常態的で先行的な生徒指導がうまく機能しないと、一部の「困難課題対応的生徒指導」の案件が多発し、事後指導で手いっぱいになる。
これが、逆三角形で極めて不安定であることを示すモデル図。
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 逆三角形で不安定な学校にならないためには、常態的・先行的(プロアクテイブ)な手を打って、未然防止に努めることが大事。
 少し前のダイアリーで、次の言葉を引用した。
 上農は草を見ずして草を刈り
 中農は草を見てから草を刈り
 下農は草を見て草を取らず
 
賢い農家は、雑草が生える前に手を打つ。その方が、草が生えてから草を刈るより、ぐっと労力が少なくて済む。
 すぐれた教師は、新学期を待たずに準備を終え、
 フツーの教師は、新学期になってから準備をし
 最低の教師は、新学期になってからも何もしない。
こんな風に置き換えることができるだろうか。ちょっと残念だけど。

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国語の評価はインプットとアウトプット

読み取り能力があくまでインプット。
市販テストはインプットの評価。
教科書には各単元で何らかの形でアウトプットの活動(パフォーマンス課題)が示されている。
感想交流、まとめの新聞、紹介文、続きの物語などなど・・
しかし、授業者が自分の都合・時間の都合でアウトプットを省略することがある。
読み取りが終わったら市販テストをやって終わりというケースは、私の実感ではよくあることだ。
結局ペーパーテスト中心の授業、ペーパーテスト中心の学習評価。
ペーパーテスト裏表200点に対して、アウトプットを何点配置しているかで、やる気も分かる。
ノートやワークで10~30点程度しか配点していないなら、ペーパーテストの結果が全てと言っているに等しい。
「パフォーマンス評価が大事ですよ」と言われながら、動きの鈍い学校が多い。

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September 22, 2023

変容(成長)する主体が「主人公」

『ドラえもん』の中心人物はドラえもんなのか、のび太なのか。
自分が誰から学んだのか、もはや定かではないが、
作品の中で変容(成長)するのが「主役」
主役の変容に一番関与するのが「対役」
という定義も1つあると思っている。
はじめーー〇〇だった主役は
 ーーー対役に出会い(ある事件を経験して)
おわりーー◎◎に変容する
という作品構造だ。
分かりやすいのが「成長」で、成功・勝利・事件解決などが含まれる。
悲劇なら「成長」とは言えないから「変容」。別離・死・破局などが描かれる。
お人好しなドラえもんは、のび太に出会って、「人間って全然学ばない生命体だ」「便利な道具が本当に便利とは限らない」と悟るのだろうか。
ならば、主役はドラえもん。
怠け者ののび太は、ドラえもんに出会って、「他人や機械に頼っても良いことはないな」と学ぶのだろうか。
ならば主役はのび太。
ただし、のび太が主役の場合は「失敗してもすぐに忘れてまた失敗する」という人間の成長のなさを主題にしているとも読める。
成長しない主役・変容のない主役という設定だ。「寅さん」もこのタイプか?
主役は主題を背負っているので、主題の設定によって主役が変わってくると考えている。
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1学期どう教えたのですか?

光村国語(5年)の9月教材は、「たずねびと」
これは長編だ。
教育課程通りの6時間完了で終えるには、とてもではないが場面ごとの詳細な読み取りなどしていられない。
ざっと全体像をつかみ、ざっと主人公の変化をつかむスキルが求められる。
しかし、このざっと読みは、この作品が初めてではない。
光村が意図しているかどうかは分からないが、夏休み直前の読み物教材(読書教材?)に「カレーライス」が配当されている。
これも長い。
かつては場面ごとに丁寧に読み取る4月の単元だったが、今は詳細な読み取りを狙っていない。
だから、ざっと読むスキルは
「カレーライス」
「たずねびと」
と続くことで習熟される。
あの長い「たずねびと」をどう授業するのかは、
あの長い「カレーライス」をどう授業したかに左右される。
夏休み前の「カレーライス」を読んだだけ、感想文の練習に使っただけなのか、
ちゃんと(それなりの)読解の授業をしたか
大きな違いだ。
別の言い方をすると、本気で2学期教材の「たずねびと」の授業を成功させたかったら、「カレーライス」で種を撒いておくべきなのだ。
※4年で言えば、1学期に「一つの花」をどう扱ったかによって、2学期の「ごんぎつね」の授業プランが変わってくるわけだ。

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September 21, 2023

『たずねびと』の主人公は、哲学的思考に一歩近づいた?

