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October 24, 2023

国語の答えは「1つ」しかない!

国語の問いに対する答えは、解答者の頭の中ではなく、問題文の中にあります。文章の中にない答えを、勝手に考えてはいけません。
×解答者がどう思ったか = 主観
⚪︎問題文に何が書いてあったか = 客観
「音読で国語の成績は必ず上がる」齋藤達也(あさ出版)
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・・・2013年初版の本だが、受験対策として、こう書いている。
受験対策だからきっちり言い切ったほうが信用される。
 
「あなたなら問題」の典型であるPISAの落書き問題は2000年に出題された。
◆あなたは、この2通りの手紙のどちらに賛成しますか。片方あるいは両方の手紙の内容にふれながら、自分なりの言葉を使ってあなたの答えを説明してください。
 この2000年以降、自分の意見表明を課す受験問題も少しずつ見られるようになってきた。
 ただ、国語の問いの基本は、まずは「客観」である。
 「主観」を問う記述問題も珍しくはないが、それは、文中の言葉を根拠に論じることを前提とした自由記述である。PISA問題で「手紙の内容にふれながら」とあったように。
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「適度な期待・過度な期待」

「適度・適切」とは「ちょうどいい」こと、「過度・過剰」は「多すぎる」ことです。

親が子どもにかける期待が「適度」であれば申し分ないのですが、時として「期待しすぎ=過度な期待」になってしまいます。

20年近く前、我が子がもらってきたヤマハ音楽教室の冊子に臨床心理士の金盛浦子氏のお話がのっていました。

◆子どもは、親や教師に引っ張られることによって、ワクワクしながらついてきます。しかし自分の意思に反して限界を超えると壊れます。それが目に見えてあらわれるのは、思春期以降です。しかし、すでに壊れてしまった時には、性格も歪み、生きる意欲を無くしています。

・・・親の期待が子どもを押しつぶした事例です。

「家族に対する暴力」「引きこもり」「自殺」といった言葉が浮かんできます。

「遊び弾き」を楽しんでいる子に練習を強要するのは「過剰な期待=親が子どもを自分の思い通りにしたがっていること」だと述べています。

学校でも同じですね。

 「はえば立て、立てば歩けの親心」と言いますが、決められた課題について次へ次へとせきたてるようなところがあることを反省しなくてはいけません。

 知識や思考よりもまず「意欲や関心」を重視しようと言うのも同じ意味です。

 金森氏はIQ(知能指数)よりもEQ(情動指数)を豊かにするポイントとして

 

(1)自己認知力     (2)自己コントロール   (3)共感力

(4)社会的器用さ    (5)物事を明るい面から見る(プラス思考)

 

の5点を挙げていますが、これを子どもにではなく、保護者に対して訴えかけています。

 今のワードででいうと「非認知能力」ということになるでしょうか。」

(1)の自己認知力の例として、金盛氏は保護者が「○○さんのお子さんがよくできるのが、私はすごくイヤだ」という気持ちを認めることを挙げています。子どものお友達までもライバル視して張り合うのはやめましょうということなのだと思います。

 「○○ちゃんは、あんなにできるんだから、あなたももっとがんばりなさい」という親の励ましが子どもを追い込むということです。

(3)の共感力は「違いが分かる」ということなのだそうで、「あの子はあの子・うちの子はうちの子」と、その違いを理解したうえでお互いを認め合うことだと金盛氏は言います。

「くやしいけど、あの子って○○がすごいなあ」というように冷静に友だちのよさを認められるかどうかも、この(3)にあてはまるのだと思います。

 これは子どもの大人も同じですね。力のある人ほど謙虚になれるのだと言います。

 余計なお世話かもしれませんが、金盛氏の次の文章ものせておきます。

「お母さん」を「教師」に置き換えると、先生にも十分あてはまります。もちろん「父親」としても・・。

◆もし今、お子さんが何でも「お母さん、これでいい?」という確認をしてくるようなら、それは危険信号かもしれません。「お母さんに好きになってもらいたい」と必死の姿かもしれないのです。

 また、子どもにあれこれたずねられるのが「面倒」「うんざり」という方もいます。わかっていることを聞いてくるなら、なおのこと「お母さん、こっちを見て!好きになって!」のサイン。どうか、そのサインを見逃さないようにしてほしいですね。

