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September 21, 2023

『たずねびと』の主人公は、哲学的思考に一歩近づいた?

令和3年度 石川県の教採論文課題の文章が面白かった。

私たちは、「問う」ことではじめて「考える」ことを開始する。思考は疑間によって動き出すのだ。だが、ただ頭の中でグルグル考えていても、ぼんやりした想念が浮かんでは消えるだけである。だから 「語る」ことが必要になる。きちんと言楽にして語ることで 、考えていることが明確になる。そしてさらに問い、考え 、語る。これを繰り返すと、思考は哲学的になっていく。

(梶谷真司 「考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門」より)

 

・・・「哲学的思考」と言われると難しくて敬遠したくなるが、「問い、考え、語る」なら、新学習指導要領の「主題的・対話的で深い学び」に通じる。出題者も当然そう思ってこの資料を教採の課題として提示したのだと見当がつく。

 

5年国語「たずねびと」と重ねてみたら、主人公の「綾」が、まさに哲学的思考をしているのではないかと思った。

上記の表現を借りるなら、ラストの「綾」は、頭の中でグルグル考えていても、ぼんやりした想念が浮かんでは消えるだけの状態だ。

 

「アヤ」は原爆で亡くなった「アヤ」についての疑問を解明するために広島に来た。

しかし、「アヤ」についての当初の疑問は解決したものの、知らないことが多すぎた。

資料館を半分も回らないうちに、わたしは頭がくらくらしてきた。何もかも信じられないことばかりだった。

うちのめされるような気持ちのまま、資料館を出た。

わたしははずかしくなって下を向いてしまった。そんなことは考えたこともなかったからだ。

わたしはらんかんにもたれた。おにいちゃんもせかさなかった。

ただただ興味本位で訪れた自分が恥ずかしくなった。

思慮の足りなかった自分が恥ずかしくなった。

何も知らない自分が恥ずかしくなった(知らないことの多さに呆然とした)

 

だから、この作品の中で主人公がどう成長したかと問われたら、「自分の思慮の足りなさを知った」「自分が『無知』であることを知った」ということで、それはつまり「哲学的思考に一歩近づいた」ということなのだと思う。

 

学校をはじめ 、世の中では、いろんなことを学んで分かることを増やし、分からないことを減らすのがいいとされる。 哲学はその真逆である。分からないことがたくさんあれば、それだけ間うこと、考えることが増える。だから、 どんどん分からなくなるのがいい、というのが哲学なのだ。

 

「綾」は、どんどん分からなくなった。

それでいい。それこそが「成長」なのだ。

 

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