令和3年度 石川県の教採論文課題の文章が面白かった。

私たちは、「問う」ことではじめて「考える」ことを開始する。思考は疑間によって動き出すのだ。だが、ただ頭の中でグルグル考えていても、ぼんやりした想念が浮かんでは消えるだけである。だから 「語る」ことが必要になる。きちんと言楽にして語ることで 、考えていることが明確になる。そしてさらに問い、考え 、語る。これを繰り返すと、思考は哲学的になっていく。

(梶谷真司 「考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門」より)

 

・・・「哲学的思考」と言われると難しくて敬遠したくなるが、「問い、考え、語る」なら、新学習指導要領の「主題的・対話的で深い学び」に通じる。出題者も当然そう思ってこの資料を教採の課題として提示したのだと見当がつく。

 

5年国語「たずねびと」と重ねてみたら、主人公の「綾」が、まさに哲学的思考をしているのではないかと思った。

上記の表現を借りるなら、ラストの「綾」は、頭の中でグルグル考えていても、ぼんやりした想念が浮かんでは消えるだけの状態だ。

 

「アヤ」は原爆で亡くなった「アヤ」についての疑問を解明するために広島に来た。

しかし、「アヤ」についての当初の疑問は解決したものの、知らないことが多すぎた。

資料館を半分も回らないうちに、わたしは頭がくらくらしてきた。何もかも信じられないことばかりだった。

うちのめされるような気持ちのまま、資料館を出た。

わたしははずかしくなって下を向いてしまった。そんなことは考えたこともなかったからだ。

わたしはらんかんにもたれた。おにいちゃんもせかさなかった。

ただただ興味本位で訪れた自分が恥ずかしくなった。

思慮の足りなかった自分が恥ずかしくなった。

何も知らない自分が恥ずかしくなった(知らないことの多さに呆然とした)

 

だから、この作品の中で主人公がどう成長したかと問われたら、「自分の思慮の足りなさを知った」「自分が『無知』であることを知った」ということで、それはつまり「哲学的思考に一歩近づいた」ということなのだと思う。

 

学校をはじめ 、世の中では、いろんなことを学んで分かることを増やし、分からないことを減らすのがいいとされる。 哲学はその真逆である。分からないことがたくさんあれば、それだけ間うこと、考えることが増える。だから、 どんどん分からなくなるのがいい、というのが哲学なのだ。

 

「綾」は、どんどん分からなくなった。

それでいい。それこそが「成長」なのだ。

 