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「学習評価」についてのモヤモヤ

 「学びに向かう力(関心意欲態度)、「知識・技能」「思考・判断・表現」の3観点について、ペーパーテストで評価できる部分・数値で計測できる部分はよいのですが、そうでないところは学年で確定しておかないといけません。

 「評価基準をどうするか」というと漠然としていますが、現実的に大事なのは「パフォーマンス評価」、「ペーパーテスト以外で、何を何点で評価に入れるか、その採点基準はどうするか」です。

 

【国語】単元ごとのまとめ・振り返り・作文・発表・レポート・聞き取り

【算数】単元ごとのまとめ・振り返り

【理科・社会・生活】単元ごとのまとめ・振り返り・レポート(観察記録)

【図工】作品・振り返り・鑑賞

【体育】実技・単元ごとのまとめ・振り返り・作戦カード・チャレンジカード

などなどを数値化して評価します。

 ですから、文章を書くのが苦手なために「振り返り」「レポート」「鑑賞カード」が書けない子に対しては、「書けないから低い評価」で済まさないような手立てが必要になります。

 表現力を育てないと、成績上ずっと不利になることも事実です。文字だけでなく音声や図、写真などの成果物を評価に加えることも推奨されています。(田村学氏の提言)

◆文字言語でたくさん書いてほしいのであれば、子供が記述する際の参考となるサンプルの言葉を、黒板などに「見える化」しておくとよいでしょう。

◆「交流する場面では、〇〇に着目した発言が出るようにしたい。」「振り返りでは、このような言葉が書かれるようにしたい」など、子供のどのような行動、発言、記述、作品が見られるとよいか、教師自身が事前に言語化し、子供に明示する。

 

※「指導したことを評価する」とは、「評価項目を決めてから指導する」の意味でもあります。成績をつける時期になってあわてて過去のプリントやノートを採点するのは本末転倒です。

 

※ルーブリックの形で事前に評価基準を公表するとともに、子供にも評価結果を伝えます。

低い評価を知られてしまったらでは可哀そうだからとあいまいにするのは、本人のためにもなりません。

なお、本人の申し出はあれば「再チャレンジ」もありえます。

 

※成績に入れるのは「総括的評価」です。

日々の指導として「形成的評価」をすることは大切ですが、成績には加えません。

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October 23, 2023

他者と語り合うことで自己内対話を促進する

『総合教育技術』2018年6月号道徳の特集の中で、國學院大學の田村茂紀氏が次のように書いている。(改行部を増やしました)

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「他者と語り合うことで自己内対話を促進する」

 道徳的な学びはスタートフリーでゴールフリー。スタートもゴールもみんな違います。同じ学習テーマで話し合っても、スタートする段階が高い子も低い子もいることが前提です。

 一緒ではないのに、なぜクラスみんなで話し合うのでしょうか。

 例えば、「思いやり」が必要な経験をして「思いやり」についていろいろなことを考えますが、その道徳的な経験や認識は個人のものです。そこで、道徳の授業では教材を通して共通の追体験をして、それについての個々のものの見方、感じ方、考え方を披瀝し合うことによって、自己内対話を促進させるわけです。

  他者との対話をすることで今まであたりまえだと思っていたことがあたりまえでなかったことに気づく。授業のはじめに思っていたことが最後の方では変わってきた、友達の意見を聞いているうちに自分の道徳的な捉え方に自信を深めたということが起こってきます。

 それが道徳化の「協同し合う学びの時間」です。十人十色の学びが1時間の中で展開され、個々の道徳的な成長につながります。 P18 

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・・・・このような記事を「道徳」として受け止めてしうまうともったいない。この箇所は、「主体的・対話的で深い学び」についての汎用的な意味を持っている。

 できるだけ原文を生かしながら私なりに加筆修正して示すと、次のようになる。

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 今求められている「今日的な学び」はスタートもゴールもみんな違います。同じ学習テーマで話し合っても、スタートする段階が高い子も低い子もいることが前提です。

 例えば、あるテーマでいろいろなことを考える場合、その経験や認識には個人差がありますが、それでかまいません。個々のスタートラインから出発することが「主体的な学び」です。

