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October 01, 2023

教師が模範を示す段階

道徳資料に「六年生の責任って?」(光村)がある。
6年生の子どもたちが学校全体のために3つの意見を出す内容だ。
(ぼく)清掃後、学校全体を6年生が見回って片付けてはどうか。
(山本)それは美化委員が仕事として取り組めばよい。
(横山)6年生や美化委員が手を出したら、卒業後、元に戻るからどちらも反対
「教室が汚いときに学級担任がどこまで手を出すか」という問題と重ねると興味深かった。
(1)先生が片付けてしまえばいい。
(2)係や当番の仕事(システム)とすればいい。
(3)先生が手を出したら育たない。
ただし「子供たちが気づくまで待つ」という持久戦はけっこうハードルが高い。
さて、谷和樹先生は「自分がさっさと片付ける」というスタンスだった。
教師が率先して行動しなければ、子供は行動するようには育たないという方針であった(と理解した)。
これは「教えるー手放すー任せる」のステップの問題でもある。
最初から「任せる」では子供は育たない。指導していないのだから当然か。
まず最初は「範を示す・背中で教える」。
そして段階を踏んで「手放す」「ほめる」「任せる」。
道徳資料に話を戻すと、(3)の横山さんは次のように述べている。
「どちらも高学年がやれば、それで学校はきれいになるのかもしれません。
だけど、私たち六年生が卒業してしまったら、また元にもどってしまうのではないでしょうか。
それは、本当にきれいな学校になったといえるでしょうか。
私は、六年生が片付けるのも、美化委員会が片付けるのも反対です。」
よく読んで、「落としどころ」が分かった。
◆私は、(いつまでも)六年生が片付けるのも、美化委員会が片付けるのも反対です。
ということだ。
そりゃあそうだ、(いつまでも片付ける)と述べているとしたら、賛成は難しい。
こういう「いつまでも論法」を使って、最初から何もしない教師がいる。
それは、やりたくない人の、巧妙な言い訳にすぎない。
最初は先生が進んでやればいいじゃん。
美化委員の子も進んでやればいいじゃん。
それで、意識が高まってみんなも真似するようになったら素敵だよねということなのだ。

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