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November 24, 2023

宇佐美寛氏の「意味論的思考」も、シンキングサイクル

宇佐美先生が学生に示したあるお題を簡略化すると次のようになる。

子ども相撲の東京大会で準優勝した女の子が、女人禁制の国技館で行われる決勝大会に出られないことについて、労働省婦人少年局長が事情を聴くことになった。
・・・宇佐美先生は、意味論的には、次のように考察せよと言う。
女性を入れないのは国技館の土俵だけではない。「他に同類は無いのだろうか。」と考えるはずである。女性を入れないもの、あるいは男子を入れないものは国技館の土俵以外にはないのだろうか。
・・・なるほど、「女の子が女人規制の国技館に上がれないこと」を検討するためには「よく似た事案」で考えてみることが大事なのだ。
 だから、宇佐美先生が述べる「比較の意識」が、すごく重要だ。
これは比較の意識である。〈国技館の土俵〉〈女人禁制〉は、単にそれだけを知ってもわからない。ある対象を知るのは、それと同類のもの、それとは異なるものをも知ることである。それだけで孤立し他と無関係に知ることは不可能なのである。それでは何のためになのかわからないのである。意味論分野における重要な方法は比較である。
・・・したがって、意味論的分野の指導で、宇佐美先生は「次のように指示する」とある。
「世の中に、男だけ、あるいは女だけということになっていて、他の性を排除するような施設・組織・場所・慣習・催し・・・等はたくさんあります。できるだけ多くノートに書きなさい。」
 学生は話し合ったり、1人で考えたりする。5分ぐらい経った時点で、数名を指名し、考えた結果を板書させる。
 宝塚歌劇団・歌舞伎役者・修道院・神主司祭・女子大・女子校・プロ野球・シンクロナイズドスイミング・公衆浴場・トイレ・天皇・助産婦・・・・
 項目がこのように複数箇ある時、分類させる。分類には基準が入る。基準を当てはめようとすることにより、それぞれの項目の事柄が明らかになる。
 その性質が明らかになる。分類によって分析も行われるのである。
・・・比較して、同類を列挙し、基準を決めて分類し、分析する。
向山洋一先生の「かける」の授業と同じだ。
そして、探究型のシンキングサイクルと同じだ。
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よって、次の学生のような意見を述べられたら「局長らに勝ち目はない」と言う。
◆ 天皇は男しかなれない。助産婦は女しかなれない。国立の女子大学には男は入学できない。この3つの〈性による独占〉は、土俵・歌舞伎・神主とどう違うか。これら3つは法令に根拠をおいているのである。「差別」というなら、法による「差別」である。公的なものであり、この「差別」は税金を使って維持されている。これに対し、土俵・歌舞伎・神主の制度は私的なものである。法令とは無関係である。私人が自分たちで好きなようにやっているだけのことである。もちろん公金(税金)はもらっていない。局長たちは、なぜ男しか天皇になれないという制度をまず批判しないのか。官僚という法令に関わる公的な立場を使って、私人同士が好きで納得して守っている慣習に文句を言う。これは弱い者いじめである。他方、自分たちの立場に密接に関わる法による「差別」については責任を明らかにしない。これは官僚支配の国家の図式である。
 学生は、さまざまな性による差別(区別)を列挙し、「公的」「私的」に分けた。
 そして、官僚が「私的」な問題に介入する必要はないのだと論じた。
 「土俵の女人禁制」を自分がどう思うかではなく、「土俵の女人禁制の問題に局長が介入した事実」を批評しており、その筆致は極めて客観的である。(ただし、この事態を「差別」とラベリングした点で、本人の主義主張が出てしまっている)。
 宇佐美先生は、授業の終わりに次のような見解を述べる。
◆自分が個人として発言する資格・権利がない他人の私的な事柄に介入するのは無理だ。私は女性が花束贈呈で土俵に上がれるようになるのには賛成だ。しかし、それが官僚や政治家の圧力で実現するのは反対だ。そんな考え方は自由社会に合わない。(中略)官房長官の圧力で私的な催しの慣習を変えさせるのは、「自由民主」党のイメージと合わない)。
 「私的な事柄」「私的な催しの慣習」という表記にとどまり、「差別」といった言葉を使わないのは意図的だと思う。
 ただし官僚の聞き取りを「圧力」だと断じた点は、宇佐美先生の主義主張が色濃く出ている。個人的には、こういうところに人柄を感じるのである。
「宇佐美寛問題意識臭15 教育のための記号論的発想」(2005年)明治図書
 第一章 記号論三分野の意義〜大学生の作文指導を例として〜

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