 授業の中では、①教材を通して共通体験をさせて、②それについての個々のものの見方、感じ方、考え方を披瀝し合うことによって、③自己内対話を促進させます。

 つまり、他者との対話をすることで、結果として自分自身との対話を深めます。

 ①今まで自分にとって当たり前だったことが他者にとっては当たり前でなかったことに気づく。

 ②授業のはじめに思っていたことが最後の方で変わってくる。

 ③友達の意見を聞いているうちに自分の捉え方に自信を深める。

ということが起こってきます(いわば他者との出会いによって生じる化学反応です)。

 「対話的な学び・協働的な学び」を通して、十人十色の学びが1時間の中で展開され、個々の「深い学び」につながります。

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 田村氏の論稿をトレースした形になっているが、本当は、自分の選んだ言葉でスッキリ主張してみたい。

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これも、「手放す」の主張につながっている。

元文科省道徳調査官の永田繁雄氏の論稿については、以前も書いたことがある。

「道徳授業」2011年9月号。連載のタイトルは「安全運転」の授業から「冒険運転」へ

永田氏は「『安全運転』型の授業」を次のように示した。

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①全員が授業という電車に乗り込む。

②資料の場面ごとに停車して問い掛け、子どもは主人公の思いをその都度考える。

③全員がゴールにたどり着き、自分たちのことを振り返る。

④教師の話などをまとめる。

(中略)そこでは、子どもが方向付け、子どもが運転し、自ら新たな発見をするということが少ない。だから、予測外のことも生じにくく、何度繰り返しても運転力(学ぶ力)はつきようがない。

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・・・「予定調和」の授業というか、「詰将棋」の授業というか、教師主導のデメリットが強調された授業スタイルだ。

だからといって、その反動ですべてを子どもに任せる授業が推奨されるわけでもない。

当時は意識しなかったが、やはり「テイーチング」から「コーチング」の移行を念頭に置いた主張なのだ。

「グラデーション」、「フェーデイング」などと重なってくる。

永田氏も次のように続けている。

◆子どもが学ぶ安心感と、年間にわたる計画的な指導のために、「安全運転」は必要な面もある。しかし、その繰り返しばかりで、子どもは本当に授業の面白さを感じることができるだろうかと不安に感じるのである。そして「『冒険運転』型の授業」を勧めている。

永田氏の主張は道徳の授業改善に限らない、汎用的な意味を持った指摘である。

先生自身が「いずれ手放す」という意識をもって、1年間を見通すことが大事だ。

冒険運転にチャレンジできない教師の「安全志向」が、子供の成長をスポイルすることがあってはならない。

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October 20, 2023

端末活用の3つのフェーズ

季刊「理想」2023秋号
放送大学オンライン教育センター長の中川一史氏は、
◆「子どもに委ねる」覚悟を決める 
の論稿で、端末活用の3つのフェーズについて、次の図を示している。
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使ってみる フェーズ1  (利用の日常化)
○とにかく使ってみる
○アイディアを広げてみる
使い倒す フェーズ2(学びのデジタル化)
○ならではの使い方を追求する
○従来の教材・教具との関連を検討する
使うかもしれない フェーズ3(学びのDX化)
○児童自らが適切な活用法を判断する
○ 個別最適な情報収集力、整理・分析力、発信力をつける
○新たな学びのスタイルを模索できる
◆ これまでの「教師による一斉授業主体」から「子供主体の学び」へ、「Teaching」から「Coaching」へと転換を検討することが必要になってくる。教師が良かれと思って手取り足取り「教え込む」ことで、子供が結果として思考停止に陥っていることがなかっただろうか。
 使い方としても、フェーズ1やフェーズ2では、一斉に同じタイミングで端末を使う授業場面がとても多い(これを筆者は「 はい、端末出して!問題」とよんでいる。)しかし、フェーズ3になると、児童生徒本人が必要だと感じたら自分で判断して端末を使っているし、その使い方もどんなアプリを使うかについても多岐にわたる。ー中略ー
 今後、児童生徒自身が、 学習が最適となるよう調整する力を、教科、領域横断的に、どのようにつけていくのか、学校ぐるみでしっかり検討していく必要があると考える。
 時流に乗って安易に「コーチング」に移行することには私は反対だ。
 丁寧にステップを踏まないと、単なる「放牧」になる。
 ただ、自分の周りのフツーの学級の端末活用は、ほとんどの場合一斉に同じタイミングで使わせており、ここは問題だと思っている。
 3年前、1人1台端末が貸与されると聞いた時、私は職員に
「辞書で調べたいからと席を離れる自由を禁止している教室ては、これからの端末活用の時代に合わないのではないか。教師側の学習規律の意識を変えないといけない」と問題提起した。
 今も、多くの教室では、先生がGoと言うまで、端末を出してはいけないことになっている。
 でも、言葉の意味がわからなかったら、その場でググればいいよね。検索して画像が出てきたらすごく分かりやすいよね。そこにタブレットがあるのに個別に活用させないなんて全く不自由ではないか。
 この不自由さを突き破らないと「フェーズ3」にならない。
◆ 1人1台のプライベートツールになりつつあるところを学びの転換としてどう捉えていけば良いのか、まさに学校・教師はそこを問われているのだと思う。
という中川氏の言葉に深く頷く。
 ただし、「子供に委ねる」覚悟を決めるとは、「子供に委ねられる」ほどに指導を積むことだ。中川氏の提言の心地良さだけに浮かれてはならない。