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September 10, 2023

向山洋一氏の功績 〜表現の中に根拠を求める読み〜

ご存知の方も多いと思うが、『書く力は、読む力』鈴木信一(祥伝社新書2014初版)は、向山先生の「ごんぎつね」の実践に触れている。
巻末に参考文献として『国語の授業が楽しくなる』が提示してある。
================
 たった一語でも変えれば壊れる
 向山洋一は、作品をそういう取り替えのきかないものとし、作品それじたいを精査すれば、意味は1つに決まると、新美南吉の「ごんぎつね」を使って、そのことを証明したのでした。
   (中略)
「兵十はかけよってきました」とありますが、兵十は何のためにかけよったのでしょう。ちょっと考えてみてください。
 じつは小学生にこの質問をすると、ほぼ全員が次のような答えを返すといいます。いえ、現場の教師もそれは同じだと。
---ごんがどうなったかをたしかめるため。
 しかし、向山洋一は、これこそが「表現から遊離した思い入れ読み」だといいます。そのような読めないと。
 なるほど、私たちは表現を曲げてでも、自分の読みたいものを読もうとするときがあります。ラブレターには断りのせりふがたしかに書かれているのに、それを脈あり読み違えるあれです。しかし。向山洋一は、これを「思い入れ読み」として厳しく排除します。
---(今度は)どんないたずらをされたか、確かめるため。
 これが正解です。そう書いてあるというのです。兵十の視線の動きを丁寧にたどれば、兵十の関心が最初はごんになどなかったことがわかると。
   (中略)
 かけよったあと、兵十がまっ先にしたことは、家の中を見ることでした。そして、土間のくりに目をとめます。ごんへの関心が生まれるのはこのあとです。「おや」と、兵十はびっくりして、そこではじめてごんに目を落とすのです。
 〈ニュー・クリテイシズム〉の流れを汲む「読み」の方法論を、「分析批評」と名づけて日本にいち早く紹介したのは小西甚一でした。大佛次郎賞を受けた『日本文藝史』や『古文研究法』などで知られる国文学者です。この「分析批評」を教育現場に広めたのが向山洋一です。彼は「教育技術法則化運動」を率いて、八十年代の教育界に一大ブームを引き起こしました。
 もっとも、分析批評的な「読み」は、いまでは常識となっています。とくに受験国語の世界では、「問題文が示す範囲の中でどう読めるか」という、いわば表現の中に根拠を求める「読み」が求められています。
 ところで、先ほどの引用箇所ですが、作者である新見南吉は何も考えずにあれを書いたのかもしれません。しかし、兵十の視線をあの順番で移動させてしまった以上は、「かけよったのは、ごんがどうなったのかをたしかめるためだ」との主張は通りません。仮に新見南吉本人がいったとしても、それを正解として認めるわけにはいかないのです。  P47〜52
===================
「伝記批評」・・作品を作者の生涯と結びつけて理解しようとする読み。
「印象批評」・・作品を読後の印象として理解しようとする読み。
「分析批評」・・「伝記批評」と「印象批評」を否定して、作者から独立したテクスト=言語的構造体として作品を客体化する読み。
といった流れの中で、法則化運動の「分析批評」の授業があった。
◆「作者の意図」や「読者の感情」を脇に置いて、「表現」から意味を引き出す。これはいまや通常の読書にとって当たり前のことになっていますが、この作業、じつは意外と困難です。P53
とあるところの「今や当たり前」を築いたのが向山洋一氏の授業実践というのが鈴木氏の見解だ。
このような歴史的な転換期に居合わせたことに、身震いしてしまう。
鈴木氏が参考文献にした「国語の授業が楽しくなる」は、1986年2月初版。
私が教職1年目、名古屋三省堂の向山洋一講演会で購入したものだ。
一方で、相変わらず「表現から遊離した思い入れ読み」が跋扈する国語の授業に対して、我々は断固反対の声を上げねばならない。
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教師が提示する情報は、「論理」が決める

『書く力は、読む力』鈴木信一(祥伝社新書2014初版)の第三章は、「書くことのメカニズム」について述べている。
 具体例として、次の一文。
「若者のスマホ利用が、このところ大きな社会問題になっている」
このように書き始めたら、続けて次の内容を書かねばならない。
◆「若者」とはどのあたりの年齢層か。
◆どんな点が「社会問題」なのか。
それは、当然「読み手が期待する内容」だからだ。
そして、それを書き足さないと「読み手」は前に進めないからだ。
(とはいえ、この2点に触れないで書き進める人が多いのが現実だ)
※ 書き手はこうした新たな不足に気づき、それを埋めることをまた強いられます。
では、誰がそれを強いるでしょう。
論理が強いるのです。こう書いた以上は、次にこう書かなきゃまずいんじゃないか?ーそういう論理のささやきに耳を済ましながら、私たちは書くことをなかば自動的に進めていく。これが書くことのメカニズムです。P98
※書く事に必要な力があるとすれば、それはまず、前の文(書いてしまったこと)との整合性を保ちながら、文をつないでいく力だということになります。P99
・・・具体例まで引用すると膨大なので省略するが、ある情報を書き手が提示すると、読者は「それは例えばどういうことか?」を知りたくなる。だから、書き手は、具体例をあげて「不足部分を埋める」必要があるわけだ。
※不足を追う習慣のある読み手が心に刻むのは、「印象に残った言葉」ではありません。「来てもらわなければ困る言葉」です。こう書いてある以上は、次にこう書いてもらわなければ困る。そうやって「来てもらわなければ困る言葉」を待ち構えるわけです。P109
なるほど!
授業で与える「情報」も同じだな。
授業者は、論理的整合性をもって、提示すべき情報を仕組まねばならない。
情報不足を埋めようとする学習者の態度は、まさに「探究」だ!
先の引用部分をトレースすると
◆探究する学習者が求めているのは、「提示してもらわなければ困る情報」です。
◆授業者に必要な力は、提示した情報との整合性を保ちながら、さらなる情報をつないでいく力です。
ということになる。
与えられる情報にロジックがあると、授業を受けていて心地よいのだ。
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September 04, 2023