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October 19, 2023

「ファーストGIGA」から「セカンドGIGA」

 チエルマガジン2023秋冬号
 堀田龍也先生の論稿のタイトルは、上記の通り。
◆次の学習指導要領の改訂も、2024年には動き出すでしょう。2024年度に文部科学大臣から中央教育審議会に諮問が出され、2026年に中教審が答申を出し、2027年に学習指導要領ができる見込みだと言われています。次期学習指導要領でも、GIGAを始めとするICT活用が大前提となるのは間違いありません。
という指摘が刺激的だ。
 文部科学省初等中等教育局学校デジタル化プロジェクトチームリーダー武藤久慶氏の論稿に触れている。
 今回のチエルマガジンにも、「セカンドGIGA」前に読んでおきたいさまざまな記事が、掲載されています。文部科学省初等中等教育局学校デジタル化PTリーダーである武藤久慶氏のセミナーレポートでは、なぜ令和の日本型学校教育が必要なのかを、分かりやすく語っていただいています。何を、どの方向へ変えていくべきか。例えば「教師による一斉授業」を、「子供主体の学び」へと、少しずつシフトしていく。ある日急にガラッと変えるのではなく、グラデーションで変わっていく。この記事に掲載されている図は、とても大切な図です。これを見れば、授業をどう変えていくべきかがイメージできるでしょう。
 
 「グラデーション」・・・「教師による一斉授業」を「子供主体の学び」へと、急に変えるのではなく、少しずつシフトしていく、というスタンスが大事であることを述べている。
 セカンドGIGA に至るグラデーションは、この武藤氏の論稿の中の図が一番分かりやすい。
 出典は、内閣府総合科学技術・イノベーション会議「Society5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」を改変とあったので、現物を示す。
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 主体・学校種・空間・教科・教師・教職員組織の6項目で段階的に移行しようと述べている。
 この右側への移行が「端末の日常活用のその先」・・つまり「セカンドGiGA」だ。

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October 18, 2023

モチベーションに左右されないメンタルは自分の習慣でつくる

「教育トークライン」11月号の長谷川博之先生の論稿。
〜やるべきことを淡々とこなし、生活のリズムを整える〜
という副題に、日々を振り返る。
 「目の前の仕事を淡々とこなす」というのは、ミスチルが歌う「彩り」にも出てくる生き方だ。
◆ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしていく・・・
誰が褒めるでもないけど小さなプライドをこの胸に 勲章みたいに付けて
 かつて読んだ書籍にも同じような主張があった。
「モチベーションで仕事はできない」坂口孝則著 KKベスト新書 2012年初版
◆成功のためには、「やりがい」「夢」「目標」なんて不要だ。やる気があるときもなかなか出ないときも、確実に結果を出していくための方法とは。
というのが、ネットの紹介文。
 モチベーションがあろうがなかろうが、とにかく仕事をこなせ、という主張で、
◆仕事ができないのは、やる気ではなく技術の不足
◆定型的な仕事は効率よく終わらせ、じっくり思考時間を確保する
などなど書かれている。
 好き嫌いや気分に左右されず、コンスタントにベストを尽くし、義務を果たすのがプロの作法。
 褒められるから頑張る・褒められないから頑張らないではなく、いついかなる状況でも、ベストを尽くし、結果を出していくことが求められる。
 ただし、いつもいつも結果を出せと迫られたら苦しくなりますね。心が擦り切れます。
 相手には自分に期待する「自由」がある。
 しかし、自分には、一定の範囲で
拒否する自由、断る自由
◆逃げる自由
◆止める(辞める)自由
◆休む自由
◆減らす自由
などがある。「権利」と言ってもいい。
 自分の権利を侵すような要求まで粛々と受け入れる義務はない。
 こうした自分の「自由と権利と義務」の中で淡々とやればいい。
 逃げ場があると思うと、ぐっと楽になれるものなのだ。
 でも・・・ 
 その一方で、ミスチルの「彩り」の歌詞に戻る。
◆僕のした単純作業が、この世界を回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
 誰かの役に立っていると思うと、頑張れることも多い。

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October 15, 2023

俵万智の「守ー破ー離」の考察

2006年11月07日。

「手紙を書こう」の授業を終えたところで、ちょうど、中日新聞に関連記事が載った。

俵万智の「木馬の時間」というコラムである。

小学校で授業をした後、お礼の手紙が届いたというその手紙についてのコメントだ。

少々長いが、視写のつもりで書き写し、この文章を味わおうと思う。

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 時候の挨拶、相手の安否を問う言葉、本文(授業の感想とお礼)、締めの挨拶、日付、自分の名前、相手の名前。

 みな、きちんと手紙の「型」をふまえて書かれている。形式があるのは面倒くさい、という意見もあるが、実は形式というのは、面倒なことをラクにしてくれるものでもある。

「さあ、なんでもいいから自由にお礼状を書きましょう」と言われたら、白い便箋を前にして、子どもたちは戸惑ってしまうだろう。そこで「最初は時候の挨拶といって、季節のことを書けばいいのよ」と教えてもらえば、とりあえず誰もが、手紙を書きはじめることができる。これが助走になる。型とは便利なものなのだ。

 たぶん先生は、さらに丁寧に、いくつかの例文をし示されたのだろう。多くの子どもたちが、「だんだん寒くなってきました」という「型」を採用している。さらに先生は「このまま写してもいいし、もし自分なりに寒さや秋を感じることがあったら、それを書き加えるのもよいでしょう」とも指導されたのだろう。

 虫の声や紅葉のことをつけ足している子どもがいる。風が冷たいですねとか、半袖では肌寒いですね、という一文もある。「型」を利用しながら、オリジナリテイーを加えるのは楽しいし、一から考えるよりも簡単だ。

 一番印象に残ったのは「このごろ、朝と夜が寒くなってきましたね。お昼は暑い時もあれば、寒い時もありますね」と始まる手紙。決して器用な言い回しではないのだけれど、懸命に今という季節を、自分の言葉にしようという気持ちが、伝わってくる。

 たとえば「朝夕はめっきり冷え込むようになりました」という定番の一文がある。その型通りの言い回しができあがる過程を、この子は、自分なりにくぐって体験しているところなのだ。この「ひとくぐり」をすることで、「型」への尊敬の気持ちが生まれる。

 「型」というものが、長いあいだの知恵の集積なのだということを、肌で感じることができる。

 確かに秋の気候は、この子が書くように定まらない。「でも、それを厳密に言ってたらキリがないから、決まり文句が便利なのよね」と、公園の紅葉を見上げながら、私も「型」ということに思いを馳せるひとときを持った。
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・・・「型」の持つすばらしさを説いている。