教科書の仕組みを考える

(5年生まで待つ必要はないが)

5年光村国語の2学期。「どちらを選びますか」の単元があって、対話の練習として位置づいている。

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AかBかを選ぶだけなら、取り組みやすい。

それでいて、AかBかを選ぶと、理由を言いやすい。

だから、選択型の話し合いは2年生でも何とかなるくらいだ。

Which だけでなくWhat, When, Who, Where も答えを限定する問いなので答えやすい。

自分が選んだ答えに対する理由は言いやすいものだ。

 

その後、「よりよい学校生活のために」という話し合い活動の単元がある。

こちらは、「どうすればいいか」を考えさせている。

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How・・・当然、1単語で答える上記の4Wとは難易度が違う。

「どうすればいいか」は、単語では答えられない。説明を求められる。

 

感覚的には、指導は次の順番になるだろう。

①「どっち」

②「何」「どこ」「だれ」「いつ」

③「どんな」「どうすれば」「なぜ」

 

自分で選んだ理由について「なぜなら・・」で答えるのと、「なぜ〇〇は~なのか」のような問いに答えるには難易度がうんと違う。

そこを理解せずに、すぐに「なぜですか」と理由を問うことがロジカルシンキングだと思う人がいるが、そんなに簡単ではないいのだと自覚してほしい。

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September 03, 2023

不思議でならない「天文学」

この夏、明石の天文科学館に行った。

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日本標準時子午線の通っている町だ。

◆古い時代、方位や時刻を十二支で表し、真北を「子」真南を「午」と呼びました。

つまり子午線とは、真北と真南を結ぶ線のことで、いわゆる経線のことです。

一般に、明石を「子午線のまち」と言いますが、これは「日本標準時の基準となる東経135度子午線上のまち」という意味です。

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とはいえ、昔々、どのように真北を確定し、暦を確定し、時間を確定し地図を確定していったのか、その過程は想像がつかない。

だから、映画「天地明察」の途方もない苦労に驚いた。

天文科学館では、JAXAの宇宙開発の特別展を行っていたが、当然「宇宙」に繋がっていく。

未来を想像するのも楽しいが、先人の通った道(科学の歴史)もしっかり学んでみたい。

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日本の近代化を支えた「数学」

この夏休み、上野の国立科学博物館に行った。
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我が家の見学のメインは「はやぶさ」が持ち帰った石だったが、「計算機」関連の実物と解説がたくさんあって魅了された。
◆ 19世紀の欧米では、歯車を利用して計算する様々な機械式計算機が登場した。その理論は、現代のコンピュータの中にも生きている。20世紀に入ると日本でも国産の手回し計算機や計算尺が普及し、科学技術の研究開発に多用された。橋も電車も電気製品も、これらの道具を使って設計されていた。
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上の写真は、不思議な機械だが、次の解説がある。
◆ 複雑な連立方程式を解くことができる九元連立方程式求解機
アメリカのウィルバーは1936(昭和11年)に土木の構造解析や経済学上の計算を行える機械を考案、制作した。本機はその情報をもとに東京帝国大学航空研究所の佐々木達治郎や志賀亮、三井田純一らが1944(昭和19)年に製作した国内初の大型計算機械である。
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他にも「高速自働式計算機」や「手回し計算機」の実物があった。
私も知らない「計算尺」。
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◆ 計算尺を使えば、複雑な計算を簡単に行えるため、産業革命の時代から1970年代まで使われていた。日本では、明治時代に逸見治郎が国産化し、1940(昭和15)年頃から普及し始めた。1960年代には、国産計算尺の世界におけるシェアは70%を超えていた。ビルも鉄道も家電製品も全て 計算尺を使って計算された。多くのエンジニアがくふうをこらし自分用の計算尺を作っていた。
科学博物館では「計算機」に感激したが、大阪の造幣局では、日本人が作った「西洋時計」に感激した。
その西洋時計を見たときに、ふと思ったのは黒船を模倣した宇和島藩の「嘉藏」のことだった。
あるいは映画「天地明察」に出てきた、不思議な天体観測の器具だった。
自分の中に、「機械・道具」とそれを造った「職人」に対する強い憧れがあるのかもしれない。
※今100円ショップでも買える電卓だが、1972年爆発的にヒットしたのがカシオミニ12800円 。当時の相場の3分の1の破格だった。我が家に電卓がやってきたのがこの時代だ。