「型」は面倒なのではない、「型」に合わせ、その中で「守ー破ー離」と進んでいくことの大切さを説いている。

 これが「短歌」の形式で「守ー破ー離」と進んできた俵氏の言葉だから心に響いた。

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漢字の練習時間が長い

自分の周りだけかもしれないが、授業中の漢字練習の時間がやたら長い先生が多い。
10分で終わらず15分ぐらい~20分ぐらい使っている。
冗談みたいな例でいうと、かつて管理職のとき、授業が始まって教室を回ると漢字練習をしている学級があった。
漢字練習の後の授業を見ようともう1度回ったらまだ漢字をやっていて、もう1回回ったらまだ漢字をやっていて
「ああ、今日は1時間ずっと漢字ドリルの日だったんだ」
とがっかりしたことがある。
授業の準備が足りなくて漢字でつぶしたのかな?
漢字さえやっておけば国語の授業の「やった感」があるのかな?
と不思議だった。
15分から20分を漢字練習に使ったら、教科書の内容は全然進まない。
しかし、教科書の内容の指導に自信のない先生は、その「ちょっとやった」程度の授業で済まそうとしているのかもしれない。
つまり確信犯的に漢字ドリルの時間が長いのだと邪推するようになった。
同じようなことは向山洋一先生も「国語の授業が早く終わってしまうんです」と嘆く新卒の先生の話として紹介している。
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「教科書を読んであげるでしょ。それから何人かに読ませるの。大体読めるなあと思ったら、漢字の練習をさせるの」
『国語の授業が楽しくなる』P132
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「それだけよ」と言い切る彼女に、周囲の先生が一瞬ぽかんとした、という。
ここまでではないにしても、場面の内容をなぞるだけの読み取りをする先生にとっては、漢字に時間を浪費しても、指導時間が余って仕方ないのだ。

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車の燃費をよくする方法と、授業の腕を上げる方法

 かつて、車屋さんに用事があって、時間待ちで自動車関係の雑誌を読んでいた。

 燃費をよくする方法の特集があって、アイドリングストップやアクセルの踏みすぎなど基本的なことも書いてあった。

 その中で確実に10%・15%もの燃費向上を可能にするグッズが紹介されていた。

 それは「燃費メーター」だった。

 瞬間の燃費などが表示される。それを見ているだけで燃費を気にしてアクセルの踏み方などが変わるのだそうだ。

 燃費向上のための特別な装置でもないのに、確実に燃費向上の役に立つ道具が、燃費メーターだと言うのは、逆転の発想のような不思議な発見だった。あれから10年以上経過し、車種によっては瞬間燃費が表示されるものがある。

 

 さて、同じようなことが「授業の腕を上げる方法」でも言える。

 授業の腕を上げるのに、「燃費メーター」のような働きをする物がある。

 録音機、録画機だ。

 自分の授業が録音・録画されているだけで、発する言葉の1つ1つが確かに変わる。

「どなってはいけない」「くどい説明はいけない」と、惰性に流れる下手な授業にブレーキがかかるからだ。

 録音・録画は自分の授業を検討するためのグッズであるが、ダイレクトに授業の腕を上げるグッズである。

 機会があれば、自分の授業をきちんと録音し、きちんと聞き直し、現実を直視(直聴)することをお勧めしたい。

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October 13, 2023

「要約よりも引用を指導せよ」 ~宇佐美寛先生の主張~

◆引用するためには、引用すべき個所を選ばねばならない。自然に注意深く読むことになる。目はゆっくり、文面に忠実に進む。(中略)文面から遊離した粗い概括・要約・印象は防げる。
「宇佐美寛 問題意識集2 国語教育は言語技術教育である」P21
「神は底部に宿りたまふ」
「引用無きところに印象はびこる」
「印象批評」
といった言葉も宇佐美先生の著書から学んだ。
今回、読み直してみて、次の箇所が印象に残った。
「引用が出来ない者には、要約はなおさら出来ない。引用を教えずに要約を教えるのは間違っている」p24
先日、文中の言葉を根拠に主人公の心境を検討させる授業を参観して、「引用」は説得力が高いことを改めて感じた。
授業者は「たずねびと」(5年光村)の前半部を「わくわく好奇心」、中盤を「テンション下がる」と文中にない言葉でまとめていたが、その言葉選びに疑問をもった。
ならば、逆に中盤を「衝撃・ショック」などとまとめるのにも、十分な合意形成が必要であり、慎重な言葉選びが必要だと思った。原爆の被害を知って「頭がくらくらした」と書いてあるから「衝撃」でいいよね、と大人は思うが、子どもはできるのかどうか。
かつて、文中の言葉そのまま抜き出すのを「摘出」、自分の造語で表現するのを「創出」
と書いたが、大きく言うと「引用」か「要約」かという区分と同じ意味だ。
丁寧に引用する癖がついた段階で
「引用すると長くなるから適切な言葉で置き換えてみよう」
と教えるのが「要約」だ。その逆は好ましくない。
「正しい引用・正しい抜き出し」でないとテストで正解とされない場合もあるのだから、まずは「正しい引用」が大事だ。
ちなみに、先日「ごんぎつね」で授業者が「イタズラ」とカタカナ表記していた場面でも違和感も抱いた。
引用は正確にというのは、受験にまでつながる大切な作法なのだ。

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October 04, 2023

自習体制が組めるかどうかは試金石

初任は時々1日出張がある。
初任研後補充の先生が面倒を見てくださる。
クラスがうまくいっていないと、初任はホッとする。大変なクラスから1日解放されるからだ。
通常、プリントやテストなど自習っぽいことをお願いすることが多いが、自分の授業がなかなか進まないからと、思い切って授業を進めてもらうようにお願いする初任もいる。
ある意味、これは初任の追い込まれ度のバロメーターでもある。
うまくいっているクラスなら、補欠の先生に任せてもなんとかなるだろうと安心して出張に行ける。
あるいは自分で自分の授業を進めた方が楽だから、1日出張を面倒に感じている。
しかし、うまくいっていないと、あの子は大丈夫かな、この子は大丈夫かな、給食大丈夫かな、補欠に入った先生に次の日叱られないかなと心配が絶えない。
これは、校内の研究授業でも同じ。
校内研究授業には、当然最初から参加してほしいのだが、なかなか研究授業の教室に現れないことがある。
自分のクラスの自習体制がなかなか取れないからだ。
場合によっては研究授業の途中で教室に戻らねばならなくなるクラスがある。
学級委員の子が研究授業のクラスまで訴えにくることもある。
安心して自主体制が作れるかどうか、これは初任に限らず学級づくりのバロメーターである。

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October 01, 2023

教師が模範を示す段階

道徳資料に「六年生の責任って?」(光村)がある。
6年生の子どもたちが学校全体のために3つの意見を出す内容だ。
(ぼく)清掃後、学校全体を6年生が見回って片付けてはどうか。
(山本)それは美化委員が仕事として取り組めばよい。
(横山)6年生や美化委員が手を出したら、卒業後、元に戻るからどちらも反対
「教室が汚いときに学級担任がどこまで手を出すか」という問題と重ねると興味深かった。
(1)先生が片付けてしまえばいい。
(2)係や当番の仕事(システム)とすればいい。
(3)先生が手を出したら育たない。
ただし「子供たちが気づくまで待つ」という持久戦はけっこうハードルが高い。
さて、谷和樹先生は「自分がさっさと片付ける」というスタンスだった。
教師が率先して行動しなければ、子供は行動するようには育たないという方針であった(と理解した)。
これは「教えるー手放すー任せる」のステップの問題でもある。
最初から「任せる」では子供は育たない。指導していないのだから当然か。
まず最初は「範を示す・背中で教える」。
そして段階を踏んで「手放す」「ほめる」「任せる」。
道徳資料に話を戻すと、(3)の横山さんは次のように述べている。
「どちらも高学年がやれば、それで学校はきれいになるのかもしれません。
だけど、私たち六年生が卒業してしまったら、また元にもどってしまうのではないでしょうか。
それは、本当にきれいな学校になったといえるでしょうか。
私は、六年生が片付けるのも、美化委員会が片付けるのも反対です。」
よく読んで、「落としどころ」が分かった。
◆私は、(いつまでも)六年生が片付けるのも、美化委員会が片付けるのも反対です。
ということだ。
そりゃあそうだ、(いつまでも片付ける)と述べているとしたら、賛成は難しい。
こういう「いつまでも論法」を使って、最初から何もしない教師がいる。
それは、やりたくない人の、巧妙な言い訳にすぎない。
最初は先生が進んでやればいいじゃん。
美化委員の子も進んでやればいいじゃん。
それで、意識が高まってみんなも真似するようになったら素敵だよねということなのだ。

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