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日本の近代化を支えた技術者たち

この夏、大阪の造幣博物館に行ってきた。

造幣博物館は、明治44年(1911年)に火力発電所として建てられた建物で、造幣局構内に残る唯一の明治時代のレンガ造りの西洋風建物。
春になると桜の通り抜けをやるあの場所だ。
1階ロビーに立派な時計が展示してある。
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これを作ったのは大野規周で、2Fの展示室に彼の解説パネルがあった。
◆ 旧幕府天文台機械技師の子息として生まれ、1862年から6年間、オランダに留学し精密機械の制作技術を習得して帰国しました。1869年に造幣局に入局し、天平を始め大時計や計数器などを制作し、その優秀な技術は造幣首長相であったキンドルも激賞したと言われています。
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「 小型の工作物及び精密機械の製作はお任せ」というキャッチコピーを見て、
「ここにも『嘉藏』がいた!」
と思った。
ペリーが来航したわずか六年後に見よう見まねで蒸気船を造った宇和島藩の嘉蔵を思い出したからだ。
展示パネルには、「日本人技術者」について、次のように書いてあった。
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◆ 明治の始め、造幣局に勤務した人々は、わが国の近代化の先頭に立っていると言う気概を感じており、中にはお雇い外国人を驚かすような技術を持った人が多くいました。
日本の素晴らしさは、ごく一部のエリートの実績ではなく、ごくごく普通の市民の中で高いレベルを目指して精進した職人の実績が大きいと思う。
それは、宇和島の嘉藏と同じように、どんな身分でも技術があれば登用された「能力主義」の世の中だったこととも関連する。

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仕事は段取り(事前準備)が全て!

上農は草を見ずして草を刈り

中農は草を見てから草を刈り

下農は草を見て草を取らず

 

賢い農家は、雑草が生える前に手を打つ。その方が、草が生えてから草を刈るより、ぐっと労力が少なくて済む。

フツーの農家は、草が生えてから刈る。

最悪の農家は、草が生えても何もしない。

 

これを新学期にトレースすると

 

すぐれた教師は、新学期を待たずに準備を終え、

フツーの教師は、新学期になってから準備をし

最低の教師は、新学期になってからも何もしない。

 

「優れた教師は始まる前に準備を終える」とも言える。

次の言葉も同じ仲間だ。

◆段取り8分 仕事2分

(仕事の8割は段取りで決まる)

 

◆I would like to finish my work before I start it

(始める前に終わっているのが好き)

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September 02, 2023

新学期の所信表明は「鳥の目」と「虫の目」

先日、地下鉄に乗った際、全体を示す路線図と、目先を示す路線図があった。
「鳥の目」と「虫の目」
「長期的な展望」と「目の前の把握」
双方の思考が大事だなと思うと同時に、これは仕事でも同じだなと思った。
昨日は2学期始業式。
校長先生が、運動会、校外学習(6年生は修学旅行)といった2学期の行事のことを伝えながら、一日一日を大事にするようにと話していた。
これも「鳥の目」と「虫の目」の双方の提示だ。
◆先を見据えながら今を生きる。
◆先々の行事予定から逆算して今やるべきことを決める。
最初にゴールを決めておかないと、日々のバタバタの中で思わぬ方向に迷走してしまうことがある。
いつも「鳥の目」「虫の目」のハイブリッドで取り組みたい。
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